あの「魂の法則」が、
Part2「愛の法則」として、
新たに公開されている・・・!
その内容は、驚くべきものだ・・・。その30
作者はヴィンセント・ギリェム(Vicent Guillem)氏、スペイン人で生化学博士である。
翻訳は、初版本「魂の法則」の訳者でもある小坂真里さん。
訳者のホームページ「魂の法則」に、既に公開されているものを、
敢えて転載する理由は、
一人でも多くの方に触れて頂きたいとの願いからである。
それは作者の願いでもあり、訳者の願いでもある。
そして、
共感する拙ブログの願いでもあるからだ。
既に、初版本「魂の法則」は日本でも公刊されており、
魂の法則 | |
ヴィセント・ギリェム | |
ナチュラルスピリット |
是非とも、手に取ってお読み頂きたい
尚、カテゴリー魂の法則には、23回に亘って連載させて頂いた経緯がある。
でも、
一冊の刊行本は、はるかに読みやすく、
座右の一冊となるだろう・・・。
<ヨッキーくんより>
霊的進化は、偏に魂の自由意志と自助努力の結果である事が分かる。
まさに、天は自ら助けるもの助ける、と言うものであって、
高次の霊的存在は、教師に過ぎない。
贖いなどというものは、
本来、企図してものではない。
どうして罪の贖いを他人が引き受けることが出来よう?!
という感慨は、天性のものであった。
やはり、それは当たりの様である。
神頼み、仏頼みは元来性に合わない。
敬うが、頼み事はしたことがない。
頼みとせず、拠り所とするのが正しい。
それで、
自らが歩むのである。
さて、
イエスもやがて転生されるという。
それは納得のいく情報である。
喜ばしいが、イエスを頼みとせず、歩んでいきたい。、
【転載開始】
30 イエスの地上での使命 ―その2―
*人類が救済されるかはつぎのイエスの転生次第なのですか? それとも、イエスは過去にも転生していたので、また生まれ変わらなくても人類を救うことができるのでしょうか?
「救済」というものを人間が愛に向かう霊的な変革と捉えるのであれば、ある特別な高次の魂の転生いかんにそれが左右されるわけなどない。同時期に大勢の人 が変われば集団的に愛の方向へ善い変化を起こせるので、それを「人類の救済」と呼べるが、それは特定の人によるのではなく皆によるのだ。
すでに話したが、霊的に進化するかは、個人が自分自身で決断して行動することによって決まるのである。イエスや他の高次の存在たちに、進化の劣った人間を 成長させる義務を負わしてはならない。進化した魂たちは、自らの手本を示すことで一般人を啓蒙する手助けはできるものの、進化するかどうかは個人的かつ自 発的なものなのだ。これに関しては、全能の神でさえも君たちを強いることはない。
その通りだ。イエスの犠牲によって全人類が救われるのだとしたら、人は善を成すか悪を成すかにかかわらず、また何の徳もなく自分の意に反してまでも、救済されてしまうことになる。地球に高次の霊的な存在たちがやって来るのは、いつも同じ目的のためだ。それは、人類が自ら自覚して成長できるように、その指導をするためなのだ。だが、それをするかどうかは人類にかかっている。
イエスは殺されるかもしれない危険を冒すことを知っていたが、人類に愛の教えを伝えるためにこの世に生まれ出ることを選んだのだ。しかもイエスは、人生の ある時点で見せられたビジョンによって、事態がそのまま進展すれば磔にされて処刑されるとはっきりと知らされ、引き下がる選択も与えられている。高次の霊 的な世界では自由意志が完全に尊重されているので、誰にも――たとえそれが自分たちと完璧に似通った存在であっても――何の強制もしない。
*殺されることがわかっていたなら、どうしてそれを避けなかったのですか? これは、あなたが「魂の法則」に反するとする一種の自殺行為に当たりませんか?
殺してほしかったわけではないし、磔にされて死んでみたかったわけでもない、というのが君の質問への答えだ。だが、彼が一個人として勇敢で、どうなろうと最後まで愛の教えを広めるという手本を示したかったので、それを続けることにしたのだ。
すでに言ったが、イエスの功績は十字架にかかって死んだことではなく、神の使者としての任務を果たした果敢さにあるのだ。そうすることで、最終的に殉教か処刑となって甚大な苦痛を被ることを知っていたにもかかわらず、あえてその代償を引き受けたのだ。
*イエスが僕たちの罪をあがなうために来たのではなかったのなら、彼は旧約聖書が予言する救済者なのですか、それともそうではないのでしょうか?
イエスは確かに旧約聖書が予告した使者だが、カトリック教会が信じさせた目的やイスラエルの民が期待した目的のために来たかどうかはそれと別問題である。
イスラエルは、彼らを外国の支配から解放して征服者の国に変えてくれる、ダビデ王のような政治的な君主を期待していた。だがイエスはそのために来たのでは なかった。彼の使命は全人類に及ぶもので、物的な統治者としてではなく、霊的世界の真相を伝える神の使者としてやって来たのだった。
間違った馬鹿げたお門違いの信仰の中で道を見失って混乱している人類を、暗闇から助け出すために来たのである。イエスは、神や人間の進化について混迷を極めて完全にエゴに囚われてしまっている人類に、本物の霊性進化の道を示すためにやって来たのだ。
君が名を挙げた人たちは確かに皆イエスと同じ使命を担って霊界から遣わされた神の使者だったが、誰もイエス自身ではない。彼らは皆同じ大義のために仕えたわけで、彼らが生まれ出た社会のメンタリティーの許容度においてだが、仕事もそこそこ実を結んだのだ。
君たちが知っている者たちの中では、そう言える。
全員がそうしたわけではない。イエスを疎外したのは、ユダヤ教の僧職と彼らに影響された者たちだ。それにイエスの考えがモーゼの法に反していたからではな く、それがユダヤ聖職者たちが人民に定めた法律にそぐわなかったので、モーゼのせいにしたのだ。イエスはモーゼの律法を覆しに来たのではなく、捏造や改ざ んされた箇所から虚偽を振り払い、元来授けられた姿で再提示をして、それを遵守するために来たのである。
十戒とは、温存することのできたほんの一握りのもののことなのだ。もっともその中には初期の意味合いが変えられて、歪められてしまったものもある。だがこのことに関してはもう充分話したから、ここで繰り返すのはやめとしよう。
真にモーゼの手になるものは短く簡潔であったが、霊的な観点からは真実であった。モーゼの五書は彼のものだとされているが、彼の死後かなり経ってから書か れたもので、思いあがった作り話やユダヤ民族の支配者たちが命じたいまわしい逸話に満ちていて、彼とは無関係だ。だが、有無を言わせずにそれらを正当化す るために、神やモーゼのものとしたのだ。
最後に転生したのは二千年前にイエスとしてであって、それ以後は地球で生まれ変わるためには戻ってきていない。
いや、まだだ。でも、あともう少しだ。
地球の進化に求められていることとメッセージが最も浸透し得る最善の時期を把握した上で、彼自身がその自由意志で決めるのだ。
その質問には答えられない。でも、そう遠くない未来に生まれ変わるであろう。それは物事がどのように進展していくかによるのだ。だが、この世代はまだ無理だ。とはいえ、その下準備をする者たちが、しばらく前から転生して来ているがね。
霊的な任務というものは、個人的な孤独な仕事ではないということだ。行き当たりばったりに進めるものでもなく、それが実行に移されるかなり前から、真剣か つ詳細に計画されるものなのだ。それは人類の霊的進化を目的にした集団的な救援であり、イエスほどの進化を遂げてはいないが大勢の魂が参加する。主役とな る使者が活躍する前、最中、またその後に、ある者は霊的な次元から援助し、ある者は物理的次元から助けるのだ。
アヴァターが転生する際にメッセージがより広く行き渡るように、霊的な教えを少しずつ知らしめて人びとに受け容られやすくするのだ。
*進化した存在たちが増えるためには、地球はどのような環境にあるべきなのでしょうか?
先にも言った通り、霊的な支援のミッションというものは今回が初めてのことではなく、過去の時代に行われた仕事と関連している。同じ目的を持った同じ魂た ちが、さまざまな時代に生まれ変わっているのだ。進化が遅れている者は、愛に関する基本的な知識を学ぼうと努め、より高次の者には、自分の愛の能力を発展 させる責務と手本となって遅れた者たちに愛について教えていく責任がある。
ここでイエスが言及していることは、以前すでに話したことだ。人間というものは、充分に進化しさえすれば、この地球に生きていたイエスと同レベルに到達することができる。さらに、魂の進化は留まるところを知らないので、彼よりも高次の段階に達することもできる。そうなれば、イエスが地上にいた時と同様かそれ以上の能力を持つことが可能になるという意味なのだ。
君たちの惑星でいまだに彼ほど大きな愛の能力を発揮できた者がいないのは、地球の最も進んだ者でさえそのレベルに辿り着けるほどの時が経っていないという ことだ。君たちには長い年月に思えるかもしれないが、霊的な視点からの二千年はほんのひと時に過ぎない。したがって、イエスは間違ってそう発言したのでは ないし、それは歪曲されてもいない。ただ、まだそれが実現する時期になっていないということだ。
ほとんどの者がそうではない。注目を浴びたいあまり有名になりたいという願望を述べているに過ぎず、真実ではない。
高次の存在は、その愛する能力と謙虚さや他者の考えや信念をどれだけ尊重できるかで見分けることができる。
神の使者を名のる大半の者が自慢をして、その状況を名ばかりの優越性で人を圧倒して利益を得ることに利用する。人よりもすごいのだと自慢して優位に立とうとする者は謙虚さに欠けており、自由意志を尊重することができない。それを見れば、彼らが口ほどでもない者であることがわかる。
「救済」というものを人間が愛に向かう霊的な変革と捉えるのであれば、ある特別な高次の魂の転生いかんにそれが左右されるわけなどない。同時期に大勢の人 が変われば集団的に愛の方向へ善い変化を起こせるので、それを「人類の救済」と呼べるが、それは特定の人によるのではなく皆によるのだ。
すでに話したが、霊的に進化するかは、個人が自分自身で決断して行動することによって決まるのである。イエスや他の高次の存在たちに、進化の劣った人間を 成長させる義務を負わしてはならない。進化した魂たちは、自らの手本を示すことで一般人を啓蒙する手助けはできるものの、進化するかどうかは個人的かつ自 発的なものなのだ。これに関しては、全能の神でさえも君たちを強いることはない。
*イエスの使命への理解が足りないために、彼が戻ってくれば僕たちの罪業をあがなってもらえると、思い込んだ部分もあるかもしれませんね。
その通りだ。イエスの犠牲によって全人類が救われるのだとしたら、人は善を成すか悪を成すかにかかわらず、また何の徳もなく自分の意に反してまでも、救済されてしまうことになる。地球に高次の霊的な存在たちがやって来るのは、いつも同じ目的のためだ。それは、人類が自ら自覚して成長できるように、その指導をするためなのだ。だが、それをするかどうかは人類にかかっている。
*イエスが十字架上で死んだことと人類の救済とが無関係なのだとしたら、なぜそのような大きな犠牲を払う必要があったのでしょうか?
イエスは殺されるかもしれない危険を冒すことを知っていたが、人類に愛の教えを伝えるためにこの世に生まれ出ることを選んだのだ。しかもイエスは、人生の ある時点で見せられたビジョンによって、事態がそのまま進展すれば磔にされて処刑されるとはっきりと知らされ、引き下がる選択も与えられている。高次の霊 的な世界では自由意志が完全に尊重されているので、誰にも――たとえそれが自分たちと完璧に似通った存在であっても――何の強制もしない。
*殺されることがわかっていたなら、どうしてそれを避けなかったのですか? これは、あなたが「魂の法則」に反するとする一種の自殺行為に当たりませんか?
殺してほしかったわけではないし、磔にされて死んでみたかったわけでもない、というのが君の質問への答えだ。だが、彼が一個人として勇敢で、どうなろうと最後まで愛の教えを広めるという手本を示したかったので、それを続けることにしたのだ。
すでに言ったが、イエスの功績は十字架にかかって死んだことではなく、神の使者としての任務を果たした果敢さにあるのだ。そうすることで、最終的に殉教か処刑となって甚大な苦痛を被ることを知っていたにもかかわらず、あえてその代償を引き受けたのだ。
*イエスが僕たちの罪をあがなうために来たのではなかったのなら、彼は旧約聖書が予言する救済者なのですか、それともそうではないのでしょうか?
イエスは確かに旧約聖書が予告した使者だが、カトリック教会が信じさせた目的やイスラエルの民が期待した目的のために来たかどうかはそれと別問題である。
イスラエルは、彼らを外国の支配から解放して征服者の国に変えてくれる、ダビデ王のような政治的な君主を期待していた。だがイエスはそのために来たのでは なかった。彼の使命は全人類に及ぶもので、物的な統治者としてではなく、霊的世界の真相を伝える神の使者としてやって来たのだった。
間違った馬鹿げたお門違いの信仰の中で道を見失って混乱している人類を、暗闇から助け出すために来たのである。イエスは、神や人間の進化について混迷を極めて完全にエゴに囚われてしまっている人類に、本物の霊性進化の道を示すためにやって来たのだ。
*歴史に残る偉大な預言者やアヴァター(神の化身)の中には――モーゼやクリシュナや仏陀のことを考えているのですが――イエスの前世であった人もいるのでしょうか?
君が名を挙げた人たちは確かに皆イエスと同じ使命を担って霊界から遣わされた神の使者だったが、誰もイエス自身ではない。彼らは皆同じ大義のために仕えたわけで、彼らが生まれ出た社会のメンタリティーの許容度においてだが、仕事もそこそこ実を結んだのだ。
*イエスと仏陀はこの地球にいたことのある最も進化した存在だと言えるでしょうか。
君たちが知っている者たちの中では、そう言える。
*でもユダヤの民は、イエスがモーゼの律法に反する考えを持っているとして、彼を疎外したのではないですか?
全員がそうしたわけではない。イエスを疎外したのは、ユダヤ教の僧職と彼らに影響された者たちだ。それにイエスの考えがモーゼの法に反していたからではな く、それがユダヤ聖職者たちが人民に定めた法律にそぐわなかったので、モーゼのせいにしたのだ。イエスはモーゼの律法を覆しに来たのではなく、捏造や改ざ んされた箇所から虚偽を振り払い、元来授けられた姿で再提示をして、それを遵守するために来たのである。
*十戒のことを話されているのですか?
十戒とは、温存することのできたほんの一握りのもののことなのだ。もっともその中には初期の意味合いが変えられて、歪められてしまったものもある。だがこのことに関してはもう充分話したから、ここで繰り返すのはやめとしよう。
真にモーゼの手になるものは短く簡潔であったが、霊的な観点からは真実であった。モーゼの五書は彼のものだとされているが、彼の死後かなり経ってから書か れたもので、思いあがった作り話やユダヤ民族の支配者たちが命じたいまわしい逸話に満ちていて、彼とは無関係だ。だが、有無を言わせずにそれらを正当化す るために、神やモーゼのものとしたのだ。
*イエスのことに戻るのですが、イエスが最後に地上に転生していたのは二千年前なのでしょうか、それとも僕たちが彼だと気づかなくても、その後で再びやって来ていたことがあったのでしょうか?
最後に転生したのは二千年前にイエスとしてであって、それ以後は地球で生まれ変わるためには戻ってきていない。
*イエスは現在すでに地上に転生していますか?
いや、まだだ。でも、あともう少しだ。
*生まれ変わろうという決断やそれをいつにするかは、イエスが決めるのですか? それともイエスの上位にいる存在が決めるのでしょうか?
地球の進化に求められていることとメッセージが最も浸透し得る最善の時期を把握した上で、彼自身がその自由意志で決めるのだ。
*イエスの転生まで、あと正確にどのくらいかかりますか?
その質問には答えられない。でも、そう遠くない未来に生まれ変わるであろう。それは物事がどのように進展していくかによるのだ。だが、この世代はまだ無理だ。とはいえ、その下準備をする者たちが、しばらく前から転生して来ているがね。
*「その下準備をする者たち」とはどういう意味ですか?
霊的な任務というものは、個人的な孤独な仕事ではないということだ。行き当たりばったりに進めるものでもなく、それが実行に移されるかなり前から、真剣か つ詳細に計画されるものなのだ。それは人類の霊的進化を目的にした集団的な救援であり、イエスほどの進化を遂げてはいないが大勢の魂が参加する。主役とな る使者が活躍する前、最中、またその後に、ある者は霊的な次元から援助し、ある者は物理的次元から助けるのだ。
*どういう準備をするのですか?
*進化した存在たちが増えるためには、地球はどのような環境にあるべきなのでしょうか?
先にも言った通り、霊的な支援のミッションというものは今回が初めてのことではなく、過去の時代に行われた仕事と関連している。同じ目的を持った同じ魂た ちが、さまざまな時代に生まれ変わっているのだ。進化が遅れている者は、愛に関する基本的な知識を学ぼうと努め、より高次の者には、自分の愛の能力を発展 させる責務と手本となって遅れた者たちに愛について教えていく責任がある。
教師的役割を果たす魂たちが進歩するにつれて、彼らの任務はより奥深いものとなる。それに伴い、遅れている魂たちも進化していくので、霊的な教えをより深く理解して実行しようとする魂の数も増え、彼らも教えの伝達者となっていく。
このような霊的な改革の波ごとに、より多くの魂が次々に進化を目指す仲間入りをし、進んだ魂の数もだんだんと多くなっていく。それゆえ、進化した魂がより多く生まれ出ていることは、人類の精神レベルが高まっていることを反映している。
* 今のあなたの「進化した魂がより多く生まれ出ている」という言葉で、イエスが言ったとされている福音書の「私よりも、もっと大きな業を行うようになる」と いう一節を思い出しました。でもあれから二千年も経ったのに、イエス以上のことを成し遂げられた者がいないという点については同意されますよね。イエスは 間違えてそんなことを言ってしまったのでしょうか、それともこの部分も歪曲されてしまっているのでしょうか?
ここでイエスが言及していることは、以前すでに話したことだ。人間というものは、充分に進化しさえすれば、この地球に生きていたイエスと同レベルに到達することができる。さらに、魂の進化は留まるところを知らないので、彼よりも高次の段階に達することもできる。そうなれば、イエスが地上にいた時と同様かそれ以上の能力を持つことが可能になるという意味なのだ。
君たちの惑星でいまだに彼ほど大きな愛の能力を発揮できた者がいないのは、地球の最も進んだ者でさえそのレベルに辿り着けるほどの時が経っていないという ことだ。君たちには長い年月に思えるかもしれないが、霊的な視点からの二千年はほんのひと時に過ぎない。したがって、イエスは間違ってそう発言したのでは ないし、それは歪曲されてもいない。ただ、まだそれが実現する時期になっていないということだ。
*多くの人が自分が霊的に進化していると思っていて、神の使者であると言っていますが、どうなのでしょう?
ほとんどの者がそうではない。注目を浴びたいあまり有名になりたいという願望を述べているに過ぎず、真実ではない。
高次の存在は、その愛する能力と謙虚さや他者の考えや信念をどれだけ尊重できるかで見分けることができる。
神の使者を名のる大半の者が自慢をして、その状況を名ばかりの優越性で人を圧倒して利益を得ることに利用する。人よりもすごいのだと自慢して優位に立とうとする者は謙虚さに欠けており、自由意志を尊重することができない。それを見れば、彼らが口ほどでもない者であることがわかる。