母の瞳は少女となりぬ敬老日
83歳の私の母は立派な敬老の仲間入りなのですが、それは孫に任せて娘の私としては敬老とし呼びたくなく特別お祝いはしませんでした。でも93歳の姑には毎年お祝いを欠かしません。昨日も曾孫まで来て大賑わいでした。幸せな姑だと思っています。
ところで同じ93歳の堀文子という画家の存在を昨日知りその旺盛な好奇心とその絵のタッチに驚いています。上品で語りも仕草も静かなのですが、その言葉の深さには只者ではないものを感じ、93歳という死と背中合わせの歳を自覚しながらも、美を追求し楽しんでいるその知的さに感動しました。とても魅力的な方でした。
83歳の私の母は立派な敬老の仲間入りなのですが、それは孫に任せて娘の私としては敬老とし呼びたくなく特別お祝いはしませんでした。でも93歳の姑には毎年お祝いを欠かしません。昨日も曾孫まで来て大賑わいでした。幸せな姑だと思っています。
ところで同じ93歳の堀文子という画家の存在を昨日知りその旺盛な好奇心とその絵のタッチに驚いています。上品で語りも仕草も静かなのですが、その言葉の深さには只者ではないものを感じ、93歳という死と背中合わせの歳を自覚しながらも、美を追求し楽しんでいるその知的さに感動しました。とても魅力的な方でした。