梢より光こぼして春行けり つゆ草
新緑が急に眩しく見えるようになりました。雨の後など特に綺麗で、もう初夏かと勘違いしそうな位です。今朝の読売新聞で高島野十郎という画家の事を知り、目黒美術館で開催しているというので観て来ました。異色の画家といわれる理由は、彼の生涯にありそうです。久留米の裕福な造り酒屋に生れ、東京帝大水産科を主席で卒業すると、あっさり学問を捨て画家に転じるうんぬん・・とあり、それよりもなによりもその絵の精密さに驚きました。まるで写真いや写真より細やかに、例えば果物の少し朽ちたところとか、光と影とか、草花の繊細さとか、それはそれは見事なのです。油絵なのに、日本画の様にも見え、近づいてみると光っていたりで、すばらしい絵の数々でした。「花一つを、砂粒一つを人間と同物に見る事、神と見る事」と遺稿ノートに書かれていたとあるように、本当に物を凝視する目は確かで、それは俳句の写実とにていると思った程です。良いものを見せていただきました。
新緑が急に眩しく見えるようになりました。雨の後など特に綺麗で、もう初夏かと勘違いしそうな位です。今朝の読売新聞で高島野十郎という画家の事を知り、目黒美術館で開催しているというので観て来ました。異色の画家といわれる理由は、彼の生涯にありそうです。久留米の裕福な造り酒屋に生れ、東京帝大水産科を主席で卒業すると、あっさり学問を捨て画家に転じるうんぬん・・とあり、それよりもなによりもその絵の精密さに驚きました。まるで写真いや写真より細やかに、例えば果物の少し朽ちたところとか、光と影とか、草花の繊細さとか、それはそれは見事なのです。油絵なのに、日本画の様にも見え、近づいてみると光っていたりで、すばらしい絵の数々でした。「花一つを、砂粒一つを人間と同物に見る事、神と見る事」と遺稿ノートに書かれていたとあるように、本当に物を凝視する目は確かで、それは俳句の写実とにていると思った程です。良いものを見せていただきました。