なよ草のさゆらぎ優し片かげり つゆ草
本来私が自分でつけた俳号つゆ草は、踏まれても踏まれても耐え抜いて生きる小さな薄紫のこの草が好きで付けたのでした。なよ草という言葉があるかどうか知りませんが、路肩の片隅で静かにしなやかに、生きていきたいと常日頃思っている精神の在り方を忘れかけていました。決して無理をせず、住み心地の良い居場所で足元を見つめ、しかし卑下する事も無く、淡々とこれからも余生を送っていきたいとつくづく思う次第です。
本来私が自分でつけた俳号つゆ草は、踏まれても踏まれても耐え抜いて生きる小さな薄紫のこの草が好きで付けたのでした。なよ草という言葉があるかどうか知りませんが、路肩の片隅で静かにしなやかに、生きていきたいと常日頃思っている精神の在り方を忘れかけていました。決して無理をせず、住み心地の良い居場所で足元を見つめ、しかし卑下する事も無く、淡々とこれからも余生を送っていきたいとつくづく思う次第です。