椎茸終いの後には
今年は椎茸の原木になるクヌギの木を全部伐採した。椎茸終いである。
当地は昔から椎茸の産地である。我が家では昔から自分の家で食べるくらいは作っていたので、これがなくなると思うと寂しいものである。しかしもうこれ以上は林の維持ができないと判断してのことだった。
その時ついでに付近の栗や杉の大木も伐ってしまった。これでもう台風が来ても、よそ様の屋敷に倒れかかる心配がなくなった。そう思うと急に心が軽くなり、椎茸終いのさみしさなど吹っ飛んでしまった。
ところがどっこい、そうは問屋が卸さなかった。その後の管理が私の肩に重くのしかかってきたのだ。このまま放置しておけば、草が生い茂り、そのうち雑木が生えてきて、気がつけば大木になっていた。なんてことになるからだ。少なくとも年に二、三回は刈り払い機で草刈りをしなければならない。この先どこまでやれるやら……。と、刈り払をかついでクヌギ林の跡地行ってみた。
まだ五月初旬なので、草はそれほど大きくはなっていなかった。だが芽を出したばかりのアメリカセンダンクサが、空き地に芝生のようにびっしりと生えていた。この草の実は秋になると洋服にひっついて取るのに難儀する。その他にも葉っぱに先にとげのあるアザミや雑木の若木などもある。今のうちに切っておかなければ……。
それでも人間にとって困った草木ばかりではなかった。一か所蕨が群生しているところもあれば、山椒の木もいたるところに自生していた。大きな木には実がなり、爽やかな香りがあたりに漂い、とても気持ちよく草刈りを続けることができた。
うまくいけば蕨畑や山椒林ができるかもしれない。と思った矢先だった。杉の大木を伐採したあたりに、ごみが捨てられていた。草や石ころの混ざった土と一緒に、黒いマルチが混ざっている。
ごみを捨てた場所のすぐ傍に、ベトナムの若い人たちが住んでいる家があるので、その住人の仕業だろう。その家の庭には我が家の山に捨てた同じ、黒いマルチが残っていた。困ったものだ。どうしたものか。一人で談判に行く勇気もない。
こういう時には姉の出番である。さっそく彼らの雇い主である建設会社に電話をかけた。姉は草むしりなどの畑仕事は不得手なのだが、こういう交渉事や地区の会計などは得手なのだ。その日も三日前に地区の水路掃除にいき、その後具合が悪くなりずっと寝ていのだ。
しかし私にその話を聞いた姉はすぐに起き上がり、電光石火に早業で、彼らの雇い主である関節会社に電話を入れた。その後姉の方もしゃっきりとして元気になった。
二度と捨てないという約束するなら、土や小石や草はそのままでいいが、黒いビニールのマルチだけは片づけるという条件だったので、ごみの方もすぐにかたづけられた。これで私の悩みも解決された。それほどまでに強く言わなかったのは、片づけた手間賃を彼らの給料から差し引かれでもしたら可哀そうだと思ったからだ。
果たしてこの跡地の管理がいつまでできるとも限らない。せめて古くからいる隣人とも、新しい隣人ともうまくやっていきたいものだ。