草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」前13

2020-01-23 07:03:03 | 草むしり作「わらじ猫」
 草むしり作「わらじ猫」前13 

㈡吉田屋のおかみさん⑧

 昨日の大雨が嘘のように晴れ渡った朝だった。青く澄みきった空にいわし雲がたなびいてる。

「じゃあお前さん、すまないけれど行ってまいりますよ」
「ああ行っておいで、大奥様によろしく言っておくれ」
 声をかけたおかみさんに、番頭と二人で帳面を見ながら話し込んでいただんなは、顔を上げてにっこりと笑った。
   
 待ちきれないようすで、子どもたちはすでに表に出ている。お糸は仕立ておろしの晴れ着を着ている。桃色の地に赤い小花の模様の振袖は、色白で小柄なお糸によく似合っていた。少し済まして立っている姿は、どこの娘さんかと見間違えるくらいに大人びて見えた。

   信二はそんな所に行くよりも、仲間と遊んでいたいようだ。新しい着物を汚さないようにとお関に言われたものだから、機嫌が悪くなった。その上懐に忍ばせていた独楽を取り上げられてしまった。先方で何か粗相でもしでかしたら大変と、おかみさんが取り上げたのだった。ただでさえ行きたくないのに、おとなしくしろだの、着物を汚すなどと言われるものだから、ますます機嫌が悪くなった。

「だいたい今年は、どうしておいらたちまで行かなきゃならないんだい。去年はいくら連れて行ってくれって頼んでも、連れて行ってくれなかったくせに」
 信二は炊事場の板張りの上にあお向けに寝転んだきり、起き上がろうとしない。

「大久保屋の大奥様が、『坊ちゃんや、お里お嬢さんの顔も見たいから連れておいで』っておっしゃったそうですよ」
 お関は蒸しあがった赤飯を重箱に詰めていた。胡麻塩を軽く振って庭の南天の葉をあしらうと、重箱の赤飯が一段と色鮮やかになった。

「坊ちゃん、ほらお口開けて」
 意固地になって天井を睨みつけている信二の口に、お関は一握りの赤飯を入れてやった。
「それに今年はね………」
 信二の機嫌が直ったのは、赤飯を食べたからだろうか。それともお関が何か言ったせいなのだろうか。

「もうひと口」信二はお関に赤飯をねだると、イソイソと表に出ていった。
 信二はこの頃では素直に「はい」といった例(ためし)がなく、おかみさんはおろか、だんなまでもが手を焼いている。あの大男のだんなが拳を振り上げて怒っても、一旦曲げたへそはなかなか元には戻らない。

「おかみさん行ってらっしゃいませ。おなつしっかりお供をするのだよ」
 お関はお里の手を握り着物の裾を気にしているおなつに声をかけた。この日のためにおかみさんが急ごしらえで用意した格子柄の着物は、おなつによく似合っていた。

   タマは相変わらず子どもを何処かに隠したきりで、ふらりと戻ってきては汁掛け飯をもらっては,また何処かに行ってしまう。弥助のことは取り越し苦労だったのだろうか。しかしもう一つの心配事のほうが、おかみさんは気に掛かっていた。
 
   日本橋の大久保屋はおかみさんが十五の歳から、嫁に行った十九の春まで奉公していた。小さな袋物屋だった大久保屋が日本橋に店を構えるようなったのは、今の大奥様の代になってからだった。
  
  それまでは とおり一辺倒の端切れで作った袋を、ただ店先に並べているだけの商いだった。それを大奥様の代になってから、袋に使用する布を大久保屋独自の織り方に統一して、染めにも工夫を凝らした。

 当初同じ柄ばかりの袋ものなんて、すぐに飽きられると思われていた。しかし上品で飽きの来ない柄と、使い込むほどに手になじんでくる布の感触が、若い娘や年配の女たちの間で広まった。それが洒落者の男たちにまで愛用されるようになるまでには、たいして時間がかからなかった。今では袋とそろいの小物や帯などにも、手を広げている。

 看板商品の袋物は春と秋には新しい型の物を出し、江戸の町の風物詩と謳われるほどになっていた。大久保屋の商品を何気なく使いこなすのが、江戸の女や伊達男たちの信条になっていた。
 
 おかみさんが大久保屋に奉公に上がった頃には、大奥様は商売のことは娘夫婦に任せて、大旦那様と一緒に隠居していた。しかし、隠居といってのんびりと余生を送るような生活ではなかった。大奥様は店の仕事で手一杯の娘夫婦に代わって、店の奥のことを取りしきっていた。

 大久保屋の大奥様に仕込んでいたただければ、いい縁談の口が来る。と、年ごろの娘を持つ親たちは、こぞって大久保屋に娘を奉公させたがった。おかみさんの親もその中の一人で、親戚のつてを頼ってやっと奉公に上がれたくらいだった。
 
 ただそんな娘たちの中でおかみさんだけはちょっと違っていた。「お店の小僧さんと一緒に、そろばんを仕込んでもらいたい」とおかみさんが大奥様に頼みこんだのは奉公してすぐのことだった。大奥様がそんなおかみさんの頼みを聞き入れたのは、自分自身もまた男に引けを取らない商売をしてきたからだろうか。今のおかみさんがあるのも、大奥様のおかげだった。

 毎年秋の彼岸のさめから五日後におかみさんは、大久保屋に子どもたちを連れてご挨拶に伺う。その日は大奥様の誕生日のちょうどひと月前にあたる。人を引きつける物を作る人は、自身も人を引き付けるのだろうか。一月後の誕生日には大店のご主人や、駆け出しの役者。学問所の学者先生や辰巳芸者の音吉姐さんまで、大奥様を慕って次々に客が訪れる。大久保屋ではその日は一日中、来客で大賑わいになる。
 
 「ゆっくり話もしたいし、子どもの顔も見たいから」と大奥様が毎年ひと月前のその日を、おかみさんのために空けておいてくれるのだった。毎年その日には手土産に新米を持って伺う。実家はすでに兄夫婦の代になって足が遠のいた分、大奥様の所に行くのがなによりの楽しみになっている。

「米は丁稚に運ばせておいたから、気をつけて行っておいで。帰りは籠で帰っておいで」
 見送りに出ただんなは、おかみさんに声を掛けた。
「鯛は太助さんに頼んでありますから。あちらに様にお届けする手はずになっております」
お関は風呂敷に包んだお赤飯の入った重箱をおかみさんに渡した。
「じゃあ、いってまいります」
 おかみさんは風呂敷包みを抱えると、お糸と並んで歩き始めた。その後をおなつがお里の手を引いて、信二と並んで歩き始めたときだった。店の中からタマが飛び出してきた。

「おや、タマもついて行くのかい。だったら安心だ。タマ、子供たちをたのんだよ」
―しかし、不思議な猫だ。
 こどもたちの後を追い立てるようについてくるタマを見ながら、おかみさんそう思っ
た。

   子ども連れで一刻は掛かってしまう道のりだが、意外に早くついたのはタマのおかげだった。タマは隠したままの子どもが気になるのだろう、やたらと歩くのをせかせる。   
  
 いつもなら表通りの賑わい気を取られて、なかなか歩みの進まない子どもたちだったが、今日は違っていた。ちょっとでも立ち止まろうものなら、タマが足に噛みついてくるのだ。お里などはちゃんと歩いているのにタマに噛みつかれてしまい、早々におなつに負ぶわれてしまった。

「痛いじゃないかタマ、そんなに強く噛んだら血が出るだろう」
 最初に団子屋の前で噛みつかれ、次に飴屋、その次はうなぎ屋の前と、立ち止まる度に噛みつかれたのは信二だった。タマのほうも最初は遠慮がちに軽く噛んでいたのだが、立ち止まるたびに噛みつき方が強くなってくる。

   タマが本気で信二に噛みついたのは、相撲絵がずらりと並んだ浮世絵屋の前だった。おかみさんにいくら急かされても、頑として前に進もうとしなかったので、タマが怒ってしまったのだ。

「信二、タマは隠している子どもが気になるから早く帰りたいのだよ」
「だったら子どもの所に居たらいいのに、なんでついてきたの」
「きっとおなつのことが心配なのよ」
「おっかさん、おなつのことがどうして心配なの」
 二人の会話を聞いていたお糸が口を挟んできた。
「それはお前、初めて大久保屋さんに行くからだよ…」
「どうして、大久保さんに行くのがそんなに心配なの」
「それはいろいろあるだろうよ。タマに聞いてみないとね…」
「あっ、今度はおなつが噛みつかれている」
 
 おなつは芝居小屋のたて看板に見とれていたら、タマに噛みつかれてしまったようだ。照れ笑いをしながら、おかみさんたちの後を追いかけてきた。
「ほらごらん、おなつが道草食うから、タマが心配してついて来たのよ」
 タマに追い立てながら歩く街並みを、秋の涼しい風が吹き抜けて行った。 






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