草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

よもぎ餅

2023-03-21 09:00:53 | 草むしりの幼年時代

よもぎ餅

 さてお彼岸と言えば墓参り、そしてぼた餅ですね。我が家では今年はよもぎ餅を作りました。春のお彼岸にはよもぎ餅もよく似合いますね。   

 さてお仏壇とよもぎ餅には忘れられない思い出もあります。

 我が家には二軒、よもぎ餅やぼた餅を作るのが上手な小母さんのいる親せきがありました。お彼岸やお盆には仏さまにと言って、よくおすそ分けをいただきました。長い間その習慣は続き、長女が高校生になったころでも、二軒の小母さんたちからはおすそ分けが届いていました。

 ある時どちらがおいしいかという話になりました。仮にその二軒をT家とF家とします。私はどちらも美味しいと答えました。ところが娘はT家の方がおいしいというのです。

「好意でくれているのに、そんなことを言ってはいけない。実際どちらもおいしいじゃないか」と私は娘を諭したのですが、娘は絶対にT家の小母さんの餡子の方がおいしいといって譲りません。

「やれやれ、血は水よりも濃いってことか」その時私は苦笑しながら思いました。

 それはF家の小母さんは私の母の兄のお嫁さんであり、T家の小母さんは我が家から嫁に行った人です。娘とは多少の血のつながりがあります。

 何はともあれ二軒の小母さんたちの餅はとてもおいしかったです。


お彼岸

2023-03-20 07:52:58 | 草むしりの幼年時代

お彼岸 

 お彼岸です。明日二十一日は春分の日で祝日であり、お彼岸のお中日でもあります。さてお彼岸と言えば墓参り、昨日は朝から天気が良かったので墓参りに行ってきました。

 村の共同墓地は小高い丘の上にあり、昔は土葬もしていました。その先にヌキ(貫き)と呼ばれる岩をくり抜いた隧道あり、横を流れる川が深い淵になっています。

 大分県中津市にある「青の同門」と呼ばれる隧道をイメージしてください。

 しかし「青の洞門」と言われましてもピンときませんね。菊池寛の小説「恩讐の彼方に」のモデルになった「禅僧海」といえば、「ああ」という方もいらっしゃるのでは……。

「江戸で人を殺めた禅海が諸国巡礼の途中、この地で鎖渡しの難所に苦しむ人々を見て隧道開さくを決意、風雪にも嘲笑にも屈することなく、大岩盤に挑むこと三十年、ついに洞門を完成させる」(この部分は大分県ホームページより抜粋いたしました)

 長くなりました。話をもとに戻しましょう。つまり当地の隧道はこの「青の洞門」のミニ版と思っていただければいいのです。手彫りの鑿(のみ)跡があり、途中で明り取りの穴が開けられているところも、明り取りの穴の真下が、深い淵になっているところも似ています。

 ただ当地の岩は柔らかく、禅僧海ほど苦労しなくても掘れたのではないでしょうか。その分大きく掘ることもでき、昔はバスも通っていました。

 幸い我が家は墓地の手前にありましたので経験はないのですが、墓地より先に家のある同級生は、ここを通るのがとても怖かったそうです。

 長くなりました。墓地にまつわる思い出は数々ありありますが、今日はこの辺で……。


椿年(つばきとし)

2023-03-19 08:39:34 | 日記

椿年(つばきとし)

 裏庭の椿の花が満開だ。裏庭だけではなく庭中の椿がたくさんの蕾をつけ、次々に咲き始めた。私が十五、六年前に植えた椿の木も、たくさんの花をつけている。こんなに花をつけたのは初めてだ。咲き終わった花が次々に落ちて、地面はピンクの絨毯を敷き詰めたようだ。

 そういえば畑の脇に自生している藪椿の花も、たくさんの蕾をつけていいる。今年は椿年(つばきとし)なのだろうか。と、裏庭の椿を見ながらふと思った。

 それにしても大きくなったものだ。母が昔植えたのだろうが、隣接する風呂場の屋根と同じくらいの高さになった。そろそろ切らねば、大木になっては大変だ。

 台風の後に栗の大木を切ってから、屋敷周り木々の大きさが気になってしかない。満開の椿を愛でながら、どこをどうやって切ろうかと思案していた。


何もかけない派

2023-03-17 11:28:13 | 健康管理

何もかけない派

  コロナ以前は東京の家と生家を行き来しておりましたが、今では東京での生活が主体となっております。 

 家が飛行場に近くにあり、東京への往復はJAL機を利用しています。約一時間半の機内での楽しみは、機内誌SKYWAROに連載される浅田次郎氏のエッセー「つばさよつばさ」です。旅行の話だけではなく、趣味やダイエットなど多岐にわたって書かれております。

 ある時はアジフライのことが書かれていました。氏はアジフライが大好物のようです。悩んでいるのはアジフライにソースをかけるか醤油をかけるかです。残念ながら氏が醬油派かソース派かは忘れてしまいましたが、ある時そこにタルタルソース派が登場しました。

 そこで氏はますます悩んでしまったのですが、今度は何もかけない派が登場しました。その後氏が何派になったかは忘れましたが、私はこの何もかけない派の登場を大喜びしたのを覚えています。

 実は私も何もかけない派だからです。私の場合はアジフライだけではなく、野菜や豆腐までほとんど何もかけません。納豆などは酢と辛子のみです。

 それじゃぁ、おいしくないだろう。第一ご飯のおかずにならないと思われるでしょう。しかし季節のお野菜はそのままでも甘みがあっておいしいものです。この冬の霜降りほうれん草の、なんとおいしかったことか。確かにご飯のおかずにはなりませんでしたが……。

 しかしそのご飯だってどんぶり鉢に山盛り一杯食べているならまだしも、小さな飯碗の底にほんの少しだけ。目方にするとほんの百グラム程度。おかずなんか無くっても、すぐに食べてしまいます。いやむしろおかずになるような味付けにすると、ご飯が進んで困ります。味なしで結構なのです。

 それでも時々は物足りなさも感じます。揚げたてのトンカツにソースをたっぷりかけて、どんぶり一杯ご飯が食べたくなります。

 そんな時には最後の一切れにソースをたっぷりかけて、ゆっくり噛んで味わって食べます。口の中にソースとトンカツの味がいつまでも残り、しばらくは幸福な気持ちに浸れます。


負けて悔しい ハナ一番目

2023-03-16 16:20:24 | 猫自慢

 負けて悔しい ハナ一番目

  ハナコは今年十五歳になる我が家の飼い猫である。今でこそ現役を引退したが、若い頃はその愛らしい顔立ちとネズミ捕りの特技で、家の者はおろか近所の人たちを魅了した。

 我が家のおむかいさんは少し前まではお米をたくさん作っていた。十月になると倉庫いっぱいに米袋が並べられていた。頼まれもしないのに、ハナは倉庫の中でネズミ番をしていたという。

 奥さんに大変感謝されたし、ご主人はハナに自宅の猫用に水栽培をしている、猫草を食べさせてくれた。草なら我が家にもあったのだが、よその家の草の方がおいしいらしい。

 その他にも屋根の上に住み着いた鳩の群れを追い出したりもした。私がいくら追っ払ってもすぐに戻って来るが、屋根にハナコを放すとすぐに飛び立ち二度と戻って来なかった。イタチと格闘して一発浴びたり、ヤマカガシという毒蛇を退治したこともあった。なんとも頼もしいハナは我が家の自慢であった。

 そんなある日我が家にやってきた畳屋さんに、「ネズミをよく捕るのよと」姉が例によって自慢話をはじめた。するとどうだ、畳屋さんの猫は傍の河原から鴨を捕ってきたと言うではないか。真冬で脂がのっていて、鴨汁にして食べたらおいしかったと自慢された。

 悔しい負けた!ハナが一番だと思っていたのに。負けず嫌いの姉はその時の悔しさが、今でも忘れなれないようだ。