うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

私のかかりつけ

2005-02-04 12:52:38 | 雑記
風爺ぃ氏の息子がインフルエンザにかかってしまい、なかなか熱が下がらず困っているという。奥様も出産を目前にしているだけに、風爺ぃ氏もさぞ心配であろう。それにしても、友人知己から「子供が体調を崩した」という話をしょっちゅう聞いているような気がするのだが、みんなそんなに病弱なんだろうか。それとも、乳幼児ならどこでもよくある話なのだろうか。自分が子供を持ったことがないのでわからない。

私も子供の頃から病弱で、しょっちゅう医者の世話になっている。こういう時に頼りになるのが「かかりつけ」だ。私の最初のかかりつけは、私の祖父母の時代から診てもらっていた金井征三郎(かない・せいざぶろう)先生である。私が世話になっていた時にはすでに高齢で足取りは頼りなかったが、診察は信頼できる優しい先生だった。年季の入った古い家屋の扉を開けると、扉についた鈴が「カランコロ~ン」と鳴って、金井先生がゆっくりと出迎えてくる。診察室は応接間を改造したようなつくりで、現代的な医院ではなかった。机には何やら難しそうな本や書類がたくさん積んであり、怪しげな薬瓶や医療用具も置いてある。独特なあの雰囲気がなぜか大好きだった。
金井先生は自ら薬を調合した。診察を終えるとそばにある薬剤室のカーテンを開け、棚から色々な薬瓶を取り出しては、中身の粉末を天秤で慎重に量り、乳鉢の中に次々と流し込んで、乳棒でゴリゴリと細かく混ぜるのだ。棚を覗くとガラス戸に、色あせた上に今にもはがれそうな「劇薬」のシールが貼ってあるのが見えたりして妙にドキドキしたものである。そして、薬が出来上がると薬包紙を折りたたんで丁寧に包み、紙袋に詰めて渡してくれる(一度薬包紙の折り方を教わったことがあるのだが、忘れてしまったのが残念だ)。先生の薬は乳糖がたっぷり入っており、何とも甘くて不思議な味がした。
金井医院に数ある薬の中でも、今でも強烈に覚えているのが「シノミン(抗生物質・塩野義製薬)」と「セデスG(鎮痛剤。名前は有名だが市販のとは成分が全く違う・塩野義製薬)」と「ネオフィリン(喘息治療剤・エーザイ)」の3種である。服用したのではなく、ラベルのロゴが妙に怖かったのだ。「飲んだらヤバそう」なオーラがプンプンしていた(シノミンとセデスGは最近製造をやめた。実際ヤバかったらしい)。あと、なぜか丸石製薬の薬瓶が印象に残っている。
私が中学生になったぐらいの頃、奥様に先立たれて一人暮らしだった金井先生は引退、息子夫婦の住む横浜へ引越していった。そして後年、93歳で天寿を全うしたという知らせをもらった。現在の金井医院跡地はアパートが建ち、当時の面影は全くない。

現在のかかりつけは、金井医院跡地とほど近いところにある阿部医院である。リンク先をご覧いただくとわかるが、院長はなぜか「阿部」ではなく「清水」先生だ(先代の娘婿らしい)。写真だと「バカボンのパパ」に似ているが、噂によると先代を継ぐべく再び大学(医学部)に入り直して医師になったというから侮れない。何の接点があるのか不明だが内科と皮膚科を兼任していて(先代が皮膚科だったらしい)、できものを切開してもらったことが二回ある。なんか色々とすごい先生だ。
もうひとつのかかりつけが、神経科のかなくぼ医院である。金久保先生はもう80歳に近い高齢なのだが現役バリバリで、診察室に何台もあるPCを使いこなしてあらゆるデータを管理しているというから侮れない。神経科は予約制が多いのがイヤなのだが、ここは予約なしで診てくれるのが大変ありがたいところだ。

幼少時の金井医院の思い出が楽しかったせいか、医者に行くのは嫌いではない。むしろ好きと言ってしまってもいい。医学や薬学の話にも興味がある。医師や薬剤師になるような頭脳や意欲が乏しかったのが我ながら惜しまれるが、現在病院関係の仕事をしているのも何かの縁なのだろうか。不思議なものである。
コメント (8)
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