※今回は下ネタが入っております。しかも、ちょっとグロいかも?心してお読み下さい。
「燃えつづけろ!ライター高田!」というブログが、私の笑いのツボを直撃した。筆運びの軽さとライター高田という名前から、てっきり物書きの方のライターかと思ったがさにあらず。プロフィールを見ると、「私をモノで例えると…火をつけるライター。いつでも①熱く②明るく③人から見て便利な存在として皆の心に火をつけていきたい。友達は、自分の生きる燃料になってもらいたい。」ということなのだそうだ。なるほど。
一連の「熱湯コマーシャル」シリーズ(「熱湯コマーシャルをやってみよう!」「寒い夜だから・・・」「元気タマ」「ジ・エンド・オブ熱湯コマーシャル」)に大爆笑したのだが、「元気タマ」の「まずい!精子が!!」以降のくだりに笑いながらもドキっとした。「タマ」の話になるとつい食いついてしまうのは、何を隠そう私が片タマ男だからだ(堂々と言うことでもないのだが)。
日本三大片タマ男といえば、田中裕二(爆笑問題)、堀内健(ネプチューン)、そしてこの私である(今勝手に制定したが、他に片タマ男を知らないのだ)。15年前の秋、突然の病により摘出を余儀なくされた。病名、右睾丸捻転。
あれは中学3年の頃、ある秋の日の午前4時のことだった。就寝中、何だか股間に違和感を感じて目が覚めた。違和感は徐々に痛みに変わり、その痛みは時間を追うごとに強くなっていく。今まで感じたことのない痛みだ。小学校1年の頃に車にはねられて頭部を強打した時だって、ここまで痛くはなかった。変な病気をうつされるような覚えなどないのに何なのだ、これは。人間の三大疼痛は「陣痛(お産)」「結石」「ガン」と言われるらしいが、それを言い出したのはきっと出産経験のある結石持ちのガン患者だろう。タマの痛みも加えて四大疼痛にしてもらいたいぐらいだ。
1時間ほど寝床でのたうち回り、氷で冷やしたりもしてみたが、痛みが治まる気配は全くない。タマはまさに、信楽焼のたぬきの置物のごとく肥大している。もう、ダメだ。観念した私は親を起こし、救急車を呼んでもらった。
近所のS大学病院に着いたのはよかったが、担当医がいないということで、しばらく待たされた。結局、手術は10時からということになり、手術前の検査で車いすに乗せられて院内をあちこち移動していたのだが、何とも間の悪いことに、同じクラスのの女子・かっきぃに出くわしてしまった。かっきぃもたまたま体調不良でこの病院にかかっていたらしい。車いすに乗っている私を見て、かっきぃも驚いただろうが私も慌てた。
「どうしたの、うえぽん!?」
「い、いや、まぁちょっと具合悪くてね…あはは(引きつり笑い)」
タマの具合は最悪だったが、このシチュエーションも最高に具合が悪い。相手が男ならまだしも、思春期真っ盛りの男女、本当のことなんか恥ずかしすぎて言えるわけがない。言われた向こうだってリアクションに困るだろう。今でこそ笑いのネタにしているが、当時はまだウブな私だった(爆)。
手術なんて生まれて初めての経験だ。しかし、この痛みさえ何とかしてくれるのならと、腹をくくる。ストレッチャーに寝かされて準備室へ運ばれた。そこでまずは剃毛だ。同級生のKという男がかつて盲腸の手術で剃毛された時、思わず「ぞうさん(©クレヨンしんちゃん)」が元気になってしまい(爆)看護婦に笑われたらしいが、私は痛む場所が場所なのでそれどころではない。麻酔注射を3本ほど打たれたが、この内の1本が、背中から何かを引っこ抜かれるような痛さだった。麻酔薬を「注入」するのだから、「引っこ抜かれる」というのはおかしいのだが、とにかくそんな感覚である。
手術は下半身麻酔であり、意識ははっきりしている。徐々に腰から下にしびれが来て、何とも妙な感覚になった。麻酔医が何分おきかに腰のあたりを何かでつつき「痛い?」と聞いてくる。つつかれている感覚はあるが、痛みは全くない。不思議なものだ。
「それでは、術式を行います。よろしくお願いします」執刀医のあいさつから手術開始。カチャカチャ音はするが、何をしているのかは全くわからない。途中、麻酔の効いていない部分がズキズキ痛み始め、痛さのあまり気持ち悪くなり、麻酔をもう一本打ってもらった上、横に袋を用意してもらって吐いた。
手術は1時間ぐらいで終わると聞いていたのだが、終わる気配がない。どうなっているのだろう。私の両腕には点滴や血圧計がつながっており、女性看護士が何分かおきに血圧を医師に伝えるのだが、その数値が徐々に下がっていた。そして、それに付随するがごとくまぶたが重くなってきた。このまま寝たらそのまま目が覚めないんじゃないかという恐怖もあって、医師に「眠ってももいいですか?」と聞く。「大丈夫だよ」というので目をつぶるのだが、まぶたは重いのに頭の中はさえていて、とても眠れない。どうしたものかと思っているうちに手術は終わった。
結局、2時間かかった。右のタマが2回転しており、30分ほど揉んで蘇生を試みたがすでに手遅れで、摘出された。また、左側を固定する手術もしたということだった。
親は「待たせておいて手遅れとはどういう事だ!?」と未だに怒っている。私は親ほど気にしてはいないのだが、一つ悔やむところがあるとすれば、摘出したタマを見せてくれなかったのが残念で仕方がない。いわば私の「分身」である。最後のお別れぐらい、したかった!
一応、初めのうちは「盲腸」ということにしておいたが、退院して中学校に戻ってきたら「うえぽんガンだったんだって!?」とかなんとか情報が錯綜していた。ガン患者が10日そこいらで退院するかっちゅうの。思春期を過ぎてからは、むしろバカ話のネタにするようになり、年寄りの病気自慢よろしくベラベラしゃべっているから、今じゃ私の友人のほとんどは私が片タマであることを知っている。
もう片方が潰れたらまずいからと、たまに草野球をやってもキャッチャーは絶対やらない。テレビのプロ野球珍プレー特集で、キャッチャーがファールチップを股間に当てて悶えているのを見ると、大笑いしながらも「人ごととは思えんなぁ~」という同情心を禁じ得ないのである。
「燃えつづけろ!ライター高田!」というブログが、私の笑いのツボを直撃した。筆運びの軽さとライター高田という名前から、てっきり物書きの方のライターかと思ったがさにあらず。プロフィールを見ると、「私をモノで例えると…火をつけるライター。いつでも①熱く②明るく③人から見て便利な存在として皆の心に火をつけていきたい。友達は、自分の生きる燃料になってもらいたい。」ということなのだそうだ。なるほど。
一連の「熱湯コマーシャル」シリーズ(「熱湯コマーシャルをやってみよう!」「寒い夜だから・・・」「元気タマ」「ジ・エンド・オブ熱湯コマーシャル」)に大爆笑したのだが、「元気タマ」の「まずい!精子が!!」以降のくだりに笑いながらもドキっとした。「タマ」の話になるとつい食いついてしまうのは、何を隠そう私が片タマ男だからだ(堂々と言うことでもないのだが)。
日本三大片タマ男といえば、田中裕二(爆笑問題)、堀内健(ネプチューン)、そしてこの私である(今勝手に制定したが、他に片タマ男を知らないのだ)。15年前の秋、突然の病により摘出を余儀なくされた。病名、右睾丸捻転。
あれは中学3年の頃、ある秋の日の午前4時のことだった。就寝中、何だか股間に違和感を感じて目が覚めた。違和感は徐々に痛みに変わり、その痛みは時間を追うごとに強くなっていく。今まで感じたことのない痛みだ。小学校1年の頃に車にはねられて頭部を強打した時だって、ここまで痛くはなかった。変な病気をうつされるような覚えなどないのに何なのだ、これは。人間の三大疼痛は「陣痛(お産)」「結石」「ガン」と言われるらしいが、それを言い出したのはきっと出産経験のある結石持ちのガン患者だろう。タマの痛みも加えて四大疼痛にしてもらいたいぐらいだ。
1時間ほど寝床でのたうち回り、氷で冷やしたりもしてみたが、痛みが治まる気配は全くない。タマはまさに、信楽焼のたぬきの置物のごとく肥大している。もう、ダメだ。観念した私は親を起こし、救急車を呼んでもらった。
近所のS大学病院に着いたのはよかったが、担当医がいないということで、しばらく待たされた。結局、手術は10時からということになり、手術前の検査で車いすに乗せられて院内をあちこち移動していたのだが、何とも間の悪いことに、同じクラスのの女子・かっきぃに出くわしてしまった。かっきぃもたまたま体調不良でこの病院にかかっていたらしい。車いすに乗っている私を見て、かっきぃも驚いただろうが私も慌てた。
「どうしたの、うえぽん!?」
「い、いや、まぁちょっと具合悪くてね…あはは(引きつり笑い)」
タマの具合は最悪だったが、このシチュエーションも最高に具合が悪い。相手が男ならまだしも、思春期真っ盛りの男女、本当のことなんか恥ずかしすぎて言えるわけがない。言われた向こうだってリアクションに困るだろう。今でこそ笑いのネタにしているが、当時はまだウブな私だった(爆)。
手術なんて生まれて初めての経験だ。しかし、この痛みさえ何とかしてくれるのならと、腹をくくる。ストレッチャーに寝かされて準備室へ運ばれた。そこでまずは剃毛だ。同級生のKという男がかつて盲腸の手術で剃毛された時、思わず「ぞうさん(©クレヨンしんちゃん)」が元気になってしまい(爆)看護婦に笑われたらしいが、私は痛む場所が場所なのでそれどころではない。麻酔注射を3本ほど打たれたが、この内の1本が、背中から何かを引っこ抜かれるような痛さだった。麻酔薬を「注入」するのだから、「引っこ抜かれる」というのはおかしいのだが、とにかくそんな感覚である。
手術は下半身麻酔であり、意識ははっきりしている。徐々に腰から下にしびれが来て、何とも妙な感覚になった。麻酔医が何分おきかに腰のあたりを何かでつつき「痛い?」と聞いてくる。つつかれている感覚はあるが、痛みは全くない。不思議なものだ。
「それでは、術式を行います。よろしくお願いします」執刀医のあいさつから手術開始。カチャカチャ音はするが、何をしているのかは全くわからない。途中、麻酔の効いていない部分がズキズキ痛み始め、痛さのあまり気持ち悪くなり、麻酔をもう一本打ってもらった上、横に袋を用意してもらって吐いた。
手術は1時間ぐらいで終わると聞いていたのだが、終わる気配がない。どうなっているのだろう。私の両腕には点滴や血圧計がつながっており、女性看護士が何分かおきに血圧を医師に伝えるのだが、その数値が徐々に下がっていた。そして、それに付随するがごとくまぶたが重くなってきた。このまま寝たらそのまま目が覚めないんじゃないかという恐怖もあって、医師に「眠ってももいいですか?」と聞く。「大丈夫だよ」というので目をつぶるのだが、まぶたは重いのに頭の中はさえていて、とても眠れない。どうしたものかと思っているうちに手術は終わった。
結局、2時間かかった。右のタマが2回転しており、30分ほど揉んで蘇生を試みたがすでに手遅れで、摘出された。また、左側を固定する手術もしたということだった。
親は「待たせておいて手遅れとはどういう事だ!?」と未だに怒っている。私は親ほど気にしてはいないのだが、一つ悔やむところがあるとすれば、摘出したタマを見せてくれなかったのが残念で仕方がない。いわば私の「分身」である。最後のお別れぐらい、したかった!
一応、初めのうちは「盲腸」ということにしておいたが、退院して中学校に戻ってきたら「うえぽんガンだったんだって!?」とかなんとか情報が錯綜していた。ガン患者が10日そこいらで退院するかっちゅうの。思春期を過ぎてからは、むしろバカ話のネタにするようになり、年寄りの病気自慢よろしくベラベラしゃべっているから、今じゃ私の友人のほとんどは私が片タマであることを知っている。
もう片方が潰れたらまずいからと、たまに草野球をやってもキャッチャーは絶対やらない。テレビのプロ野球珍プレー特集で、キャッチャーがファールチップを股間に当てて悶えているのを見ると、大笑いしながらも「人ごととは思えんなぁ~」という同情心を禁じ得ないのである。