うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

超偏食的活字中毒患者のほざき

2005-02-18 21:44:25 | 雑記
「読書が趣味だ、なんてことを言ってちゃいけないよ」
大学時代、当時の文学部長だったヤマユキ教授(故人)が口にした言葉である。要するに「文学部の人間たる者、本を読むなんて当たり前の行為であり、趣味のレベルでとどめていてはいけない」ということだ。だから、大学在学中は読書が趣味だとはあまり言わないようにしていた。もっとも、趣味が読書といっても、本には純文学からエロ本まで色々な種類があるわけで、読書家だから頭が良いとかエライとかいうものではない。私を知っている人間なら、そのことをよくわかっているだろう。

私は長文を読むのが苦手である。途中で飽きてしまうのだ。そして、近代の純文学が苦手である。文脈は理解できても、読んでいてどうも肌に合わないのだ。まだ古典を読んでいた方が個人的には面白い。こんなのでよくも文学部に行ったものだと我ながら呆れかえる(それでも、法学部とか経済学部とかよりは面白そうだと思ったのだ)。
評論文アレルギーでもある。高校時代、特に泣かされたのが中村真一郎(故人)の書いた評論文だ。とにかく何を言っているのかさっぱり理解できなかった。現代文は得意科目だったが、中村氏の作品が出てくる時に限っては頭痛がしたものである。大学入試の小論文の題材にまで出てきたときには泣きたくなった。やけっぱちで解答用紙を埋めたが、文意が理解できずにまともな小論文など書けるはずがなく、その大学に落ちたのは言うまでもない。

こんな調子だから、私が読むジャンルはかなり範囲が狭い。長い作品をじっくり読むより、短い作品をサクサク読んでいく方が好きだ。最初に小説を読むようになったのはミステリーで、昨年亡くなった由良三郎の「運命交響曲殺人事件」であった(これは長編だが)。それからしばらくミステリーを好んで読んでいたが、中学校の頃にはショートショートの大家・星新一や「マンボウ」シリーズでおなじみの北杜夫の作品にハマりだす。高校では泉麻人清水義範が好きになり、以降、山下洋輔土屋賢二阿川佐和子など、笑いのある軽いエッセイにドップリ浸かって現在に至る。

面白いのは、ある作家にハマっている時期には、書く文章がその作家の文体と似てくるということだ。中学校の卒業記念文集「十五年後の私」には、「テレポーテーションの実験台になる」という、ベタベタに星新一ナイズドされた作文を書いていた。今読み返すと、当時の意気込みはわからんでもないが、ものすごく恥ずかしい。
以前書いた「世界平和について考える。(土屋賢二〔※注〕テイストで書いてみました)」も、ちょうどその時土屋氏のエッセイを読んでいたので実験的文章としてやってみたのだが、正直駄作であった。これまた恥ずかしい!
ブログはある意味毎日エッセイを書いているようなものだ。毎日不安定な文体で試行錯誤しているが、いずれは「これダ!」というような自分なりのスタイルを確立できれば、と思う。そのためにも毎日書いて書いて書きまくり、他の人の本やブログをたくさん読んで、お勉強だ!
コメント (4)
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