記者の人達と対面して意見のやり取りをするのであろう。
発表する側と記者の間でお互いの調整のもと開催されている思うが、主催者がどちらなのかよくわからない。記者側がお願いしてやってもらっているのか、発表者側が勝手に開催しているのか、それとも対等の立場なのか、それさえもよくわからない。見ている限りでは、発表する側が案内を出して各局の記者を招いて主導権をもって開催しているようにも見えるが、記者側が会見を強要する場合もあるようだ。記者会見そのものは法的根拠はなさそうである。しゃべってもしゃべらなくても強制力はないが、ただ会見の内容は内容の話題性に応じて大々的に報道される。発表する側はこのメディアの力を利用するし、記者側はメディアに載せる記事を取得することができる。
記者会見を英語に訳すと
Press conference もしくは Press interview とある。あくまで各メディアの記者が集まって会議もしくは会見をする場であるようだ。その時に呼ばれる話題の張本人は会議や会見の参加者に過ぎないようである。どうも日本の場合は、話題の張本人側が主体的に采配をとって一方的な会見になっているようだ。だいたい、「会見」と言う言葉自体がちょっとおかしい気がする。本来は地位の高い人が地位の低い一般大衆の前に姿を現わしてお言葉を下達することである。何やらその昔の雰囲気が今でも残っているような気がする。今でも記者側がお願いして「記者会見」をしてもらっているという感覚はぬぐえない。
記者会見で謝罪しているのは誰に向かってだろう。
まさか、目の前の記者達に対してではないだろう。その記者達がその後に報道するであろう一般大衆に対して謝罪しているのであり、その謝罪している姿を一般国民に報道してもらうことを期待して謝罪しているのだろう。その絵柄を考えながら謝罪しているのだろうが、謝罪している相手が違うような気もする。本来謝罪しなければいけないのは、その事実によって損害を被った人達であり、記者でも一般大衆でもない。そして、記者会見で謝っている人は本来謝るべき張本人ではない。私は、本来謝るべき張本人が損害を被った人達を前に直接謝るべきであり、その姿を報道すべきなんだろうと思う。そう考えると「記者会見」とは何だろうと疑問になってくる。単に手間を省いて効率化した儀式に過ぎない。
時には謝るべき張本人が堂々と記者会見している。
そして、一方的な発言を洗いざらいぶちまけている。ぶちまけられた方の言い分は一切ないし、ぶちまけた内容が正しいのかどうかも解らないが、記者達はその内容を吟味もせずにメディアに載せて大々的に報道する。確かに映像があって本人がしゃべっているのだから内容そのものに間違いはないだろうが、それを大々的に報道していいか、その影響はどうなるのか、独断的で不公平ではないか、冷静かつ客観的なのか、等についてある程度吟味すべきであろう。ただ単なる映像資料を垂れ流すだけであってはならないし、報道するのであれば、関係する人達の了解もしくは異論・反論を合わせて行うべきである。
発表する側と記者の間でお互いの調整のもと開催されている思うが、主催者がどちらなのかよくわからない。記者側がお願いしてやってもらっているのか、発表者側が勝手に開催しているのか、それとも対等の立場なのか、それさえもよくわからない。見ている限りでは、発表する側が案内を出して各局の記者を招いて主導権をもって開催しているようにも見えるが、記者側が会見を強要する場合もあるようだ。記者会見そのものは法的根拠はなさそうである。しゃべってもしゃべらなくても強制力はないが、ただ会見の内容は内容の話題性に応じて大々的に報道される。発表する側はこのメディアの力を利用するし、記者側はメディアに載せる記事を取得することができる。
記者会見を英語に訳すと
Press conference もしくは Press interview とある。あくまで各メディアの記者が集まって会議もしくは会見をする場であるようだ。その時に呼ばれる話題の張本人は会議や会見の参加者に過ぎないようである。どうも日本の場合は、話題の張本人側が主体的に采配をとって一方的な会見になっているようだ。だいたい、「会見」と言う言葉自体がちょっとおかしい気がする。本来は地位の高い人が地位の低い一般大衆の前に姿を現わしてお言葉を下達することである。何やらその昔の雰囲気が今でも残っているような気がする。今でも記者側がお願いして「記者会見」をしてもらっているという感覚はぬぐえない。
記者会見で謝罪しているのは誰に向かってだろう。
まさか、目の前の記者達に対してではないだろう。その記者達がその後に報道するであろう一般大衆に対して謝罪しているのであり、その謝罪している姿を一般国民に報道してもらうことを期待して謝罪しているのだろう。その絵柄を考えながら謝罪しているのだろうが、謝罪している相手が違うような気もする。本来謝罪しなければいけないのは、その事実によって損害を被った人達であり、記者でも一般大衆でもない。そして、記者会見で謝っている人は本来謝るべき張本人ではない。私は、本来謝るべき張本人が損害を被った人達を前に直接謝るべきであり、その姿を報道すべきなんだろうと思う。そう考えると「記者会見」とは何だろうと疑問になってくる。単に手間を省いて効率化した儀式に過ぎない。
時には謝るべき張本人が堂々と記者会見している。
そして、一方的な発言を洗いざらいぶちまけている。ぶちまけられた方の言い分は一切ないし、ぶちまけた内容が正しいのかどうかも解らないが、記者達はその内容を吟味もせずにメディアに載せて大々的に報道する。確かに映像があって本人がしゃべっているのだから内容そのものに間違いはないだろうが、それを大々的に報道していいか、その影響はどうなるのか、独断的で不公平ではないか、冷静かつ客観的なのか、等についてある程度吟味すべきであろう。ただ単なる映像資料を垂れ流すだけであってはならないし、報道するのであれば、関係する人達の了解もしくは異論・反論を合わせて行うべきである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます