よく時間を有効活用しなさいと言われる。
私はどういう訳か自分のための無駄な時間が大好きである。一番いやなのは他人のために時間を割くことである。他人のために時間を割くことは、自分の寿命をその人に分け与えていることと同じである。だからと言って他人のために何もしないなどということはあり得ない。一番顕著なのが、仕事のための勤務時間である。他人のために時間を割いて労働しその報酬として給料をもらっている。どうせやるなら皆に感謝されるような価値ある仕事をしたいし、自分でも遣り甲斐のある仕事をしたい。そういう中で「時間を有効活用しなさい」というのは、どちらを主体に言っているのだろう。自分の時間か、他人の時間か迷うところである。
残業や休日出勤はあるだろうが、通常は一応、勤務時間が決められている。
そして基本的にはサラリーマンは時間給である。この勤務時間を有効に活用しなさいとは、当然ながら「自分の時間」として活用するわけではない。仕事の能率を上げるために有効活用するのである。能率を上げるとは無駄な時間を省いて短縮することである。短縮された分については新たな仕事が可能であるが、通常は仕事の総量があってこれを時間でこなすわけであるから、早く終わっても次の仕事が待ち構えているわけではない。歩合給や能率給なら別であるが、時間給の場合はガツガツと次から次へと仕事をしても無駄になる(勤務の評価は上がるけれども)。特に頭脳労働は時間給で量れない部分がある。一瞬のひらめきが何百時間にも値する場合がある。
どうやら時間の有効活用とは、「自分の時間」のようである。
それでは、自分の時間を有効活用するに当たって、まずは無駄な時間をなくすことである。無駄な時間をなくすことによって時間を捻出することができる。その捻出した時間を有効に活用すればよさそうである。じゃあ、その時間を何に活用するのか。自分のために、自分の能力を高めるためにである。なぜ能力を高めるのか?何かを達成するためである。何かとは何か?個人の掲げた目標であろう。そうやって考えると、時間を有効活用しなさいと言う人の本音は「自分の目標を掲げてその目標を徹底的に追及しなさい」ということのようである。そのための自分の時間を捻出し早期により高い目標を達成する努力をしなさい、と気合をかけているように思える。
仕事は完璧にこなして、自分の時間では明確な目標を定めて努力を怠らない。
この通りにできればすばらしいかもしれないが、どちらも最大限を追求するのは難しいと思う。どこかに休養の時間、気分転換の時間が必要であり、それをうまくやるのも時間の有効活用である。どちらかというと、私は時間の有効活用とはこのことではないかと思っている。バリバリ仕事をやる時間もあるが、合間を縫って全く別の時間を過ごす世界を持っている。一つの目標に向かって遮二無二努力をする反面、一日をボーっと過ごす世界もある。この使い分けをうまくやるのが時間の有効活用であり、無駄なことも無意味なことも馬鹿なこともくだらないことも必要なのではないかと思う。そして、私はどちらかというと「無駄なこと」「無意味なこと」「馬鹿なこと」「くだらないこと」を一生懸命にやっている自分のほうが好きである。
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