オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

無関心は社会を腐敗させる

2008年03月16日 | Weblog

ゴミをポイ捨てすることは悪いことである。

 これは間違いないことである。それではゴミが落ちていても拾おうともせず見て見ぬ振りをしていることは悪いことだろうか(イヤ悪いことではない、しかし良いこととも言えない)。私も含めて、一般の善良な市民はたいがい「悪い人」にはなりたがらない。悪いことは自らしないさせないということは最低限重要なことである。しかし、これは最低限である。「良い人」を目指すのであれば落ちているゴミを見つけたら拾って町をきれいにする努力をしなければならない。自らゴミをポイ捨てしなければ義務を果たしていると思うのは早計である。

自分の家を考えたらいい。

 個人がゴミを家の中にポイ捨てしなければ掃除をしなくてもいいか(そんなことはない)。一日1回掃除をするのは主婦の日課になっている。家族も家の中にゴミが落ちていれば拾ってゴミ箱に入れ家庭内の美化に協力している。まさか、これは主婦の仕事と割り切ってほったらかしにしているものぐさはいないであろう。

公共場所でもおなじである。

 公共場所を汚すのはゴミのポイ捨てだけではない。時が経てば自然に汚れてくる。家庭の主婦の代わりをするのは公共団体であろうが、美化に協力するのは市民の義務でもある。本来は市民自らが清掃をすべきところを代わって公共団体がやっているのである。市民自らが美化に努めようという心がけが失われると無思慮に公共施設を汚す輩がはびこることになる。

実は、

 安易にゴミをポイ捨てする人と落ちているゴミを見て見ぬ振りする人には共通項がある。「自分一人くらいはいいだろう」という意識である。「自分一人くらいは捨ててもいいだろう」「自分一人くらいはやらなくても誰かがやってくれるだろう」という意味で出発点は同じである。「みんなでやったら」「自分がやらなければ」という認識に立てば自分勝手な思い込みであることがはっきりするはずである。

市民の公共場所であり、美化の義務は一般市民にもあるという認識に立たないと、

 ポイ捨てもなくならないし、汚したり壊したり盗んだりもなくならない。町をきれいにしようと言う意識もなくなる。「税金を払っているんだから国や公共団体がやるのが当然」「どうせやってもらうのだからいくら汚そうと勝手」「汚いのは国や公共団体のせい」では救いようがない。維持管理費はかさむ一方で、その税金は我々が払っている。他人事ではないのである。自分達の切実な問題なのである。

ことはゴミだけの話になったが、

 犯罪も同じである。最低限守らなければならないことは、自ら犯罪を起こさないことである。しかし、これは最低限である。あるべき姿は、犯罪を憎み犯罪に立ち向かい犯罪を起こさせない努力をすることである。「自分さえしなければ他人はどうあれ構わない」「犯罪があっても見てみない振りをする」「危険なことには関わりたくない」という考えはかえって犯罪をはびこらせる。

命を懸けても犯罪と立ち向かうという無謀な事は、

 普通の一般市民に期待しないが、犯罪の事実を見過ごすことは許されない。少なくとも1億2千万分の1の社会の風紀を守る義務は持っているのである。何とか知恵を働かせて悪のたくらみを阻止しなければならない。安全な方法はいろいろ考えられるであろうし、場合によってはある程度の危険を承知の上で断行せねばならない時もあるであろう。

反対に、ポイ捨てや犯罪を無思慮に行っている一般市民は、

 「自分から悪いことをやるのは止めよう」と最低限思ってもらいたい。悪いことをしてはいけないと教えるのは幼稚園くらいである。これができないなら幼児以下である。売春も援助交際もイジメもセクハラも交通違反もマナー違反も、まずは「自らは行わない」強い決意を持たなければならない。まずは自分の尻を拭くことを考えねばならない。他人のことや社会のことを心配するのはその後である。

個人が犯罪を犯さないよういくら心がけても犯罪は絶滅しない。

 不可抗力はあるし、間違いもあるし、感情的で冷静さを欠いた突発的行為もある。当然最初から計画的に行う犯罪もある。これを取り締まるのが公共機関であり警察である。警察は悪意を持って悪事をたくらむ純粋の悪人の取り締まりに手一杯で、無思慮な一般市民の小さな犯罪にいちいち拘わっている余裕はない。しかし、この小さな犯罪が悪の芽となっているのは事実である。この小さな犯罪の取り締まりを警察だけに任せっぱなしではいけない。一般市民も拘わっていかなければならない。それが、家庭内や学校での子供の教育やしつけであり、職場や地域社会での大人への公徳心の呼びかけであると思う。

「自分さえ犯罪を犯さなければ問題ない」

 「犯罪とは関係ないし関知しない」「犯罪を取り締まるのは警察の仕事」というのが、最大公約数的な一般市民の考え方であろうが、この考え方からは「無関心」「事なかれ主義」「責任転嫁」しか生まれない。一般市民が先頭に立って犯罪を憎む社会風潮を醸成し、一般市民として警察を支援して行かねばならない。警察も一般市民の理解と協力がなければ悪と立ち向かうことはできない。

「無関心で何も影響を及ぼさなければ人に迷惑もかけないし問題ないだろう」と、

 考えるのは一見理にかなっているようだが、世の中の秩序は放置していると崩壊して行くものである。これを阻止するためにはそれぞれが秩序維持の努力をしなければならない。その責任は各人それぞれにある。他人任せは無責任である。無関心は積極的な自滅を回避はできるが、長い目で見ると秩序の崩壊を待っているだけである。

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