オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

日本の公共料金の世界的な高水準の不思議

2008年03月22日 | Weblog

航空、鉄道、通信、電気、ガス、水道、バス、タクシー、住宅、米、

 などが世界に比して日本が高水準の価格を維持しているものである。この共通項を見てみると、必ず国が大きく関与していることがわかる。航空、鉄道、通信はご存じの通り最初の母体は国有会社である。半官半民で出発した日本航空、国が経営した日本国有鉄道、日本電信電話公社などである。途中で払い下げされたり民営化されたものである。

電話、電気、ガス、水道、バス、タクシーなどは公共料金と称して国が料金を定めている。

 住宅は住宅整備公団や国民住宅金融公庫などで関与している。米は備蓄米や減反政策、米価などに関与している。電気製品や衣料品や食料品や雑貨類の日用品はあまり国が関与していない。そのためか、市民生活で「高い」と感じることはない。たぶん国の統制がないために健全な自由競争により適正な価格が保たれているのであろう。

このように考えてみると、

 自由主義社会で国の統制がないほうが健全な経済活動がなされていると言う考え方はできないであろうか?国が統制し、国が資本を投入するために国への依存体質が抜けきれず競争力を失い、改革・改善の努力も怠り、気づいてみれば業績は悪化し、その価格は世界の常識からかけ離れたものになってしまっている。

タクシー会社が低料金のサービスを提案しても、

 国がまたは他のタクシー会社が潰しにかかる。サービスが良くても悪くても同じ一律料金が保証されれば誰もサービス向上の努力をしない。国は料金を決める権限を行使してタクシー会社に影響力を持とうとする。どこにも利点はない。いっそ価格やサービスは自由競争に任せて、最小限の必要な統制を心がけた方がいい結果を産むのではないか。

通信料金は、

 旧電電公社からNTTになり、独占体制のままでは通信の自由化が阻害されるという経緯から現在も通信料の認可を行っているが、このために通信料の高騰を招いているのであれば本末転倒である。要はNTTの当面の独占体制を規制するものであり、価格やサービスの自由化を阻害するものではないはずである。日本の情報化が進まないのは通信料金の高さにあるという指摘がある。最近は徐々に競争が激化し安くなりつつあるが、この原因が通信料金の認可制度にあるのであれば直ちに改善すべきである。

航空運賃は国際線については安くなりつつあるが、

 国内線は依然高い。いつまでも殿様商売をやっていても仕方ない。早い時期に運賃の見直しをすべきである。国際線で可能なことは国内線でも可能なはずである。国際線は諸外国との横並びで仕方ないが、国内線は外国の競争相手がいないから放置するというのは納得できない。ひところ新規参入の航空会社があったが、最近はまた数社に統合されつつある。これからも国内各社による自由競争で妥当な運賃を維持してもらいたい。

JRの運賃は困ったものである。

 普通航空運賃とほぼ同じくらいで、割引を使うと航空運賃の方が断然安くなる。速くて安いのであれば誰だって航空機を利用する。JRはどうするつもりなのであろう。変なお座敷列車やイベント列車や高級指向の列車にうつつを抜かしていないで基本的なサービスを充実してもらいたい。当然まずは「安く速く便利で居心地良く」である。採算も考慮に入れなければならない。国鉄時代とは違うのである。

住宅も困ったものである。

 住宅が何故高いか?高くても売れるからである。何故高くても売れるか?国が住宅建設資金を無節操に国民に融資しているからである。融資条件を緩和し、融資枠を増やし、返済条件を緩和し、なおかつ金利を優遇し、税金の住宅取得控除まである。この大盤振る舞いの融資に住宅建設会社がこぞって群がることになる。国が国民に金を貸さなければ、高い住宅は売れない。量も少なくなる。良い住宅が安く手に入れることができる。今のような量産乱造の住宅による暴利はなくなるであろう。国民に金を貸すなとは言わない。しかし、限度がある。35年ローンやそれに輪をかけたステップ償還などはまるでお客獲得に躍起なサラ金商法以上であり、米国のサブプライムローンの例もあるが、昨今の不況下にこれが不良債権予備軍として問題化している。

米も困ったものである。

 日本では市場に流通しているものでおいしい米は期待できない。なぜならば、みんなブレンドされているからである。良い米も悪い米もブレンドされて売られている。何でこんな事をやるのであろう。外国米に対する評価は「おいしくない」「品質が落ちる」「無許可の農薬を使っている」と徹底的にこき下ろしているが、農場としては外国の方が断然恵まれており、農薬の使用量も集約化された日本の農地よりも断然少ない。あとは栽培技術だけであるが、これも遜色ないまでになりつつある。

私は良心的な農家から直接米を買っている。

 ブレンドもされていないし、見ようと思えば栽培中の田圃も確認できる。そこは夏には蛍が飛び交う場所である。野生のクレソンも自生している。変な農薬を使ったのではこの環境は維持できないであろう。安心して食べれるし、またおいしい。米は冷えたご飯を食するときに品質がわかると思う。良い米は冷えても食感はそのままで味も落ちないし、第一毎日食べても飽きが来ない。高級ではなくてもおいしいのである。

話は逸れたが、

 国が余計な手出しをしてろくなことはない。基本的には経済活動に国が大きく関与してはいけない。自由にやらせるべきである。国がやるべき事は、自由な経済活動ができる場を整備することである。不具合があれば是正し、新しいものは推奨し、弱体化している分野は援助してやるのである。活動の細部まで干渉し、個別の自由活動を規制し、官主導の体制を死守し、必要以上の援助をバラ蒔くのは百害あって一利なしである。

困った時の援助はうれしいが、

 援助しっぱなしは依存体質になり競争力を失うし援助なしにはやっていけない体質になってしまう。軌道に乗ったら援助を打ち切り、自立を促さなければならない。これを既得権として放置してはならない。よぉく考え直してみる必要がある。


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