政府がひとつの事業を実行する時、斉一な推進を図るため補助金を投入する。
政府が推進する事業に対して自ら積極的に取り組んでいる地方自治体は援助を必要としないしその事業に対しての補助金は要らない。あまり積極的に取り組んでいない地方自治体には事業を促進するために補助金を投入する。良く考えてみると何かおかしいような気がする。本来であれば政府が推進する事業に対しては地方自治体も積極的に取り組む必要があり、取り組んでいない地方自治体はペナルティーを科すべきであるが、反対にもっとがんばりなさいと補助金を与えているのである。
補助金を当てにすれば、最初から積極的な事業の推進は控える。
補助金は事業の推進ではなくブレーキになっている。しかも補助金の活用に関しては中央からの援助という性格もあって一般的にルーズで、市民の監視も届かないし、中央からのヒモ付きで使い方の自由も利かない。補助金そのものは地方自治体にとってありがたいが、国全体から見てみると無駄が多いし効率が悪い結果となっている。
国全体から見ると、補助金の流れは最終的に特定企業や特定団体を潤している。
中央から地方へ補助金をばらまき、ばらまかれた補助金は特定企業や特定団体に吸い上げられる構造になっている。なぜならば、補助金そのものが特定目的のために特定目的ごとにばらまかれているからである。補助金は中央で定められた使用目的以外に使えないのである。目的外に使用したら次からは補助金はカットされてしまうだろう。補助金は中央から地方への政治家や官僚の利権を行使するのに誠に都合がいいし、中央での特定企業や特定団体に対して政治家や官僚が利権を行使するのにも誠に都合がいい制度である。当然ながら政治家の票集め資金集めに多大の貢献をしている。
地方自治体の財政事情は様々である。
財政規模の大小あり、収支決算の良し悪しあり、緊縮財政あり放漫財政あり、借金残高の多少あり、等々である。それぞれに特徴があり、それなりに運営されている。そのような中で政府が中央から援助すべきは一体なんだろう。私は何らかの理由で地方自治体の運営状況が一時的に悪化している時の財政援助ではないかと思う。災害の発生、地域的な経済不況、突発的な財政不況などによる一時的な危機を乗り切るための財政援助が必要であろう。最終的には地方自治体は自立する必要があるし、自立できる力を保有していなければならない。
補助金は平等の名の下の不平等である。
頑張っている地方自治体の足を引っ張り、頑張らなければいけない地方自治体のやる気を殺いでいる。市民にとっては自分達の出している国税が自分達に関係ない地方自治体で当然のごとく無節操に使われるのは不本意である。補助金を受ける自治体が自助努力を充分やった結果、足りない分の援助を受けるのであれば相互扶助の観点から納得行くが、ただのデコボコをなくすための補助金の投入はあまり意味がない。どちらかと言うとデコボコが地方自治体の個性であり、その個性を伸ばしてゆくのが本当の平等である。
中央からの援助は財政危機にある地方自治体の財政援助だけで充分である。
財政援助であれば補助金と違い使用目的も特定されず自由に使うことができ、援助の目的は財政の建て直しであるので、財務状況を監視して指導すればいい。現在の補助金の弊害である特定企業や特定団体を潤すこともないし、いかがわしい利権も生じない。政治家の票集め資金集めの道具に使われることもないし、援助金は無駄なく効率的に使われることになる。
最新の画像[もっと見る]
- 議員先生と学校の先生との違い 2年前
- SDGsともったいない精神 3年前
- 発想の転換 3年前
- 発想の転換 3年前
- ワンニャン仲良し 18年前
- ワンニャン仲良し 18年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます