オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

生命

2006年07月15日 | Weblog

人類誕生以来「生命」は絶えたことがない。

 「生命」は生きとし生けるものが滅亡しない限り永遠なのである。そして生命の源は1つであることは確からしい。地球上の生命は人間も動物も植物も菌類も微生物も細菌もみんな1つの生命から発祥し、長い年月の間におびただしいほどの多様化を遂げたのである。その多様化のひとつが人間である。人間は人間としか生殖できないし子孫を残すことはできない。よって男女一組以上の人間が残存していないと人類は完全に滅亡してしまう。自分の生殖細胞を遺伝子として子孫に残すには生殖により子孫を生み出すしかない。その子孫の中に自分の遺伝子が残って行き、子孫が絶えない限り自分の遺伝子は生き続けることになる。

人間の細胞には大きく分けて2種類がある。

 生殖細胞と体細胞である。生殖細胞は生殖器の中でしか製造されず、体細胞が生殖細胞になることはない。生殖細胞が精子と卵子として結合し、細胞分裂を始めるところから体細胞が形成されて行く。体細胞は人を生み出すことはできない。そして生まれ出た個体が自分の生殖細胞を製造し別の個体の生殖細胞と結合して子孫を増やして行くことになる。自分の遺伝情報は次々に伝達され、自分達の分身として生命を与えられ永遠に存続して行く。自分の生命が子々孫々に受け継がれるのである。この営みは生命誕生の時からずっと行われ、遺伝や突然変異によってありとあらゆる多様化が進展してきたのである。その多様化の膨大な歴史が遺伝子の中に封じ込められているのではなかろうか。

遺伝子操作というと、我々は操作されたものが「遺伝する」と思ってしまう。

 しかし、人間の場合は生殖細胞を操作して生殖させなければ遺伝することはない。体細胞の遺伝子操作治療は遺伝することはない。ここは明確にすべきである。反対に生殖細胞の遺伝子操作を行うことは生命倫理上絶対許されるべきことではないと思う。自分の持つ生命の継承がその時点で絶たれることすなわち殺人行為に近い。あくまで生殖そのものは自然のままになされるべきであり、子孫の遺伝子に欠陥が生じた場合は欠陥部分(体細胞)のみの遺伝子操作による治療を施すべきである。怪我をした部分が自然に修復するように遺伝子の欠陥部分を修復するのである。

人間の生殖の体系において、生殖のやり方を変えたらどうなるだろう。

 例えば、一人の男性の精子で何億人もの女性に子供を産ませた場合、その何億人の子供はまた何億人もの子供を産み、永遠に一人の男性の生命を引き継ぐことが可能である。その現在の形が民族や人種や国家ではないかと思う。これを故意に作為してやろうとすれば新しい民族や人種や国家を形成することが可能かも知れない。例えば背が高くて目と鼻が大きくて体格が良くて戦闘的な男性から同じような形質を持つ民族や国家を形成することも可能である。しかし、これは相手の女性が同意することが前提であり、何億人もの女性が喜んで同意することは現実的には考えられない。秘密裏に相手を騙してやる方法はあるかも知れないが・・・。

人間は、生殖を終えて子孫を保存したら生物的には任務終了である。

 あとは、おまけみたいなもので、楽しく気楽に暮らせばいいと思う。一人の人間が責任を持って育てることのできる子孫の数は限られている。その範囲内で人工的でなく自然に生殖を行っていれば何も問題ない。自然の法則である多様化に反する必要はないし、反することは自然の調和を乱すことになる。生殖と子育てが終わった人達は、あとは子孫のためにより良い人間社会と環境を残すことに努力を傾注しなければならない。孫やひ孫の顔を見たいと思うのは自己満足に過ぎないし子孫のために努力する具体的なひとつの動機に過ぎない。

結婚しないで子孫を残さない人達はどういうことなのだろう。

 自然の授かり物である子孫を自ら拒否することになる。自分の生殖細胞の遺伝情報(生命)を引き継ぐもの(跡継ぎ)は誰もいなくなる。ある意味で自滅行為である。生命ツリーの一系統が消滅することになる。自然の大きな摂理から言えば生滅変化は当然であり、消滅すること自体は何の問題もないが、人間としてその事実をしっかりと理解しておくことは重要である。ただ単に個人だけの問題ではなく、先祖代々、子々孫々に影響を及ぼす行為だと言うことは肝に銘じておかなければならない。特に一人っ子の人は生命ツリーの一系統を継続するために課せられた使命が大きいことを認識すべきである。

男系、女系という言い方がある。

 天皇の皇位継承で問題になったが、男性の染色体はXYであり、女性の染色体はXXである。確実に継承されるのはY遺伝子であり、X遺伝子は男性・女性どちらのものか区別がつかない。よって子孫を継承できるのは男系ということになる。昔の人はそんなことを知っていたのか解らないが結果としてそのようになっているのは面白いことである。少子化時代と言われているが、子孫を残すということは現世の自分達だけのことではなく過去にも将来にも繋がる命を残すことであり、自分を大切にし、自分の存在価値を悠久普遍のものにする挑戦だということに思いを馳せなければならない。

 

 

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