経済活動において、時々本質がわからなくなり本末転倒の様相を呈する状況がある。
端的に言うと、事業そのものの充実・拡大を目指しているのか、利益拡大(金儲け)を目指しているのかであると思う。事業が主体であれば極端な場合、事業そのものは順調に運営されるが、利益はゼロもしくは赤字の場合だってある。それでも事業が有益なもので引き続き存続できれば目的は十分達することができる。利益拡大だけを目指す場合は極端な場合事業そのものの充実・拡大は後回しで、実体のない投機やマネーゲームに走り、不確実だが大きな利益をねらって一攫千金を目指すこととなる。経済活動そのものは本質的には前者から発祥したものであろう。その活動を活発化するための手段として資本運用の制度ができたのである。その制度を利益拡大(金儲け)のためだけに利用する後者は本末転倒のはずであるが、世の中に大手を振ってまかり通っており利益拡大中心の経済活動がなされている。
利益拡大中心の経済活動は長続きしない。
健全な事業に寄生するような形で金儲けを図っている。信頼とはある程度の継続を必要とするが、利益拡大の経済活動には信頼を裏切ることにためらいはない。反対にためらっていては一攫千金の好機を逃してしまう。常識の裏をかくのが投機やマネーゲームの鉄則であるようである。「常識の裏をかく」というと聞こえはいいが要するに「騙し」である。騙しの間隙をついて好機を作為するのである。しかし、そこには経済活動を活発化するという本来の目的からは完全に乖離し、かえって経済活動を混乱させ減退させることになる。経済活動が世界規模となり、制度・機構は発達してきたけれども、事業主と投資家との関係はますます希薄になりつつある。事業主を信頼し長期的な視野で事業の充実・拡大を共に目指す投資家は少なくなりつつあるような気がする。
唯一救われたと思われるのは、
本当に実績を上げている投資家は、事業主を信頼し長期的な視野で事業の充実・拡大を共に目指し、事業の充実・拡大に合わせて投資家の利益拡大も実現していることである。当然ながら両者ともに目指す目標を実現できることが理想的である。ここで重要なのは、投資家の事業主と事業の価値を鑑定する眼の確かさと、長期的な視野で投資を継続する忍耐であると思う。将来有望な種をまいて、立派に収穫できるまで水と肥料を与え続け見守ることである。立派に成長すればそれなりの安定した報酬が期待でき公共の利益にも貢献できる。利益拡大中心の投資家は将来有望であろうとなかろうとあまり関係ないし、儲けのために投資し儲けのために投資を絶つ。もっとひどい場合は大量の資本を投入して成長株を作為し株価が高騰したところで一気に転売する行為を繰り返す。金儲けにはなるが事業主体は単なる一般投資家の資金を吸い上げるポンプの役割でしかなく、経営は混乱し、最終的には資本を失い消滅してしまう。こんな投資家は排除しなければならない。
利益拡大の投資家を排除するためには、
基本的には一般投資家が騙されないことであるが、常に一般投資家が騙され続けているのが常態であり、騙される一般投資家がいるから相場が動くのである。騙されないためには情報を共有することが必要である。また、一般投資家も利益拡大のみで判断することなく、本来の「事業主を信頼し長期的な視野で事業の充実・拡大を共に目指し、事業の充実・拡大に合わせて投資家の利益拡大も実現する」考え方を追求することも大切である。しっかりした鑑定眼と長期的な視野で投資を継続する忍耐を学ぶ必要がある。政府や金融機関は、大きな資金の流れの結節点において健全な資本運用ができる施策を実施する必要があると思う。不健全な資本を大量に流通させることは、資本力を悪用した利益拡大だけの経済活動を助長することになる。健全な経済活動に必要な資本以上のものを国が投入すると、不健全な経済活動が増大し、不健全な経済活動を介して利益拡大の投資家が跋扈する。健全な経済活動を支えるのは健全な投資家である。
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