お金は世界中にあふれている。
未開の地でない限りどんな人でもどんなに貧しくとも何がしかの「お金」を持っている。お金自体にそれほど価値はない。お金をあるものに交換することで価値を生む。あらゆるものに交換できるものが「お金」(金銭、貨幣、紙幣、有価証券etc)である。お金は信用の表れでもある。お金をたくさん持っているお金持ちは、たくさんの信用を手にしていることでもあり、その信用を利用してあらゆる高価なものを購入したり、サービスを受けたり、事業を起こしたり人を動かしたりすることができる。
こんなに世界中にお金が出回っているのに「お金」に困っている人がたくさんいる。
「お金」に不自由しているなら、じゃんじゃんお金を製造すればいいと思うが、そうもいかないようだ。人は信用を得るために労働し、その対価として「お金」を手に入れる。労働もしないのに「お金」を得ることは盗人の行為であり本来許されない。だから、お金を製造してお金に不自由している人にばら撒いても意味がない。本来は労働とお金が一致しているべきで、労働以上のお金がありふれれば、誰も働こうとせず、「お金」の価値は下がり、物価は上昇し、生産性は著しく低下し経済不況に突き進むことになる(いわゆるインフレーション)。
流通する「お金」が不足したらどうなるか、
働いてもこれと等価の「お金」がもらえない。ものを買ったり、サービスを受けたり、事業を起こす「お金」がない。世の中全体に「お金」という信用がなくなっていく。将来に向けた活動ができなくなり、現状を維持するだけに汲々としなければならない。そして、そのしわ寄せは特に貧しいものに集中し、お金に余裕のない人たちが真っ先に生活苦に陥る。購買力がなくなれば生産力も縮退し、悪循環に陥る(いわゆるデフレーション)。
こんなに「お金」がたくさんあるのに、何故「お金」に困る人たちがいるんだろう。
それは、「お金」が偏在しているからだ。お金持ちはたくさん持ち、貧乏人はほとんど持っていない状況なのだろう。これが資本主義の結果といえばそうだが、いくら資本主義とは言え、あまりにも労働者の労働力を商品として買い取る値段が低すぎるのではないか。発展途上国では安い賃金で重労働を課せられている多くの人達がいる。まずは正当な対価を支払うべきだと思う。また、お金持ち(資本家)は社会にもっと「お金」を還元すべきではなかろうか。お金をそのままばら撒けと言う意味ではない。社会に役に立つ万人の生活向上に貢献する事業に投資するのである。世界中には生活基盤をなくしたたくさんの困っている人達がいて、その人達は国際社会からの援助を求めている。
世界中に「お金」はたくさんある。
「お金」に関して何が大変かと言うと、「お金」を集めるのが大変なのである。「お金」は信用だが、この信用を得るのが大変なのである。多数の人の賛同を得、信用を勝ち取ったところに「お金」は集まってゆく。この「お金=信用」をもとに新たな事業を起こしさらに発展してゆくことになる。「お金」そのものの価値はたいしたことないが、これが集まって大資本になれば大いなる価値を生む。集まった「お金」に価値があり、これを集めた人は本来は尊敬すべき才能の持ち主と賞賛されるべきなのである。何かと言うとお金持ちは軽蔑の対象になりがちだし、世界を見渡しても「お金持ち=偉人」という関係ではなさそうである。
資本主義の弊害として、
「お金」が「お金」を生むことが常態化している。「お金」を右から左にそのまま流すだけで「お金」が生まれる状況がある。本来は得するか損するか五分五分だが、じゃんけんと同じで、時間が経つと勝ち組と負け組みに二分されてしまう。みんな勝ち組を目指して「マネーゲーム」を繰り返す。しかしながら、この「マネーゲーム」は何も生産しないし、将来有望で堅実な事業に投資するわけでもなく、利鞘さえ稼げればそれでいいと言うものである。世界経済を賭けの対象にしているといってもいいだろう。この「マネーゲーム」は経済を混乱させるばかりである。全ての人が「マネーゲーム」に興じたら経済活動は破綻してしまうだろう。
本当の資本家は将来有望で堅実な事業に投資する。
その投資は無駄にならないし、有望で堅実であれば将来世の中に役に立つものを生産し、サービスを提供し発展してゆく。当然事業が成功すれば投資家も利益を得ることができるが、それにはある程度の長期間を必要とする。短期間で利益が得られる投資なんて本来存在しないし、架空の経済活動であるし、そのことに意味はない。総体としては何らかの動きがあるかもしれないが、予測もつかないし信用もできなく、最終的には破綻するであろう。そのプロセスで勝ち組と負け組みが「マネーゲーム」を演じるばかりである。
日本政府は、国家予算の「ばら撒き」を積極的に行っている。
せっかく集めた税金を、また「お金」で国民にばら撒いている。これは何の意味もない。全国民の税金として集まった「お金」を膨大な国家予算としてどのように有効に使うのかが「お金」の有効利用であって、これをまた国民にそのまま還元したのでは何の意味もない。そうであれば、最初から税金として徴収しなければいいし、せっかく国民が国家に税金として納めたものを有効に使わないのは失礼を通り越してあきれてものも言えない。お金は集まったものに価値があるのであって、これをまたバラバラにしたら価値は消えてしまう。国家と言う大規模な事業主体はどこにもない。国を信用して国民は税金を納めている。是非この信用を裏切らないように事業展開してもらいたい。
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