実に3カ月ぶりのUP。
キモノブログは時々更新しているけどこっちはなかなか。
先日、【きものなれゐて】という着物でのお出掛け先として毎月プラン立てをしている会の
会場候補として岡崎の『無鄰菴』へ行ってきた。
もともと“無鄰菴”は三つあったようで、
第一の無鄰菴は山縣有朋の出身地山口県下関市の現在“東行庵”の隣にあったもの。
庵を建てた時に隣家がなかったので“無鄰菴”と名付けたとのこと。
第一無鄰菴は高杉新作没後に山縣有朋が高杉の愛人おうの(後の谷梅処(タニバイショ))に寄贈。
第二の無鄰菴は今は『二条がんこ』になっている。
元は江戸時代に角倉了以が作った高瀬川源流庭苑の地に明治時代、山縣有朋がやはり別邸を建設。庭は小川治兵衛が手をいれたらしい。
そして今回訪ねたのが第三無鄰菴。
明治27年に当時の政財界の動きとしてこの南禅寺と疎水周辺を別荘地として発展させようと、やはり山縣有朋が建てたもの。
1941年に京都市へ寄贈され、10年後の1951年に庭園が国の名勝に指定される。
敷地内の洋館は母屋の5年後に建てられ『無鄰菴会議』や政府要人の会議が行われた場所。
そんなすごい場所を集会場として使わせていただけるというのは
ほんとに恐れ多いが、京都市民としての役得だ。
母屋1Fからの日本庭園風景
庭園内に佇む茶室
洋館内にて
桜並木の疎水すぐ南に位置する無燐庵。庭園には桜の木がないらしい。
『紅葉は綺麗です』と事務所の人。
庭園の池や川には水が疎水から引かれている。
植彌加藤造園さんの職人さん達がちょうどその小川の手入れをしているところだった。
この日は人影もまばらでとても静か。動く影は庭師さんのみ。
でも、春になるときっと大勢の来訪者で賑わうのだろう。
この一方通行の右手に入口。正面は疎水。左は『瓢亭』さん。
キモノブログは時々更新しているけどこっちはなかなか。
先日、【きものなれゐて】という着物でのお出掛け先として毎月プラン立てをしている会の
会場候補として岡崎の『無鄰菴』へ行ってきた。
もともと“無鄰菴”は三つあったようで、
第一の無鄰菴は山縣有朋の出身地山口県下関市の現在“東行庵”の隣にあったもの。
庵を建てた時に隣家がなかったので“無鄰菴”と名付けたとのこと。
第一無鄰菴は高杉新作没後に山縣有朋が高杉の愛人おうの(後の谷梅処(タニバイショ))に寄贈。
第二の無鄰菴は今は『二条がんこ』になっている。
元は江戸時代に角倉了以が作った高瀬川源流庭苑の地に明治時代、山縣有朋がやはり別邸を建設。庭は小川治兵衛が手をいれたらしい。
そして今回訪ねたのが第三無鄰菴。
明治27年に当時の政財界の動きとしてこの南禅寺と疎水周辺を別荘地として発展させようと、やはり山縣有朋が建てたもの。
1941年に京都市へ寄贈され、10年後の1951年に庭園が国の名勝に指定される。
敷地内の洋館は母屋の5年後に建てられ『無鄰菴会議』や政府要人の会議が行われた場所。
そんなすごい場所を集会場として使わせていただけるというのは
ほんとに恐れ多いが、京都市民としての役得だ。
母屋1Fからの日本庭園風景
庭園内に佇む茶室
洋館内にて
桜並木の疎水すぐ南に位置する無燐庵。庭園には桜の木がないらしい。
『紅葉は綺麗です』と事務所の人。
庭園の池や川には水が疎水から引かれている。
植彌加藤造園さんの職人さん達がちょうどその小川の手入れをしているところだった。
この日は人影もまばらでとても静か。動く影は庭師さんのみ。
でも、春になるときっと大勢の来訪者で賑わうのだろう。
この一方通行の右手に入口。正面は疎水。左は『瓢亭』さん。
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