宇ゐの里山徒然記

町屋暮らしの後、2013年10月北山杉の里、右京区京北町に移り住みました。
周辺の紹介と暮らしの事など綴ります。

平成最後の月~春の京北町~

2019年04月16日 | 京北町のこと
なんと1年ぶりの更新。。。。_| ̄|○

平成31年、時が、平成という時代が、行くのを惜しむかのように
今年は春の気配から花の盛りになるまでが意外と時間がかかった。

ここ京都市右京区京北町は
やはり右京区にある世界遺産仁和寺から北へ約25km。
北山杉に囲まれる山々の中にある。
右京区は京都市にある区の中でも一番面積が広い。
つまり南は西京極駅辺りから御室や嵯峨野で比較的街中なのだがそこから北へ約30km強までがまだ京都市右京区。

ここへ移り住んで5年が経過したが毎年3月と4月上旬の繁忙期が一息ついたこの時期に
一斉に春の花が咲き揃うのが変わらぬ楽しみになっている。
以下2019年4月16日の写真。備忘録兼ねてUP。

熊田の宝泉寺の紅枝垂れ桜

   

   

   


宝泉寺近くのお宅の雪柳と菜の花

   

   


そして我が家の木瓜の花

   

山間に咲くソメイヨシノも今がピーク。とにかく満開まで時間がかかった。
その他黄色が鮮やかなレンギョウ、水仙、
我が家の庭にはまだ赤い椿も。

確かに一斉に咲いてはいるがどれも心なしか元気がない感じもする。

栃本というエリアの桜並木は今年は花のつきが良くなかった。
2013年のこのブログの桜とは大きくその咲きっぷりが違う。


気温のせいか、地の栄養のせいか、、、(/ω\*)
3月から寒かったり異常に気温が高かったりで
咲くか待つかを木が迷っているうちに疲れてしまったのではないかと。

枝の桜の花がスカスカしていて悲しくて写真は撮らず。。。


来年は三月からの気温上下が少なくて迷いなく春に向かって欲しいもの。



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カフェがオープンです。

2015年06月24日 | 京北町のこと
京北に住みだして困ることは
“ちょっと打合せ”したりコーヒータイムや平日にランチを楽しむ場所が極端に少ないことだ。

そもそも地元の比較的高齢の方々は
どこかへお茶をしにくという習慣はない。
近所へ用事をしに行く時や畑の世話をするときに誰かに会うと
そのまま立ち話や井戸端会議で済んでしまったり
回覧板を届けるついでに玄関先で話しこんだりが私の家の近所では多い。
週末営業のみは数か所あるが、平日利用の喫茶店はほんとに少ない。


そこへ待望の街カフェがオープンした。
しばらく休業されていたらしい。



『パパスキッチン』。

↓外観と店内写真











冬はこの薪ストーブが大活躍するのだろう。
雪景色を眺めながらのコーヒータイムも楽しめそうだ。


そしてここの魅力の一つが
テラスでのカフェタイム。
広いロケーションで気持ちのいいひとときが過ごせる。






場所は道の駅ウッディ京北の162号から1本西の旧周山街道、京北交番(元警察署)の北隣。
レトロなバスが目印。
駐車場もしっかりある。





↓営業時間・定休日




ウェブサイトは現在facebookページのみ
http://www.facebook.com/papaskitchenkyoto
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常照皇寺の白藤

2015年05月07日 | 京北町のこと
新緑みずみずしい京北山国地域の山里にある常照皇寺。

室町時代、光厳天皇(法皇)による開山である。臨済宗天竜寺派。

天然記念物の『九重桜』で有名だが、今日は白藤が満開。


  



連休明けの平日のためか、貸し切り状態。

方丈からの眺めも独占。



       


       





樹齢推定640年の桜の根元はよじれて老木の象徴のようなほこらが見える。


       



思わずじゃんけんをしたくなるような楓の花。


       



そして近所のアヤメ。


       


春の穏やかな一日。







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山藤の脅威

2015年05月02日 | 京北町のこと
晴天が続いている。

車で走るのにいい季節と気候だ。

最近かなり気になっている花がヤマフジ。


  


遠目にも藤色のきれいな色に気がつく。

ただ、ちょっと量が多くない???

部分的に見るのは美しい色の花なのだが、

こうなって↓


 


そしてこうなると、、、


 


あわあわ(・_・;) 木が藤に覆われてしまっている。

生命力の強い植物なのだろう。

この藤に絡みつかれた木はどうなるのかな。

気のせいか去年よりも範囲が広くなっている感じもする。

山に手が入らないとこうなってしまうのだろうか。

ということは山が荒れているという象徴のような花なのかもしれない。


放置山林がどんどん増えて、山全体がこの山藤に覆われてしまうなんてことになったら

ちょっとSFのような話だ。

GWの山は藤色です。。。なんてちょっと怖い。

去年は5/7のブログもやはりヤマフジの話。引っ越して間なしだったがこのスゴいヤマフジ群には驚いた。



北九州市の『河内藤園』は

まさに観賞用のノダフジ。世界が認めるこの藤園は人の丹精のたまものだ。

種類は違っても同じ藤なのにまさに間逆の環境といえる。



自然の中のヤマフジも確かに綺麗なのだが、その背景を考えるとのんびりは見ていられない事態が迫っている。

そのせいか、よりいっそう藤が妖艶に見えてくる。

山がヤマフジに絡めとられないよう山林所有者や管理者さん、がんばって欲しいところ。

もしくは何かヤマフジの花で染料を作るとか、蔓で雑貨を作るとか。


“綺麗な花には棘がある”という言葉があるが

これからは

“綺麗なヤマフジに山を絡め盗られる”



まぁどちらも怖い。。。






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巨大伏条台杉群

2014年06月24日 | 京北町のこと
昨日は常照皇寺のある山国地域からさらに奥へ。

片波川流域京都府自然環境保全地域の中にある
京都府指定天然記念物の伏条台杉群生地へ。

伏条台杉(フクジョウダイスギ)は伸びた枝が雪の重みで地面につくほど降りた(伏せた)箇所に
根が張ってそのまま上に伸びて形が出来ているとのこと。
このように伏せた木が新しい株として成長していくことを伏条更新するといい
ここ片波川源流域の自然環境保全地域にあるほとんどの杉が
伏条更新したアシウスギだ。

アシウとは芦生の森(南丹美山)の杉が基準標本とされて名がつく。

そしてその木々は圧巻の姿で私たちの目の前に現れた。







そして。。。長い年月でまるで芸術品のような姿の“宿杉”。


  

6種類もの杉以外の樹木が着生して絡み合いながら
大きな木となっている。
土台となっている肝心の杉は枯れてしまって、その老いた姿の上へ
ほかの木々が枝葉を茂らせていた。

その後も次々と巨木が現れる。


  


  


樹齢は推定で400年以上のものばかりと言われている。
以下、ガイドブックからの引用。
------------------------------
片波川源流域一帯は、古くから御杣御陵(ミソマゴリョウ)として守られてきた森で
今日まで人為的な影響を受けながらも大切に残されてきた
西日本屈指の巨大杉群落の森です。

平安遷都後(784)山国、黒田地区の12か村が、御杣御料地(ミソマゴリョウチ)となり、
片波村もこれに含まれました。

平安京の造営時や御所炎上の際には、その都度、膨大な量の建材が、
この地より供給されたと云う記録が残っています。

 鎌倉、南北朝時代(1192-1392)には、御料林を中心とした林業技術が発達し、1本の木から多くの
材が取れる様に台杉(やぐら杉とも云う)仕立が盛んに行われました。

 安土、桃山時代(1573-1603)には、全国で築城が盛んになり、大阪城や伏見城の築城の際に京北の
地より大量の木材が筏で京の都へ流送されています。

 当時「山国杉」と名付けられ、現在の アシウスギ と呼ばれる天然杉から品種改良された杉(シロスギ)
により、挿し木が可能となり台杉仕立てに代わり1本植が盛んになりました。
そのため、南北朝時代からの台仕立ての巨大杉が残されたのでしょう。
このころ太閤検地に伴い、荘園制が解体し片波村は、山国の15 か村と共に独立します。
その後、江戸初期には、山国庄が幕領下に含まれます。
また、江戸末期には篠山藩領下になったことも記録に残っています。

 明治時代に入り、幕藩制の解体(1869)に伴い、御杣御料地は民間に払い下げられ私有地化し、
地域の人々に利用されていきますが、この地の伏条台杉は大きくなり過ぎた事から
幸いなことに伐採の手から逃れたと言われます。
------------------------------




  


大きさの目安で同行の方に立ってもらった。

  


杉の中には大昔に建材として削り取られた跡が残る物もある。
このそぎ落としたような跡は“盤取り(バンドリ)”といって
天井板やふすま板に使う為に切り取ったとのこと。
木目の美しさを活かした建材として都へ運ばれた。




この日は短い“周回コース”で。
この立看板から右手の道を行くと“東尾根コース”。
この地域で一番大きい“平安杉(幹周15.2m)”があるは東尾根コースなのだが、一日掛けての日程になるので
今日は“一の峰(578m)”と“二の峰(685m)”のショート周回コース。






この伏条台杉群は、人や村、そして都とのかかわりを数百年も前から
すべて抱いてどっしりと構えている。
巨大杉の前では日々の些細なことや自分と言う人間自体をほんとに小さく感じる。

雪にねじまげられてもまた根を張り、
他の樹木も一緒に成長していくその姿は
威厳とともに神々しさを持っていた。

可能ならこのままひっそりとこれからも枝を伸ばしていって欲しい。
そして何十年、何百年後、誰かがまたその木肌に触れた時に、
命のパワーと刻んできた歴史に想いを馳せることができたらと思う。

昨年9月の大雨で途中の道の落石・土砂がまだ残っていた。
立ち入り禁止の立て札もある。
人を寄せ付けにくくする自然の脅威は
この群棲地を封印する役目もあるのだろうかとも思った。



      







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チャコの失踪

2014年05月26日 | 京北町のこと

ここ2週間、意気消沈&眠りが浅い状態が続いていた。

二週間前の火曜日、夜になってもチャコが帰宅しない。
こっちへ引っ越してから“山歩き”を許可して里山生活をチャコも楽しんでいたのだが
食事・トイレ・睡眠は必ず帰って来ていた。

前の家で保護してから生活のほどんどはほぼ家の中と坪庭。
⇒今はご近所の畑周辺と家の周辺をトコトコと自由に巡回。

それがその日を境にぷっつりと帰って来ず、
近所の人に聞いても見かけていないという話ばかり。
夜寝る際には必ず私の布団のところへ来ていてその重みを感じて眠りに着く生活がもう5年。
軽い布団になってしまって眠りの浅い日々が続いていた。


そして二週間。
山で何か事故にあったか、獣に襲われてけがをして帰れなくなったか、
遠くまで出かけてしまって帰る方向がわからなくなってしまったか、、、
いずれにしてもほぼあきらめムード。

近所の人も“生きていたらもう帰ってるでしょ・・・”と(p_q)


それが今日、同じように名前を呼んで家までの坂を上っている時に
かすかな鳴き声が、、、。
“えっ??”と思って名前を呼ぶとやはり間違いない。
しゃがれたような小さな声が隣の無人の家から聞こえる。

それもそのはず、外からの獣対策のせいか
かなりしっかりとした建物の中なので声がほんとにかすかなのだ。
物置状態で扉に鍵は掛かっていなかったので開けると
ゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄ってきた。


チャコは生きていた。


尻尾に怪我の跡があり、これは近所のコとの喧嘩キズ。
失踪前は小さなキズだったのだが、栄養がなかった為かあまり治っておらず。
身体全体と顔がかなりスリムになっていた。


とにかく餌をあげると、まぁほんとにガツガツガツガツ。
大きな器で水をあげるとほぼ半分近くを一気飲み。

さらに黒いブツをトイレで。
間で一度も排泄していないようで匂いのない硬いブツだった。







ほっとした後にチャコが居た場所へ戻ってみると、
水らしきもののある場所ではなく、二週間の間、ほんとに飲まず食わずだった様子。
(虫とかは食べていたかもしれないが)
もう少し遅かったら間違いなく衰弱死していただろう。

お隣さんへ聞くとその家の親戚さんが二週間前に畑作業で来ていたとのこと。
猫の習性で開いている扉の隙間から入ってしまって
その人が帰る際にチャコに気がつかずに締めてしまったよう。


それからご近所の心配してくれた人たちにも無事生還の報告♪


今は私の傍でまどろんでいる。









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ブログタイトル変えました。

2014年05月12日 | 京北町のこと
このブログタイトルは

『宇ゐの町屋で徒然記』だったのを

昨年の引越しを境に『宇ゐの山里徒然記』に変更。

ところがそれがあまり当たっていないことにようやく気がつき、、、


『宇ゐの里山徒然記』と変更。

“山里”と“里山”、、、似ているようで違うようだ。

山里はいわゆる山間にある集落のこと。まぁ物理的に言えばそうなのだが、

今住んでいるところは“里山”の方が当たっている。

お隣さんは小さい時からこの地に住んでいるとのことだが、かつてはここまで杉林がなく

秋には山全部が紅葉したそうだ。

“里山”は人の生活と自然が共存する場所とのこと。

そこに人の手が加わった山のことを指すようだ。


原生林の中に住んでいるわけではないので“里山”(^v^)


ということで、、、庭先に丹精されている花々の紹介。

藤に続き、ご近所の美しい花。

今満開のモッコウバラ。(鹿に食べられずによく育っていたw)





そしてこれは“テマリカンボク”。

アジサイではない。

    

よく似ているがテマリカンボクはスイカズラ科ガマズミ属。

スノーボールと付けて呼ぶようだ。わかりやすい。



      


同じお宅の躑躅とモッコウバラのコラボ。そしてラベンダー。


山だけでなく、畑や田んぼ、そして庭先にも

住んでいる人たちの手が加わり、美しい風景を織りなしている。

今は自宅前の田植えが終わったところ。ここがやがて緑一色になり秋には黄金色になる。




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山の藤とあやめ

2014年05月07日 | 京北町のこと
GWも過ぎ、静かな里山が戻ってきた。

朝晩はけっこう気温が下るが今日は清々しい乾燥した晴天。

今は山の藤が満開となっていて、道を走っていると山藤に絡まられた木々を視ることができる。







       



かなりのボリュームでからまっているので木にとっては迷惑な蔓なのかもしれない。

道路から見ると色がいわゆる“藤色”よりもやや浅いが木全体が薄紫のカタマリ状態のものも。







そしてご近所の花。




これはアヤメ。

花びらに見えるガクの奥の方が絞り染の布状態になっている。

アヤメの語源は諸説あり、菖蒲を指すとも、花基部が網目状(絞り布=綾目模様)になっているからとも。

私はこの時期のその種の花はその絞り布説を採用して区別している。

    



もっとわかりやすくヒオウギアヤメ(網目状がくっきり from Wikipedia)

    



これからもいろんな花が控えている。

我が家の庭にもつぼみ状の植物が数種類。

咲いたらUP予定。
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京北は今が満開。

2014年04月16日 | 京北町のこと
仕事柄、4月はじめの京都市中心部での桜の見ごろの時期は
残念ながら車中からの花見ならぬ花眺めとなる。

ところがこっち(京北町)では幸いなことに少し遅い春の訪れが
今まで出来なかった“花見”を実現可能としてくれる。

今は車で数分のところの『宝泉寺』枝垂れ桜がまさに見ごろ。






花見の席も。

暖かく風もない日なので気持ち良さそう。

空の色がよくないのは黄砂のせいか。。。

でも本日も桜三昧が出来た。




駐車場へいく道の脇には土筆(ツクシ)の群生。


おびただしい数の土筆だったがすぐには処理ができないので収穫はあきらめる。。。_| ̄|○
(鞘(はかま)を丁寧に取るのはけっこう手間、、、)



お昼は地産(自家栽培)蕎麦粉でのお蕎麦が食べられる『京蕪庵』にて。

暖かかったのでテラス席で田園風景を眺め、カエルの鳴き声がBGM。




そして道の駅『ウッディ京北』の脇の弓削川畔の桜。

ここも今が満開。






走る先々にいろいろな桜が咲き競い、そちらもお腹いっぱい。

今年はたくさんの桜や春の花を眺められている(^_^)v

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栃本の桜並木と高雄の山躑躅

2014年04月13日 | 京北町のこと
春もようやく本番。
さまざまな花達が一斉に存在を示すように色を呈してくる。

四条通りの梅津段町の西の方に1本、毎年かなり気の早いソメイヨシノがあって
そこが咲きだすと桜の季節が来たと感じてくる。

梅はもちろんもう少し早いが、沈丁花が香り出し、木蓮やミモザが咲き、雪柳が蕾を付けてくる。
同時に枝垂れ桜が咲き始め、レンギョウの黄色も冴え、
桜の存在と同じく春の訪れを感じさせてくれる植物たちだ。


そして今年は移り住んだ京北町での始めての桜の時期を迎えた。

週末に満開となった上桂川沿いの桜並木。
百数十本の桜が咲きそろった。

















並木の対岸の広場には数台の車があって家族連れがお花見。

でもこっち並木側の道はこれだけの並木なのに貸切状態w

贅沢でゆったりまったりとした時間を過ごす。



並木に並行して川の近くには雪柳もけっこう気合いを入れて植えてあるが
昨年の台風の増水の為か八橋風の渡り板が途中で切れてもったいない状態。

  


道路脇少し高台になっているところ、
廃校となった小学校にもそれはみごとな大きな桜が
春霞が風にたなびくように何本もゆっさりと揺れていた。




そして、facebookのカバーにも載せた西明寺裏の山躑躅。
圧巻の斜面である。


これは4/10。




そして2日後↑は天気も少し曇り、光の量が違うせいか色がまた違って見える。


おまけで我が家の満開の木瓜(ボケ)。

 
木瓜の蕾はふっくらまんまるだが
咲くと結構な存在感。色も鮮やかで目を引く。
我が家の彩り植物第一号♪


裏山のふもと(母屋の脇)、あちこちにある鹿のフンの間からw紫の花がにたくさん咲いていた。

調べたら、“姫蔓日日草(ヒメツルニチニチソウ)”。
キョウチクトウ科で血圧を下げる効果のある薬草らしい。
乾燥させて将来に備えようか。。。(´ω`;)




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