女性セブン2021年2月18・25日号
出会いから2か月で決断 慎重な眞子さまはなぜ結婚を急いだのか「交換留学前からおつきあいをはじめました。この当時、お互いに、おつきあいをする人は結婚を考えられる人でありたい、という共通の認識がございましたので、結婚につきましては、当初より念頭にございました」眞子さまが2017年の婚約内定会見でうれしそうにそう語られたのは、紛れもない本音だっただろう。眞子さまは、2012年6月に出会われた小室さんと、8月には結婚を考えていたということになる。
眞子内親王当時21歳。それから10年。あっという間に青春の輝かしい時は過ぎてしまいましたが、10年間を恋人同士として甘い時間を過ごされたのですから、お幸せなかたです。
「一般家庭ではまったく現実的ではないと感じることでも、皇室という環境は、一般の現実とはかけ離れたところにあることは否めません。小室さんの浮き世離れした感覚が、たまたま眞子さまに夢見心地を演出したのではないでしょうか」(皇室関係者)
皇族の生活感は一般の生活感とは違う。つまり、ずれていると言うのですね。
生活感はずれていても、善悪の感覚を国民と共有できないのは、まずいのではないでしょうか?
善悪の感覚がずれているから、小室母子が何故国民から内親王の結婚相手として否定されるのか全く理解できないのでしょう。
「小室さんは早い段階で、眞子さまを母の佳代さんに紹介していたそうです。小室家のある横浜で頻繁にデートをしていたそうですから。交際当時から、眞子さまがわざわざ佳代さんがパート勤務をする洋菓子店にケーキを買いに行かれたこともあったそうです」(皇室記者)眞子さまの目に佳代さんは“将来の義母”として好ましく映ったようだ。「いまも眞子さまは佳代さんとメールなどで頻繁に連絡を取り合うなど、かなり親しい関係を築かれているようです」(前出・宮内庁関係者)佳代さんは小室さんを“王子”“バイオリンの天才”と呼ぶなど、目の中に入れても痛くない育て方をしてきた。「皇族として立派に務めを果たせるようにと育てられた眞子さまにとっては、そうした母子関係も新鮮に映ったのでしょう。佳代さんから眞子さまへの語りかけも、眞子さまが気持ちを固める要因の1つだったのではないでしょうか」(前出・皇室関係者)
秋篠宮殿下妃殿下が「皇族らしく」と厳しく躾けたことが仇になりましたね。
というより、皇族であることに誇りも意義も見出せないかたにとっては、皇族らしく振る舞うことを要求されるのは苦痛でしかなかったでしょう。
「秋篠宮さまは学生時代に出会われた紀子さまと、紀子さまが大学院在学中に婚約されています。眞子さまはご自身も、ご両親のようにありたいと考えてこられたはずです。皇族ですから、学生のうちでないと異性との出会いも少ないという事情も、眞子さまを焦らせたのかもしれません。秋篠宮さまも以前、“結婚相手は学生のうちに見つける方がいい”といった発言をされたこともあったそうです」(前出・宮内庁関係者)
秋篠宮殿下は学生時代なら「内親王」という条件抜きの純粋な恋愛も可能だろうと思われたのかもしれませんね。
しかし、秋篠宮殿下は男性の立場で相手を見つけられたのですから、眞子内親王とは条件が違います。
この時期、小室さんはたびたび秋篠宮邸を訪れ、眞子さまの部屋で過ごすこともあったという。眞子さまは2014年9月から1年間、再びイギリスに留学された。(2014年9月にレスター大学大学院・博物館学研究科へ入学し、2015年8月に修了。 )「眞子さまの留学先に、日本から小室さんが駆けつけたのです。5月の連休を利用してのことだったそうです。国外での久しぶりの逢瀬は、距離をぐっと近づけるものになったでしょう。ただ、留学先で会われていることを、美智子さまはご存じなかったそうで、報道で知られて驚かれていたそうです」(前出・皇室記者)
何故、此処で美智子上皇后の名が出て来るのか。
イギリスから帰国時の眞子内親王。ぐっと女らしくなったと評判でしたが…。