存在感が希薄な陛下のためのイメージアップ大作戦でしょうか。
小室の登場以来燻り始めた「皇室不要論」を封じるための再びの神格化の始まりでしょうか。
ひとは見えないものに対して畏れを抱きやすい。新興宗教が信者からカネを巻き上げようとするときは、まず、教祖の神格化を図る。
教祖を神格化するためには、教祖と一般信者の間に距離感が必要となります。信者と教祖の距離感を演出する手っ取り早い方法は、教祖を隠してしまうことです。
宮内庁は御日程を詳しく報道しなくなりました。
宮内庁は22~28日の予定を発表した。天皇、皇后両陛下、愛子さま2/23(火)両陛下、愛子さま 皇居・宮殿、赤坂御所(天皇誕生日祝賀行事)皇嗣家(秋篠宮ご一家)2/23(火)秋篠宮ご夫妻 皇居・宮殿(天皇誕生日祝賀行事)三笠宮家2/23(火)信子さま 宮内庁分庁舎(離任在京英国大使夫妻と面会)高円宮家2/23(火)久子さま 宮邸(離任在京英国大使夫妻と面会)2/25(木)久子さま 帝国ホテル(第28回読売演劇大賞贈賞式)2/26、27(金、土)承子さま 京都府(京都コングレス・ユースフォーラム)
教祖を隠した次には、教祖の素晴らしさを伝える物語を発信し続ける。
信者は素晴らしい物語によって作られた自分の頭の中の教祖のイメージを事実、真実と思い込む。
自分の頭の中の事実、真実と合致しない事象は受け入れられなくなる。
雅子皇后の「優秀な外交官キャリア」も意図的に作られた物語だと私は思っているのですが、作戦が成功した部類なのでしょうね。
これまで、何をして国民の評価がイマイチだった陛下ですが、陛下の人気を高めるための物語作りが始まったのかもしれない。
今の陛下には、イメージアップに繋がるネタがないのか、皇太子時代からネタを取ってきています。
“異例”の大歓待に“行方不明”のハプニング~皇太子時代・モロッコ訪問【皇室 a Moment】日テレNEWS24 2/21(日) 10:00配信
か ら抜粋。インタビューに答えているのは、
【井上茂男(いのうえ・しげお)】 日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。
陛下の皇太子としての最初の親善訪問となった1991年9月のモロッコ訪問 。ーーモロッコはスペインの南、アフリカの北東の端にある人口3600万の王国で、親日国として知られるイスラム教の国です。
不肖私、モロッコへ観光旅行したことがありますが特に「親日」とは感じませんでしたけども。それはたぶん私達が観光客として多少のカネを使うだけのド庶民の一行で、出会うのもモロッコの庶民だったからなのでしょうが、「親日国として知られている」と言われると「へー?そーなのー?知らなかったー。」と思ってしまいます。
ご訪問はモロッコからの招待でしたが、当時取材したところでは、当時のハッサン2世国王が、天皇陛下より3つ年下のモハメッド皇太子、今の国王モハメッド6世に、同世代の皇太子の友だちを作ってあげたいという親心で招いたそうです。弟のムーレイ・ラシッド王子を交え、2人の王子が陛下を厚くもてなす場面が見られました。
旧市街を歩き暮らしに触れる 店頭でナツメヤシなどを口にされる場面も街には華やかな民族楽器の音が鳴っていて、陛下は、観光名所「ブー・ジュルード門」を通って、城塞に囲まれた迷宮のような街を歩かれました。狭い通りには、肉屋や魚屋、木の実を売る商店などが並び、フェズの人々の暮らしぶりが間近に見られる所です。通りの至る所で、大きな拍手や子どもたちの歓声で迎えられ、「レロレロレロ」という現地ベルベルの人たちの独特の歓声があがっていました。また神学校やモスクも中にあって、陛下は何度も足を止めて町の様子を写真に収められていました。さらに、店頭でナツメヤシやパン、木の実などを勧められては口に入れ、「おいしい」と食べられる場面もありました。報道陣には外務省から現地の水や食べ物にはくれぐれも注意するように言われていましたので、陛下の“冒険”“チャレンジ”には驚いたものですが、いま考えると、招待国のもてなしに身を任せる親善の姿勢だったでしょう。
あ。ド庶民ご一行の私達と全く同じです!!私達もレロレロレロと歓迎を受け、次々に商品を差し出されましたよ!私達ばかりでなく、彼らは他の欧州からの観光客に対しても全く同じ態度でした。
私達もガイドから食べ物や水を買ってはいけないと厳重に注意されましたが、中にはコッソリ買っている人もいました。
陛下も私達と同じで普通に観光客気分でウキウキしていただけでしょう。
国際親善の姿勢?無い無い。ラクダレースに大口あけて興じていた雅子皇后と同じです。夫婦揃って外国観光旅行が大好きなようです。
さて、「皇太子の友達に」と、招いたモハメッド6世は実際に皇太子に接して、どう思われたのでしょう。
人の上に立つ指導者なら、一目で皇太子の資質を見抜いたでしょうね。日本の皇太子は人は悪くないがBONKURAだと。
陛下の行方がわからなくなるハプニングも
陛下は、お付きをまいて町歩きを楽しまれたようです。
宮廷時代劇ではお馴染みの場面ですので、これもお付きの発案演出だった可能性があります。
ようやく行方が分かったのは20分も過ぎた頃で、大使館員が持つ無線機に、殿下は町の中心の「ジャマ・エル・フナ広場」にいるらしいという連絡が入りました。急いで行ってみると、広場の一角に人だかりができ、陛下は歓迎の大群衆のなか、警備陣が人混みをかき分けて作るスペースを悠然と歩かれていました。
いやいや、陛下だから大群衆が集まったわけではありません。
あそこは、観光客なら誰でも、たとえカネ持って無さそうなど庶民でも一歩足を踏み入れたら最後、そういう状態になります。そんなことは行った人なら誰でも知っています。
ですから、トラブルを避けるために大方のツァーでは広場の建物の上から広場を見物させる。あのカオスな人混みを警備陣に人払いさせて歩けたのですから、本当のお忍びでは無く粋な演出だったのでしょう。
この訪問を通して、今の国王はもちろんですが、弟のムーレイ・ラシッド王子との友好も生まれます。王子は平成と令和の「即位の礼」の両方に参列していますし、また陛下のライフワークの「水問題」に関しても、陛下が講演をされた第3回世界水フォーラムにラシッド王子が出席するなど、接点がありました。1991年のご訪問がこうして親善を育み、「水」をテーマにした国際会議で更に交流が深まる、短い滞在でもやはり親善訪問は大事だと感じます。
友好と言っても陛下とモロッコの王室とは個人同士の格別の深い関わりは無いのでしょうね。
即位の礼に招待した。水フォーラムで顔を合せた。
顔を合せれば社交的な言葉くらいは交わすでしょうが。
30年も経てば、モロッコも日本も国の事情も人も変わる。
30年前にはその初々しさに好感を持たれもしたのでしょうが…。
それに、初々しいと言っても当時31歳です。
陛下は当時広場を歩いた印象をこのように初々しく語っていらっしゃいます。
「非常に明るくて、何とも言えない人なつっこい表情が忘れられないですね。そういう場所を歩くことによって、普通のモロッコの人たちの生活ぶりを見ることができた点もよかったと思います」と話されています。
世界水フォーラムにも陛下の水の先生広木謙三 氏は深く関わっています。
世界水フォーラム
平成4年(1992年)6月のリオデジャネイロの地球サミット以降、21世紀の持続可能な開発には「淡水資源管理」が必要不可欠な課題であるという認識が国際社会で高まりました。
このため、平成8年(1996年)、関係機関に政策提言を行うことを目的に水に関する国際政策のシンクタンクとして,UNESCO(国際教育科学文化機関)・WB(世界銀行)など水に関する国際機関等が中心となって世界水会議(World Water Council ・WWC)が設立されました。
このWWCの提唱により、平成9年(1997年)に「第1回世界水フォーラム」が開催され、第3回が平成15年3月16日から23日に京都市を中心とした京都府、大阪府、滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催されました。