憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

12日ー2 紀子さま 山梨県中央市子育て支援センター視察

2025-02-12 21:53:09 | 紀子さま

報道各社、この写真を添えて報道している。この写真でも紀子さまが子供をほんとうに可愛いと思っていらっしゃることが伝わるが、、、

NHKの記事に添えられている動画には、子供達や父兄たちと楽しそうに交流されている紀子さまが見られます。紀子さまの幼い子供達への接し方は母そのもの。最初は緊張していた子供も、すぐに打ち解けて可愛らしい表情を見せています。

山梨 中央 秋篠宮妃 紀子さま 子育て支援活動など視察
02月12日 17時14分 山梨NEWSWEB
秋篠宮妃の紀子さまは12日、山梨県を訪れ、中央市の子育て支援の活動などを視察されました。

紀子さまは、「母子愛育会」の総裁として、中央市の子育て支援センターで行われた、「母子愛育会」山梨県支部の母親と子どもたちへの支援の取り組みを視察されました。
このなかで紀子さまは、参加した11か月から3歳までの子どもたちと、その母親、11人を前に、愛育会のメンバーと一緒にハンドベルの演奏をされました。
紀子さまは一緒に演奏したメンバーに「緊張しました。ありがとうございました」などと声をかけられていました。
このあと、参加した親子と一緒に、子どもと触れあいながら楽しめるリズム遊びに参加されました。
紀子さまは3歳の女の子をひざの上に乗せ、「どんぐりころころ」の音楽に合わせて体を動かしたり、女の子と一緒に手遊びをされたりしました。
また、母親に抱かれた赤ちゃんに「もうおねむの時間かな?」などと言葉をかけられていました。
このあと紀子さまは、笛吹市にある「産前産後ケアセンター ママの里」を訪ね、子育て支援の様子を視察されたということです。

https://www.shinchibi.jp/  中央市子育て支援センター

中央市子育てセンターしん・ちびサイトより




皇嗣妃殿下の御視察に、しん・ちびは臨時休館して対応。
悠仁殿下は、引き揚げ記念館の休館日をご利用。
なら、今上ご一家の美術展鑑賞と同じではないか、という勿れ。
特別待遇での御訪問でも、その目的と内容がまるで違っております。



12日 悠仁さま舞鶴市「引き揚げ記念館」へ

2025-02-12 18:52:51 | 悠仁殿下
昭和100年戦後80年。昭和は64年1月7日までなので、こうしてみると昭和も戦後のほうが長かったのだな、と改めて思う。
戦争は終わっても戦後処理は何年も続いた。戦後80年の節目に悠仁殿下が舞鶴港と「引き揚げ記念」を視察されることは、将来の天皇として誠に意義深い。

FNNプライムオンラインは【速報】で報じているが、悠仁親王殿下が次々代の天皇であることを考えれば、ご視察先と相まって【速報】で報じる価値はあると思う。
少なくとも、ご鑑賞にお出ましになった皇女さまの「笑った」「手を振った」を【速報】で報じるよりはまともでしょう。

【速報】悠仁さまが戦後の引揚記念館へ「シベリアの港からどのくらいの距離が?」語り部の高校生と交流
2/12(水) 15:17 FNNプライムオンライン
秋篠宮ご夫妻の長男・悠仁さまは京都府を日帰りで訪れ、戦後シベリアなどから引き揚げた人たちに関する記念館を見学されました。

12日昼過ぎ、悠仁さまは舞鶴市にある「引揚記念館」を訪問されました。

軍港があった舞鶴では、戦後シベリアをはじめ、海外に取り残された約66万人が帰国しています。

シベリアに抑留された人たちが着ていたコートなど、当時の資料を展示する記念館には、8年前に秋篠宮ご夫妻が訪問されていて、筑波大学附属高校3年生の悠仁さまは、授業がない期間を利用して単身で視察されました。
(以下略)

FNNプライムオンラインは、悠仁殿下のお言葉を
「シベリアとか向こうの港からどのくらいの距離が?」
「今みたいな冬の時期は荒れていると思うのでさらに時間がかかったり乗り心地が悪かったり」

など、あたかも悠仁殿下が雅子さまか愛子さまのような語尾をはしょった中途半端で座りの悪い話し方をされるかのように報じていますが、動画の悠仁殿下は語尾をきちんと話されています。音声が悪く聞き取りにくですが、口が動いているので読唇術を心得たかたなら解るでしょう。

百聞は一見に如かず、動画で悠仁殿下のお言葉をお聞きください。

【kyoto】悠仁さま 京都・舞鶴引揚記念館を訪問。学生語り部の案内受ける

舞鶴港を訪れた悠仁親王殿下はひときわ優雅でお美しい。
雪が舞い降る舞鶴港桟橋にたたずむ鶴のように神秘的にすら見えるお姿です。




😊 説明係の女子高生は舞い上がるような気持ちでしょうね。


😊 流し目、、、諸国大名弓矢で殺す、悠仁殿下は目で殺す♪
流し目も動画のほうがゾクッと来ますよ。
2000年の皇胤を受け継ぎ天皇になる運命のもとに生まれたかたです。時折みせられる複雑な表情、秋篠宮殿下以上に一筋縄では行かないかたかもしれません。困難が予想される日本の行く末、一筋縄では行かないかたのほうが天皇としては頼もしい。




どこかのご一家の鑑賞写真と同じ構図ですが、こちらは御視察記念の本当の記念写真です。もちろんバミリもありません。

😐 私的御視察なので予告報道こそされなかったですが、先方は準備を整えてのお迎えだったでしょうね。
でも、何故この時期に?高校生の語り部から説明を受けるには高校生のうちのほうが良いという判断でしょうか。
シベリア抑留や外地に取り残された人々の悲劇性を理解するのは、戦争をしらない若者には荷が重いかもしれませんね。それでも知るべきだと秋篠宮ご夫妻は判断されたのでしょう。これぞ帝王学。

ご訪問に至った経緯
NHK
8年前、秋篠宮ご夫妻が訪問された時に、記念館側から「いずれ悠仁さまも」と希望が寄せられていたことから、大学進学が決まり授業がないこの時期に訪ねたということで、悠仁さまはこのあと、歴史を残すため復元された引き揚げ船用の桟橋もご覧になりました

産経新聞
側近は「今回のご訪問は、舞鶴引揚記念館側から悠仁さまへの願い出があり、悠仁さまも関心を持たれていたようだ」と話している。

FNNプライムオンライン
8年前に秋篠宮ご夫妻が訪問されていて、筑波大学附属高校3年生の悠仁さまは、授業がない期間を利用して単身で視察されました。

朝日新聞
同館には秋篠宮ご夫妻が2017年に訪れ、舞鶴に引き揚げた抑留経験者から収容所での過酷な体験などを聞いた。その際、将来、悠仁さまにも訪問してほしいと要望が寄せられ、今回の私的な訪問につながったという。

読売新聞
今回の視察は、17年の秋篠宮ご夫妻の同館訪問後から調整され、悠仁さまの進学が決まり、高校の授業がないこの時期に実現した。


大戦の記憶に向き合われて来た悠仁殿下
2013年沖縄 7歳
2016年長崎 10歳
2018年広島 12歳 終戦記念日に半藤一利氏(故)から昭和史の講義を受ける。

😔 この年頃には厳しい体験だったかもしれませんが、それが知らず知らずに御立場への自覚につながったのか、とも思える今日のお姿です。