憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

14日 西へ西へ一斉にお成り

2024-10-15 17:24:49 | 公務
14日は今上ご夫妻、佳子さま、信子さまが、それぞれご訪問地へ入られるという慌ただしい日となりました。

今上・雅子さま
岐阜県へ
(「清流の国ぎふ」文化祭2024第39回国民文化祭・第24回全国障害者芸術・文化祭出席など)

佳子さま 
佐賀県へ
(第78回国民スポーツ大会「SAGA2024」スポーツクライミング競技観戦、総合閉会式出席など)

信子さま
佐賀県へ
(SAGA2024(国民スポーツ大会)出席)


14日、佳子さまと信子さまは同じ佐賀にいらっしゃいます。
佳子さまは、訪問第1日目、13日から佐賀に入られている信子さまは2日目です。

佳子さま、第1日目の御日程
第1日 10月14日(月)
午前 秋篠宮邸 御発
   東京国際空港 御着
   同所 御発
   佐賀空港 御着
   
午後 同所 御発
   西日本高速道路株式会社九州支社佐賀高速道路事務所 御着
   同所 御発
   九州クライミングベースSAGA 御着
    スポーツクライミング競技御覧
   同所 御発
   佐賀県立九州陶磁文化館 御着
    ご視察
   同所 御発
   ホテルニューオータニ佐賀 御着
    県勢概要御聴取

信子さま 第2日目の御日程
午前 ホテルニューオータニ佐賀 御発
   SAGAサンライズパークSAGAスタジアム 御着(佐賀市)
    陸上競技 御覧
午後 同所 御発
   道の駅大和そよかぜ館 御着(佐賀市)
   同所 御発
   佐賀空港 御着(佐賀市)
   同所 御発 ANA456便
   東京国際空港 御着


😊 佳子さま、信子さま、どこかですれ違うというこでも無かったようですね。


愛子さま佐賀訪問中は佐賀県知事がずっとついて回っていましたが、佳子さまはどうでしょうか。
※佐賀県HP・知事室より

😊 佳子内親王随従、、、愛子さまと同じです。
9月分が見られなくなっていますが、久子さま、信子さま、女王がたには、知事は随従せず、昼食会等レセプション的な行事に出席がありました。
天皇・皇太子(皇嗣)は別格、という身位による格付けは守られているようです。

さ、皆さん、天皇の岐阜県訪問ご日程、、どんな雅子さま仕様になっているでしょうね。
怖いですね!怖いですね!!でも、知りたいですね、知りたいですね。

御日程
第1日
10月14日(月)
午前 皇 居(正 門) 御発
   東京駅 御発 「東海旅客鉄道」 新幹線お召列車
   途中停車駅
    品川駅
    新横浜駅
    名古屋駅
   岐阜羽島駅 御着

午後 ○岐阜県庁
    御視察
    御昼食
   ○岐阜メモリアルセンター
   「清流の国ぎふ」文化祭2024
    (第39回国民文化祭及び第24回全国障害者芸術・文化祭)
     開会式御臨席
    オープニングステージ御覧
   お泊所 御着 (岐阜グランドホテル)
    県勢概要御聴取
    御 宿 泊

第2日
10月15日(火)
午前 お泊所 御発
   ○ぎふ木遊館
     第39回国民文化祭
      「木育プログラム」御覧
   ○ぎふ清流文化プラザ
     第24回全国障害者芸術・文化祭
      「いろんなみんなの展覧会 ~大に 地わ に、つどう。~」御覧

午後  ○岐阜グランドホテル
      御昼食
    ○岐阜かかみがはら航空宇宙博物館 御視察
     第39回国民文化祭
      「空そ 宙ら 博はく 特別企画展 月への挑戦-アポロ計画 から50年、人類は再び月を目指す-」御覧
    岐阜羽島駅 御発 「東海旅客鉄道」新幹線お召列車
     途中停車駅
     名古屋駅
     新横浜駅
     品川駅
   東京駅 御着
   皇 居(正 門) 御着

岐阜羽島駅ご到着の今上と雅子さま
嗚呼、やはり雅子さまは病んでいらっしゃるのでしょう。
この写真を見てぞわっとするのは私だけですか?

岐阜県ご訪問に先立つ10日、陛下は 宮内庁総務課長から岐阜県行幸啓について説明を受けられましたが、雅子さまは同席されていません。
御体調が悪かったのか、「聞かなくても解っている」という横着なお気持ちからかは分かりませんが。

岐阜県HP 報道発表ご日程のページにはこのような但し書きが付けられていいます。
天皇皇后両陛下におかれましては、「清流の国ぎふ」文化祭2024(第39回国民文化祭及び第24回全国障害者芸術・文化祭)に御臨場、併せて地方事情を御視察のため、来る10月14日(月曜日)から同月15日(火曜日)までの2日間、別紙の御日程により、岐阜県に行幸啓になります。なお、皇后陛下の御体調に支障がおありの場合には、天皇陛下御単独での行幸となります。

(つづく)


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9 コメント

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Unknown (彩夏)
2024-10-15 18:35:41
夕方のニュースで航空宇宙博物館の視察の様子が流れましたが、雅子さま、興味ないのがよくわかるお顔をしてました〜だったら無理しなければいいのに。外国でさえホテルで体調を整えるとか平気で出来る方なのですから。
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Unknown (しろつめぐさ)
2024-10-15 22:34:35
如意様こんばんは

佐賀県 岐阜県の記事 ありがとうございました
愛子様の記事については できたできた、こっちこっちと、 手を叩いて幼児を喜ばせている姿が浮かびます

皇嗣御一家の ご公務は そこに集まった人たちの 日常の姿と精進に 思いが行き 会合 行事の 意味を考え 普段なじみのない世界に思いを馳せる 中身のある公務です

愛子様のできたできたは 少しなら良いのですが あまり長く続いて 正直疲れました

佳子さまの 閉会式のお姿を拝見して この大会のために精進してきた選手の人たちが 佳子さまに出席して頂いて 大会 最後の思い出として 良かったな と心から思いました

ところで上皇后様の怪我の件で仙洞御所の平面図と 中のお写真を載せていただきましたが びっくりしました

改めて思うことは この立派な仙洞御所は上皇夫妻と今上夫妻の 新婚時の住まいだったということです

私は 皇嗣両殿下がご新婚の頃 お住まいにサンルームをおつけになるとあるつてから聞き
立派なところに住んでるでしょうにこんなサンルーム をなんでつけるのと 不審に思ったことがあります
でも 先日両殿下のご新婚の頃のお住まいをの写真を初めて見て こんなところに住んでらっしゃったのか、サンルームをつけて良かったなと思いました

なぜ新婚の息子夫婦にあのような住まいを与えたのでしょう

今度の信子様のお住まいは 宮内庁長官の官舎と侍従長の官舎をつなぐものだそうです
あの頃もこういうお住まいも あったはずです

それなのに長男夫婦にはこんな 豪華な 東宮御所を作ってあげたのですね この差別は何なんでしょうか

そしてまた自分たちの隠居場所としてどうして この豪華な 接遇 場所付きの御所が 必要だったのでしょうか ?
皇嗣御一家 に住まわせて差し上げることは心が許さなかったのでしょうか?
いくら 上皇様が認知症が進まないように思い出の場所が良いと言っても あの接遇 接客 場所は必要ないですね

いつまでもいつまでも皇嗣両殿下には冷たい仕打ちと思えます

いつも思うのですが 上皇陛下が 生前退位をなされなかったらどうなっていたでしょう
徐々に認知が進まれ 皇太子が 摂政となられます
こうなってくると世の中は ますます 愛子 天皇 待望論が高まってきたことでしょう
もしかしたら皇嗣殿下を辞退させようとなったかも分かりません

上皇后は徳仁さんが可愛くても 上皇様は男子に皇統をつがせたい その一念だったと思います
そのお考えで 自分の目の黒いうちに 秋篠宮様、悠仁様に皇統が行く順序をお付けになるために 生前 退位をなさったのだと思います
上皇后といえども 天皇 上皇様の意思には逆らえなかったでしょう
本当に上皇様が生前 退位をなさって 立皇嗣の礼まで 行っていただいてよかったと思います

私は今までは 上皇后には良い印象を持っておりました

でも あの仙洞御所の中の写真を見て 質素な秋篠宮様の新婚時の住まいと比べ はっきりと目が覚めました

世の中に 2人の兄弟に こんな差をつけた人を 私はしりません

この方は間違えたんだと思います
晩節を汚すとはこのことだと思います

新婚の時は みすぼらしい住居を与え 秩父の宮妃殿下が心配してくださったおかげで今の秋篠宮邸があるわけです
この2つのことは いくら 隠しても事実として明らかです

想像で ものは言いたくないですが
清子様の ティアラについても 愛子に貸してあげなさい、ずっと使っていても良いでしょうと おっしゃったんではと疑います
そうでなくては 使えないでしょう

上皇后は2人の兄弟を差別しました でも皇嗣両殿下はそれにもめげず 真摯に 公務に励まれました 海外にも国内にも数多く出かけられ今の天皇両陛下よりどれだけ頑張られたことでしょう

天知る、地知る、人知る、と言います
いくら ごまかそうとしても真実は真実です

上皇后は 様々な良いことをしてきたでしょうが
この 不平等一点で 目が覚めた気がします

仙洞御所の中を見せていただいて良かったです 百聞は一見にしかずですね

ありがとうございました
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佐賀(1+3)態 (あかり)
2024-10-16 15:05:33
お偉い方から、もちろん陛下、なぜか「変幻自在のマスク姿、気楽なノーネクタイ、ついしてしまうんぞりがえり」。まあ、いつものことですが、妻子にはへこへこ、他人にはふんぞりが、あかりは大嫌いです(失礼日頃の思いが、つい・・💦)。次は、実は陛下よりお偉い皇后さま、笑みとマスクが謎の皇后さま、時に腑抜けに、時に露わな感情が・・、あかりには解けないその慈愛のお心~♪ですわ!ハイ、次はお待ちかね、愛子様!あかり、あの(-^〇^-)にはなぜか苛立ちが・・、なぜ笑っているの?そんなに笑えることがあるの、ウ~😟それで、思い浮かんだのが「笑い女(おんな)」という言葉!Wikiを開いたら、出ていた古画集の絵が似ているような(あ、また失礼したかも・・💦)それと、国スポの会場で両陛下と愛子様の周囲が漆黒(?)で不気味でした💦まさか、暗闇家は暗闇が落ち着くから、ですか?まあ、不埒な庶民から何かされないよう安全対策?100歩譲っても、愛子さんにはするべきではありません!皇嗣殿下ご夫妻、悠仁親王以上の警護がついているのはなぜ?ですよ!内廷の心底が透けているのかしら?アッ、怒っていないで、真打ち佳子さまに移ります😄あかり、お衣装・アクセについては皆さまのご意見どおり、でけっこうです👏言いたいのは、自然な笑顔、燦めく個性、佇まいのセンス、「立派に世界に伍するプリンセスだ」と思ったというです💞お若い日から懸命に務めてこられた成熟を感じます。お幸せを祈る反面、継承問題が落ち着くまで心強い「高市皇女」であって欲しい、という矛盾した想いに割かれます。
 あかりの佐賀考、失礼しましたらお許しを < (_ _) >
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お詫び (あかり)
2024-10-17 00:53:25
 いつもながらの誤字脱字多で、申し訳ありません。適宜補ってお読みいただければ幸いです。
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Unknown (みどりの風)
2024-10-19 03:28:17
>国民の幸福と世界の平和を、日夜祈念される天皇皇后両陛下
「どこのパラレルワールドの天皇皇后両陛下なの?」と尋ねたくなりますが、②以降の秋篠宮皇嗣家についての記述は正確無比。岐阜県が、宮内庁よりも、御用学者らよりも、マスゴミよりも優秀なのが、頼もしいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
①■■天皇皇后両陛下岐阜県ご来県について9月 17, 2024
ttps://hougei-gifu.org/2024/09/17/1014/

②■■もっと知りたい!日本の皇室(6)7月 26, 2024
ttps://hougei-gifu.org/2024/07/26/%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a8%e7%9f%a5%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%ef%bc%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%9a%87%e5%ae%a4%ef%bc%88%ef%bc%96%ef%bc%89/
③■■もっと知りたい!日本の皇室(7)8月 2, 2024
ttps://hougei-gifu.org/2024/08/02/motto07/
④■■もっと知りたい!日本の皇室(3)7月 5, 2024
ttps://hougei-gifu.org/2024/07/05/motto3/
⑤■■もっと知りたい!日本の皇室(4)7月 12, 2024
ttps://hougei-gifu.org/2024/07/12/%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a8%e7%9f%a5%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%ef%bc%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%9a%87%e5%ae%a4%ef%bc%88%ef%bc%94%ef%bc%89/
返信する
Unknown (みどりの風)
2024-10-21 04:33:55
如意さま、おはようございます。
ぶしつけな投稿に呆れられたでしょう。
申し訳ございませんでした。
あらためまして、貼らせてくださいませ。
大半は、知ってることですが、公式なblogで紹介されていることがうれしいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
■■もっと知りたい!日本の皇室(4)7月 12, 2024
https://hougei-gifu.org/2024/07/12/%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a8%e7%9f%a5%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%ef%bc%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%9a%87%e5%ae%a4%ef%bc%88%ef%bc%94%ef%bc%89/
7月17日~18日、いよいよ秋篠宮皇嗣妃殿下が岐阜県にお越しになります。
妃殿下は学者であるお父様のお仕事の関係から、ご幼少の頃から海外での生活も経験されました。同時に、福祉や医療の問題にも早くから関心を持たれ、学習院女子高等科時代には、クラスで選ばれて厚生委員を務められ、街頭に立ってハンセン病患者をはじめ、恵まれない人たちへの募金を呼びかけられたり、身体障害者の人たちが作った絵葉書を勧めたりする活動に取り組まれました。
学習院大学文学部心理学科に入学されると、皇嗣殿下との出会いの場となった自然文化研究会のほか、手話サークルにも所属されました。手話は、文化祭で手話劇をご覧になり感動されたことをきっかけに始められたということです。言葉が不自由な学生に付き添って講義を受けられ、手話で通訳をされたり、その学生のためにノートを取ったりもされました。手話については、現在も手話を交えてご挨拶されたり、外国ご訪問の折は、現地語の手話でご挨拶もされています。
返信する
Unknown (みどりの風)
2024-10-21 04:35:12
■■もっと知りたい!日本の皇室(5)7月 19, 2024
https://hougei-gifu.org/2024/07/19/7-17%ef%bd%9e18%e3%80%80%e7%a7%8b%e7%af%a0%e5%ae%ae%e7%9a%87%e5%97%a3%e5%a6%83%e6%ae%bf%e4%b8%8b%e3%81%94%e6%9d%a5%e7%9c%8c/
秋篠宮皇嗣妃殿下がご来県されました。
「出来るだけ簡素な対応で」という皇嗣殿下からのご意向もあり、ご車列移動の交通規制も行われず、交通信号に従って移動されました。一般市民の奉迎場所も、岐阜羽島駅前と美濃市のうだつの上がる町並みのみでした。しかし、妃殿下は一般市民との交流を心から喜ばれているご様子で、市民から「紀子様!」と声がかかるとにこやかに微笑まれてお応えくださいました。
今回のご来県で、妃殿下が若い世代との交流に積極的に取り組まれているご様子が印象的でした。岐阜県立森林文化アカデミーや日本赤十字社岐阜県支部では、小学生との交流を楽しまれ、木育を勧めているぎふ木遊館でも、木の遊具で遊ぶ幼児たちのようすを見学されました。
妃殿下は平成2年に学習院大学大学院在籍中にご結婚され、皇室に入られました。お子様をご出産されたり、公的な活動や外国訪問などでご多忙な中、ご専門の心理学の研究を続けられて来ました。今回のご訪問先は、福祉・医療に加えて、妃殿下のご造詣の深い心理・教育関係の場所が選ばれたのでは無いかと拝察されました。
7月31日~8月1日には、皇嗣殿下・悠仁親王殿下お揃いでご来県になります。改めて心をこめてお迎え申し上げたいと思います
返信する
Unknown (みどりの風)
2024-10-21 04:37:12
この記事に、もっとも心を打たれました
~~~~~~~~~~~~~~~~~
■■もっと知りたい!日本の皇室(6)7月 26, 2024
https://hougei-gifu.org/2024/07/26/%e3%82%82%e3%81%a3%e3%81%a8%e7%9f%a5%e3%82%8a%e3%81%9f%e3%81%84%ef%bc%81%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e7%9a%87%e5%ae%a4%ef%bc%88%ef%bc%96%ef%bc%89/
秋篠宮皇嗣殿下は、天皇陛下の弟宮として、昭和40(1965)年にお生まれになりました。天皇陛下とは5つ違いになります。学習院大学法学部政治学科をご卒業後、在学中から関心を持たれていた生物学を、オックスフォード大学に留学されるなど専門的に学ばれました。現在はナマズや鳥類の研究者としても知られています。
お母様の上皇后陛下は、皇嗣殿下のお人柄について、次のようにご回想になっています。
「礼宮(*皇嗣殿下のこと)は、繊細に心配りをしてくれる子どもでしたが、同時に私が真実を見誤ることの無いよう、心配して見張っていたらしい節があります。」
皇嗣殿下のことを、興味半分に「自由奔放」などと書いている週刊誌もありましたが、皇室全体のことを深く考えられ、あえてされたご発言やご行動では無かったかと拝察いたします。
第二次世界大戦後、占領軍によって11あった宮家が無くされ、天皇の直接の親族である直宮(じきみや)家だけが残されました。皇室を守る役割を、4つの直宮家だけが担うことになり、その中心である皇嗣殿下のご覚悟は重いものがあったと思われます。皇室の本質である宮中祭祀を大切にされ、「いつもご先祖様に話し掛けるつもりでお辞儀をしている」とのお言葉からも、皇嗣殿下のご姿勢が伝わって来るのでは無いでしょうか。
返信する
Unknown (みどりの風)
2024-10-21 04:40:38
■■もっと知りたい!日本の皇室(7)8月 2, 2024
https://hougei-gifu.org/2024/08/02/motto07/
平成18(2006)年9月6日、悠仁親王殿下は秋篠宮家の第3子としてご誕生になりました。皇室にとっては、秋篠宮殿下から41年ぶりの男子皇族のご誕生となりました。日本の皇室が初代神武天皇から途切れることなく続いて来たのは、男系継承を守って来た結果です。そのために、直系に男系男子がおられない場合は、男系子孫の宮家から皇位を継ぐ方を出して来られました。
敗戦後の占領政策で、11あった宮家が無くなり、直系の皇族しかおられない中で、男子のお世継ぎを産むことは、当時の皇太子妃殿下にとって大変な重圧になり、ご体調を崩されるまでになりました。政府の中には、安易に「女系天皇でもいいでは無いか」という議論が行われ、有識者会議が女系容認の答申を出す直前に、悠仁親王殿下がお生まれになったのです。
もちろん、これによって皇位継承の根本問題が解決したわけではありませんが、とりあえず天皇陛下の次は皇嗣殿下、その次は悠仁親王殿下と皇位継承問題を解決する時間を頂けたのは、秋篠宮家のお蔭です。国会でも検討が進められつつありますが、国民の衆知を集めて、よりよい解決策を見出してもらいたいと思います。
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