憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

「日本の象徴」一族は既にパリピである。

2020-12-12 11:40:25 | 皇室
NEWSポストセブン12月11日
小室圭さん登場で皇室との距離感がイギリスのように?識者見解
小室さんの登場は「新しかった」と語るのは、長年にわたり皇室関連のネット記事を編集してきた編集者の中川淳一郎氏。
「眞子さまと小室さんが結婚した場合、相当注目されることでしょう。その時こそ『開かれた皇室』的な報道が増えるかもしれません。それこそ、皇族がいわゆる“パリピ”的雰囲気がある、という声が上がったとしても『それはそれでいいじゃない』的な反応です。そういった意味で、今回のお2人の行く末はメディアの報道のあり様、国民の皇室への距離感を変える1つのきっかけになるかもしれません」 

NEWSポストセブンは信憑性に欠ける記事を書くことがあるが、これは中川淳一郎という一編集者の意見なので信憑性とは関わりが無い。
私は昨今の皇室の考えられないほど情けない有様になんと言う言葉を与えてよいのか、モヤモヤしていたが、中川氏の記事で「そうか、パリピparty people と言えば良いのか」とスッキリした。
しかし、2015年ギャル語流行語大賞のこの言葉も今は死語らしい。
中川氏は眞子内親王と小室が結婚したら、皇室のスキャンダル報道はもっと自由に出来るようになる。
と、売文業が今以上に繁盛することを願っておられるようだ。

しかし、パリピとは良く言ったものだ。さすが売文業。
あちこちの集まりに「賑やかし」として招かれ場を盛り上げる
駅頭、沿道に集まる人々は「マサコさま~」「アイコさま~」と叫ぶ自分にも酔うのだろう。
場を盛り上げて自分も高揚する。パリピね。
しかし、どうかな?
コロナ直前の国民の集まりは少し演出が変ってきていたような?
どちらかと言えば戦前、戦争直後の天皇皇后と国民の距離感に近づけようとする演出が出てきてたような?
パリピ化が進むのか、有り難みを強調する演出になるのか、コロナが終息後はどうなるのでしょうね。

同記事中、東京新聞事業局文化事業部の小山田有希氏 
「イギリス王室は、歴代のロイヤルファミリーについて色々なエピソードが垣間見えるところが興味深いと思います。例えばテューダー朝(1485年~1603年)のヘンリー8世は6人の妻を持ち、うち2人と離婚、2人を処刑したことで有名です。また、イギリス王室は長い伝統を受け継いでいますが、途中でドイツ出身の方を王室に入れて残っている面もあり、自由な部分が多いような気がします。王室を離脱したメーガン妃にしてもアメリカの女優でしたからね」
(記者) このように、まったくの品行方正が求められているわけでもなく、外国出身者も王室入りするなど、日本よりも柔軟な対応をしているように見受けられる。

最近、日本の皇室、例えば上皇上皇后が皇室の在り方をかんがえるにあたってイギリス王室を参考にしている、とか眞子内親王がイギリス王室のような皇室を望んでおられるというような忖度記事があがることがあるが、このようなスキャンダルをも許容する自由度の高い皇室を望んでいるということなのか。
しかし、イギリスの女王陛下は自由度の高すぎるヘンリー王子とメーガンをバッサリと切ったことも忘れてはならない。
それ以前に、王権神授説絶対君主から始まったヨーロッパの王室と、神と人間の仲立ち者から始まり、常に仲立ち者の位置であった天皇とは違うということは忘れてはいけないだろう。
神と人間の仲立ち者であることを忘れて、国民のワーキャーに存在価値を見出すようになっては天皇もお終いだろう。
ワーキャーに存在価値を置けば、即ち人気という極めて不安定なものを追いかけて人気取りに走らざるを得ないでしょう。
「日本の象徴」は日本の高い倫理性、道徳性に象徴であるべきだ。
人気取りに走る姿は卑しい。
そして、一番国民のワーキャーに存在価値を見出していたのは、かって国民が新しい皇室の象徴として喝采して迎えた上皇后ではないか、と私は思う。


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