😇 陛下が度々引き合いに出される後奈良天皇のエピソードが紹介されていました。
皇室の姻戚になった土佐一条家・房冬が、後奈良天皇の逆鱗に触れた行動とは?中脇 聖 2022/04/06 06:00 JBpress<抜粋>さらに房冬は、任官が実現していないにもかかわらず、「雑掌当局」(姉小路済子)を通じて銭一万疋(おおよそ現在の1200万円ほど)を献上するなど、任官への熱意は並々ならないものがあった。こうした房冬の熱意に反して、後奈良天皇は態度を硬化させ、とくに銭一万疋献上には、「言語道断であり、甚だ不正なことである」と激怒したという。天皇からすると、要職を金銭で売り渡せと言っているに等しかったのであろう。当時、窮乏を極め即位式を催していなかった後奈良天皇からすれば、房冬からの銭一万疋という献上は喉から手が出るほど魅力的な出来事であったはずである。だが、在京していない「在国公家」の房冬への左近衛大将任官という悪しき前例を認めるわけにはいかなかったのであろう。後奈良天皇の清廉潔白さを示すエピソードといえる。ーーーーとはいえ、天皇も名門皇族の貞敦親王から「面目を失う」とまで言われてしまっては、勅許するしかなかった。ーーーーとはいえ、銭一万疋の献上は、これを返して自分(天皇)は預り知らないことであるとした(『後奈良天皇宸記』天文四年十一月五日条、同月七日条)。三条西公条には左近衛大将任官の口添え料として、「些少」と言いつつ銭二千疋(おおよそ、現在の220万円ほど)が房冬から贈られているため、貞敦親王にも公条と同額か、それ以上の額の口添え料が贈られていた可能性が高い。それに、天皇も銭一万疋を返却したとはいえ、房冬の任官御礼として銭二千疋は受け取っているようである。😊
カネで官位は売らぬが任官の御礼なら頂こう・・。というスジの通し方。
現在でもこういうスジの通し方は様々な場面でよく見聞きする。
陛下が引き合いに出される戦国時代の後奈良天皇、その子正親町天皇共に皇室財政が困窮していたため即位の礼を後奈良天皇は10年正親町天皇は2年行うkことが出来なかった。即位の礼を行うことが出来たのはそれぞれ有力者からの寄進があったからです。
戦国時代の天皇の困窮ぶりも、歴代の天皇を歴史上の人物と捉える私達と、我が祖先と捉える皇族の方々とでは思いもまた違うのだろうな、と思う。
天皇に権威はあれど権力からの援助がなければ名実を保つことが出来ない。
という構図は今も変わりが無い。
😇 どこか似ている風貌。
こんばんは。
>「それが本当はどんな権力なのか?」
そう!そうです。
私達の大方は自分の事で手一杯。どんなに疑問をもっても、知りたくても取材する手立ても時間もカネもない。ジャーナリストはそれが仕事だろうって思うのですが…。
仙洞御所に起きていること、愛子さま会見の内幕、知りたいですねー。