悠仁殿下の進学先を取り沙汰する週刊誌記事の中に、気になるくだりがあった。
悠仁殿下が学習院初等科へ入学されなかった理由の一つに「入学すれば学習院初等科に在籍中の愛子さまと悠仁さまの身位が逆転することを紀子さまが嫌ったから」というのだ。
悠仁殿下がお茶の水女子大附属小学校へ入学されたのは、平成25年である。
このとき愛子さまは学習院初等科6年生。しかし、悠仁殿下が学習院へ入学すれば、御二人の身位が逆転するというのはどういうことでしょう?
平成の天皇が退位のお気持ちをビデオメッセージで表明したのは、平成28年8月だが、その前から上皇が生前退位の希望を持っていることは伝えられていた。突然流されたビデオメッセージは生前退位に向けての論議が進まないことに業を煮やした上皇が国民の情に訴える手段に出たのだ。と週刊誌が一斉に書き立てたことは記憶に新しい。
平成25年。内部では生前退位に向けての話し合いは進んでいたのでしょう。
平成の時代は愛子さまも悠仁さまも皇孫(三世)の内親王、親王。
在学中に平成の天皇が退位して皇太子徳仁親王が即位すれば、愛子さまは徳仁天皇の二世内親王になるが悠仁殿下は平成の天皇の皇孫(三世)親王のままである。
これを身位の逆転と言ったのでしょうか。
では、二世内親王愛子さまと三世親王悠仁さまはどちらが身位が上なのか?
旧皇族身位令
班位とは、天皇陛下を中心とした皇族方のご順位をいう(旧皇族身位令1条ないし7条)。
旧皇族身位令第1条ないし第7条第一章 班位第一条 皇族ノ班位ハ左ノ順序ニ依ル
第一 皇后
第二 太皇太后
第三 皇太后
第四 皇太子
第五 皇太子妃
第六 皇太孫
第七 皇太孫妃
第八 親王親王妃内親王王王妃女王第二条 親王王ノ班位ハ皇位継承ノ順序ニ従フ内親王女王ノ班位亦之ニ準ス
2 前項ノ規定ニ依リ同順位ニ在ル者ハ男ヲ先ニシ女ヲ後ニス第三条 親王妃王妃ノ班位ハ夫ニ次ク内親王女王ニシテ親王妃王妃タル者亦同シ第四条 故皇太子ノ妃ノ班位ハ皇太子妃ニ次キ故皇太孫ノ妃ノ班位ハ皇太孫妃ニ次ク
2 親王王ノ寡妃ノ班位ハ旧ニ依ル第五条 摂政タル親王内親王王女王ノ班位ハ皇太孫妃ニ次キ故皇太孫ノ妃アルトキハ之ニ次ク第六条 皇太子皇太孫皇位継承ノ順序ヲ換ヘラレタルトキハ其ノ班位ハ皇太孫妃ニ次キ故皇太孫ノ妃アルトキハ之ニ次キ摂政タル親王内親王王女王アルトキハ之ニ次ク
2 親王王皇位継承ノ順序ヲ換ヘラレタルトキハ其ノ班位ハ旧ニ依ル第七条 従来ノ宣下親王ハ其ノ宣下セラレタル順序ニ依リ王ノ上ニ列ス現行皇室典範第二章 皇族第五条 皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。第六条 嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫は、男を親王、女を内親王とし、三世以下の嫡男系嫡出の子孫は、男を王、女を女王とする。第七条 王が皇位を継承したときは、その兄弟姉妹たる王及び女王は、特にこれを親王及び内親王とする。第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という。第九条 天皇及び皇族は、養子をすることができない。
😇 旧皇族身位令は班位ということばで皇族の順位を明確にしているが、現行皇室典範では皇族の順位を明確にしていない。
明確化されていないものは、従前の法令に準ずるのが慣わしなので、皇族の順位は班位ではなく身位という言葉で語られるようになっています。
旧皇族身位令第一章第一条と現行皇室典範第二章第五条は同じなので、現在の皇族の順位もこの順と見ても間違いないでしょう。
親王は内親王より上位。
しかし、旧身位令のこの部分はどう解釈したら良いのでしょう?
第二条 親王王ノ班位ハ皇位継承ノ順序ニ従フ内親王女王ノ班位亦之ニ準ス
親王と王の皇位継承順位は別項で定められていますので、問題ありません。
しかし、内親王と女王には皇位継承権がありませんので、皇位継承の順位と言われても…?悩ましい。
「内親王、女王に皇位継承権があるとして考えろ」ということですかね?
では、皇位継承はどうなっているのか。
旧皇室典範
第一章
第一条
大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス
第二条
皇位ハ皇長子ニ伝フ
第三条
皇長子在ラサルトキハ皇長孫ニ伝フ皇長子及其ノ子孫皆在ラサルトキハ皇次子及其ノ子孫ニ伝フ以下皆之ニ例ス
第四条
皇子孫ノ皇位ヲ継承スルハ嫡出ヲ先ニス皇庶子孫ノ皇位ヲ継承スルハ皇嫡子孫皆在ラサルトキニ限ル
第五条
皇子孫皆在ラサルトキハ皇兄弟及其ノ子孫ニ伝フ
第六条
皇兄弟及其ノ子孫皆在ラサルトキハ皇伯叔父及其ノ子孫ニ伝フ
第七条
皇伯叔父及其ノ子孫皆在ラサルトキハ其ノ以上ニ於テ最近親ノ皇族ニ伝フ
第八条
皇兄弟以上ハ同等内ニ於テ嫡ヲ先ニシ庶ヲ後ニシ長ヲ先ニシ幼ヲ後ニス
第九条
皇嗣精神若ハ身体ノ不治ノ重患アリ又ハ重大ノ事故アルトキハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シ前数条ニ依リ継承ノ順序ヲ換フルコトヲ得
現行皇室典範
第一章 皇位継承
第一条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
第二条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
② 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
③ 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。
第四条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
😐 庶子にも皇位継承を認めて以外は旧皇室典範も現行皇室典範も同じです。
愛子内親王に皇位継承権があるとして考えれば、愛子さまは天皇の長子なので、皇位継承第一位、身位は内親王の中ではTOPです。
では、皇位継承権があれば、皇位継承第一位の愛子内親王と、実際に皇位継承第二位の悠仁親王とでは、どちらが身位は上なのでしょう?
愛子内親王が秋篠宮殿下の後ろを歩かれるのは正しい。
秋篠宮殿下は皇嗣(皇太子)であるからだが、継承順位が同じなら、男が先、幼より長と定められている。
では、此処に悠仁殿下が入られることになったら?
紀宮さまは秋篠宮殿下紀子さまの後ろだったが、それは兄と妹だったから。
では昭和天皇の内親王方の身位はどうだったのか。
皇兄弟である秩父宮殿下高松宮殿下より上だったのでしょうか?
大正天皇には女皇子がいらっしゃらない。
明治天皇には4人の内親王がいらっしゃいましたが、皇太子(大正天皇)皇孫(昭和天皇)以外に親族の親王はいないので参考にならない。
さて、悩ましい。
悩んでいたら・・・コメント欄でご指摘をいただきました。
継承順位第1位は皇太子である。と。
あ!😄 そうでした!そうでした!
継承順位第1位は皇太子ですから、親王は第2位からはじまります。
よって皇位継承順位に準ずる内親王の順位も第2位からはじまります。
悠仁親王も愛子さまも第2位。
第二条 親王王ノ班位ハ皇位継承ノ順序ニ従フ内親王女王ノ班位亦之ニ準ス
2 前項ノ規定ニ依リ同順位ニ在ル者ハ男ヲ先ニシ女ヲ後ニス
2 前項ノ規定ニ依リ同順位ニ在ル者ハ男ヲ先ニシ女ヲ後ニス
よって、悠仁親王のほうが愛子内親王より上位。
これですっきり。
悠仁殿下が成年皇族となられたら、
天皇皇后陛下、皇嗣殿下妃殿下、悠仁親王、愛子内親王、佳子さま、の順で入場されるはず、です。
😊 今度、週刊誌が愛子さまのほうが悠仁殿下より身位が上、と書いたら、それは間違っている。と胸を張って反論することにいたしましょう。
昭和時代はどうだったのか。歌会始めの御歌の並び順を見ると、昭和天皇の御兄弟である高松宮宣仁親王殿下 、三笠宮崇仁親王殿下 より貴子内親王の御歌が上位になっていますので、身位の順位も貴子内親王のほうが上だったということでしょうね。
こんばんは。
ダブルワイさんのご指摘で思い違いに気付き、おかげで答えを得ることができました。
承認したかったので、名乗りをお願いするつもりでしたが、その前に名乗っていただきありがとうございました。
ダブルワイのコメントです。
失礼しました。
愛子様を皇位継承第一位とみなすことじたいナンセンスではないでしょうか。
なぜなら、継承第一位は皇太子です。
ですから当然身位も上になると思います。(未成年の内はどうなのか分かりません。)
お出ましの順番が身位順なら、
現在の順番は、天皇・皇后・皇嗣・皇嗣妃・愛子内親王・佳子内親王・三笠宮妃・三笠宮寛仁妃・彬子女王以下略。
悠仁様が未成年なのでハッキリしませんが、成年に達した際はどうなるんでしょうね。
皇嗣妃の次ぎになるのか、愛子内親王の次ぎになるのか。。早く知りたいですね。
紀子様が学習院を忌避した理由と書かれていることはお門違いではないでしょうか?
あの時点で悠仁様の方が身位が上ということはないと思うのですが、継承権のある男子の方が身位は上ということなら、同じ学習院に入ったら下になってしまうなんてどう考えてもおかしいです。
またもや週刊誌の紀子様下げなのでは?