憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

陛下!足利の山が燃えております!

2021-02-25 10:39:46 | 天皇

今日も鎮火の気配がないと報道されました。

最近の日本で5日間燃え続ける山火事は聞いた記憶がありません。
思えば山は天皇誕生日の前から燃え続けていたのですね。早く収まって欲しいと映像を見るひとは誰でも祈るような気持ちでしょう。

常々事あるごとに「私は国民に心を寄せています。」と宣される陛下ですから、足利の山火事もさぞ憂慮されていることでしょう。
こういう時こそ陛下は何か御言葉を発信されるか、宮中三殿で鎮火を願い、雨乞いの祈りされたほうが良いのではありませんでしょうか。
陛下が御会見で引き合いに出された聖武天皇は大仏を建立し、嵯峨天皇、後奈良天皇は祈願ために写経をされています。神仏への「祈り」の力を本気で信じていたからでしょう。
日本の神の大祭主として宮中祭祀を行われる陛下が本気で神々へ祈らなくてどうするのですか?

御奈良天皇写経の奥書き。
「今茲天下大疾万民多阽於死亡。朕為民父母徳不能覆、甚自痛焉。窃写般若心経一巻於金字、(中略)庶幾虖為疾病之妙薬 
(大意:このたび起きた大病で大変な数の人々が亡くなってしまった。人々の父母であろうとしても自分の徳ではそれができない。大いに心が痛む。密かに金字で般若心経を写した。(略)これが人々に幾ばくかでも疫病の妙薬になってくれればと切に願っている。)」 

「自分に徳がないから、こうなってしまうのだ。大いに心が痛む。」
はーー。(深いため息)陛下には全く無い発想でしょうね。

山火事ばかりでなくコロナもそうです。
おこもり生活されている陛下はヒマそうです。隠してもダメですよ。
ヒマを幸いに親子三人日々、ノンビリゆったり家庭生活を楽しんでいらっしゃることは御会見の御言葉からもバレバレです。
毎日宮中三殿で祈る時間くらい取れるでしょうに。陛下が引き合いに出された天皇の方々にあって、陛下に無いのは神仏への畏敬と信頼です。
神仏への畏敬が陛下にも皇后にもないから、即位の大礼も大嘗祭もどこか有り難みの無い大コスプレ大会になってしまうのでしょう。

皇后の晴れ姿。

カネさえ出せば一般人でもこの程度の格好をさせてくれます。
どちらの家族も一般人ですが、さる宮家の方々と言われても通りそうですね。

陛下は日和った。

2021-02-24 19:13:41 | 天皇
日和る(ひよる)
「形勢をうかがって有利な方、力のある方につこうとすること」
もしくは「積極的に関わることなく傍観すること」 goo辞書等

天皇陛下 会見で「尊重」の言葉なし…気になる眞子さまとの“温度差”
女性自身2021/02/23 14:00 

陛下の御言葉
「眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、御両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」 

「天皇陛下は、たいへん慎重にお言葉を選ばれたのでしょう。眞子さまや小室さんへの批判と受け取られるような文言を使うことは避けられつつも、二人には結婚に向けての”宿題”が残っているとの認識をはっきり示されたご回答だと思います。ただ、ひとつ気になったのは、眞子さまが発表された文書との”温度差”でしょうか……」 

批判的な文章を使えば「前天皇の裁可はどうするのか」等、自分に火の粉が降りかかって来ますものね。

眞子内親王の文書《この度、私がこの文章を公表するに当たり、天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下にご報告を申し上げました。天皇皇后両陛下と上皇上皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっていることに、深く感謝申し上げております》
 
この文書では、両陛下は眞子さまのお気持ちを「尊重」され、「お見守りくださっている」とされている。一見すると、両陛下が眞子さまと小室さんの結婚を応援されているかのような印象も受ける。
 
しかし陛下は今回の会見で、秋篠宮さまの発言に同意する考えを示された一方で、眞子さまが使われた「尊重」や「見守る」といった表現は避けられた。

国民から祝福を受けてない結婚に「尊重」「見守る」を使えば、国民からの反発が秋篠宮殿下ばかりでなく天皇も及びそうなので避けたのでしょう。

「陛下も秋篠宮さまと同じく、眞子さまの意志を尊重しつつも、現状ではまだ小室さんとの結婚に“賛成”はできないとの認識なのではないでしょうか。ただ、眞子さまに『御両親とよく話し合い』することを求められたように、この問題は秋篠宮家で解決すべきであり、ご自身の発言によって事態が動くのは好ましくないと、陛下はお考えなのでしょう」(前出・皇室担当記者)

結局「秋篠宮家の問題は秋篠宮家で解決しなさい。」と秋篠宮家に丸投げしただけ。
陛下!日和りましたね!


洞ヶ峠

陛下は御会見で御自分を語るのに聖武天皇、嵯峨天皇、後奈良天皇、正親町天皇の御名を引用されていらっしゃいましたが、筒井順慶の名も付け加えてもよろしいかもです。

春風駘蕩・・・別世界 

2021-02-23 23:47:41 | 皇室
人生いろいろ すったもんだもありましたが…。
いつの間にか「終わりよければ全て良し」の御二人になられたようです。
この写真は天皇誕生日に合わせて公表されたものですが、雅子皇后の御体調はすこぶる良いように見えます。
御二人の表情も今までに無く柔らかです。
雅子はいまだ快復の途上にあり、体調には波があり、大きな行事の後には、疲れがしばらく残る傾向があります。 

陛下は御自分の考えのもとに率先して何かをすることのない御方。
雅子皇后は何かをしようとすればするほど<下手な考え休むに似たり>の御方。
何も考えずにゆーったりと家族仲良くしていれば日が暮れて行く今が、人生で一番お幸せな時を過ごしていられるのかもしれないですね。
整えられた部屋で何の物思いもなく幸せそうな御二人を眺めているとこちらまでなんだかホッコリしてきて、「もうどうでもいいや」というような緩んだ気持ちにすらなって来ます。

他意はありません。眺めているとノンビリほっこりする繋がりでつい。

左ー下ー右、左ー下ー右…天皇誕生日会見

2021-02-23 18:49:47 | 天皇
記者会見の内容は、ほぼ予想通り。新年の御言葉でも、その前の雅子皇后のお誕生日会見でも聞いたようなデジャビュ感。もしかして保存した定型文を手直ししつつ使い回しているのか?と思ってしまいました。
とにかく冗長。話はあちこちに及びますが、殆どはご進講で聞かされたことをそのまま羅列しているのじゃないかという内容。レポートなら真面目さを評価して70点というところか。
陛下はずっと左ー下ー右、左ー下ー右と頭を巡らせていらっしゃいました。
陛下は国際的なフォーラムでも講演していらっしゃいますが、おそらく講演の前に「発表の時には、会場をまんべんなく見るようにされますように。このように・・・。」と指導を受けたのでしょう。
左ー下ー右、左ー下ー右と提灯を振るように規則正しくずっと首を振り続ける御様子はどこか案内ロボットのようでもあり…。
このように規則正しく明確に首振りを続けるにはずいぶん練習されたのだろうなー、と思ったり、教えられたとおりにいつまでも首を振り続ける陛下がなんだかいじらしくなったり。
これは、左へ首を振られた瞬間の映像です。

どうせ側近が書いた御言葉、いちいち取り上げても仕方ないと思うものの、「ん?」と思うところはいくつかありましたが、それはそれとして注目の眞子内親王の結婚に関しての御言葉はこうです。

 眞子内親王の結婚については、国民の間で様々な意見があることは私も承知しております。このことについては、眞子内親王が、御両親とよく話し合い、秋篠宮が言ったように、多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております。

【記者質問】眞子様と小室さんの結婚の問題について、陛下は「多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願います」というふうに述べられました。そのためには何が必要とお考えになりますでしょうか。

【陛下】この件に関しましては、先ほど申し上げたこと以上のことは、今はお答えは差し控えさせていただきたいと思います。

御言葉は玉虫色ですね。
見方によってどうとも取れる。果たして陛下の真意はどこに?
陛下に真意があると思うから振り回されるだけで、実態は「何も考えてません。」かもね。

陛下のイメージアップ大作戦。22~28日ご予定など。

2021-02-22 12:37:09 | 天皇
存在感が希薄な陛下のためのイメージアップ大作戦でしょうか。
小室の登場以来燻り始めた「皇室不要論」を封じるための再びの神格化の始まりでしょうか。

ひとは見えないものに対して畏れを抱きやすい。新興宗教が信者からカネを巻き上げようとするときは、まず、教祖の神格化を図る。
教祖を神格化するためには、教祖と一般信者の間に距離感が必要となります。信者と教祖の距離感を演出する手っ取り早い方法は、教祖を隠してしまうことです。
宮内庁は御日程を詳しく報道しなくなりました。

宮内庁は22~28日の予定を発表した。 
天皇、皇后両陛下、愛子さま
2/23(火)
両陛下、愛子さま 皇居・宮殿、赤坂御所(天皇誕生日祝賀行事)

皇嗣家(秋篠宮ご一家
2/23(火)
秋篠宮ご夫妻 皇居・宮殿(天皇誕生日祝賀行事)

三笠宮家
2/23(火)
信子さま 宮内庁分庁舎(離任在京英国大使夫妻と面会)

高円宮家
2/23(火)
久子さま 宮邸(離任在京英国大使夫妻と面会)
2/25(木)
久子さま 帝国ホテル(第28回読売演劇大賞贈賞式)
2/26、27(金、土)
承子さま 京都府(京都コングレス・ユースフォーラム)

教祖を隠した次には、教祖の素晴らしさを伝える物語を発信し続ける。
信者は素晴らしい物語によって作られた自分の頭の中の教祖のイメージを事実、真実と思い込む。
自分の頭の中の事実、真実と合致しない事象は受け入れられなくなる。

雅子皇后の「優秀な外交官キャリア」も意図的に作られた物語だと私は思っているのですが、作戦が成功した部類なのでしょうね。
これまで、何をして国民の評価がイマイチだった陛下ですが、陛下の人気を高めるための物語作りが始まったのかもしれない。
今の陛下には、イメージアップに繋がるネタがないのか、皇太子時代からネタを取ってきています。

“異例”の大歓待に“行方不明”のハプニング~皇太子時代・モロッコ訪問【皇室 a Moment】
日テレNEWS24 2/21(日) 10:00配信 
か ら抜粋。インタビューに答えているのは、
【井上茂男(いのうえ・しげお)】 日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。 


陛下の皇太子としての最初の親善訪問となった1991年9月のモロッコ訪問 。
ーーモロッコはスペインの南、アフリカの北東の端にある人口3600万の王国で、親日国として知られるイスラム教の国です。 

不肖私、モロッコへ観光旅行したことがありますが特に「親日」とは感じませんでしたけども。それはたぶん私達が観光客として多少のカネを使うだけのド庶民の一行で、出会うのもモロッコの庶民だったからなのでしょうが、「親日国として知られている」と言われると「へー?そーなのー?知らなかったー。」と思ってしまいます。

ご訪問はモロッコからの招待でしたが、当時取材したところでは、当時のハッサン2世国王が、天皇陛下より3つ年下のモハメッド皇太子、今の国王モハメッド6世に、同世代の皇太子の友だちを作ってあげたいという親心で招いたそうです。弟のムーレイ・ラシッド王子を交え、2人の王子が陛下を厚くもてなす場面が見られました。

旧市街を歩き暮らしに触れる 店頭でナツメヤシなどを口にされる場面も

街には華やかな民族楽器の音が鳴っていて、陛下は、観光名所「ブー・ジュルード門」を通って、城塞に囲まれた迷宮のような街を歩かれました。狭い通りには、肉屋や魚屋、木の実を売る商店などが並び、フェズの人々の暮らしぶりが間近に見られる所です。通りの至る所で、大きな拍手や子どもたちの歓声で迎えられ、「レロレロレロ」という現地ベルベルの人たちの独特の歓声があがっていました。また神学校やモスクも中にあって、陛下は何度も足を止めて町の様子を写真に収められていました。さらに、店頭でナツメヤシやパン、木の実などを勧められては口に入れ、「おいしい」と食べられる場面もありました。報道陣には外務省から現地の水や食べ物にはくれぐれも注意するように言われていましたので、陛下の“冒険”“チャレンジ”には驚いたものですが、いま考えると、招待国のもてなしに身を任せる親善の姿勢だったでしょう。 

あ。ド庶民ご一行の私達と全く同じです!!私達もレロレロレロと歓迎を受け、次々に商品を差し出されましたよ!私達ばかりでなく、彼らは他の欧州からの観光客に対しても全く同じ態度でした。
私達もガイドから食べ物や水を買ってはいけないと厳重に注意されましたが、中にはコッソリ買っている人もいました。
陛下も私達と同じで普通に観光客気分でウキウキしていただけでしょう。
国際親善の姿勢?無い無い。ラクダレースに大口あけて興じていた雅子皇后と同じです。夫婦揃って外国観光旅行が大好きなようです。
さて、「皇太子の友達に」と、招いたモハメッド6世は実際に皇太子に接して、どう思われたのでしょう。
人の上に立つ指導者なら、一目で皇太子の資質を見抜いたでしょうね。日本の皇太子は人は悪くないがBONKURAだと。

陛下の行方がわからなくなるハプニングも
陛下は、お付きをまいて町歩きを楽しまれたようです。
宮廷時代劇ではお馴染みの場面ですので、これもお付きの発案演出だった可能性があります。

ようやく行方が分かったのは20分も過ぎた頃で、大使館員が持つ無線機に、殿下は町の中心の「ジャマ・エル・フナ広場」にいるらしいという連絡が入りました。
急いで行ってみると、広場の一角に人だかりができ、陛下は歓迎の大群衆のなか、警備陣が人混みをかき分けて作るスペースを悠然と歩かれていました。

いやいや、陛下だから大群衆が集まったわけではありません。
あそこは、観光客なら誰でも、たとえカネ持って無さそうなど庶民でも一歩足を踏み入れたら最後、そういう状態になります。そんなことは行った人なら誰でも知っています。
ですから、トラブルを避けるために大方のツァーでは広場の建物の上から広場を見物させる。あのカオスな人混みを警備陣に人払いさせて歩けたのですから、本当のお忍びでは無く粋な演出だったのでしょう。



この訪問を通して、今の国王はもちろんですが、弟のムーレイ・ラシッド王子との友好も生まれます。王子は平成と令和の「即位の礼」の両方に参列していますし、また陛下のライフワークの「水問題」に関しても、陛下が講演をされた第3回世界水フォーラムにラシッド王子が出席するなど、接点がありました。1991年のご訪問がこうして親善を育み、「水」をテーマにした国際会議で更に交流が深まる、短い滞在でもやはり親善訪問は大事だと感じます。 

友好と言っても陛下とモロッコの王室とは個人同士の格別の深い関わりは無いのでしょうね。
即位の礼に招待した。水フォーラムで顔を合せた。
顔を合せれば社交的な言葉くらいは交わすでしょうが。
30年も経てば、モロッコも日本も国の事情も人も変わる。
30年前にはその初々しさに好感を持たれもしたのでしょうが…。
それに、初々しいと言っても当時31歳です。

陛下は当時広場を歩いた印象をこのように初々しく語っていらっしゃいます。
「非常に明るくて、何とも言えない人なつっこい表情が忘れられないですね。そういう場所を歩くことによって、普通のモロッコの人たちの生活ぶりを見ることができた点もよかったと思います」と話されています。

世界水フォーラムにも陛下の水の先生広木謙三 氏は深く関わっています。
世界水フォーラム
平成4年(1992年)6月のリオデジャネイロの地球サミット以降、21世紀の持続可能な開発には「淡水資源管理」が必要不可欠な課題であるという認識が国際社会で高まりました。
 このため、平成8年(1996年)、関係機関に政策提言を行うことを目的に水に関する国際政策のシンクタンクとして,UNESCO(国際教育科学文化機関)・WB(世界銀行)など水に関する国際機関等が中心となって世界水会議(World Water Council ・WWC)が設立されました。
 このWWCの提唱により、平成9年(1997年)に「第1回世界水フォーラム」が開催され、第3回が平成15年3月16日から23日に京都市を中心とした京都府、大阪府、滋賀県の琵琶湖・淀川流域で開催されました。