ドラクエ9☆天使ツアーズ

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となりあう景色(復)

2018年04月18日 | ツアーズ SS

ミオはこれまで、多くの本に触れる機会がなかった事に気づかされていた。

村にいた頃は、教会か、買い付けに行っていた商人が仕入れるか、旅回りの商隊が扱っているかどうか、という程度。

それも、勉強の本を除けば絵本や童話が主だったのだ。

だから今こうして、裁縫に関する専門的な事が書かれた書籍を目にして、父の言動から教わるのではなく文字という情報を読み込む事で自分の知識となっていく体験は新鮮で、いつしかそれに没頭していた。

ミオ自身の意識さえもそこにはなかっただろう。

「悪い、遅くなった」

という外部の雑音すらも届いていなかった。

「おい、そんなに暗いところで読めてるのか?」

それがミカの言葉だと認識することもなく、暗い、という言葉に不意に気が散ったのを感じた。

暗い、ああそういえばなんだか暗い気がする、そうか、こんなに暗いのは陽が陰ってきているのか。

そう感じるのと同じ速度で意識は本の中から浮上し、そこにあるものを目がとらえ、薄暗い影の中で唐突に、「字が見えにくいな」と思った。

今まで何の苦も無く、そこにある文章を熟読していたはずなのに、急に、薄闇に何が書いてあるのかが読めなくなった。

そして。

「おい、ミオ?」

と、突然ミカの言葉が背後から聞こえ、肩を叩かれて、今現実世界に意識を戻したばかりの身体は訳も分からず恐れおののき、飛び上がる。

「ひゃあ!」

「なっ?!」

甲高い悲鳴とその場を反射的に飛び退るミオの奇行に驚いたらしいミカの姿が見えた気がした。

それは一瞬の事。

驚いたあまり跳ね上がった心臓と、宙に放り出した書物とが、完全に繋がって。

(あ、ダメだ、本が)

咄嗟にそれを受け止めようとそちらに勢い飛び出しかけたのと、危ない、というミカの声が交差して、ミオは傍の梯子に顔面から突撃した。

(いっ、痛……)

そこに梯子があったことすら予測していなかった動きでぶつかったため、激しい衝撃にめまいがして額の痛みによろよろとうずくまる。手にした本がどうなったかも気にかけられない程、痛みがあって。

「大丈夫か?!顔か?顔からいったのか?」

「だ、だ、だ、だい、だいじょ、だい」

一人なら、いたーい、と泣き言も言えるが、心配して傍らに跪いてのぞき込んでくるミカの手前、そうも言っていられない。大丈夫です、と言いたいところだが、ぶつけたところに手を当ててひたすら耐える。

全力で耐えているとミカともう一人がミオの傍でばたばたと動き回っているのが感じられた。大変だ、何か大事になりそうだ。

「大丈夫、大丈夫ですっ、ぶつけただけですっ、ダイジョブ、です、から」

「いいから見せろ、どこだ?あ、額か?切れてないか?血は?」

矢継ぎ早に訊ね、うずくまるミオの肩を掴み起こして、怪我の様子を見ようとする。思わず、痛い、と声が漏れたかもしれない。

(ミ、ミカさん、荒い…)

手荒なのは姉で慣れている。慣れてはいるが、荒い気性の姉とは違って、今はただ動転しているだけのミカの様子が分かって、ミオはぶつけた額をかばったまま顔を上げた。

衝撃は去って、痛みも少しずつ和らいでいく。

「大丈夫です、ほんとに、ぶつけただけです、もー痛くないです」

心配するあまりミオより血の気が引いてるのではないか、というミカを見て、何とか笑う事ができた。

「大丈夫ですよ」

「……」

「私ったら、昔から粗忽で…、あ、何度もぶつけたりしてて、だからあの、このくらい、大丈夫です」

それでも疑わし気にミオを見るミカの表情は晴れない。だから前髪を上げて、ぶつけたところを見せた。

「ほら、たんこぶにもなってないですし」

そういえば、ミカが怪訝そうな顔をする。

「…タンコブって何だ」

「えっ、たんこぶ、たんこぶって、えーと、ぶつけて腫れたりする…」

ああ、と理解した風な一言で前触れもなくミカは、ミオの額に触れた。

「いったーいっ」

「えっ、お前もう痛くないとか言ったじゃねーか!」

「痛いですっ、触られたら痛いですよっ」

「じゃあ大丈夫じゃねーだろっ」

「大丈夫だったんですっ、痛いけどっ、アッ、痛いのは触られたからでっ」

と、そんなやり取りを見て、おもむろにその場を立ち上がったのがもう一人。

そうだ、もう一人いたんだ、とミオはミカとそちらへ顔を上げた。

立ち上がった人物は、手にした梯子を遠くの棚にかけなおして、冷やすものを持ってまいりましょう、と言って頭を下げ、その場を離れる。

それをただ見やっていると、悪かったな、とミカが言った。

「えっ」

「驚かせた」

「あ、それは」

「額だけか?他には、どこかぶつけてないか」

そう聞かれて、ちょっと考える。体のどこにもぶつかった感覚はない。そういえばあの時、後ろから引っ張られた気がする、と思い、ミカがとっさに助けようとしてくれていたのか、と顔を上げた。

「大丈夫です、他にはどこも」

「お前の大丈夫は信用できねえ」

そう言われて、何も言えなくなった。言ったミカさえも、気まずい思いを抱えているように押し黙る。

外では日が傾き、天窓から差し込む光も乏しい空間で、二人、この空気をどうしようと途方にくれたところへ、「戻りました」という控えめな声と共に部屋の灯りがついた。

執事のアドル―がこちらへと歩みより、「立てますか?」と聞いてくるのに頷いて、ミオは立ち上がった。少しよろめいたのはびっくりして座り込んだまま硬直していたせい。だから大丈夫、と言おうとしてミカの目が気になる。

言葉に詰まれば、ソファーへ座る様に促されて、大人しく従う。ミカもついてきた。

「ほかにぶつけた様子はないようですね。…額も」

と言ったアドル―が冷たいタオルを渡してくれ。

「額もその程度で済んだのは、ぶつかった梯子が外れたからでしょう。衝撃がそちらに逃げた」

その言葉にミカも、続いてミオもそちらを見た。

「これが壁か本棚だったら、たんこぶ、になっていたかもしれませんが」

その程度で済んで良かった、と言われて、思わずゴメンナサイと漏らしていた。

「私は、良かった話をしているのだから、お嬢様が謝られる事ではありませんよ」

父と同じ年ごろだろうか、上質なスーツをまとった執事は穏やかにそう告げるけれど。

「あっ、私っ、本、本を」

急にそれを思い出してソファーから立ち上がるのを、ミカが身構える。お前なあ、と苦々しく注意され、ゴメンナサイ、ともう一度ソファーに座る。いや、座ってる場合では。と目でそれを探せば、アドル―が床に落ちた本を拾い上げ、それを見分するように手の中で確かめ、こちらへ戻ってくる。

「これが?」

「私、本を投げてしまって」

あの騒ぎの中で無事で済んだとは思えないが、とそれを受け取れば、表紙の一部の革に引っかき傷ができていた。そして開いたまま自重でページが折り重なったようになり、紙がよれているのが解る。

やってしまった、と血の気が引く。何も言葉が出てこない。本当に謝らなくてはならない時に出てこない自分の「ごめんなさい」は、「大丈夫」と同じようにミカに信用されない軽い物なのかもしれないと思うからだ。それじゃ何にもならない。

「私っ、べ、弁償を」

と言いかけたミオの背後から伸びた手が、本を奪う。あ、とそれを目で追えば、ミカが本の傷を検めている。

「なんだ、こんなものか」

と言ってそれをミオにではなく、アドル―に手渡す。

「え?あの」

「あとは、彼の仕事だ。任せておけばいい」

ミカがそういえば、本を受け取ったアドル―が頷く。

「もちろん、私の仕事です。私の本分は、司書であるのですからね」

司書、という、どこかで聞いた言葉に気を取られて固まっていると、アドル―が続けた。

「これが故意や悪意によってつけられたものなら当然、そうした行為に対する罰則は受けていただきますが、これは不可抗力であるという事」

「お前を驚かせたのは俺だしな」

とミカも付け加える。

「不可抗力で書物が傷む事は想定済みです。そのために、私は務めておるのです。書物の補修は私の本分、お嬢様はただ私が仕事をしているのだと思ってくださればよろしい」

それは誇りある言葉だと思えた。

そこに他人の介入を許さない、彼だけの領域があるのが解って、何も言えなくなる。

「そして、若様にとってはこの本よりもよほどお嬢様の方が心配である事は明白です。私共では治すことが出来ませんから、お嬢様に傷が残ってしまってはどうにもお詫びでは済まされないでしょう」

だから、と続けられる。

「お嬢様はまずその傷を癒すことです」

と、ミオが手にしているタオルでちゃんと傷を冷やせ、という手ぶりをしてみせて、慌ててミオがそれに倣うと、アドル―がにこりと笑顔を見せた。

ではこちらはお預かりしていきます、と言うアドル―にミカが頷いて、彼はそのまま部屋を出ていく。

それで、ミカが隣のソファーに座った。

「ちょっと、見せてみろ」

と言われて、ミオはタオルを外して前髪を上げて見せた。

「は、腫れてますか?」

「いや、赤くなってるけどな」

今から腫れるかもしれないから冷やしとけ、と言うミカに頷く。

痛いかと聞かれ、触ると痛いけれど冷やしてる今はあまり感覚がない、と答えればそれで納得したらしいミカも、ソファーに背を預けた。

再び沈黙が訪れ、先ほどの気まずい思いがぶり返し、たまらず口を開く。

「ご」

ごめんなさい、と言おうとして、思いとどまる。

「…お騒がせしました」

そう言えば、意外にも、ミカが笑った。

「まったくだ。どうしてあんなことになったのか、わけがわからねえ」

「は、い、私もです」

ミカが言う、どうしてあんなことに、が、どこからどこまでを指しているのかは分からなかったが、この一連を通して謝りたいと思うのはミオの本心だ。

「あのう」

と、言いかけたものの、どれをとっても謝罪は不要だといわれるのは今までのやりとりの中で解っていた。

なんだ、と返事をするミカもソファーに身を預けたまま動こうともしない。恐らくミオの謝罪の嵐が始まる事は解りきっていて、その態度なのだ。

謝罪は必要ないという執事の言葉。

ミカは本よりもミオの事を心配しているのだから。

「ご心配をおかけしまして」

「だから冷やしとけ」

「…はい」

いや、素っ気ない返しにへこんでいる場合ではない。言いたいことがあるなら言え、といつも言うのがミカだ。では聞いてもらおうではないか。

「それがですねっ」

と、声を張り上げれば、驚いたようにミカもソファーから身を起こす。真正面から向き合うような体勢になって頭に血が上る。

「大丈夫なのは、心配かけさせたくないからなんですよっ?本当に大丈夫って言ってもぜんぜん大丈夫じゃなくても、ミカさんは心配するじゃないですか、だから、えっとだから大丈夫って言うのは」

信用できない、と言われてしまうのは悲しい。

信用できなくなるくらい、ミオを心配してくれるミカだから、余計に心配をかけたくないのだ。

「これからも大丈夫って言う、のは、言うと思う、んですけど、それは大丈夫なので、心配して欲しい時にはちゃんと心配して欲しいですって言う事にするので」

「……」

「私が大丈夫、って言ったら、…安心して下さい」

信用しなくてもいいから安心して欲しい、というところに落ち着いて、あれ?なんか違うかな?という気がしてくる。

ミカからも何やら複雑そうな面持ちしか返ってこない。

「…えっとー、解ります、か」

いや無理だろう、と自問自答していると。

「解った」

とミカから返ってきて驚く。

「えっ」

「えっ、ってなんだよ、俺が解ったらオカシイのかよ」

「いえ、おかしいとかじゃなく」

「お前の言いたい事はわかった。俺も、過剰に心配するのをやめる」

「…は、い」

「昔とは違うってことだろ」

そう言われて、気持ちが明るくなった。

「はいっ」

そうか、自分はそういう事が言いたかったのか、という思いで胸がいっぱいになる。

何もできなかった昔。皆についていくだけで精一杯で足手まといにならないようにするだけで必死でとにかく大丈夫でいなくてはならなかったあの頃とは違う。

それをうまく説明できなくても、汲み取ってくれるミカがいる。

ミカもまた、あの頃とは違う視点と思考があるのだ、とやっと解ったような気がした。

「わ、解り合えるって素晴らしいですねっ」

気分が高揚して、何か言わなくては、と思って口にしたことだが。 

ミカは全くの平常心で返してきた。

「いや、別に解りあえたとは思っていないが」

「ええっ?」

「お前がそうしろ、って言うから」

 そう言われてしまっては何も言えない。そうか、これは解り合えたわけじゃないのか。じゃあ何をどうすれば解り合えたというのか、それをミカに突っ込んでいくのは自分では足りないような気がする。と、ミオが反応に困っているところへ、再び、アドル―が姿を見せた。

もうお帰りになられるという事とですが、と前置きして、ミカを見、ミオを見る。

「お茶のご用意をいたしますので中庭の方へお越しいただければと思ったのですが」

ミカの意志を尊重しつつ、今の騒動で二人が動揺しているだろう事、加えて到着時のミオの様子から察し帰りの馬車に乗るにも気をほぐしてからの方がいいのではないかと判断した事、等をアドル―に提案されてミカがミオを見る。

どうする?と問うてくる事に、ミオは二つのことが頭をよぎった。

父は、来客に必ず茶を振る舞う。そして、ミオもそうされたら有難くいただきなさいね、と言っていた事。

持て成す側は相手が喜んでくれることを願ってそうするのだから、持て成しに対する何よりのお礼はまず有難くいただく事だ、と小さい頃から聞かされていたのだ。

アドル―の細やかな気遣いを有難いと思い、それを伝えるにはやはりお茶をいただくのが良いだろう。

先ほどの騒動に対して「謝辞は必要ではない」という彼に、今日一日分のミオなりの思いを伝えるにはここしかないと思った。

「あの、お作法とか、よく解らないですけど、有難くいただきたいと思います」

 ウイやヒロがいればすべて任せておけば良い事も、今はそうではない。一人でどこまでやれるかは分からなかったが、勇気を振り絞るしかない。

そんなミオの面持ちを見て、アドル―は何もかも察したような笑顔を見せた。

「お嬢様の為の時間です。堅苦しいお作法など気にせず、お好きにくつろいでいただければ良いのです」

そう言ったアドル―に中庭まで案内され。

お茶と甘いお菓子が用意されたテーブルの前で「少々お待ちを」と言われ、二人で、彼が椅子を対面ではなく横並びに移動させるのを待った。

どうぞ、と促されるまま、ミオが席に着く。次いで主を椅子へと促すアドル―に「これは?」と、その意図を問うミカ。

ミカにとっても珍しいことなのか、とミオもアドル―を見る。

アドル―は、生徒に理解させる教師の様にミカに向き直った。

「どのようなお嬢様であっても、完璧な殿方の正面に向き合わされるのは非常に緊張を強いられる事でしょう。若様もこれからあらゆるお嬢様を持て成される時にはどうぞ、隣に寄り添う、という選択肢もあるという事を覚えておかれるとよろしいかと存じまして」

なるほど、と短くミカが返事をすれば、それ以上は何も言わず簡単な給仕を終えて、ではごゆっくりどうぞ、とアドル―が頭を下げる。慌ててミオも頭を下げると、執事は柔らかく微笑んでその場を離れた。

隣に寄り添うように、とアドル―に勧められたまま、ミオはミカと二人きりで中庭で過ごすことになったけれど。

この席の配置だと、隣に座るミカが視界にいない。ミカの様子を伺おうとすれば、自分で動くしかない。

「えっと」

と、恐る恐る横を見れば、ミカはもう紅茶のカップに手をのばしくつろいでいた。

ミカはこの状況が全く気にならないようだ。

「なんだ?」

「いえ」

じゃあ自分も、と紅茶のカップを見て、テーブルを見て、あることに気づく。

「…あの、ミカさんはお茶にお砂糖入れないんですね」

とミカを見れば、何をいまさら、というようにミカもミオを見る。

甘い物が嫌いだ、というミカの事はもう良く解っている。そうではなくて、と慌てて付け加える。

「ミカさんのお家では、皆さんそうなのかな、って思って」

「…紅茶は熱と香りを楽しむものだろ。そこにミルク入れたり砂糖入れたりして香りを台無しにしてる事の意味が解らないな」

「あ、香り…、お茶って香りを楽しむものだったんですかっ」

「はあ?じゃあお前何の為に紅茶飲んでんだよ?」

「あ、お茶は甘くておいしいな、って」

「甘いなら、それこそ菓子で十分だろ」

というミカの言葉に、テーブルに用意されたお菓子の皿を見る。可愛らしい見た目の菓子は、クリームや蜂蜜、糖衣やチョコレートがふんだんに使われていて、どれもこれも甘くて美味しそうなのは一目瞭然。

それらとミカの言葉で、ミオはようやく、こちらでは甘いお菓子を味わい、その甘さでお茶を飲むのだ、と気づいた。

 「ああっ、だからこっちのお菓子ってみんなすごく甘いんですねっ」

と言えばミカにまた、何を言ってるんだ、という目で見られる。

「あの、私の村のお菓子はみんな焼き菓子で、生菓子とかこっちに来て初めてだったので」

ヒロやウイと一緒に行動するようになって初めて、甘くて美味しい生菓子を食べたくらいだ。

 それはとても感動したのだけれど。

「私の村では、おやつには甘いお茶とちょっと塩味の効いたビスケットやクッキーです」

お客様が来た時はケーキを焼いたりもするけど、木の実や果物を入れるくらいで甘さはそんなに重視しない。

「昔は、下の村は職人さんが多かったので、お昼ご飯がなくて、代わりに10時と2時におやつ」

甘いお茶で疲労回復、塩分の菓子でやる気の補充。

その名残だ。

「ああ、だからお前紅茶に砂糖入れるのか」

「はい、それが当たり前だと思ってまして」

と、そんな話をしていて、ミカに「じゃあ砂糖を用意させるか」と言われて、慌てて首を振る。

「いえっ、せっかくなので、ちゃんと香りを楽しむ飲み方を覚えたいですっ」

「…そういうものか」

そうだ。今までお茶の香りなんて気にしなかった。言われてみれば、このお茶はいい香りがする。

そう言えば、俺の一番好きな茶葉だ、とミカが言った。

「一番…」

「お前たちと会う前は、一人になりたい時によくここに来ていた。だからここではこの茶が出る」

他の香りが知りたいなら色々選んで買ってみるのが良い、と言われて感心する。

そして、一人になりたい時、という言葉に、あの執事の姿を思い浮かべた。

今の状況から考えても、お屋敷にいる人たちよりはミカを自由にさせてくれる人なのだ、と思える。

ミカに対する態度もだが、ミオに接してくれる態度もずいぶんと柔らかい。

そして場面場面で戸惑うミオに、今どう振る舞うのが良いのか、という事を示してくれていた気がする。 

あの部屋でミカと二人気まずい思いを抱えて途方に暮れたことを思えば、今、隣どうしで他愛ないお喋りをしながらお茶を飲んでいる時間はとても穏やかだ。

こんな時間を用意してくれた事が有難い。

たくさんの感謝を、言葉では伝えきれない心を、どうすれば彼に伝えられるだろう。

「今日は、本当にお世話になりました。有難うございました」

帰り際。

迎えの馬車の前まで見送りに出てくれたアドル―にありきたりの言葉でしか挨拶できないのがもどかしい。

「お茶もごちそうさまでした。お菓子もとっても美味しかったです」

それからそれから、と伝えなければならない事は思いばかりが溢れてくるけれど。

それは良うございました、と言ったアドル―が馬車へと二人を促す。

そして。

「またお越しください。我らは、主の大切なお客様へ最上の居心地を提供することが務めです。お嬢様に、再び訪れたいと思って頂けたならそれこそが至福でありますし、実際訪れていただいたならそれこそが何よりもの褒賞でございますので」

そう言ったアドルーには、ミオの考えていることは見通されているような気がした。

おもてなしを受けなさいと父から教わったように、彼からも、貴人の客としての返礼の仕方を教わっているのかもしれない。

「はい、ぜひ、その機会に恵まれたいと思いますっ」

そういえば、アドル―は一瞬、笑いたいような顔を伏せて、お待ちしております、と頭を下げた。

しまった。また動揺して変な事を口走ってしまった。恥ずかしくて顔が上げられないでいると、もういいから乗れ、とミカに強引に馬車に連れ込まれた。

(スミマセン、なんかもう本当にすみませんでしたー!!)

慣れない馬車の中で自己嫌悪に苛まれながら、窓の向こうに遠くなる屋敷が夕日で陰になりつつあった。

次に訪れる時には、もっと彼に認められるような振る舞いが出来るようになっていたいと切実に思う。

思いながら、これがヒロの言っていた事なのかとようやく理解できた。

皆といる時には解らなかったこと、誰かの陰に隠れていれば目立たなかった思い。

ミカの隣に並んで立って、それを相応しいと誰もに認められる人間になるという目標は、今なら痛いほど解る。

(だから、…それが解っただけでも、一人で来て良かった)

良かったと思おう。

たくさん迷惑をかけて、たくさん心配させて、たくさんお世話になったけれど。

解ったことが、たくさんある。

「お前、こっち座れ」

と、馬車の中で強引にミカの隣に座らされ、行きとは違う緊張感に身を固くしながらひたすら到着までの時間を耐え忍ぶ。

(ミカさん…あれは、外のお庭で別々の椅子だったから良かったのであって、ですね…)

と言いたくても言えない。

狭い馬車の密着した座席でがたごとと揺られながらミオは身をもって解らされている。

ミカは本当に言われた事は忠実にやらないと気が済まない人間だということを。

寄り添う隣、ミカの隣で優雅にふるまえるのはまだまだ遠い先の事だと思い知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミカのマニュアル人間ぶりったらもう


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となりあう景色(往)

2018年04月17日 | ツアーズ SS

城下町の中心部から東の方へと馬車は走る。

(馬車は、苦手)

これから向かう場所の格式を思えば、苦手だなんだと言って避けられるものでもないことは十分わかっているが。

通常なら徒歩で苦もなくたどり着けるはずの場所へも、名を伏せ、姿を隠して移動するという事そのものに馴染めない。

そして、もう一つ。4人乗りの馬車、その密室で二人きりになるという状況が。

「そんなに外の景色が面白いか」

いきなり声をかけられて、ミオは、自分の心臓が跳ねあがったような気がした。

「はっ、はいっ!歩いてるのと違って、街の見え方が全然違ってて、とても面白いですねっ」

「…ふうん」

そう言ったっきり、会話は途切れた。

ふたたび馬車内に無言の重圧が押し寄せてくる。

馬車に乗り込んだ初っ端からその圧力に耐えかね、馬車の窓にかじりつくように外を見続けることでやり過ごしていたが。

ミオは、そっと、対角に座る同乗者の様子を盗み見た。

手には何かの書類をいくつか比べるように広げているミカが、何気なく窓の外を見ている。

普段、仲間と行動を共にする時と違い、高級な衣服を身に着けているミカは別人のようで少々近寄りがたい。

(それも、馴染めない)

と思っていると、不意に飽きたように窓から視線を外したミカと目があってしまった。

ミカは滅多には無駄口をたたかない。ウイやヒロとは違って、こんな時「何か行動を起こさなければ!」という自責に捕らわれるのも、そのせいだと解っている。前に「俺にそういう行動を求めるな」とミカが言っていた事も、「俺もお前に求めない」と言ってもらえたことも、解っているのだが。

「お、面白い、ですよね」

解っていることと、それが出来ることは違うのだと思う。

つい余計な口をきいてしまい、「いや、特に」とミカに無感動に返されては、ですよねー、と場を盛り上げることもなく再び窓に張り付いて外に意識を向けるしかない。

馬車から見る町の様子が新鮮なのは本当だが、ミオの真意はそこにないのだから仕方がない。ただ会話のない空間で「そりゃ会話がなくても仕方ないよね」とはた目から見えるような状況に身を置くことで時間をやり過ごしているだけなのだ。

自分の意味のない行動に呆れられただろうか、と後悔していると、「俺は慣れてる」と、短い一言が付け加えられた。

もう一度ミカに視線を戻せば、彼はもう手元の書類に視線を戻していた。

(俺は慣れてる。ええと、慣れてる、から。馬車に慣れてるから窓から外を見ても特に面白いことはない、って事)

それを言いたかったミカの心境は?と考えていると。

見られていることに気づいたミカが、顔を上げた。

「なんだよ?」

「え?」

「お前、外見てるの面白いんだろ。そんなガッツリ張り付くくらい」

邪魔して悪かったな、と言ったミカが、好きなだけ外を見ろとでも言うように景色を指さす。

「はい」

「うん」

それだけ。たったそれだけの会話で、ミカは気を遣ってくれたのか、と思う。

そうなんですかと聞くのもおかしい。

おかしいけれど、そんな風にミカという人間を捉えられるようになった。

きっと、この馬車からの景色に慣れるくらいミカの家を行き来すれば、雅なふるまいをするミカにも馴染んでしまうだろう。

 

 

 

 

行きの馬車で、そんなことを軽く考えていた自分を恥じる。

(馴染むとか、馴染むとか、そんなの無理、無茶、無謀!)

到着した別邸は、ちょっとしたお屋敷だ。

納屋どころか、ミオの家より広い。下手すれば前庭にミオの実家がさっくり建ってしまいそうだ。

ミカが「ちょっと別邸に顔を出してくるけど、お前も来るか」と、何気なく訊ねてきたそれを真に受けた。

以前招かれた侯爵家の屋敷ではなく城下町にある自分専用の小さな家だ、と説明されて、なんとなく城下町にある家々を想像していたのだが規模が違った。

使用人も家の管理をしているのが一人二人…、という話ではなかったか。

到着早々、執事のアドルーとメイド二人に深々と頭を下げられ、挨拶もしどろもどろに、普通に友人の家に遊びに行った時のような挨拶をしてしまった。

以前侯爵家の屋敷に行ったときに教わったはずの社交的振る舞い、あれはドレスと共に脱ぎ捨ててどこに放り出してしまったのやら。

(やっぱり私は一人で立派にできない子でした!!)

あまり家に帰りたがらない様子のミカが、珍しく家に帰る…それも友人を伴って、という稀にない行動をとったものだから尻込みしていたらせっかくのミカの気が削がれてしまうやも、というそれだけで勢いついてきたのだが良かったのか悪かったのか…

やっぱりウイやヒロがいる時にすれば良かった、そう考えた時。

「おい、大丈夫か」

と、ミカに声をかけられて飛び上がりそうになる。

執事と短いやりとりをしていたミカがいつの間にか、ロビーで待っていたミオの傍に戻っていた。

「うわっ、はいっ、大丈夫、正気です!」

「いや待て、正気を失うほどかよ」

そんなに馬車辛かったか?前よりは短かっただろ、と見当違いの心配をされて、なんと答えようかと戸惑う。

「い、いえ本当に大丈夫ですので」

そう返していると、ミカの後から様子をうかがっていた執事のアドル―が穏やかに訪ねてくる。

「お嬢様は、どこか具合でも」

いえ私はお嬢様ではゴザイマセンし具合も悪くゴザイマセンですし何か失礼をしてしまいそうで倒れそうなだけです、とは言えず知らず後退ったのをミカに支えられた。

「あ」

「大丈夫だ、乗り慣れない馬車から降りて少し強張ってるだけだ」

な?と言われてただただ頷く。

では、と言いかける執事にミカが続ける。

「初めての対人には異様に緊張するからあまり構わないでやってくれ」

「さようでございましたか」

では私共は奥で控えておりましょう、と礼を取る執事に軽く「ウン」とうなずいたミカが、こっちだ、とミオを招く。

あのミカが庇ってくれたのは非常に珍しく、それは嬉しいことであるのだが。

子供でもないのに人見知りで、一人前の振る舞いをすることも出来ない人間、として見られるのは恥ずかしすぎた。

(今までそんな事思ったこともなかったのに)

ロビーから続く廊下へ進むミカに続いてその場を離れることに、何もできずただ執事に頭を下げていた。

返す彼のお辞儀は優雅な威厳があった。

「そんなに緊張しなくていいぞ。侯爵家の屋敷と違って、街なかにあるんだ。街の住人とも普段交流がある。特別お前の振る舞いをオカシイなんて思わないから普通にしてろ」

そういう場所だから連れてきたんだ、とミオに話しかけるミカが部屋の番号と手元の用紙を見比べながら廊下を進む。

「は、はあ」

それでも磨かれた壁や天井は荘厳な装飾がほどこされ、床には柔らかな毛並みの絨毯が敷かれている。明らかに別世界だ。

(あ、そっかー、宿からずっと歩いてここまで来てたら靴の泥で絨毯が汚れちゃうんだ)

近距離の馬車の意味を知る。そして今日の為におろした靴と訪問着で来て良かった、と何気なく思う。

「ここだな」

廊下の一番奥の部屋に入るミカに続いて、中に入る。

その円形の部屋には、重厚な本棚が一面に備え付けられ天窓から入る柔らかな光に磨かれた木の艶が存在感を放っていた。

中央に背丈ほどの地球儀と月球儀、その周りにソファーを置いて、この部屋は完成されていた。

気圧されたたずむミオを中に入れてミカが扉を閉める。

「ここに産業の資料が集められている、衣服関係は、…この棚だな」

手にした用紙を見て、このあたりだ、と本棚を示すミカについて、ミオもその本棚の前へ近寄った。

「好きに読めばいい。気になる本があるなら貸してやるから」

「え、ええー、でも」

本棚に並べられた本は、どれも高級そうだ。

気軽にミオがお小遣いで買える本とはまるで違うのは、手に取るまでもなく解る。

「なんだ?」

「お、恐れ多いというか」

「はあ?」

「き、綺麗すぎて」

ミカが本棚を見て。

「汚しちゃいそうで」

そう言ったミオを見る。

訪問着の一式として手袋はしているけれど、手袋をしたまま本をめくってはページもよれてしまうだろう。そんな躊躇いを口にしていると、ミカは目の前の棚から無造作に一冊を選んで、引き出した。

金箔が施された本だろうか。きらきらと光り、それに見惚れているとミカが軽く掌を返し、本の中から本を取り出して見せる。それで、金箔が施されているのは、ケースカバーなのだと気づいた。本そのものには、細密な刺繍が見える。それも一瞬。

「本とは、読まれるためにある。書き手は多く読んで欲しくて書くのだろうし、作り手は多く手に取ってもらいたくて飾り立てるんだろう」

ミカがケースを棚にしまい、本を広げ適当にページをめくる。さらりさらりと紙が立てる音さえも、心地よい。

「たとえ一切の汚れもなく傷もつかず宝石のように美しいままであっても誰にも読まれず手にさえも取られず暗い部屋に仕舞い込まれていることのほうが本にとっては不幸だと思うが」

そう言ったミカがその本を広げたままミオに差し出してくる。どんな感情も見せない、有無を言わせぬ気迫。時折ミカが見せるそうした気迫の前にはただただすくみあがるしかない。ミオは訳も分からず圧倒されるまま、差し出された本を両手で受け取った。

思っていたより、重い。

「宝石や美術品と同じに考える必要はない」

そう言われて顔を上げると、ミカが手を伸ばしてページをめくって見せた。

「これが高級だと思うなら、それは正しい。多くの手に読まれることを想定して、それに耐えうる上質な紙が使われる。多くの時間にさらされる事を想定して高級なインクが使われる。装丁や装飾の技術も同じだ。それは上流社会が本という遺産を守るためにとる手段だ。後世に伝えていかなければという意味での投資なんだ」

「後世、に?」

「何十年、何百年と読み続けられても耐えられるように、作られている。すなわち、何百年の後にまで読み継がれて欲しいという願いの象徴がこの装丁であり、この書き手の本意だ」

「本意」

「というのが、教師の教えだ」

と付け加えたミカは、再び本棚に手を伸ばす。

もう先ほどの気圧されるような空気はどこかへと散ったように見えた。

「俺もそう思う。実際町で気まぐれに手に入れる本には粗悪な造りの物も多いが、それが流行ものでなく保護するに値すると思えば持ち帰ったりもするな」

専門家に判断を仰ぎ作り直しを依頼したりな、と言ったミカが、これはそうさせた本だ、と新たな本をミオに差し出す。

持っていた本を手渡しそれを受け取る。

「それはうちの司書が作り直した本だ。お前が買ってきた刺繍の図録、あれも今判断させてる。不要なら戻ってくるから、そうしたらお前にやるよ」

「えっ、そんなっ?…え?」

次から次へと語られる情報量が多すぎて、ミオの頭の中で処理できない。何に驚き、何に戸惑っているのか、自分でもわからなかったが、ミカは気にするな、と言った。

「ヒロにもそうしてる。…まあ、あれだな、書籍の収集を手伝わせている事への報酬みたいなものだな」

「はー…」

しばし頭の中で整理する時間が欲しい。何をどう考えようかとすればめまいのようなものに襲われ。一番新しい情報に我に返った。

「あ、だからミカさんは、私たちに本を買ってきて欲しいって言う…」

言う、それが。

「ああっ!私、絵本とか買ってきちゃって…!!」

唐突に、以前ミカに頼まれた「本を買ってきてくれ」という使命がただ事ではなかったことを実感した。

後世に残す本を探しているというミカの希望には添わない。ただ皆で楽しめたらいいなという思いで選んだ本なのだ。

あれについてはミカはどう思っているのか聞くのも怖いが。

ミカはあっさりと口を開く。

「いや、絵本も侮れない。描かれた宗教的価値観や風習を読み解いていくと思わぬ思想に行きついたりするかもしれない」

「ええー…そ、そう?ですか?」

「と、あの本で気づいたところだ。お前の選別もなかなかない点を突いてくる」

あれ?誉められたかな?と思っていると、そういうわけだから、とミカが本をケースにしまい、本棚にしまった。

「ここにある本が綺麗すぎて汚れていないのはまださほど読まれていない、というだけだ。どうせこれから何百年と読み継がれて廃れていくんだ、今お前が読もうと読まなかろうと一緒だ」

「はあ」

「好きにしろ」

「はあ」

「それに、ここにあるのは俺個人の所有物だ。侯爵家として保存していくべき書物は屋敷の方で別にある。そっちは俺でも気軽に持ち出したりできないからな」

「本を、…ミカさんが個人的に集めるための別邸、って」

「うん」

「候…、侯爵家とは関係なく?」

 なぜか、ミカがわざわざ家の財産とは別に本を収集している、という話が気になって意識を集中させる。ミカは何げなく言った事のようだが、ミオの意識にひっかかった。

そのミオの不可解そうな反応に、ミカもしばし黙り込んだ。

自分で自分の話した内容をミオに指摘されて吟味している様子に、ミオもただその先を待つ。

「昔、高貴なるものの責務、という授業があって」

と、話し出したミカは、記憶の中を探る様に、視線を天窓へ向けた。

窓から落ちてくる光に、風に木々の葉を揺らめかせた影が交差する。光と影、今と昔。

「模擬実験として、社会貢献を成せ、という課題が出た」

「はあ」

「俺は、領民に書庫を開放する、という題目で教授に論議を持ち掛けた」

と言ったミカが、ミオに視線を戻す。

「お前も今、ここの本は高価だって言っただろ。ヒロの弟にしたって能力はあるのに本を買う余裕がなくて、学校にも縁がない。そういった層、日々の生活だけでゆとりもない層に向けて書庫の本を貸し出す。学識を得ることで能力のあるものがそれなりの地位を目指すことが出来る。社会全体の良識の底上げにもなる。その為に、各地に書庫を造る」

お前の村にも一軒、ヒロの村にも一軒、と言われてミオはやっとミカの言いたいことを理解した。

読みたい本がある。高価で手が出ない本、裁縫の本、世界の被服の本、それが村にあって、貸してもらう事ができる。父は喜ぶだろう。本を買いに遠くまで出かけなくても村に読みたいだけの本があって、いつでも借りることができるなら。

「すごいっ、それはすごく、素敵ですねっ」

「うん、それを形にするために教授と論議して、ある程度まで煮詰めて、どうしても越せない壁に突き当たった」

「え?」

「犯罪をどう防ぐか、って所だな」

領民に本を貸し出す、それはミオやヒロに貸すのとはわけが違う、とミカが言う。

「本を持ち逃げする、あるいは転売する、そういう犯罪行為にどう対処するかと問われて俺は決定的な答えが出せなかった」

当時のやり取りを思い出しながらの語りは淡々としたものだったが、本棚に背を預けて両腕を組んでいるミカの心境はいかばかりか。

視線は宙に定まっているけれど、ミカは恐らく昔の自分を見ている。それには容易く相槌を打つこともできない。

「あとは管理費や修繕費、人件費、それをどう賄っていくかという点と、継続して運営していく展望でも、性善説に頼り過ぎていて見通しが甘いと言われたんだったかな」

「……」

「結局、論議を詰めることができず方向を転換させられた。学校や教会、専門機関に、本を“寄贈する”というところに決着して、満点をもらったわけだ」

満点をもらった、というのはミカにとって皮肉な結果なのだろう。

昔の授業を語り終えたミカは、自嘲気味に笑って見せた。

「え、えーと…」

何かを言いたくて、でもミオにとってはあまりに厳しい話すぎて、どう反応すればいいかわからなくて口ごもると、そうだな、とミカがミオを見た。

「俺はまだそれを諦めきれなくて、何とかやってやれないか、って企んでいる」

そう言って、もたれかかっていた姿勢を正し、背後の本棚に手をかけた。

「という事だろうな」

「…あ、だから、それで、ここに本を」

「うん、本を集めるばかりで先に進めなかったが…、今はお前らがいるんだったな」

何とかなりそうだ、というミカは、もう過去からすっかり自分を切り離したように見える。

「は、はいっ、何とかしましょう!」

厳しい影がどこかへ消え、いつものミカの雰囲気に戻ったことに安堵して、ミオは咄嗟に同調したが。

「大体、満点をつけるために方向を転換させられたことが納得いかねえ」

と、再び目が据わるミカをみて困窮する。

「は、はあ」

「ダメならダメで、低い点つけりゃーいいだけの話じゃねーかよ」

本来の題目で何点もらえていたかが解らないだけに良策なのか愚策なのかがわかんねーじゃねえかよ、と言うミカが、なあ?!と同意を求めるのにもただ頷いて。

(これはいつものミカさんだ…)

と、嬉しくなる。

どちらのミカちゃんも本当のミカちゃんなんだよ、と、以前ウイは言っていたが。

貴族社会にいるミカと、自分たちの仲間でいる時のミカと。

(こっちのミカさんの方が、安心する)

貴族社会に身を置いているミカの姿は、常に何かを警戒しているかのようで落ち着かない。厳しく余裕がないようにも見えて、心配になるのだ。

それが。

「大体、あの教授も教授で、防犯に関する模範解答を出せなかったから論議がそれ以上進まなかったんじゃねえか」

今ならすげーわかるぜ、と独り言ちているミカに可笑しくなる。

ならその模範解答を出せたら満点ですね、と言おうとして、ミカの為に言葉を選ぶ。

「だったら、私たちが書庫を開放できたら、ミカさんの勝ちですねっ」

思った通り、それはミカの心に響いたようだ。

授業は勝ち負けで測るものではないのだろうけど、単純に勝負で勝つことに闘志を燃やすミカにとっては、勝ち判定で単純明快に過去が覆ることだろう。

「そうだな、勝てばいいんだよ勝てば」

「はいっ」

「じゃあ、まずは防犯学の定義を固める所からか、いや犯罪学が先か」

と、その場から颯爽と歩きだしたミカが、脚を止めてミオを振り返る。

「俺、別の部屋に行くけど、お前どうする?」

そう聞かれて、ミオは自分にできることを考える。

ミカが書庫を開放するために学ぶことは多いのだろう。それは自分には想像もできないほど高い学識が必要な事に違いない。そこには居場所はないと思う。

「わ、私は、えーと、ここで好きにしてます」

せっかくミカが連れてきてくれた場所だ。裁縫の本が好きなら、と連れてきてくれたのだから。

「ここで本を見て、本を借りる人になります」

書庫を開放するというミカと、解放された書庫を利用するミオと。

二つの光景は合わさって一つの景色を作り上げる。どちらが描けてもどちらかが描けないなら、展望とは言えない。

解った、と言ったミカが、ちょっと来い、と手招くので扉の前まで移動すると。

扉の横に掛けられている見取り図を指される。

「今いる部屋がここな、で、俺は2階のここにいる。何かあれば呼びに来いよ」

部屋から出て、ロビー、トイレ、階段、と辿って二階の部屋を指す。執事とメイドはここにいる、とロビーの奥を示されて頷く。

大丈夫、旅の間に地図の見方はしっかりと習った。初めての建物でも、地図を頭に入れて行動できる。

そう言えば、ミカも、そうだな、と頷いた。

「じゃあ、俺の方は用事が済んだら戻ってくる」

はい、と返事をすると、扉を開けたミカに、「閉めるか?」と聞かれて。

「あ、開けておいて下さいっ」

と答えれば、誰も来ないけどな、と笑われた。

(それはちょっとどうかと思う、な)

ミカの言う「誰も来ないように言ってある」は、侯爵家の人たちに通用しないのは学習済み。

だったら扉が開いている方が、気持ち的に楽だ。

そのまま部屋を出ていったミカをちょっと見送ってから、ミオはずっと手に持っていた本をソファーの傍の小机に置いて、帽子と鞄を置いた。手袋を外して、おもむろに部屋を一周する。

(これも旅の間で習ったこと)

初めての場所は、周囲の安全確保と逃走経路の確認、自分以外の存在を把握してから、ようやく自分もその場の一つになる。

全ての本棚を見て回って、「衣服はここだ」とミカが言っていた棚の前に立つ。

(豪華な装丁は、手に取ってもらう為の物)

そっと引き出し、両手で化粧ケースから本を出す。革の手触りはしっとりと馴染んだ。

(高級な素材は、読んでもらう為の物)

ページをめくれば、目に入る文字と初めて空気に触れるかのような紙の重みが、柔らかく感じられる。

緊張していたのも最初だけ、ページをめくる毎にミオはその本質に夢中になっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きます


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いのちの帰還

2017年06月26日 | ツアーズ SS

この国では、領主階級の現当主は家の名で呼ばれる。

当主である間は個人の名で呼ばれることはない、というそれは、公務に仕えている公人としての在り様だ。

どの当主も家の名を継いだ時から個人としての存在は決して公にしてはならない。

それでも、諸侯各家の治める領地の民は「我が主」に対しての特別な尊敬の念があり、非公認に彼ら特融の称呼がある。

ここレネーゼ家でも、それは同じだ。

最近では、屋敷に仕える者たちには親しみを込めて「お館様」と呼ばれ、自領地の民には「老侯爵様」と敬われている。

そう、ここ最近のことだ。どちらも、正統な後継者となる次の当主を認める意向がそうさせるのだ。

ただしこれは、純粋な歓迎ではない。歓迎のその陰に押し込められているのは、次こそはという切望だ。

(我が領地の民は、一度、正統後継者を失っている)

そうして失わせたのは自分だ、と老侯爵は馬車の窓から見える風景に、思いをはせる。

領民たちに正しく、次なる領主を約束すること。

個人の名を呼ばれることもなくなって数十年目の季節がやってくる。

 

 

 

 

馬車は、妻の暮らす別宅へと向かっていた。

公務の合間をぬって、季節ごとに訪れる地だった。

いつもなら、遠く離れて暮らす妻の元での滞在期間はお互いに言葉も少なく、ただ心を寄せ合うようにしてひっそりと過ぎる。

だが、今度の滞在は違う。

孫であるミカヅキが、初めて友人を紹介したいと申し入れをし、屋敷へ連れてきたことを話してやらねばならない。

あまり感情を表に出さない妻ではあるが、離れた地から届く手紙には、孫の成長を気遣う一文が必ず添えられているものだ。

それが妻にとってどのような意味合いで書いたものであるにしろ、友人を伴い屋敷に滞在させたミカヅキの変りようは、自分にとって非常に喜ばしいものであったという事実。きっと彼女の琴線にも触れることだろう。

個人の名を捨て、公人としての生き方を共にしてきた唯一の伴侶だ。

そう考え、ふと、数日前に口にした言葉を思い出す。

 

「儂は、芸術品を創ってしまったのかも知れぬ」

 

それは、レネーゼ候として生きてきた長い時間の中でも、ただの一度も自覚したことのない心根だった。

陽が上りきる前の穏やかな時間。ミカヅキが友人らと過ごす庭に目をやりながら、彼が初めて見せる子供らしい姿には感慨が漲る。

その様子を共に見やる少女に漏らした言葉。

なぜ、自分はそれを口にしてしまったのか。

孫ほども世代の離れた、年端も行かぬ少女にそれを聞かせてしまったのか。

今考えても分からない。

分からないが、それを口にして初めて、自分は孫をそんな風に見ていたのだ、と思い知る。

人間である彼を芸術品に例える感性はまさしく己のもの。公人としての名で偽っておきながら個としてある心根は非常に卑しい。

それに思い至り、言葉を失っている自分の隣で、やはり同じように彼の姿を目で追っていた少女はこちらを見ることもなく言った。

「お爺ちゃんは、それを後悔しているの?」

老侯爵と呼ばれる自分に気後れすることもなく、孫よりもよほど親身に会話をするのは、友人らの中でもただ一人、ウイという少女。

孫を取り巻く友人らの輪から外れて、ウイはよく自分に懐いた。他愛もない会話をする中でいつしか別懇となり、自分は気を許してしまったのかもしれない。

「後悔か、…そうだな、あんな姿を見てしまってはな」

と、胸の内にある卑しさを押し隠すように自嘲気味に吐き出せば、ウイが「そっかあ」と頬杖をついたまま答えた。二人の視線は、陽に輝くミカヅキの髪の光に向けられている。

正統後継者として教育され、それを全て吸収してきた子だ。

正しくあるべき道を僅かも逸れることがないよう、ただ己に課せられたものだけを見て成長してきた子だ。

それはレネーゼ家の思想であり、最も美しく家の体現を成した姿であるように思う。その美しさに、間違いはない。完璧な美として存在するように創られた正統後継者、そこに人らしいものは必要なかった。まさに、美術品だ。

自分は、ミカヅキの人としての中身を全て美術品の中に押し込め、完璧であるように作り上げたのではないか。

苦いものがこみ上げる。

彼が友人たちと話している姿は、上品でも優雅でもない。だが、そこには感情があった。自分の意志で会話をし、怒鳴ったり呆れたり、笑い声をあげたりする。

あの子も、そんな風に自分を持っていたのだと気づかされる。今更ながらそんな事に気づかされる自分の愚かしさが、苦くてたまらない。同時に、この先どうしてやるのが良いだろうか、と途方に暮れもするのだ。

それを。

「お爺ちゃんが後悔しちゃったら、ミカちゃんはきっと困ってしまうと思うよ」

と、ウイがこちらを向いた。

「なに?」

「だって、ミカちゃんはお爺ちゃんに喜んでもらいたくて完璧にならなくちゃ、って頑張ってきたんだもの」

そう言われて、言葉を飲み込む。

ウイは、こちらの苦さを振り払うかのような、眩い笑顔を見せた。

「ミカちゃんねえ、お爺ちゃんのこと大好きなんだよ」

その単純な言葉は、この場に似つかわしくない。

レネーゼ家という囲いの中にある、爵位という重みと歴史という厳しさが複雑に個を縛るこの庭において、粗末な玩具のようにそぐわない。

それなのに、自分はそれを軽んじることができなかった。

「ミカヅキが?…そう言ったかね?」

「言わなくても分かるよ、ミカちゃんは家とかどうでも良いの。どうでも良いけど、そこにお爺ちゃんがいるからどうでも良くないんだよ」

ウイたちを連れてくるときにねえ、とウイが再び庭の方へ目をやる。

「お爺ちゃんだけに紹介する、って言うの。お爺ちゃんならウイたちを受け入れてくれる、って言うんだよ。それってね、お爺ちゃんは絶対味方になってくれる、って信じてるんだよ。絶対の信頼だよ。家を飛び出しちゃうくらい嫌いでも、お爺ちゃんの元だけは飛び出せないんだよ」

それが、ミカヅキが帰ってきた理由か。

一方的に休職届一枚で飛び出し、世界という自由に放たれておきながら、家からは逃れられないと気づき絶望の果てに、戻ったわけではないのか。

ミカヅキは、自分をこんな風に育てた祖父に、まだ絶対の信頼を寄せているというか。

にわかには信じがたいウイの話に、どう反応すればいいか分からないでいると。

「あとねえ」と、可笑しそうに笑って見せた。

「ミカちゃんは正しいことが好きだよね」

「…正しいこと?」

「ミカちゃんは数学すごく好きでしょ。絶対正しい答えが出るから好きなんだって。音楽もそう、正しい音じゃないと許せないでしょ。酒場にいる時だって、お上品なふるまいは正しくない、って指摘されたら、お下品なふるまいを覚えなくちゃ、ってなってるでしょ」

剣の扱い方も、戦いの布陣も、「正しい」事がすべてだ。それこそが、ミカヅキは安心するのだ

それって教育されたから、っていうよりは生まれつき持ってるものなんだと思うよ、と言って。

「だから、お爺ちゃんを好きでいられるのは、お爺ちゃんが正しいって思ってるんだよ」

侯爵家の当主として、あるべき姿。それを、祖父の姿としてとらえ、自分もそれに倣う。家でもなく、教師でもなく、祖父ただ一人がミカヅキの求める正しさ。

「正しいって思ってるのに、お爺ちゃんがそれを間違ってた、って言っちゃったら、ミカちゃんは何を信じていいか分からなくなっちゃうよ」

「しかし」

「後悔先に立たず、って言います。いいですか」

「あ、ああ、…うむ」

孫ほどの少女に、一方的に説教をされる羽目になっているが、おそらく周囲には分からないだろう。

二人で睦まじく、会話を弾ませているようにみえるだろうか。

「それってなんでかな、って考えたんだけど」

「ふむ」

「自分が成長したからだよね」

こんな言葉を、少女が投げかけてくるとは想像だにしない。

「あの時こうすれば、ああすれば、って色々な手を講じられるのは、それだけ経験も知識も手に入れたからこそ思えるんだと思うの」

あの時の自分より、今の自分がはるか高みにいて、そこから手を伸ばしたがっている。

暗闇で惑い、何かに縋りたくて手を彷徨わせている過去の自分に。

でも、それに手を伸ばして良いのはお爺ちゃんじゃないんだよ、と少女が言う。

「ミカちゃんだよ」

その言葉に、光を見た。

自分で自分を救い上げることはできない。そこに見える自分は過去の幻影でしかない。この手には掴めない。だが、現実に今存在しているミカヅキにはこの手が届き、届いた彼は、もうただの美術品などではないのだ。そう語る少女から目が離せないでいる。

視線を逸らすことなく、「お爺ちゃんがミカちゃんを美術品だ、っていうの、ウイは不愉快にはならないよ」とウイが言う。

「だって、お屋敷にいるミカちゃんはとても綺麗だって、思うもの」

ミカヅキが仲間から正統後継者としての姿を認められている。そして。

「不愉快だな、って思うとしたら、お爺ちゃんが今のミカちゃんを否定することだけ」

お爺ちゃんはそうじゃなくて良かったよ、と、彼の祖父である姿勢をも認めて。

「人が美術品と違うのは、完成することがない、ってことじゃないかな?」

放たれた言葉は、わずか十数年を経た少女のものではなかった。人の在り方を長年見守ってきた者が持つ達観。

広く大きな見通しを持ち得るウイの言葉は淀みない。

「どうしても一人が人一人を育て上げるには限界があるんだよ」

多くの手が、一人を育てる。それは幾人もの育ての理想が複雑に絡み合い、育手の誰もがその一人に他人の影を見、自分の理想を貫き通せないことに絶望する。

生きている間、それは続いていく。多くの人間と関わり合い、絆を紡いで、ほどいて、それを繰り返すが為に、人は完成しないまま生涯を終えるのだ。

不完全であることを否定しない。

それは神の意志か。

「お爺ちゃんがミカちゃんを美術品のまま完成形にしてたら、ウイたちはミカちゃんに会えなかったよ」

だから正しい、とウイは言った。

美術品である彼を手放した。自由に放たれた彼は仲間を得て彼らの手で新たに育てあげられ、この手に戻ってきた。

「お爺ちゃんがそれを否定しなかったから、ミカちゃんは美術品である部分もそうでない部分も、どっちも正しいって認められて、ようやく安心するんだよ」

その言葉が聞こえたようなタイミングで、向こうのミカヅキがこちらを振り向く。それにウイが手を振り返し。

他愛ない言い合いをして、もおミカちゃんはしょーがないなー、なんて呟いてミカヅキの元へ駆けていく少女。

その後ろ姿に、母親と会見したミカヅキの言葉が思い起こされる。

あれは神の御使い。そう言っていたのではなかったか。苦し紛れにその場を切り抜けようと発した言葉ではなかった、とようやく思い知る。

彼は一度この手を離れた。

自分の跡目を継ぐものを別の人間に委ねる。それを迷っていたことも見透かされたかのように、ウイとの会話は御使いの答えだった。

 

 

 

 

 「私が彼を預かりましょう」

そう言ったのは、若きアルコーネ公爵。

近衛師団へ所属していたミカヅキを、対外交へと引き抜く話を自ら持ってきたあの日。

「それは公のお手を煩わせるのではありませんかな」

近衛でのミカヅキの評判は誰もが知るところだろう。個としては優秀、全としては異物。問題点が明らかに過ぎて周囲が手を出せない。

それを。

アルコーネ公爵は軽々と引き受けた。

「煩わされるのは私ではなく、私の部下たちですからね。その点のお気遣いはご無用に」

城の一角で向かい合った公と候の爵位、親子ほどの歳の差でありながらそれ以上の格の違いがある。

にこにこと人好きのする笑顔を絶やさず、レネーゼ侯爵をはるか高みから見下ろしてくる若きアルコーネ公爵のことを、あの時ばかりは無警戒に受け入れた。

受け入れて、ミカヅキの身を預けてしまった事を、本当に正しかったのかどうか、問い続けてきた。

「あの子は、貴方から引き離されるべきなのでしょう」

そう言ったアルコーネ公もまた、若くして爵位を継いだのだ。

上の世代に囲まれ、それに臆することなく公として城に身を置く彼の在り様が、ミカヅキの導になるならというわずかな期待。

それを公爵は突いたか。

「貴方は今、後継者の為に速やかに爵位を譲り渡す準備に余念がないように見受けられますが」

と前おいて言った言葉は、凄みを増す笑顔と共に今も思い出せる。

「私としては、出来得る限り長く、…そうですね生涯現役とでも言うか…、貴方が命を終えるその瞬間まで爵位にしがみ付いていて頂きたいと思っておりますよ」

その真意。

確かに自分は本館をミカヅキに明け渡し、領地の民へのお披露目も兼ねて視察に必ず同行させ、諸侯らが集まる場への同席も義務付けてきた。

不幸にも世代が一回り下となってしまった孫の地盤を、せめて自分の権力が最大限に活かせるうちに、盤石に整えておいてやりたかったからだが。

その行いのいずれをも、目の前の公は一蹴する。

「掛け値なしの私の真意として」

と言ったアルコーネ公が、それまでの威圧を捨て、無邪気に笑う。

「純粋に、貴方を父の様にもお慕いしているからです。出来るだけ長く爵位を共にし貴方から多く学びたい」

そうは言っても我々の関係でそれが通るとも思えないので貴方の愛孫をダシにさせていただくのですが、と続ける。

「彼は、あまりにも早く成熟してしまった。それが、周囲との摩擦を生んでいるように思えてならないのです」

例えば学校で、例えば近衛師団で、彼が一人浮いてしまうのは周囲が彼を押し上げているからに他ならない。

同世代は言わずもがな、教師や上官に至っては積極的に、正統後継者という存在を周囲と切り離さなければならないと、必死になっている。

「問題は、ミカヅキの方にあるのではないと?」

「ええ、彼はむしろ害を被っているばかりでは?それで、正せと言われても理解できないでいるのでしょう」

「それは、公にも経験がおありか」

「どうでしょうねえ、私はそこをうまく利用してきた人間なので彼の苦労には何一つ同情できませんが」

ああそうか。ダシにされているのは、自分への敬慕の念か。

彼の柔らかな語り口に耳を傾けながら、それを確信する。確信したからこそ、ミカヅキを手放そうと思ったのだ。

アルコーネ公は、自分の意のままに、ミカヅキを後継者として作り上げる機会を欲している。

「私の部下の中に、レネーゼ候の令孫に敬服するような者はおりませんよ」

公爵という位格がそれをさせない、と言い切る。

アルコーネ公との付き合いは長い。先代から「息子を頼みます」と強く握られた手は今もその感覚を忘れてはいない。

その手を、今度は先代から託された青年が、「頼って欲しい」と伸べてくること。

自分の意のままに、公爵という立場にとって都合のいいように、侯爵家の一柱を作り上げようとする人物へミカヅキを預けることに、…己もまた敬慕の念を利用した。

情でさえも、互いの首に刃を突き付け合うような世界で、何が正しいかを知れる機会はそうそうにない。

だが、ウイは言ったのだ。神の御使いの言葉で。

人が人一人を育て上げることに限界はある、と。

その限界が来る前に、ミカヅキは仲間を得たということなのだろう。

彼らは未熟な者同士であるがゆえに、互いに育て、育てられる関係。どんなことにも互いの成長が影響しあって、共に手を伸ばし、先に、後に、数多の困難も乗り越えてきたのだろうと思えた。

戻った三日月に紹介されたあの子たちは、本当に奇跡的な調和で仲間として成り立っている。

それを受け入れてもらえるとミカヅキがこの祖父を信じているのなら、勿論。自分もミカヅキが正しい道を行くのだと信じ、彼を大いなる高みへと委ねよう。

 

「そうだな、不完全であることも美しいと称えられるのもまた、人の持つ感性よな」

 

走り続ける馬車の中で思わずつぶやいた言葉は、長年の腹心を務めてくれているリストルへの返事でもある。

彼もまたミカヅキを幼少期から見守ってきた一人だ。ミカヅキの変わりように驚き、戸惑い、それでもミカヅキの前では動揺を押し隠して平常にふるまってはいたが。

こうして二人きりになると、滞在していた間のミカヅキの動向を事細かく思い起こしては興奮気味に口にする。

もうその話は何度目かね、とからかっていながら、何度でもその話に相槌をうつ始末だ。

「だって本当に驚いたんですよ、あのミカヅキ様がねえ」

と、仲間たちの前ではつい気が緩んでしまうのだろうミカヅキの、下町の俗っぽい言動を取り上げて顔をしかめつつ、最後には

「でも見慣れてしまうと、意外とミカヅキ様には似合っているような気がしてくるのが不思議でして」

もっとお傍で拝見していたかったくらいで、と、なんだかんだ嬉しそうなのが、いつもの流れだ。

それに合相槌を打ったのが、先のセリフ。主のいつもと違う反応に、リストルもやや面食らったようだ。すぐに身を乗り出す。

「いえいえ、私はやはり夜会でのミカヅキ様に一番感動いたしましたとも!あれこそが、完全なる美しさ、というもの。あれほど完璧な立ち居振る舞いを見せられては、親戚筋の皆様方もこの先うるさくは口出しなされませんでしょう」

「…どうかな、さらに口うるさくなるかも知れん」

「まさか!ミカヅキ様がそれをさせませんよ」

その意外な言葉の熱にリストルを見返せば、させません、ともう一度強く言い切った。

リストルの真意を読み取って、そうか、と答えれば、そうですとも、と請け負う。

「長かったな」

というつぶやきには、リストルも黙って頷いて見せた。

共にミカヅキの成長を見守ってきた同志だ。リストルもまた、ミカヅキが心を寄せる友を得たことで後継者として安定し、立つことができるようになったのだと認識している。

人としてミカヅキに欠けていたもの。それを埋め合わせてくれる存在。

本来なら幼少の頃より、そのような友をつけてやるべきだったのだ。

まだ幼い身でありながら聡明さを作り上げられたばかりに、ミカヅキは自分の立場を恐れた。

自分の身に何かあれば周囲が叱責を受けること、大人たちが自分に平伏すること、それがどういう事か、敏いあまりにすべてを理解していた。

後継者に害を成すものは徹底的に排除される。人でも、物でも、環境でも、それが後継者の生育の障害になると解れば、周囲の大人たちは騒ぎ立て、自分はそこから遠ざけられる。今思えば、まだ柔すぎる精神にはひどく恐ろしい光景だったのだろう。

ミカヅキは共に成長を支え合うために紹介される諸侯の子息たちともうまくいかず何度も顔ぶれが変わった。

自分の行動一つで、誰かが懲罰を受ける。後継者に対する態度がなっていないと厳しくしつけられる子供たちからの隠しきれない不満さえも敏感に感じ取って、やがて自分から彼らを疎遠にするようになり。

ある日、その全てから逃げた。

「友も従者も必要ではありません」

その宣言は、あまりにも愚かだった。

人に関わり、関わった人間に自分の行動が害を及ぼす事から逃げたのだ。

だがそれこそが、ミカヅキのとれる唯一の自己防衛だと気づいた自分には、それを取り上げることが出来なかった。

あの頃。

レネーゼを冠するものは、二度と失うまいという狂気に満ちていた。

ミカヅキへの後継者教育にしろ、後継者となる代わりに従者を排除しろという要求にしろ。

次期後継者キサラギ、その命が失われたことの呪縛。

その呪縛から、やっとミカヅキは解放されたのた。

 

 

 

 

レネーゼ侯爵の第一子である正統後継者は、キサラギと名付けられた。

大病や重篤な怪我とも無縁で、心身ともに健やかに育った。

後継者である本分を忘れず、周囲からの人望も篤く、そのくせ身軽で、どこへでも出向いては気さくに場を和ませ自然と人を集め期待を高めるような存在だった。

子供の頃から友人たちの困難には力を尽くし、手と手を取り合い乗り越えてきた。上の方々には真摯に学び、下の者には良き手本となった。妹には愛情をかけ彼女の結婚には奔走し、両親の助けとなる事を誇り、己と領民たちの幸福とは何かを考え、領主になるべくして生まれてきたような子だと思っていた。

誰もが、彼を望んだ。

現侯爵と次期後継者、レネーゼの領は今までにない良き治世になるだろうと誰もが信じていた。

それがどうして、あのような運命へと転がり落ちてしまったのか。

どうしても解らない。どう考えてもどこに落ち度があったのか解らない。

あの子が何に惑い、何に苦しめられ、何に絶望したのか。もう永久に解らない。

あの子は、ある日突然、壊れたのだ。

それはあまりにも突然のことで、あまりにも悲惨で、おいそれと周囲に知らせることも出来なかった。

屋敷の者たちからも隔離し、遠く離れた場所で「静養」という名目で、幽閉するしかなかった。

それまで優秀過ぎる人生を歩んできていた彼は30を目前にして、まるで4つや5つの幼子のように精神を退行していた。

片言で会話もままならない、無邪気に幼児の玩具に夢中になり、どこででも寝ては、気まぐれに食べる、そんな奇行を繰り返した。

ありとあらゆる識者に相談もした。外の国へも出向いた。それでも「心の病だろうか」というばかりで改善は見られない。

それだけならどんな手を尽くしてでも辛抱強く彼の回復を待てただろう。

何よりも耐えがたかったのは、父親である自分が顔を見せれば、絶叫し、悪魔がきた恐ろしいものがきたと逃げ惑う姿だった。

静養から一向に戻ってこない後継者、日に日にやつれ生気をなくしていく候主に、屋敷の者も、その噂を伝え聞く領地の者たちも、不安ばかりを募らせていた数年。

前国王から、助けてやれることはないか、と声をかけられ、その密室で慟哭した。

「あの子を亡き者にしてやってください」と懇願する声に、前国王の頷く気配だけがあった。

面を上げることはできなかった。

その数か月後、レネーゼの領地は喪に服すことになる。

前国王の名で、国葬級の葬儀が執り行われた。

居合わせた誰もが彼の死を悼み、領土は悲哀に満ちていながら、これで良かったのだと言い聞かせる自分の声だけが胸に響く。

長き静養の末の葬儀ということもあり、故人の尊厳のために決して開かれることのない棺が送られていく。

棺。あの棺が空であることを知っているのは、二人だけ。

あの日、あの密会で交わされた懇願を知っている者。この領地では自分と前国王の二人だけだ。

幼児退行した息子が恐れるものが候主である自分である以上、彼を手元に戻すわけにはいかない。まして治癒したとして再び次期後継者としての責務を負わせればまた同じことが起きるのではないか。秘密裏に識者たちの意見を総合した結果、下した現候主としての、…いや、父親としての判断だった。

公に葬儀を執り行い、キサラギ・レネーゼという人物をこの世界から抹消した。

死んだものとされ名を名乗ることも家も領地も帰るべき国さえも奪われたとしても、それであの子が生きていけるのであれば。

「前国王の名において、どうかキサラギ・レネーゼをこの世から抹殺して下さい」

忠誠を誓い、命を預けていた前国王に対して、レネーゼ候としてではなく、一人の父親としての嘆願だった。

領民の運命すべてを背負っていながら、戦うことを放棄した許されざる行為だ。

それを、聞き届けたかつての主は言った。

「わしは王の冠を次に渡した。そちに侯であれと望む道理もない」

その言葉は、永久に光射すことのない暗黒に身を置くことになる自分には、たった一つの救い。

大罪を犯したこの自分に、ただそれだけを言って密室を出ていった前国王。外からの光に浮かび上がる輪郭。思えばあの後姿が、最期になった。

今ではもう、この秘密を抱えているのもただ一人。犯した罪を抱え、これを死の淵までもっていく。

叶うならば、どうかあの子にとっても救いであるようにと、それだけを願う。

 

 

 

「何者かの馬車が立ち往生しているようでございますね」

妻の居住へ到着し、その門を越えた先で待たされていると、様子を見てまいりますと馬車を降りたリストルがほどなくして戻ってきた。

車輪の緩みに手間取っているのだとか、という報告には、「待つことは構わぬ。それよりも修理は万全に整えるよう伝えなさい」と、返答する。

ここを訪れる時には紋章を付けない覆面の馬車であるのが常だ。向こうの馬車で困っている人物にも候主であるという事は知れぬだろう。それよりも、この先の田舎道で再び不具合が起これば、人を呼ぶにも困難だろう、という考えがあってのことだが。

会話の為に開かれた細い扉の隙間から向こうにある馬車を見て、そうか、と思い至る。妻の元を訪れる馬車であれば、こちらと同じようにあえて紋章入りでない事もあるか。親戚筋と言うかの性もある。それを確かめるためにまたリストルを往復させるのも気の毒だと、馬車の修理を待つ人物がここから伺えないものか、目を凝らし。

木陰で待つ人影を見つける。その後ろ姿は、聖職者のようであった。教会の衣であることが分かって、妻が呼んだ教師かと推測する。

ここで暮らす妻は、教師として、博識者や賢者といった知の者たちを招いて多くを学ぶ生活を主にしている。

おそらく、そのうちの一人であるのだろう。

先に子を亡くすという母親としては耐えがたい現実にも、彼女は気丈にふるまってはいたが、その悲しみは耐えがたいものであることは理解できる。

自分たちは、公務を優先するがために、手を取り合い悲しみを共有することもしなかった。次の正統後継者を選ぶ迄はと、激務に追われ、ミカヅキを迎え入れた時に、彼女もまた倒れたのだ。もうこれ以上失う事には耐えられそうもない、と、彼女をこの離宮へ離したのは自分だ。

ミカヅキの後継者教育が始まる。それは、自分たちの息子がたどってきた時間を、再び一から始めることだった。レネーゼの伝統と格式が、後継者を作り上げていく。だが繰り返されるそれは同じでも、そこにいるのは息子ではない。その乖離に、妻もまた壊れてしまうのではないかと恐れ、遠ざけた。

だが遠ざけても彼女は公人としてあった。もうそれ以外の生き方はできないのかもしれない。

心の傷を癒すよりも、教師たちから学び、己の考えを高めて、レネーゼの統治をはるか遠くから見分することに専念している。それこそが彼女にとっての治癒なのだろうか。そう考え、好きにさせているのだが。

視界の端で、聖職者の元に御者の一人が駆けていく様子が見えた。

修理が終わったか、と扉を閉めようとして、その光景に目が釘付けになる。

聖職者は二人いたようだ。木陰にいた一人が、傍らで立ち上がろうとする一人に手を貸している。見るからに老齢の彼に付き従って、馬車の方へと誘導する姿。

ここからでは確かな相貌は見て取れない。だが、その立ち姿に胸が締め付けられるような痛みを訴える。

頭に鳴り響く鼓動の中、細い視界をゆっくりと横切ったその人影はあっさりと消え。それを追うために扉を開くかどうかを逡巡している時間は、永遠の責め苦のようにも感じられた。

聞こえているはずの馬車外からの物音も脳に情報を伝えるものではなく、無秩序なざわめき。リストルが戻って来、あちらの馬車は無事発ったようだ、と告げられ、喪失感に絶望する。責め苦からの解放にもたらされた喪失感は、失う前よりもずっと、この身を苛んだ。

 

 

 

 

「奥方様が数年前から招いておられる博識者のお一人のようです。なんでも、放浪の賢者、と呼ばれているとか。定住地を持たず気ままに巡り歩いているので、近くに寄った時は顔を見せる、という程度のようですが」

馬車を館の前まで着ける間の短い時間で、如才なく相手の情報を伝えてくるリストルには気づかれていない。普段通りにふるまえている、という自覚があった。自負ではない、多くの時間を公人として費やしてきた功だ。

そしてリストルもまた、公人の側近として筆舌に尽くしがたい研鑽に人生を費やしているのだ。この後も、互いの間で放浪の賢者に付き従う人物について触れられることはないだろう。

だが妻は。

ここへ別居を構えて以来、初めてこの自分を出迎えに出てきた妻は、らしくもなく動揺して、両腕を掴んできた。

「嗚呼、今日おいで下さるのだと分かっていれば、もう少し…」

もう少し早く、と言いたかったのか、遅く、と言いたかったのか。

どちらであっても、公人として個の内面を一切晒すことのできない彼女の箍が外れたのであれば、もう許されてもいいのではないかという思いと、決して許されるはずのない箍を自分がはめなおさなければならない重み。

それを知るはずもなく、妻はため息のように胸の内を吐き出した。

「お引止めしておくのだったわ」

その様子は痛ましくもあり、愛おしくもあった。

妻は何時であっても、この自分の手を煩わせることもなく、再び公人としての立ち位置に戻っていくのだ。

「放浪の賢者様、かね」

と、殊更朗らかに響くよう声を上げれば、彼女が驚いたように顔を上げる。それに頷き、「ちょうど発つ折、後ろ姿を拝見したものでね」と言えば、それで彼女もすべてを察したのだろう。

「とても博識な方だと耳にしたばかり。詳しくは君から聞きたいと思っていたところだ」

ここではない場所で、屋敷の者たちから離れられる場所で、という暗黙の了解にただ頷く。それを労わる様に肩を抱いて、裏庭に面したテラスへと歩を並べた。

「数年前からお招きしているという事は聞かされたが」

その通りです、と囁く声音は庭の低木に吸い込まれ、鳥のさえずりと混ざり合う。そうでなくとも久方ぶりの夫婦の語らいに耳を傾ける無粋な者はこの屋敷にはいないだろう。

それでも。

「何度か、手紙にしたためようと考えては、取りやめてまいりました」

それでも口に出せない真実がある。口に出せない以上、文字に表すこともできない。

「ならばせめて候主が訪れた時に、とも思ったのですが、やはりご本人がいらした方が良いのではないかしらと考えもあって」

考えている間に数年経ってしまいましたわ、という妻の視線は、言い出せなかった時間を追うように緑を彷徨う。

数年の間、見事に隠し通した彼女の精神力には、いまさら驚かされたりはしない。

どういった方かね、と尋ねれば、数年前に実家へ出向いた際に、姪の一人が河川の事故に立ち往生していた所を助けられた礼として屋敷でもてなしていた場に居合わせたのですわ、と淡々と説明をする。実家で何度も説教を聞き、感銘を受け、ぜひ我が屋敷でも、と招いたのだという。

「多くの聖職者にも慕われているようで、いつも供に付けている者の顔ぶれが違いますの」

今日は珍しくお二人でいらしたわ、という横顔から感情はうかがい知れない。動揺は、あの一時だけだった。

彼女の真実の言葉を聞き出す機会は失われてしまったのか。知りたい事は数多あるだろう。問いただしたい事も、詰りたい思いもあるだろう。だがそれらを胸の内に秘め、自分がいかに放浪の賢者の説教に心奪われたのかを離して聞かせる。

「放浪の賢者、と言われるのは、各地を彷徨う生き様を言うのではありませんのよ」

「ほう」

「何物にもとらわれない思考を呼称しているのです」

国も、地位にも、時間にもとらわれず、自由自在にありとあらゆる者の立場にたって思考することができる者。それゆえに思考は深く、淀むことなく、おおらかに全ての命を包み込むようにして流れていく。

「私は、ただそこから語られる言葉の奔流に身を委ねる事で心が洗われるような気がしたものですから」

だから貴方様にも賢者様との時間を用意して差し上げたかっただけです、と言った彼女の言葉に嘘はないだろう。

真実を知った彼女が、何年もそれを自分に打ち明けなかったのは。何度も文面を考えて逡巡し、結局文字にすらできなかったのは。

先ほどに出迎えた彼女の目の色で解る。慈愛だ。

生涯の伴侶である者にさえも真実を打ち明けることのできない立場を憐れみ、なぜ打ち明けてくれぬのだと恨み言一つ吐き出せぬ立場を憐れむ。…妻は、そこからすでに遠く離れた場所にいる。おそらくは、放浪の賢者の言葉の奔流によって、憐れむという境地から抜け出し、未だそこへ留まる夫を救い出そうとしているのだ。

ーそれに手を伸ばして良いのはお爺ちゃんじゃないんだよ

そう言ったウイの言葉が蘇る。

誰もが自身の胸の内にある暗く深い場所へ沈めているもの、そこへ必死に手を伸ばしていては諸共に沈んでいくばかり。そういう事だろう。

「なるほど、君がその方に信頼を置いているというのはとても喜ばしいことだ」

そういえば、では、と顔を上げた妻と、ここに来て初めて視線が合う。だから。弱い夫を責めることなく、強くあろうとした妻の慈愛に敬意をこめて頷いた。

「だが私は神の言葉に耳を貸すことができぬ」

国に、王に、忠誠を誓う者として。時には、王に従うために神の言葉さえも振り切らねばならない立場に身を置くものとして、せめて真摯に神に向き合うためにと、レネーゼの名を継いだ時から神の御前に首を垂れることなかれと律したのだ。

「かの者が聖職者としてある以上、私は会見するわけにはいかないだろう」

「そんな」

「今、ミカヅキが後継者として起った」

そういえば、頑迷な夫の言葉を非難するようだった妻の表情が変わった。ミカヅキが、とつぶやく様子に、もう一度頷く。

「私は今度こそ正しく次期候主を領民に約束しなければならない。それを、これ以上なく喜ばしい事として受け入れられる自分に誇りを持っているよ」

この言葉で、妻には理解をもらえるだろうか。

後悔はない。人らしさを奪ったミカヅキに対しても、悲嘆を味合わせた領民に対しても、命を奪った息子に対しても。

悔やんでいる余裕はない。この先の時間は全て、次期候主の為に。レネーゼの名を継ぐ者のために全霊を注ぐ。

「だからどうか君が」

この愚かな決断とのちに向かい合う事になるのだとしても。

今は、手を伸べる相手を間違うわけにはいかない。

「私の分まで、聖職者らの言葉を聞き、過つ私の道を照らして欲しい」

名を呼ぶことも許されないばかりか、まったくの他人として互いに言葉を交わせない状況であっても、妻が望むのであればそれを取り上げることはするまい。

儂の前では候であれとは望まぬ、その御言葉を支えに、年に数回あるかないかの僅かな時間くらいはせめて守ってやれるだろう。

二人で手を取り合い、悲しみを分かち合うことのできなかった時間を埋める。

限りある時間全てを使っても、埋められないものを埋めるのは今この時だけ。

「私は言葉でなく、君の在り方に救われているのだよ」

だからもう、二度と口にできない真実もこの身に預けてくれればいい。

望むように彼の者の言葉に耳を傾け、それを語りたいと思うのならば心ばかりは寄り添うつもりだ。

しばらく目を閉じて押し黙っていた妻は、軽い落胆を見せた。

「殿方というものは、新しい戦が始まればすぐそちらに行ってしまわれるものですものね」

「う、うん?」

唐突な詰りにうまく言葉を返せないでいると、彼女は顔をあげて見返してきた。

「大舘様のお言葉ですわ」

それは、先々代である自分の祖父の事か。

「貴方との婚儀の前に、そういうものだから許せよ、と仰っていました」

なので許します、と言われても、しばらくピンとこなかったが、そういえばこれは彼女流の皮肉だったか、と思い至る。

もうそんなことも簡単に解らないほど、自分たちは長く互いに向き合っていなかったのか。切なくやるせない思いに、ただ苦笑するしかない。

「ご婦人方には戦の後始末ばかり押し付けて申し訳ないね」

若かりし頃。家と家の契約として婚約し、根っから気の合わない自分たちは、度々皮肉に皮肉の応酬を周囲に見せつけては、「とても気が合うのですね」と感心されていたものだ。それを妻も思い出したのだろう。さらに強烈な皮肉が返ってきた。

「貴方様には、負け戦などに二の足踏まずさっさと次の戦へお行きなさいと言ってあげるべきでしたわね」

強烈な皮肉に互いを傷つけて、涙を見せるのはいつも彼女の方だった。

だからいつしか、自分は皮肉をただ聞き流すようになっていたのだ。

「私が言わねばならなかったのですわ。…ミカヅキの為にも」

そういって背を向ける彼女に近づく。

「ここまで、とても長くかかったが」

先ほど、リストルと分かち合った言葉をもう一度口にして、妻の肩を抱く。

「遅かった、とは言わせぬよ」

レネーゼの名に懸けて。

その言葉に、妻もしっかりと手を握り返してきた。

「もちろんですわ」

もう一度、戦いの場へ戻る。

「存分に戦いに身を投じていらっしゃいまし」

手に手をとって。

「私は、貴方様の後顧の憂いを絶つべく在るものですわ」

もう二度と深淵に沈まないように。

この手は、誰かを救うために。

そしてもう一つの手は、誰かに救われるために。

救われていいのだと己を許すこともまた、強靭さの証になる。

そうして人が人を強くする。長い命の旅の中で、人が人を育てる。

どんなに愛しくても他人の人生を背負えぬ苦渋の果てに、命は巡り巡って彼方を救う大いなる流れに身を投じる。

強く生きよ。

命が生まれる理由は、ただそれだけ。

それだけであることを、あの子に伝えることが今更叶うなら。

叶うなら、この生き様を通して。

 

強さとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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こわれる

2017年03月21日 | ツアーズ SS

昨夜から降り出した雨が、まだ降り続いている。

今日はお休みだね、とウイが言ったように、船で各自が気ままに過ごす日になった。

昼食の準備も終えて、さて午前は何をして過ごそうか、と自分の部屋に戻った所。

ヒロが戻ってきたのを察知して、ミカが顔を出した。

「ヒロ、すまん。壊れた」

と、そういって差し出してくるものを片手に受け取る。

見れば、昔ヒロがミカの為に自作した剣柄飾りだった。

銅板細工に宝石の加工で崩れ落ちた屑石をちりばめた物が、半分に割れている。

「ああ」

「直るか?」

と聞いてくるミカは真剣そのものだが。

製作者にしてみれば、こんな、旅の合間の暇つぶし程度に作ったちゃっちい物が、今まで欠けたり歪んだりしなかったことの方が不思議だ。

「いや、これは」

と言いかけ、そういえばこれを渡したとき、ミカは、「剣は振り回す。柄に付けると壊れるから、どーしても着けさせたいならこっちにしろ」と、鞄の内袋を絞める金具に付けさせてくれたのだったか。

「直そうと思えば貼り付けることもできるけど、元通りにはならないな」

頑丈にすれば接着面が不細工になるし、それを整えれば耐久性が落ちる。落ちて、結局また同じように割れるだろう。

そう説明すれば、そうなのか、と心なしか消沈したように呟く。

ミカは申し訳なさそうではあるけれど、よくまあ大事にしてくれたものだ、と思う。

「しょうがねえよ、これ作った時は材料もあり合わせだったし、金もかけてねーもん」

今ならもっと材料も良いものを揃えられる。

「ミカが欲しいなら、新しいの作ってやるけど?」

と言えば、いや別に欲しいわけじゃない、と一切の迷いもない答えが返ってくる。

「…そこはさあ、新しいの欲しいなあ、とか言って俺を嬉しがらせるところでしょーよ」

「いや、必要ない物なんだから仕方ないだろ」

まったく、こういう奴だよ、とヒロは手の中にあるそれを、工具箱の中へとしまう。

「どうするんだ、それ」

「まあ何か使えることがあるだろ」

その時までとっておく、と言えばミカは、必要ないなら返せ、と片手を出してくる。

「はあ?何?壊れてんだぞ?どーすんだよ」

「ないと落ち着かないじゃないか」

「ええー、意味わかんねえ」

本当に意味が解らないが、ミカは言い出したら聞かない。仕方なくそれを取り出し、まあ気休め程度だぞ、と言いながら割れたそれを貼り付ける作業に入る。

割れた断面を接着して、まあ補強に周囲をぐるりと固めておくか、と考えながら小机に向かうヒロを見て、ミカも傍にあった椅子を引き寄せる。どうも作業を見る構えだ。

「新しいの作った方が確実なのに」

「新しいのじゃ意味ねーだろ。今まであったものがなくなる、ってのが落ち着かなくて嫌なんだ」

「なんか、それはミカらしくないな」

「どういうことだ?」

軽い言い合い、作業をすすめながらヒロは旅の間に見るミカの行動を思った。

「ミカは物が壊れたらすぐ買い替えるじゃん。服とか、道具とか」

「道具なんか壊れた時点で元の役目をなさないじゃないか。服は着心地が不快そのものだ。それを耐えてまで使う意味がわからない」

「耐えて、っていうか」

そもそもヒロの村では物資そのものが少ないのだ。壊れたからと言って新しいものがすぐ調達できるわけではない。

だから村にいる人間は誰でも、一つの物を長く使う。そればかりか多くの家で共有する。そして手入れを欠かさず、修理して修理して、長く使い続けられる道具はもう代わりが聞かないくらい自分たちの一部になるのだ。

「ああそうやってきたから、お前は器用なんだな、っていうのは解るけどな」

「そうだな、それが出来ないと話にならないからな」

ミカは、こんな風に認めてくれるからいい。壊れたものを修理して使う、そのことを呆れはするけれど、ヒロの意志を尊重してくれるのが解る。

そこが、今までに会った金銭的に裕福な人間との決定的な違いだった。

「商隊とか、冒険者のパーティとかでさ、色んな人間と組んできたけど、大体皆大金が入るとそれを大っぴらに使いたがるのな。消耗品もケチケチせず余らすほど使うし、物も雑に扱って壊して買い足すし、武具だって手入れする手間が面倒だから、って新しいものに買い替えるしな」

俺は下っ端の組みだったから、そういった上の人間を黙ってみてるだけだったけどさ、金銭感覚麻痺すんのかな、というヒロの話をミカはただ黙って聞いている。

ヒロの言いたいことを最後まで聞く構えなのは、もう慣れたことだ。

「俺も有り余るほどの大金が手に入ったらそういう感覚になんのかなって思ってたんだけど、ミカを見て衝撃受けたっていうか」

旅の間、裕福な人間たちの荒い金遣いをこれでもかと見せられたヒロにしてみれば、すごく意外だった事だ。

ミカも例外なく金遣いは荒い。値段も見ずに物を買うし、買ってから求めていた物と違えばさっさと手放す。

だが金と物にたいして執着がないのかと思えば、そうではなかった。

ミカは、物を大事にする。

出会った当初は「下町では荒々しい行動をとらねば」という間違った認識で身の回りの物も敢えて粗雑に扱っていたようだが、「普段通りにした方が良いよ」と言ってやってからは、物音を立てないくらい丁寧に、あるいは慎重に、物を取り扱うようになった。

それまでの行動との相違が興味深く、よくよく見ていれば、人の手の入っていない森や山でもむやみに草地を踏み荒らしたり木々を破壊したりすることも控えているようだった。

そこまでしなくても、と言えば、普段通りだが?と不思議そうにしていたので、本当にミカにとってはそれが当然の行動なのだろう。

武器の手入れもマメにする。粗末な消耗品でも、むやみに寿命を縮めるような使い方はしない。

ヒロの作ったこんな他愛ない物でさえも、今の今まで壊れないように丁寧に扱ってくれていた事からも分かることだ。

「金遣い荒いのに、物に対してはすげえ俺と価値観似てねえ?そこが、なんか不思議でさ」

「そう教育されたからな」

と、ヒロの作業を見守りながらミカが言う。

「教育」

学校かあ、と感心したようにつぶやくと、いや、とミカが続ける。

「家だな。まず、家の教育がある。諸侯階級の子息なら、誰も同じように教育されるだろう。領地の資源には限りがある。今ある物は有限だ。資源も資産も領民も、失えば失うほど限りが見えてくる」

その行く末は、破滅だ。

だから領地を支配する階級の人間は徹底的に教育される。今ある資源は枯渇するものなのだという認識がある。

ミカはその認識がどんな些細な物に対しても働くのだろう。

小瓶一つでも割れないように工夫して持ち歩く。普段から丁寧に取り扱い、それでも割れた場合は、機能が失われたものとして新しい物に買い替える。

「再利用する、という選択はなかったな」

「習わないからか」

「そうだな」

「下町では結構当たり前にやってるぞ。割れたガラス回収とか壊れた金物回収して作り直すんだ」

「古着屋なんてものもあるしな」

実際出てこないとわからないものだ、と言ったミカが、俺がそうした教育をされなかったように、と続ける。

「お前が見てきた裕福な人間とやらは、上の階級が当たり前に受ける教育の機会はなかったんだろう」

教育もなしに、ただ大金を手に入れるということが危ういと解るな、とミカに言われて、ヒロは手を止めた。

仮にそいつらが自分の領地を持つほどになり、あるだけの資源を湯水のように使ってみろ、と言う。

何が起こるか。

「単純な話、自分の領地の資源が枯れればそれを補うために、他の領地を侵略する羽目になる」

「それで戦争するんか」

「戦争など、結局のところ資源と人命の枯渇である。うわべだけを金が巡る品のない行為だ」

「ひ、品…」

「俺の高祖父の言葉だ」

「高祖父?」

「俺の祖父の、祖父に当たる方だな」

「えーと」

ひいひいじいちゃんか、と指折り数えるヒロに、なんだその名称は、とミカは興味津々だ。

立てかけていた石板に簡単な図を描いて、これがひいひいじいちゃん、と示せば、ウン合ってる、と返される。

「俺の家の教育方針は、その方の思想が骨組みになっていると聞いたからな」

当時の残された書付をいくつか読んだ、という。

人と魔物の、あるいは人と人の戦いを『品がない』と評する人物像は、ヒロの今までの経験からは想像できなかった。

「争い嫌いな優雅な人だったんかな?」

「いや、一度戦が始まると先陣切って乗り込んでいくような方らしいな」

「ええー…」

なるほどミカの血の気の多いのは血筋か、と、これは言わぬが花か。

「大将が乗り込んでいった方がさっさとケリが付く、という意図じゃないか」

「ああ、なるほど…」

「周囲にははた迷惑な話だろうけどな」

解るなー俺にはその周囲のはた迷惑さがなー、という感想は黙しておいて、その人物にミカの姿を重ねてしまうのは血の成せる業というよりは、家の教育ということなのだろうな、と理解する。

「教育っていうのが受け継がれていくって感じなー、いいよな、俺の村とは違うよなやっぱ」

高度な教育が当たり前に行われる社会、例えば学術、例えば道徳、そういった指標を基に歴とした人間が出来上がる。

国が定めた「我が国の国民はこうあるべき」という理念があり、知的水準、文化水準などがおのずと浸透していくのだろう。

そんな感想をもらせば、お前の村だって教育は受け継がれているじゃないか、とミカがヒロの手元を指し示す。

壊れたものを、修繕して使う当たり前の感覚。

「これ、教育か?」

「立派な教育だろ。俺には施されなかった分野だ」

「必要に迫られてるだけなんだけどな」

「必要に迫られて、他の領地を侵略する選択よりよほど品位がある」

彼の方ならそういうだろう、と先の高祖父の言葉を借りてミカがヒロの村を称える。

「お前が大金を手に入れた多くの輩のようにならなかったのは、品位という教育の賜物だ」

それは教え育んでくれた村に感謝していい、と言ったミカは。

「俺はミカに影響されたと思ってたけどな」

「それならそれでも良い」

「良いんかい」

「俺はお前がそうやって細々手直ししているのを目にする事ができた、って話だ」

ヒロとの会話の中で何かに気づいたように、ああ、と一人納得している。

「なんだ?」

「それが壊れた時に」

と、ヒロの手元を指す。

「直さないといけない、と思ったのも、それを作ったのがお前だからで」

他愛ない、おもちゃのような剣の柄飾り。

「直らないとしても手放せないと思ったのは、それが作られていく作業を見ていたからだな」

物は壊れる。

壊れるけれど、壊れない物もあり。

乞われる物もあるのだ。

「なるほど、確かにそれは、あんまりミカらしくないな」

先ほどと同じセリフを、今度は誇らしい気持ちで口にするヒロに。

今度はミカも、どういうことだ、とは言わずにただ頷いた。

「そうだな」

接着面を整え、銅板の四辺を細い銅板の切れ端で挟み込むようにして補強する。

見た目がひどく違うようにはなったが、頑丈そうで良い、とミカが納得した時。

「ヒロー、鎖のとこ壊れちゃったー、直してー!」

と、ウイがペンダントを片手に部屋に駆け込んでくる。

ヒロとミカ、同時に振り返れば、それはやはりヒロが制作してウイに贈ったものだった。

「しょーがねーなー」

というヒロと。

「なんだ、寿命かよ」

というミカの声が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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自由へ

2017年03月17日 | ツアーズ SS

「おー、このメインマストに俺たちの紋章がくるのかー」

良く晴れた日。

乾いた風を受けて、大きく帆を広げた。その白に、つい先ほど自分たちで考えた紋章を思い、重ねて想像してみる。

冒険者クランとしての名称と紋章を自分たちの手で作りあげた。その興奮に一息入れるように、船内から甲板に出た4人は、それぞれに言葉を胸に溜めて帆を見上げていたが。

「…めっちゃ金かかりそうだな…」

というヒロの一言には、万感の思いもあとかたなく霧散してしまうというもの。

この先のなりゆきへの希望や不安、未知なる前途への覚悟、挑みかかる果てしなさ。

途方もないそれらに知らず力んでいた事に気づかされ、何かから解放されるように全員が笑った。

「その分、稼げばいいだけだろ」

「うん、そだな」

そう言いながら広げた帆をたたむヒロを手伝うために、ミカも寄ってくる。

ウイとミオは、どうやって帆を作るのか、どう紋章を入れるのか、そんな話を楽しそうに始めている。

「紋章か。実際どうなんだろ?描く?貼り付ける?縫うとか?」

そう訊ねるヒロに、ミカも首を傾げた。

俺もよく知らん、と言い。

「うちの工房で請け負ってくれるかどうかも解らんからな」

話はつけてみるが無理だった場合は、他に工房を探すしかないな、と言う。

「その場合、お前が調べて交渉しろよな」

「よっし、任せろ」

色々形になるって楽しいな、と無邪気に笑うヒロに、ミカはややあきれ顔を見せる。

まったく、と吐き出した一言はため息交じりだ。

なんだ?と、帆をたたむ手を止めればミカも同じように手を止めた。

「お前らが公に組織を作りたいとか、言い出すとは思わなかったな」

風がやみ、波も静かな甲板で、ミカの声が通る。

なぜ今、そうしたいのか、という話し合いは十分にした。

それをする意義も、それによってもたらされる損害も、議論として出し尽くしたつもりだ。

だから、ヒロもただミカの言葉に同意する。

「俺もだ」

冒険者の酒場で仲間を募り、4人というパーティを組んで世界を巡る。

それは何にも属さず、いつでも個に戻れるという形態だ。自由であるという事は、何も持たないという事だ。

それを敢えて組織という枠組みの中に納め、閉じ込めてしまう事。

反対はしない、というミカが、どこか腑に落ちない様子なのは、おそらくその部分だろうと思う。

「俺は貴族社会という組織から抜け出てて、お前たちに会った。そのことで、自由さを自分なりに学んできて、お前たちには、貴族社会のしがらみを持たせず自由にさせておくべきだ、と、…そう答えを出したのがつい先日だからな」

もうどう考えていいのか解らん、と、愚痴だか恨み言だか良く解らない声音で呟く。

ミカが、こんな風に弱音を吐いてくるようになった。それは最近では珍しいことでもない、と気づいて、ヒロはミカからミオに視線を移した。

旅の間にミカは変わったのだ。

そうしてミオも。

帆を順に指さし、ウイと楽しそうにおしゃべりを続けているミオを見て、先ほどまで彼女の熱弁に全員で耳を傾けていたことを思い出す。

集団組織を作る、という提案に一番積極的だったのは、意外にもミオだった。

集団組織って第二の家族みたいでいいですね、と嬉しそうに言うのだ。ヒロ君の家族に会ってからずっとそういうのがいいな、って思ってました、と。

村にいた頃は人と関わるのが怖くて集団の中に入る事さえも拒んでいた自分が少し成長できたみたいだから、と、組織の立ち上げに前向きに賛成したミオは。

名称を作るなら「地上の守り人」というそのものを使わず、天使という名前を残したいと言い、敢えて使命を伏せることで人々の信頼を得たいと言った。

誰もが聞き入る中、彼女が熱く語る言葉には、彼女が生まれ育った村を背景に、人に誇れる生きざまを全うしようという女性たちの姿が見える。

ヒロもそうだ。ミオの村の、名乗りを上げて挑む、そんな力強い様子を見たからこそ。

ミカのいる場所へ、その高見へ、向き合ってみようと思ったのだ。

ミカが、「お前たちに会うために抜け出てきた」という場所。

本来なら、おそらくは一生関わるはずのない世界。

ミカがこちら側へ来てくれたからこそ、交わるはずのない道が交わった。

それを、是とするか非とするか、自分たちはまだ判断する立場にない。

なぜなら、自分たちは、ミカのいるその場所へ立つことさえも出来ていないのだ。

「だから、組織を作る」

貴族社会と並び立つには、個では弱い。組織という箱があっても、到底及ばないものであることは、あの日の夜会で身に染みている。だが。

それだからこそ、光を見た。

「ミカが酒場で下町の言葉やふるまいを覚えたみたいに、今度は俺たちがそれをやるんだ」

組織を立ち上げる第一の意義をそう説明した時、一瞬に見せたミカの不安そうな瞳の色は忘れられない。

貴族界において、何をするにしてもヒロたちを守れるかどうかを考えなくてはならない立場。

この先も幾度となく、ミカにそんな負担を強いるのかと思えば、尚更、このままで良いとは思えなかった。

「ミカが、俺たちを守るためには俺たちを自由にさせておく必要がある、って言ったんだぞ」

ミカの言う、ヒロたちを貴族界での道具にしないために、どの家からの接触も公にする、という主張と。

ヒロが言う、狭い世界の陰謀に巻き込まれないように、組織として世界中に名を知らしめる、という提案。

この事は、並び立つ。ミカが行う庇護と自分たちで行う自衛は、互いに作用しあう。そんなヒロの説明に、ウイやミオはもちろん、ミカも納得して、この冒険者集団という組織の立ち上げに同意をしたのだ。

「別にさー、俺たち、お貴族様と仲良くしたいわけじゃねーけど」

「お貴族様が仲良くしたい、っていうならウイたち拒む理由はないもんね」

仲良くしてあげてもいいんだよ?というウイの言葉に、ミカは笑った。

ミカが笑ってくれるなら、どんな風にだってやりようはあるのだと思った。

自分たちが自由であるなら、ミカも自由に行き来ができるようにあるべきだ。そのための、高み。高みを望む、自由。

「自由ってさ」

帆をたたみ、先にロープをしっかりと結び終えたミカが、ヒロの言葉に振り向く。

お喋りを止め、こちらを見ていたウイとミオも、耳を傾ける。

「何も持たない事を言うんじゃないと思うんだよな」

それは?と、ミカが目線で問うてくる。それを受けて、ロープを結ぶ手を動かしたまま、ヒロは答えた。

「貴族とのしがらみを持たない、貴族界とつながらない、って、一見自由そうに聞こえるんだけど」

それって、と結びを確認して、ヒロはミカを見た。

「俺たちはしがらみを持たないぜ、っていう制約に縛られてるよな」

ある意味全然自由じゃなくね?、と言えば、ミカが固まった。

解りやすい。

ミカは今まさに、目から鱗、のそれそのものの反応をして見せた。

だから、言ってやる。

「色んなしがらみを受け入れたり拒否したり、つながりを結んだりほどいたり、そういうのを自分たちの意志でできる事を自由っていうんじゃねーかな」

「あっ」

「ああ!」

「あー、なるほど」

三者三様の感嘆が重なる。

「そういう意味では、ウイたちはまだ自由に選んだりできないもんね」

「まーな、お呼びじゃねーからな」

「それが出来るようになるために、組織としての地位を高めるって事ですね!」

「そーそー、そういうことだから」

な?と、まだその場で固まっているミカの様子を見て、その衝撃を受けた度合いに笑ってしまう。

「ミカが出した答えは、間違ってねーし、俺たちがこれからやろうとしてることも、ミカの答えと同じってことじゃん」

その方向が正しいかどうかはまだわからない。

高みの景色はまだここから臨むことができない。

その景色を見、その地に足をつけ、間違っていたとわかれば引き返す、あるいは別の高みを目指す。

「それも、自由な」

「ああ、うん…」

ミカが、青天の霹靂、から脱却するするように、わざと咳ばらいを一つ。

そして、まったく、と傍のマストに寄りかかって頭を抱えて見せる。

「まだまだ学ぶこと多すぎて、お前らから離れられる気がしねえ」

強がりか、負け惜しみか、ミカにとっての捨て台詞は、自分たちにとって誉め殺しだ。

旅の間に幾度となく繰り返されてきたやり取り。唐突な誉め言葉に照れ笑いで破顔一笑する3人の様子を見て、一瞬、怪訝そうに顔をしかめるミカも苦笑する。

それは、自然にはにかむような笑顔になった。

 

 

自由とは責任が伴う、だからそれを背負う自身があればいい。一人で重ければ二人で、二人で重ければ三人で、…そうやってより多くの自由を分け与えるための冒険者クランだ。

10年、20年、先の未来で自分たちはより多くの責任を背負って、それを自分に誇れるようになろう。

誇れるだけの、強さを求めて。

大きく帆を広げ、そこに紋章を掲げ。

進んでいくのだ。

 

自由へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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マリスの誓い

2016年11月19日 | ツアーズ SS

侯爵家のとある姫君の傍仕えとなったマリスは、上の姉二人を差し置いてどうして自分が選ばれたのか、不思議に思っていた。

侯爵家の姫君、アステが、王立の寄宿学校へ入学するのを機に傍仕えが必要になったからだが。

「あなたが可愛らしかったからだわ」

とアステは言った。

アステの傍に仕え、一緒に寄宿学校へと入学する。宿舎の部屋も一緒、授業も一緒、朝から晩まで生活を共にする。

私より一つ下なのね、父上様や母上様と離れるのは寂しいでしょうけれど、私がついているから心配しなくていいわ、と言われ。

それでは立場が逆だわ、と思ったけれど、入学までの1週間、アステは本当にマリスを可愛がってくれた。

私のお気に入りなの、と言って見せてくれた人形を大切そうに撫で、ねえあなたに似てるでしょう?と笑う。

兄からの誕生日の贈り物で、とても大切にしているのだというそれは、確かに愛らしい。

その人形を学校へ持っていくことはできないから、あなたを選んだのよ、と言われることも嫌ではなかった。

正直、マリスは、自分とその人形が似ているとはあまり思わなかったが、アステがそう思ってるならそれでいい。

それで自分が選ばれたのだから、それでいいのだ。

 

 

 


そうしてアステと共に入学し、そこで学ぶ日々はあっという間に過ぎた。

学校の教師や世話係の大人たち以外は子供ばかりの世界で、家にいるよりずっと自由だわ、とマリスは学校生活を気に入っていたが。

アステは、周囲の学友と仲良くすることを嫌がっている様だった。

レネーゼ侯爵家の、というと誰もが必ず、アステの兄の話を持ち掛けてきた。

教師たちはアステの兄が如何に成績優秀であったか、世話係たちは彼がいかに品行方正であったかを、自慢げに語る。

学友たちは、自分の兄や姉から聞いた様々な話をして、アステにそれは本当かどうかを訊ねてくる。

その度にアステは窮屈な思いをしているように見えたのだ。

大人たちには「兄上様が優秀なのは当然ですわ」と言い、学友たちには「そんな噂話なんかより兄上様は素晴らしいですわ」と言う。

そう誇らしそうにしていながらも、アステから兄上様の話をすることはなかった。

共に生活をしていればマリスにも解ってくる。アステは、兄と過ごした事は、ほとんどないのではないか。

学友たちに自慢げに語れるような出来事も、教師たちに卒業後の様子を知らせられるような関わりも、持っていないのだ。

だがアステはそれを認めない。

そのうち、アステは気位が高い、と周囲からはやや距離を置かれるようになったけれど、マリスにはどうすることもできない。

学友と仲を取り持とうとしても、「マリスがいるから良いわ」と言う。

そんな学校生活を送る中で、この事件は起きたのだ。

 

 

 

侯爵家で開かれる夜会で兄がお披露目をする、という噂を学友から漏らされたアステが、強引に休学届を出して家に戻った。

そのことでマリスは、「なぜ止めなかったのか」と奥女中頭の婆や様に叱られている。

なぜと言いつつ、なぜなのかは聞いてくれないようだ。

「姫様の事を思うのであれば、まずお前が真っ先に止めなくてはなりませんでした」

「でも、えっと、ばあや様」

「私の事はエディエラと呼びなさい」

「はい、エディエラ様、でも、姫様はとてもお辛かったのだと思うんです」

「お辛いお気持ちを優先するのではなく、まず慰め、それからお諫めすることがお前の役目ですよ」

姫様が一時の感情で家に戻り、現在、母上様に厳しくお叱りを受けている事の方がお辛いと考えなくては、と言われて、そうかしら、と思う。

姫様は母上様に叱られる事よりも、兄上様に会えたことの方が嬉しいのではないだろうか。

「そもそも夜会はこれ一度きりというわけではありませんでした」

これから先も幾度と開かれ、その度若様もこちらへ戻られる。これが生涯ただ一度というものではない。それも解っているマリスだが。

「それなのに一時の感情で、早まり、駆け付けた事で、生涯を台無しにするような事件が姫様に降りかかっていたらどうするつもりだったのです」

「でもばあや様」

「エディエラです」

「はい、そうでした。エディエラ様、事件は起きなかったのだから、兄上様に会えたことの方が大事だと思います」

「わたくしは結果を論じたいのではありませんよ、マリス」

「でも、ば、エディエラ様、私は結果を見た方がいいと思うんです」

「ああ、マリス…」

「あ、あのぅ、ばあや様?」

「エディエラです!」

「い、いえ、マリスではなく、…あの若様がいらしておりまして…、マリスを借りたいということなのですが」

「なんですって?」

二人の間に割り込んできた女中の言葉に、マリスとエディエラは同時にそちらを見た。

女中の背後、部屋の入り口ではアステの兄、ミカヅキが立っている。全員の視線を受けて、美しい一礼を見せた。

エディエラは立ち上がり、そちらへと近づいていく。

「お話し中、申し訳ありません。エディエラ様の大切なお説教であることは承知しているのですが」

失礼は承知だが、マリスに大事な用がある、外で仲間を待たせている関係上ここは自分に譲ってもらえないだろうか、

と言うようなことを話しているようだ。

「坊ちゃまのお言葉ならようございます。私はここで控えておりますので、どうぞ中へ」

「有難うございますエディエラ様」

「婆やでようございます、坊ちゃま」

「ありがとう婆や様」

「このような所まで自ら足を運ばずとも誰ぞにご命令なさいまし」

「解りました、次から気を付けます。…誰か、婆やに椅子を」

「はい」

慌ただしく人が動くのを気にもせず、ミカヅキがマリスの傍まで歩いてくる。

わーすごい、やっぱりアステの兄上様ってすっごく偉い人なんだわー。婆や様も兄上様には逆らえないんだわー。

マリスはそんな呑気なことを思いながら、その場に立ったままミカヅキの動きを目で追う。

ペンと紙を、と部屋係に言いつけ、小机に着く。用意されたそれを受け取り、椅子に掛ける。

何という事もない動作だけれど、すごく綺麗だなと思う。教師の誰もが褒めたたえる彼の所作は、こういう事かと思い、

それを自慢するアステの心を思う。

姫様は兄上様のお姿を見て、でも見るだけで、それで終わってしまうんだわ。

だから、兄上差はお美しくて素晴らしくて素敵ですのよ、と言う以外の言葉をもたないのだ。

その膝に座ったり、一緒に字の練習をしたり、そういった誰もが知らないが故に聞きたがる「アステの兄様」の話ができないのだ。

「ばあや様のお説教を中断させてしまって、すまないがマリス」

お前にこれを渡しておこうと思って、と言ったミカヅキが、マリスを見ている。

どういえばこの気持ちを解って貰えるだろう。学校にいるアステの気持ちを、ばあや様にも兄上様にも、解って欲しいだけなのに。

「マリス?聞いているか」

「あ、はいっ、聞いてます」

「こちらへ来い」

見れば、ミカヅキがたった今字を書いた用紙をマリスに差し出している。

慌ててマリスはミカヅキの傍まで近寄り、それを受け取った。

「えっと、これ」

「俺は屋敷を空けていることが多い」

そこにかかれていたのは、とある住所と、宿の名前。

「そこを連絡手段の一つにしている。それを、お前に教えておこう」

「私に?」

「いいか、もう二度と、こんなことをするな」

ああ、またお説教をされるのか。

やっていけない事は解った。誰もがあんなに怒るんだから、アステもマリスも、相当な失敗をしてしまったのだろう。

だけど、やってしまった事だ。済んだことなんだから、どうしてそれをしてしまったのか、解って欲しい。

そうでないとアステが可哀想だ。

「あの」

「これからは休学届を出す前に、まずは俺に手紙で知らせろ」

そう言われて、マリスは驚く。これがお説教ではない事、何より、あの兄上様がマリスに指示をくれているという事。

「手紙、を、…私が姫様の兄上様に手紙を書いていいんですか?読んでくれるんですか?」

「当然だ。これはお前の役目として任せるんだ。傍についているお前が、アステは冷静じゃないと思ったら」

まずお前が手紙で知らせてこい、と言った。

それを両手に預かって、ミカヅキを見る。

「手紙で済むことなら、俺から返事を出す。済まないようなら、会いに行く」

「えっ」

「だからって、気軽に呼び出すなよ。俺も忙しい。いつも国にいるわけじゃないから、即座に対応はできないかもしれないが」

そうする事でアステが落ち着くだろう、と言われて、マリスは言葉に詰まる。

マリスが、アステを止められなかった事を解ってくれているような気がした。

だから言った。

「あの、お願いきいてもらえませんか」

マリス!と、女中の誰かが窘める声。若様のお時間を取らせてはいけません、というそちらの方へ目をやって、大丈夫だ、と言ったミカヅキが 

「なんだ、言ってみろ」と、マリスの言葉を促す。言葉を、勇気を、促されてマリスは一息に告げた。

「姫様にお手紙を書いてあげて欲しいんです!」

その声に、部屋は一瞬、静まり返った。

目の前のミカヅキも、意外そうに戸惑い、それから口を開く。

「手紙?アステにか?何のために?」

「ええっと、次は夜会でこんな事をする、とか、今はどんな所を旅してるか、とか、そういうお手紙です」

ミカヅキは、マリスの言う事を「子供のわがままだ」と退けずに、ちゃんと聞いてくれているのが解ったから、その後に続く言葉は止まらなかった。

「姫様は、ずっと我慢していらっしゃるけど、ご学友の方々の方が兄上様の事に詳しいんです!アステ様の知らない兄上様の話を、ご学友の方がするんですよ」

そんなのオカシイ。そんなのヒドイ。そんなの。

「姫様は、お辛いだろう、って思って私」

「アステがそう言ったか?」

「言わないです、でも!」

「そうか」

いつの間にか背後にいた女性が逸るマリスの言葉を抑えるように、そっと肩に手を置く。ミカヅキが少し、考えるような間があった。

「俺が手紙で状況を知らせてやれば、その問題は解消されるんだな?」

「あ、はい!」

「解った。 ではそうしよう」 

「いいんですか?」

「それでお前たちが学業に専念できるならな」

すごい。すごいすごい。姫様の為に言った事を、こんなに簡単にかなえてもらえるなんて。

アステとの事があったから、ミカヅキは自分たちの事など一切気に掛けない人なのだと思っていたけれど、考えていた人と全然違う。

じゃあもう一ついいですか、と言う声に、再び周囲からマリスを窘める声があったが、構わなかった。

「これ、姫様に渡してあげていいですか?」

これ、と、ミカヅキに手渡された用紙を見せる。

「それは、俺がお前に役目として預けたものだが?」

「はい、解ります。だからお聞きしました。住所も宿の名前もちゃんと書き写して控えます。お役目も果たします」

ただこれは兄上様が書いてくれたものだから姫様に渡したいのだ、と言うと、解った、と言ったミカヅキが机に向かう。

同じようにアステにも書いておくから渡してやってくれ、と言われる。

ペンをとり、綺麗な模様の入った用紙に、さらさらと音を立てて書かれる字を見ながら、感動する。

わーすごいなんでも言ってみるものだわ、と思っていると、字を書きながら、ミカヅキが笑った。

「しかし、お前はなかなか度胸があるな」

「え?」

「この俺に説教する奴はそういないぞ」

「ええ?」

説教?自分が?姫様の兄上様に説教をしたつもりなんて、どこにもないけれど。

どうしてだろう?どこがだろう?

「婆や様の諭しにあれだけ抵抗するところも中々の見ものだったしな」

「ええっと、あれは」

「わ、若様…」

周囲の女性が慌てて傍により、後で言って聞かせますので、と言う事に、ミカヅキは顔を上げた。

「いや、マリスにはマリスの義があるんだろう。俺はそれを好ましいと思っている」

義?と思っていると、だがな、とミカヅキはペンを置いてマリスへと向き直る。

「婆や様に話を聞いてもらいたい時は、でも、じゃなく、では、だ」

「では?」

「では、私はこのように考えていたのですがいかがでしょうか、と教えを乞う事だな」

「教えを」

「納得できるまで話がしたいなら、それを示せば良い。婆やなら必ず応えて下さる」

母上や俺を育てて下さった方だ、お前たちにも必ず良くして下さる、とミカヅキが言う事に、部屋の向こうに控えているエディエラを見る。

エディエラはマリスの視線を感じていないように、あらぬ方向を見ていたが。

これで良いか、と言われて向き直ったマリスはミカヅキが差し出している用紙を受け取った。

「有難うございます!」

兄上様が書いてくれたものだ。姫様はきっと喜ぶ。そう思っただけで嬉しくなるマリスに、ミカヅキがほほ笑んだ。

「礼を言うのは、俺の方だな」

「え?」

「お前が言ってくれた事で、初めてアステにしてやらないといけない事があると解る」

ミカヅキの言うその意味が良く解らなかったが、「これからも妹を頼む」と言われて、勿論だ、と思った。

「はい!」

ミカヅキが立ち上がる。それを目で追っていると、ミカヅキの手がマリスの肩に置かれた。

「お前の役目は厳しいものだ。主の人生と、自分の人生、二つの責を背負っているようなものだろう」

「え?」

「まだ幼いお前には厳しいだろうが、時にはアステの心情を裏切ってでも正しい選択を迫られる、それは不条理な事もあるだろう」

だがそれこそがマリスが選ばれた証だ、とミカヅキは言った。

私が、選ばれた理由。

あなたが可愛らしいかったから、と言ったアステの顔が浮かぶ。

「今日、お前と話してみて解った。アステの為に尽くしてくれようとするそれは、十分だ」

アステの為になるように動いてくれるマリスだからこそ、それを取りあげたくはない。

マリスの行動一つが、侯爵家にとって害悪になると判断されれば、大人はそれを排除しなくてはならなくなる。

「俺はそれを大人の手で行われる事に納得が出来なかったから、自ら従者を排除した」

いつの間にか部屋が静まり返っている。

「アステも同じように考えるかどうかは解らない。だがお前の失態一つで、お前はアステの従者でいられなくなる事があるという事を」

覚えておくように、と言われて、マリスも言葉を失った。

そんなことを考えたことはなかった。

アステの侍女候補として選ばれた以上、ずっと先の未来まで、アステと一緒にいるものだと思っていた自分に気が付く。

「私のせいで?」

「うん、だが俺はアステにはマリスが必要だと思った。だから俺が出来る限り力になる」

「兄上様」

「お前がまだ幼く力が及ばない部分は俺に頼って良い」

お前たちを守ってやると約束しよう、と言ったミカヅキは、厳しい言葉を全て払拭するように優しい笑顔を見せた。

「それが、お前がマリスに尽くしてくれていることへの礼だ」

どんな時もそれを忘れるな、と言ったミカヅキに頷いた。

「もうお願い事はないか?ないなら行くぞ」

と言われて、マリスは慌ててかしこまった。

「はい、ないです。有難うございました、兄上様」

「おい俺はお前の兄上様じゃないからな」

「あ、はい、ごめ…、じゃなくて、スミマセン」

「申し訳ございません若様、だな」

「申し訳ございません、若様」

「うん、励めよ」

その言葉を最後に、ミカヅキがマリスから離れていく。

それを見送る視界の中で、女中たちに何か指示をし、立ち上がってミカヅキを見送るエディエラに挨拶をして。

ミカヅキは、部屋から出ていった。

なんだか信じられない。

守ってくれると言ったのだ。頼れと、言い、励めよと言われる事の意味。

手の中にある二枚の用紙、それは両手で持てるほどの重さではないものを含んでいる。

「若様のお言葉は、解りましたか」

と、エディエラがマリスの傍まで戻ってきて言う。

「はい、解りました」

「そうですか。では、お前も姫様の所へお戻りなさい」

「え?ばあや、…エディエラ様のお話はまだ」

「若様のお言葉以上に私から言う事はありません」

その代わり若様のお心をしっかりと胸に刻みなさい、と言われて、そうかこの二枚の紙は兄上様のお心なんだわ、と思う。

「はい、あの、姫様をお止めできなくて申し訳ございませんでした」

だからこれからも姫様のおそばにいさせてください、と頭を下げて、部屋を下がるマリスに、エディエラが声をかける。

「私の事は、ばあやで結構です」

「ええ?」

「お前はどうもまだ公私をうまく切り替えられないようなので、ここにいる間は私がしつけます。良いですね」

母上と俺を育ってくださった方だ、と言ったミカヅキの言葉。

そしてアステから聞かされていた「ばあや」の話。

そして目の前にいるエディエラの、老いてなお美しい佇まい。

「はい、どうかよろしくお願いいたします、ばあや様」

マリスはできるだけ学校で習った美しい最敬礼になるように、丁寧に頭を下げた。

宜しい、というエディエラの言葉に、体を起こす。

「早く姫様にそれをお渡しして差し上げなさい」

「はい!」

言われて、もう何も考えずに回れ右、ドアに向かって一直線に走る。

「これ!駆けるとは何事ですマリス!ああ、もう…」

ドアを開けて、廊下に飛び出した背にばあやの声は届かず。

マリスは、アステの待つ部屋を目指す。

ミカヅキの心を届けるために。

 

 

 

 

 

 

 



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宴の後先

2016年11月15日 | ツアーズ SS

敷地のそこここで大がかりな宴が催されている最中に、その開催主の跡取りである若君がその中心を離れ、

人気のない庭の片隅にある護衛管理室で人目を忍んでいると発覚すれば、それを許している自分たちの処分は相当なものだろうな、と思う。

しかし、簡素なテーブルにつき、簡素な食器でためらいもなく出された茶を口にする、その姿を見ていれば、自分たちの処分がどれほどのものか、とも思うジュードだ。

「お口にあいますかどうか」

などと今更なセリフと共に差し出された熱い茶を口にして、「渋い、なんだこれは」と驚いている若君の傍についている若い護衛の二人がこちらを見る。

それを離れた所から(外の様子を警戒して入り口で)見守っていたジュードは、若君をどこにでもいる少年のように捉えていた。

「酔い覚ましですよ、我らは二日酔い防止に良く飲みますので」

と言った後に、ああ、と続ける。

「大丈夫、侯爵家の薬室から頂いているれっきとした薬湯です」

「そうか」

年配の御仁から宴のご酒に付き合い、酔いが回って自身を保てなくなっても、それを周囲に漏らすこともできない。

そんな教育を受け入れ実践するだけの人生はさぞや窮屈だろうな、と同情してしまっている自分がいるが、それも今夜の若君の変則な行動があってこそ。

強い酒に飲まれて、多少、自分を見失っているのだろうと考えれば、自分たち護衛が処分を受けるのと引き換えにしても、庇護してやらねば、と思う年齢だ。

まだ16,7の少年は、冷えた体を温めるために、酔いを醒ますために、顔をしかめて薬湯を飲む。

「苦行だ、お前らも付き合え」などと言っては、若い二人にも同様の茶を飲ませている様は、お坊ちゃまらしい傲岸さだが、憎めない。

ここに来るまでの道でのやり取りの為か。

「今日は、かなりご酒を過ごされたんですね」

というジュードの言葉に、いや、と一向に減らない薬湯をにらみながら、ミカヅキは思い返すように少し黙り込み。

「量で言えばそうでもないな。大体どれくらいの量で、どんな風に体が変調するかは訓練されているから、普段なら管理できるんだが」

最後に口にしたあれがきつかったな、と独り言のようにつぶやく。

その言葉には黙り込むしかない。

訓練か。この方にとっては、宴の華やかな酒席も、自分たちのような享楽的な酒盛りとはわけが違うのだ。

それは、若い二人にも同じ思いを抱かせたのだろう。率先して薬湯を用意したウォルターが、同情的にミカヅキを見る。

「いやあ、若様の宴って、大変なんですねえ」

もうこの際だから言葉遣い云々は置いておこう。ジュードも、上の方々に対する言葉をしつけられたわけではないので、正しく注意できるわけでもないし。

だがその感想は余りにも阿呆すぎないか。

いや俺も似たような事は思ったがさすがに口にはしてないぞ、とジュードは頭を抱える。

若い二人は、普段は雲の上の人である若君が気さくに相手をしてくれるのが嬉しいようだが、本来これはあってはならない事なんだぞ、と言ってやらねばならないか。

しかしそれを若君の前で言うのは気が咎める。あってはならない事だが、自分たちに気を許してくれているような若君の前で。

そんな葛藤を知るはずもなく、だがミカヅキもジュードとほぼ同じような反応を見せた。

あのなあ、と呆れて見せる。

隣のトリオスも、咎めるように肘でウォルターの体を突く。

だが続くミカヅキの言葉は意外だった。

「他人事のように言ってるが、俺とお前たちと、やってる事はそんなに変わりはないんだぞ」

ただ立ち位置が違うだけだ、と言われて、「えっ」と若い二人は素直に声に出しているが。ジュードもミカヅキの言葉には驚かされた。

そう考えたことはなかったな、と思う。

「お前たちは俺を守るための護衛だ。脅威から警護し、脅威と対峙し、脅威を退ける。それが任務だろう」

俺はそれを家と家でやってるだけだ。侯爵家を守るために、他家から警護し、他家と対峙し、他家を退ける。

そう語るミカヅキの言葉は揺らぎない。

「お前たちが警護のために戦闘訓練を受けるように、侯爵家を守るために学び、国に仕え、爵位を頂くんだ」

それは個々に課せられたものであり、そこに同情など必要ないのだ、と言う。

「お前たちは同情するのではなく、真実の目で見なくてはならない」

侯爵家に仕える者として、自分たちの頂きが進む将来が正しく望まれたものであるかどうかを、厳しく見定める。

それが下の立場を与えられた人間の役目であり、上の立場を与えられた人間はそれによって生かされている事を忘れてはならない。

「お前たちがいることで俺は侯爵としてあることができるんだ」

「えっ、そんな」

「逆だと思ってますよ、だって侯爵様がいて領地を守ってくれるから、そこで暮らしていけるんだって」

「それは、政だ。権力者が領土を統治しているというだけだ。そうじゃなくて」

お前たちが侯爵家に仕えるという意味だ、とミカヅキは二人を見る。

この場が、最年少者の言葉に支配されている。

「俺がたった一人で見知らぬ土地に出向いてみろ。誰からも敬意を払われないし、見向きもされないだろ」

「えっ、そんなことありますか?!」

「ある。実際、そうだ。だがそこにお前たちを連れていく。お前たちが俺に頭を下げ、道を譲り、恭しく仕える様子を見て」

ようやく見知らぬ人間が、あの人物は貴人なのか、という認識を受ける。

人なんて周囲の扱い一つで、どうとでもなる。

「俺はそれに生かされている。侯爵家に仕えるということは、侯爵家を支えるという事だ。多くの支えがあって、俺はその頂きに立つ」

それが、先ほどの言葉「立ち位置が違うだけでやる事は同じだ」と言ったミカヅキの真意につながるのか、とジュードは彼を見た。

若い二人も黙ってミカヅキを見ている。

「お前たちが足場を固めているから立っていられるんだ。そう心配するな」

と言い。

「あ、年端も行かないのは大目に見ろよ。そのうち向こうが老いればこちらが有利になる、くらいに思っておけ」

と、軽口をたたいて見せるのは、ウォルターが「大変ですねえ」などと言った嘆き節への返答か。

思わず失笑したジュードに、三人が揃ってこちらを見る。

「あ、いや」

決して、若君の講釈を笑ったわけではなく。

と前置きして、ジュードは、ミカヅキを憐れに思っていた自分を改めた。

「若君があまり屋敷におられない事を寂しく思っている者は多いと思いますが」

寂しく、というのは誤魔化しだ。まだ幼く頼りない、という目で見られている事はミカヅキ自身も重々承知の事だろう。

「若様は、そういった多くの事をご自身の力で学んでこられたのが解って」

嬉しかったんですよ、と言えば、他の二人も同時に頷いた。

「他の者たちも、この夜会での若様を見て、きっと誇らしいと思っているでしょう」

若君は化ける、と言っていた同僚の顔を思い出す。

多くの貴族たちの中で自分たちの主を誇る。それは臣下として当然の情だ。その情さえも越えた高みに、ミカヅキの振る舞いがあった。

その振る舞いを決定付けさせるのは、ミカヅキの侯爵家に懸ける使命であり、その使命を支えるのはお前たちだと言われたことが、何よりも尊い。

そんなジュードの思いを受けて、ミカヅキが微笑を見せる。

「そうか。なら、張り切った甲斐はあったな」

「え?」

「主として臣を喜ばせるのは、この上ない本望」

そう言って、ミカヅキは飲み干した茶器をテーブルに置いて立ち上った。

「残す賓客への挨拶も、それを励みにこなすとするか」

二人も慌てて立ち上がる。

「宴にお戻りになられますか」

「ああ、明日の事も考えて、時間的にあと4件は済ませておきたいからな」

上着を羽織り直しながらそんなことを言うミカヅキに、鏡を要求され、姿見のある壁際まで案内する。

「リフォルゼ家は今どなたも広間におられないな?」

「はい、おそらくは」

「うん」

鏡の前で格好を整えながら、挨拶の段取りでも考えているのだろう。

ウォルターに小屋の片づけを、トリオスに道の先導を指示しながら、あと4件か、とジュードも警護の範囲を想定していると。

「西の広間と、中庭にもう用はない。外していい」

と、身支度を整えたミカヅキが小屋の外に出る。

「あ、はい」

角灯に火を入れ直しているのを待つ間に、ミカヅキがジュードを見る。

「そう構えるな。着いてきていない時には、待ってやってるだろ」

その言葉の意味を考えて。

「えっ」

ジュードとトリオスは同時に声を上げていた。

「あ、もしかして、我らの事を気に掛けて下さっていたのですか」

「いつもなら二人のところ、今日は3人もついてるからな。何かあるのかと思ったが」

ただの新人教育だったか、と言われて、恐縮してしまう。

「いやあの、まさか、若様にご負担をおかけしているとは思わず、…不遜な真似をいたしまして」

「別に負担でも不遜でもないけどな」

灯りの入った角灯をトリオスから受け取り、笑ってみせる。

「まあ、新人教育でもないと、こんな場所まで足を延ばせなかっただろうしな」

付き合ってくれて助かった、と言われてしまってはかしこまるしかない。

「それから」と、並んで敬礼をとるジュードたちにかけられる声。

「さっきの薬湯な、館に届けておいてくれ」

「は」

「明日に備える」

「かしこまりました」

その声は、もうただの少年のような身軽さはなく。

「では、これまでだ」

従者の返事を待たず毅然とした背中を見せたミカヅキは、再び、あの宴へと戻っていく。

その背に従い、目を向ける。

宴の華やかさに目を眩ませられない様。

主の姿を真実の目で見る事だ。

 

 

 

 

 

 

「いいか、今夜の事は、一切の他言を禁じる」

ジュードは、ウォルターとトリオスを自室に呼び、そう言った。

「あ、はい」

「解りました」

そう素直にうなずいた二人に、なお、念を押す。

「屋敷外でもだ。友人や家族にも漏らすな。口をつぐんだまま、墓場まで持っていくんだ」

いいな、と言う厳しさに、二人はたじろいだようだ。

「どうしたんですか」

何がそこまで、と解っていない様子に、ジュードは少し、口調をやわらげた。

「あれは若様の戯れで済ます事は許されないだろうと思うからだ」

「そんな、戯れだなんて思っていませんよ!」

「そうですよ、俺たちなんかにあんな有難い言葉をくれて、深い話をして、奇跡ですよ!」

その反応にはため息が出る。

人が過ちを犯すのは、何も悪意ばかりではない。

むしろ、正しく清らかな心で、美しい善意から犯す過ちの方が手に負えないのだ。

この二人はまだ若く、それを実感するのはむつかしいだろう。

「勿論だ。若様にとって、あれは真実だ。それは俺も疑いようがない。酔った勢いとは違うだろう」

それを聞いたのが俺たちだけだ、というのがまずいんだ、と言えば二人も黙り込む。

「今日の事は、偶然に偶然が重なったようなもんだよな?上の方々が俺たちに気安くお喋りなんてしないからな」

それは二人にも解っている。

ジュードはもう一度頷いた。

言葉は人から人に伝わる事で独り歩きする。

自分たち3人が聞いた心からの言葉は正しくても、自分たちが誰かにその言葉を正しく伝えられるわけではない。

「俺たちは若様じゃないからな、若様のお心は知り様がない。表面的な言葉だけが伝わって、それを受け取る側が勝手に解釈するだろう」

そこでもう言葉の本意はゆがむ。

ゆがんだ言葉は人から人にゆがめられ、別ものとなって、やがてミカヅキを攻撃する武器にもなるだろう。

「若様が心を許してくれたからこそ、俺たちがそれをやってしまってはいけないんだよ」

解るか?と問えば、俯いていた二人が顔を上げ、ウォルターの方が、でも、と口を開いた。

「若様は旅に出てばかりで家をないがしろにしているとか、継承を軽く見ているとか、影でそう言う奴もいるじゃないですか」

「そうだな」

「ただの暇つぶしとか軽口とかなんだってのは、解るけど、でも軽々しくそんなことを言ってるのを聞くと、腹立ちますよ」

「まあそう思うのは、俺たちが今日、偶然若様の話を聞いたからだよな」

「そりゃそうなんですけど」

「そんな事全然ないのに、理解されてないなんて、若様が可哀想ですよ」

ここが歳の差だな、とジュードは苦笑する。

ミカヅキと歳が近い二人には、今夜の出来事のせいで「雲の上の人」から一気に「同世代で頑張ってる人」になってしまっている。

ミカヅキの言った言葉に感銘を受けても、それを自分の事のように捉えてしまっている。

同情するな、とミカヅキは言っていたのだが。

こいつらにはまだそこまでは難しいか、と考え、ミカヅキとこの二人の差を見てしまった事で、さらにミカヅキ本人の問題も浮き彫りになる。

ミカヅキの、生まれつき後継者教育を受けている器と中身の成熟度が揃わない事も今回の事を引き起こしたのだろう。

それを思えば、我が子を育てるのにも似たもどかしさにらしくもなく苦悩し、現侯爵もこうして頭を悩ませてるんだろうな、と思ったジュードは。

思わず、失笑する。

「隊長?」

「え?どうしたんです?」

訳が分からず身を乗り出す二人に、いやすまん、と謝りながら笑いをこらえる。

ミカヅキに同情している二人を前にどうしたものか、と悩みながら、自分は現侯爵に同情している。

人ってのは、どうしたってそういうものか、と可笑しさにひとしきり笑ってから、ジュードは二人に向き合った。

「確かにな、若様は他の後継の方がたに比べたら、一回り、二回りも違うんだから仕方ない」

けど今夜の宴で多くの人間は、他の方々と堂々とやりあってる若様を見ただろう?あれを見て少しは考えも変わるだろう?

「そう思わないか」

ジュードは言っておきながら、二人の答えを待たずに、口を開く。

「そうやって、若様がご自身の力で下の人間を抑えつけていかなければならない事なんだ」

まだ幼い。経験も実力も伴わない。それでも後継者であるという事。そう生まれてきた事こそが。

「若様に課せられた使命なんだよ」

誰の手を借りることなく、なさねばならない事。

他の人間が手を貸すという事は、その実、課せられた使命の邪魔をすることにしかならないのではないか。

「言ってみれば、お前たちが昇格試験を受ける時に、俺が甘い評価を付けて合格させるようなものだ」

「あ」

「過大評価で、お前、明日にもお館様の護衛役にでもなってみろ。お城に上がったり、王の御前に出たりするんだぞ」

そう大袈裟にからかって見せて。

「まあ、お前らもいずれはそうなる可能性を秘めた優秀な奴だと思っているから今日の要人護衛に抜擢したんだがな」

ジュードは改めて二人を見据える。

「俺は若様も十分に優秀な方だと思っている。必ず、ご自身の力でそれを果たされるだろう」

だから。

「若様も、正しく自分を見ていろ、と言ったんじゃないのか」

そこまで話して聞かせ、ようやく、二人も納得したようだ。

ジュードの目をまっすぐ見返して、黙って頷く。

新人教育は思った以上に大変だな、とジュードは肩の力を抜いて、背もたれに寄りかかった。伸びを一つ。

「俺はな、他にもいると思ってる。俺たちみたいに若様の言葉を聞いて、一生口をつぐんでる、って奴らが」

「えっ」

「誰が」

「そりゃあれだ、口つぐんでるんだから解らないだろうが。これはもう忠義心の闘いだ。黙っていられない奴から脱落、だな」

顔を見合わせる二人にちらりと笑い。

「まあ、そうは言ってもだな、腹に据えかねることもあるだろう。あんな若様を悪くいわれてはな」

だから、と姿勢を戻し、

「ついぶちまけたくなったら、俺に言いに来い」

ここがお前らの墓場だ、と己の胸を指して言ってやれば、二人そろって大袈裟にのけぞって見せる。

「い、言いませんよ、そんな脅されなくてもっ」

「そうですよ、信じてくださいよ隊長!」

「はあ?」

ああ。

全く。これが世代格差か。

せっかく大見得を切って格好つけてるんだから、びしっと決めさせろよな。

「ばーか、墓場までもってけ、って言っても何十年も黙ってられんだろうが。たまに愚痴吐くくらいなら俺が聞いてやる、って言ってんだよ」

それくらいはいいだろう、と言ってやれば、ウォルターとトリオスはしばらく固まっていたが、力を抜くように相好を崩した。

「なんだもう、隊長にぶっ殺されるのかと思いましたよ」

「解りにくいんですよ、隊長の話」

「なんだと、どこがだよ」

「あ、でも」

と、トリオスが話を遮る。

「隊長、近々退職する、っていう話だったじゃないですか」

「あ、そういえば!冒険者になるって」

ああアレな、とジュードは頭をかく。

「やめだ、やめ。若様のあんな言葉を聞かされちゃあな。一刻も早くお前ら新前を、若様の専門警護に任せられるように仕上げないといかんだろう」

気ままに冒険者に転身してる場合じゃない。

「ですよね!」

「ですよね、じゃねーよ。お前ら、気安いんだよ!」

「左様でございますね!隊長様!」

「あー、解った解った、お前らもしっかり励めよ。いつ若様からお呼びがかかっても良いように、上を目指せ」

「はい!」

「解りました!」

「解ったら明日に備えて寝ろ!明日は本祭りだ、今日よりずっと人も多く同線は複雑だぞ」

「お任せください!」

「俺ら隊長に大抜擢される優秀な人材なんで!」

まったく調子のいい奴らだ。

多少心配なところはあるが、まあ、初めての新人教育にしてはよく話を聞いてくれる方か、とジュードは一人苦笑し。

窓の外に見える月に、目をやる。

明日は観月の本祭だ。

一年で最も美しい月が天に上るといわれている。

きっと明日は、これまでのどの月よりも輝きを増すだろう。

「若様の晴れ舞台だ」

 

 

 

 

* * *

「うっげぇっ、なんだコレすンげえ渋いな!」

ヒロは、月見の宵祭を切り上げてきたミカが「酔い覚ましだ」と言って飲んでいる茶を、興味本位で口にして後悔する。

口の中がバシバシする、とミカを見れば、冷やしたおしぼりを両の瞼に当ててソファーにのけ反っていた。

「そんな飲まされてきたのか、適当に断ればいいのに」

「おいてめぇ若輩者がずうずうしくも我々と同列に立って調子こいてんじゃねーぞという、実質、つまらん洗礼だ、ぜってえ受けて立つ」

「おおう、この若様、口が悪いぞ…」

夜会とはいつもそんな感じで飲まされるのかと問えば、普段はお爺様の隣に控えているから無いな、と返って来る。

「今日はあいさつ回りでこちらから出向いていったから、向こうもそうとう面食らってたんだろ」

侯爵の庇護から離れた年少者に度を越した無茶ぶりをしてみたという所だろうな、と言って、ミカは低く笑った。

「俺が泣きを入れた所で大上段に説教でもすればいいかと軽く構えてたんだろうが、そうはさせるか!…っていう」

「熾烈な戦いだったわけな」

「うん」

「ミカは酔うと口が軽くなるよなあ」

「お前に言われたくないな」

「いや、俺はミカが色々喋ってくれるのは全然いいんだけど」

むしろそれを楽しんではいるけれど。

「何かやらかしてないかなあ、と思ってさ」

と、夜会での失態を心配してみたが。

ミカからの反応がないことに椅子から立ち上がり、ミカが目の上に乗せているおしぼりを持ち上げる。

そのまましばらく見ていると、ミカは寝入ってしまったようだった。

「あーあ…」

思わずため息。服も着替えず、ソファーに横になって、これは朝まで起きないんだろうな、と思う。

チビなら服を脱がせてベッドまで運んでやれるのだが、さすがに同体格のミカは無理だ。

壊れそうな装飾品だけはずしておいてやるか、とそれらに手を伸ばす。

…服は良い生地なんだろうけど、しわっしわになるだろうけど…まあ、いっぱいあるみたいだし、別にいいか、なんて思いながら

ミカがやらかした可能性を考えてみる。

この部屋に戻ってくるまで素面を装って耐えたというのだから、多分、致命的な失態という失態は犯していないだろうけれど。

(まあ、やらかしたっていうんなら、それはそれで)

間違いがあったなら正せばいい。

手を貸してくれと言われれば、手を貸すだけの事。

(だな)

ミカはこの夜会で初めて、祖父の庇護を出たのだ。

それは自分たちのためでもあり、自分たちの未来の為でもある。ミカと、それを取り囲むすべての環境が待つ未来。

それらを視野にいれて、自分たちは進んでいく。

何が間違いで、何を正せばいいかを学びなら。確実に進んでいくのだから。

今夜は。

「お疲れ」

言って、ベッドから上掛けを持ってきてかけてやる。

夜中にソファーから落ちてもいいように床にはクッションを大量に並べておいて。

ヒロは、部屋の灯りを消した。

 

 

 

 

 

 

 

sweet dreams

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宴灯

2016年11月11日 | ツアーズ SS

今夜はレネーゼ侯爵家の庭を中心として開かれる、月見の夜会だ。

月の趣と灯りの華やかさが、絶妙の雅で催されている宴の華やかさの裏で、ジュードは、己の任務を軽く考えていた事を後悔していた。

(一体なにがどうしてこうなった?!)

侯爵家の定例夜会で、次期後継者の護衛筆頭を任されたのは初めての事ではない。

ジュード・フォルダー。

齢四十を前にして、そろそろ昇格の話も耳打ちされる中間管理職。

侯爵家の護衛任務も10年目を迎え、実績と経験も十分、人生半ばにして安泰を手に入れた上々の歩みだ。

そんな中で任される、後継者の護衛筆頭。

過去に3度、この役目を果たしてきたジュードは、残り二名を未経験の新前から選んだ。

そろそろ自分たちの下の世代にも、定例夜会ほどの規模の大きな場での要人警護を経験させておきたかったからだ。

そういう意味では、侯爵家若君の護衛が初任務として適度だと判断した。

決して若君の立場を軽んじているわけではないが、彼はまだ候主の従属の域から出てはいないし、自由意志で行動するわけでもない。

夜会では迎える側として来賓者に挨拶をするのが主だから、常に中央に構えている。護衛する側としても難易度は高くない。

「まあそう緊張するな、俺に任せてお前らは夜会の華々しさでも楽しんでおけよ」

当日までは、この大役に抜擢されて緊張している二名に、軽く笑って見せる余裕もあったのだが。

この夜会での若君は、別人のように活発だった。

若君が候主の元にいたのは、ほんの小一時間だろうか。

「皆様方にご挨拶をしてまいります」

と、その姿がその場を離れた事にジュードは残り二名に、大広間を双方で掩護できる範囲に留まるよう指示を出す。

それをあざ笑うかのように、若君の姿は広間から消え失せた。

(どういうことだ)

広間の賓客へのご機嫌伺いではないのか。

勿論、護衛筆頭を任されるこの自分が護衛対象の若君を見失うことはないが、新前の二名は予想外の事態についてこれていない。

二人を呼び、若君を追わせるだけでも一苦労だ。

自分たち護衛は華やかな席で目立つわけにはいかない。若君は自由自在に移動しても、自分たちには制限がある。

人のいない廊下を選び、立ち入れない部屋を迂回し、庭から庭へ、館から館へ、人目につかない様、宴を妨げない様行動する。

それを難なくやってのける二名を選んだとはいえ、ここまで若君に振り回されるとは思いもしなかった。

後を追う事は二名に任せ、ジュードは他の護衛との連携にも神経を向けなくてはならない。

若君の移動する先、挨拶をする相手の把握、その方々についている護衛との接触、先々でありとあらゆる連絡を取り合い、移動を明確にしておく。

これだけ派手に動かれると、その連絡網も混乱しているかもしれないな、と思ったがどうしようもない。

事前にこれを把握しておかなかった自分の手落ちだ。

そこに、別の要人警護を担当する同僚が足早に近づいてきた。

「アルセス様はもうリフォルゼ侯爵の部屋に戻られたのだったかな」

「いや、アルセス様ならついさっき、若君と池の東屋に向かわれた。至急か?」

「リフォルゼ侯爵に挨拶をしたいと公の方が来られたようだ。アルセス様もお顔を出した方がいいと思うが」

「解った、お話が済み次第、お伝えしてみよう」

上の方が一人動くだけで、数十人の人間が動く。それらすべての動機を把握し、混乱が生じない様前もって配置図も頭に入れておく。

そういう煩雑さがないのが若君の警護の良い所だと思っていたのだが、見事にその大渦に巻き込まれている。

あの二人には厳しいな、と判断し、ジュードは自分でそれを請け負った。

若君が向かったという池の東屋、そこへ続く庭へ降りる寸前、ジュードの肩を同僚が叩いてくる。

「なんだ、至急か?」

「いや、お前大変な時に筆頭を受けたな」

「何」

「若様は化けるぞ」

「はあ?」

「という見方だ。対応を間違えるなよ。ああ、アルセス様には迎えを出す」

頼んだぞ、と言って廊下の向こうへと去っていく。

化ける。うんそうだな、確かにもう化けてるな。と思いながら、ジュードも池の上に張り出した東屋へと向かった。

こんなに積極的に諸侯の方々に働きかけている若君の姿は想像だにしなかった。

華やかな場に埋没することなく注目を集め、堂々と上の方々と渡り合っている。そういう教育を受けているのだろうが、

自分ならあの歳で、ここまで臆することなく、一挙一動で周囲を圧倒することはできないだろうな、と思う。

旅から戻ってきた若君、あれは魔物か何かが化けているのかもな、などとつまらないことを考えながら、庭を回り池へ着く。

東屋から少し離れた場所で待機している二名に様子を訊ねて、機会をうかがっている間に別の護衛が到着した。

リフォルゼ侯爵家の護衛だ。

互いに確認しあい、リフォルゼ家の護衛は自身の主に用件を伝えるため東屋へ入る。

池から月を鑑賞し、対岸の園遊の様子を眺める東屋だ。四方に壁はないので会話はそれとなく聞こえてくる。

「ではなミカヅキ、次はわが夜会に招待しよう。うちの娘たちも喜ぶだろう」

「あまり姫君の期待を高めないでいてください。お会いした時に失望されるのは痛ましいので」

「何を言うか、そろそろお前も2,3の姫君を手玉に取るくらいの器量を身に付けんか」

ああ、見合いか。そうだな、そろそろ年頃でもあるし、そんな話も増えるだろうな、と考えているうちに東屋から護衛が離れた。

後に、リフォルゼ家の次期後継者であるアルセスが出てくるのに最敬礼をし、目の前を行き過ぎるのを待つ。

「少し下りになっております、お足元にご注意ください」

小径の先に控えさせていた一人が、アルセスを先導する護衛に角灯を差し出したが、この径は慣れているので、と断られている。

彼が指した先を見ればもう一人、灯りを持っているのが見えた。そこまでは大丈夫か、とジュードも二人に控えるよう合図を送る。

護衛とアルセスの無事をそれぞれに見送りながら、池の向こうへと灯りが遠くなるまで待ったが。

東屋から、自分たちの主が出てこないことに顔を見合わせた。

ここは筆頭である自分が行かねばならない。

ジュードは、先ほどの護衛がとった行動と同じに、東屋の入口まで進み、膝をつく。

「若様、どうかされましたか」

東屋にかかる四隅の灯篭の灯りでは、中で座っている人影は見えても様子までは詳細に知ることができない。

物陰から声をかけると、意外な言葉が返ってきた。

「大丈夫だ、少し寝る」

その返事には耳を疑う。

「寝る、とは」

「言葉通りだ、30…、いや20分で起こせ」

そう言われても承服できることではない。

「お体を冷やしてしまいます」

池の上に張り出した東屋だ。それにこの季節、上の方々は優雅さを競い合うので衣装も薄い。

傍まで近づいた方が良いか、迷う。自分の立場ではそう易々と声をかけていいものでもない。

一介の従者が、次期後継者ほどの方に語り掛けることはまずないので、自分の言葉遣いが正しいかどうかの不安もある。

(だが若君は、あきらかに様子がおかしい)

そう考えた時、冷やしたいんだ、という声が聞こえた。

その不穏な意味を考えようとした時、音もなく隣に寄ってきた一人が、小声で耳打ちをする。

「アルセス様の勧めで」

強いご酒を過ごされたようで、と続いた声はさらに小さく聞き取れないほどではあったが、十分に理解はできた。

ジュードにも覚えがある。年配の者が年下に強い酒を強要する事は、上流も下流も変わりはないのだな、と。

これを飲めるようになったらお前は一人前だ、などとは、もう酒宴の決まりごとのようなものだ。

だがそれで若君に何かあれば、と、二人が責を感じているのだと理解して、ジュードはその肩を叩く。

大丈夫だ。これはお前たちが口を出せる立場ではない。あとでそう言ってやらねばな、と、立ち上がる。

その気配に、かすかに吐息交じりの声。

「わかった、10分だ」

そう言われ、それ以上は譲る気はない、と言外に込められることで、自分の行為も若君を追い詰めているな、と気づいたジュードは

大人しく引き下がるしかなかった。

「かしこまりました」

彼ほどの格を持つ人間ならば、無様な姿を人前に晒すことを許されはしないのだろう。それが一介の従者なら尚更。

わずか10分で、周囲に醜態をさらす危うさを押し込め、毅然と振る舞えるように立て直せるものだろうか。

屋根の下を出て、他の仲間と共にその場で待つ。

やはり同じように若君を案じている二人に目くばせをし、それまで以上に神経が張り詰める中、10分。

10分で東屋の中に戻り、灯りを灯すかどうか迷ったが先に声をかける。

「若様」

宴の中心から離れた静かな東屋で、身じろぎする気配。それから間もなく若君が身を起こし、立ち上がる様子を見せた。

わずかながら安堵している自分がいる。

ジュードは足元の角灯に灯りを入れ、主を待つ。

ほどなくして、上着を羽織りながらミカヅキが出てきた。

「ご苦労」

その声は、何事もなかったかのように平静だった。

黙って礼を取り、後に従う。

先に行くミカヅキに外で待っていた二人が道を空ける。

「あ、若様、先導なら私が」

「いや、いい。自分で持つ」

外に控えていた一人から角灯を受け取る様子もしっかりしている。

従者にまかせず、自分の手間は自分で済ませる、いつも通りの彼に見えた。

灯りのない庭を、手元の角灯だけで行かせることに不安がなかったわけでない。これが別の人物ならあり得ないことだ。

だがこの主は身の回りのことに手を借りないでいる姿勢を貫いてきた。

それに慣れてしまっていたジュードは、当然のようにミカヅキのすぐ後ろに着いたが。

「危ない!」

闇の中、足元の地面が緩い場所があったのか、ふいにぐらつく主の体をとっさに支える。

「だ、大丈夫ですか!」

「若様!」

他の二名も慌てて駆け寄って自分を取り囲むのを見て、ミカヅキは困惑したようだった。

「過保護もすぎるぞ、お前たち」

こんなふうに、きやすくミカヅキから言葉をかけられることなど、これまでになかった事だ。

「え?過、保護…?過保護、とは…」

「言葉通りの意味だが」

今度は、ジュードたちが困惑する番だった。

「いえ、我らはそれが役目ですので…」

「ええ」

そのわずかな間。

そうか、そうだったな、と言ったミカヅキがまた先に立って歩き出す。

思わず三人で顔を見合わせたが、すぐに彼の後を追った。

なんだ、これは。どういうことだ。いったい何がどうしてこうなった。

もう今夜だけで何度胸のうちでつぶやいたか知れない言葉を、またこうして繰り返している。

今まで通りの主でありながら、今まで通りではありえない事が起こる。

(若様が旅から戻ってからだ)

そう考え、魔物が若君に化けているのではないか、などとふざけた事を考えていた自分を笑えなくなる。

(まさかな)

と思ったのは、この灯りのない道をゆらゆらと揺れる角灯だけを頼りにしているからだろう。

「若様はまだ気ままな旅の感覚が抜けておりませんか」

本来なら、護衛程度の立場で直接に話をしていい存在ではない。

だが、若様は化けるぞ、と言った同僚の、対応を間違うなという言葉が引っかかっていた。

何が正しく、何が間違いなのか、ミカヅキの反応でしか推し量れない。

無礼な、と一喝してくれるならそれで安心もできただろうから、それでも良かったのだが。

「…うん、そうだな」

と、言ったミカヅキが立ち止まり、ジュードを振り返る。

「そのせいでお前たちには余計な混乱を押し付けているよな」

そんなくだけた会話をするミカヅキは初めて見る。

このままだと、迷惑をかけてすまない、などと言い出しかねない。まだ子供だとは言え、主にそれをさせてはいけない。

「構いませんよ、たいていの事ならいい刺激になります」

わずかに灯りを持ちあげ、ことさら明るい声音になるよう、ジュードは笑って見せた。

「刺激…、か」

少し気が抜けたような反応に、ジュードは続ける。

「何事もなく、なだらかな平穏な中では多少の刺激も欲しくなる、というのが人間ですよ」

その

言葉にしばし沈黙し、そういうものか、と呟いたミカヅキに、まさか化けてませんよね、などと言えるはずもなく。

そんな心中を知るはずもない後ろの二人が、そうですよ、そんなもんですよ、と無責任に同調している。

(お前ら言葉遣いが軽いぞ)

だが彼らもまた、このあり得ない事態に、身の置き所がないのだろうなと思えば諫めることもできない。

それが功を奏したのか、自分を護衛している人間を一人ずつ確認するように見やったミカヅキが、そうか、と再びジュードを見た。

「じゃあ…、この近くに、衛兵の小屋はなかったか」

と尋ねられ。

それがどのような意味を持つのか考える間もなく、体が冷えた、と悪びれもせず言うミカヅキに思わず呆気にとられる。

 

まさか、だから言ったじゃないですか!と言うわけにもいかず、ええと、とジュードが口ごもれば、背後の一人が右手を示す。

「そこの脇を下ったところに、簡易の小屋がありますが」

今は誰も詰めていないかと、と言うのに、ミカヅキが、それでいい、と応じた。

「湯を沸かすくらいできるだろ」

つまり体が冷えたので衛兵小屋で温かい飲み物をご所望らしい。

もうこれだけでも十分な異常事態だが、それに続く会話も尋常じゃない。

「とんでもない!若様に白湯など出せませんよ!」

「そうですよ、私でも茶を淹れるくらいはできますので!」

と続ける二人に、ジュードは、おいおいお前ら若様を衛兵小屋に招待する気か、安い茶を出して良いと思ってんのか、と

これ以上は止めた方が良いのか、ここは敢えて見て見ぬふりをするのがいいのか、迷いに迷う。

対応を間違うなよ、という言葉の重さが、今更ながら抱えきれない荷となってきた。

それも数秒。

先に行って使えるかどうか様子を見てまいります、と一人が先に駆けだす。

「あ、おい、灯り…」

それを追って、ミカヅキが自分の角灯を手渡そうとすることに、もう主従関係の有無があいまいになっている。

「いやー平気ですよ、奴は暗闇専門なので」

同僚といるような錯覚に陥っているのか、主にそんな口をきいている部下には、さすがにジュードも声を荒げる。

「おい!」

「あっ、も、申し訳ございませんッ!!」

可哀想な事をした、と思うほど、我に返った部下は恐れおののき、その場で文字通り飛び上がり、足を踏み外して体制を崩した。

それに慌てて手を伸ばし体を支えてやったのは、ジュードとミカヅキと、同時。

その場で三人が固まり、この始末をどうしようかとそれぞれに窮地に追いやられている間に。

「そう怒るな、いい刺激なんだろ」

そう言ったミカヅキの声音が柔らかいことに救われた。暗闇では表情までは解らないが、おそらく、流してくれたのだろう。

先にミカヅキが手を離し、ジュードが強く引いて体制を立て直すのに手を貸せば、彼はミカヅキに最敬礼をとる。

「ご無礼をいたしました!」

「いや、今宵は観月。灯りの宴だ。月明かりの届かない場所での無礼を見咎めるのは無粋というもの」

と、まるで詩でも読んでいるかのような優雅な口調で空を指す。つられてそちらに目をやれば、月が雲に隠れている事に気が付いた。

だからこんなに暗い、と思っていると。

「と、いう事にしておけ」

と軽い口調で、それまでの切迫した空気を振り払ってしまった。

まだ16,7の身でも、生まれながらにして上に立つ者としての才覚は疑うべくもない。

ジュードたちの手落ちを問わないと同時に、自分の今の奔放も見逃せ、と場を和ませることも含め。

ジュードは無言で敬礼をすることで、この場を流してくれたことに謝意を表した。 

「では、参りましょうか」

様子を見に行った仲間を追うように、部下をミカヅキの前に立たせ、先に進むように促す。

「ここから下りなので、ご注意を。躓くと止まれませんよ」

 と、ミカヅキの後につき、ジュードが声をかければ、ミカヅキは笑ったようだった。

「躓いたら、お前にぶつかればいいんだろう?トリオス」

ああ、トリオスを先に立たせた理由をちゃんと理解している。

そのこともジュードの気を引いたが、何よりも、トリオス、と名前を読んだことに驚いた。

「どっ、どうして私の名を」

驚いたのは彼も同じ、いやそれ以上か。思わず背後を振り返り、ミカヅキとジュードを交互に見やる。

「…なぜ、そんなに驚くか」

勤めてくれている人間の名前くらい解っていて当然だ、とミカヅキは。

「先に行ったのがウォルター、お前がジュードだろう」

と何でもない事のように、背後のジュードを振り向いて言うが。

こんな末端の護衛まで見知っていてくれているのか、という思いに胸は熱くなる。

旅に出て屋敷を空けているばかりの主だが、確かに自分たちの主なのだ、という思い。

ご苦労、と言われるその言葉の意味。

飾りではなく、真に、主は自分たちをねぎらって言葉をくれているのだと信じられる。

「光栄です」

それ以上は言葉にならない。

このことがジュードたちにどれほどの衝撃を与えたのか、などと思いもよらないのだろうミカヅキが

「大袈裟だな、幾ら観月でも大手合いは控えるぞ」

と、夜会の言葉遊びを言いかけ。

いや、と、その場で硬直する。

「…今のは言ってはまずいことなのか、…ひょっとして」

護衛二人の反応が異常に熱っぽいこと、感極まっていることに、ようやく気が付いたようだった。

主がそれを口にすべきことでないのかどうかは、自分たちには解らない。ただ、このような経験は過去に一度もなかったと思う。

どう反応していいか解らず、思わず立ち止まっている護衛二人を見て、ミカヅキも動揺したようだった。

今のは聞かなかったことにしてくれ、と、つぶやくように言う。

それにもどう反応すべきか迷うジュードより早く。

「誰も聞いていませんよ、月明かりの届かない今だけの話ですからね」

と、トリオスが精いっぱい虚勢を張り、そう言ってのけた事に、救われた。内心で称賛する。今だけだ。

今だけは、きっと主と歳の近いトリオスの感覚が正しいのだろう。

先ほど自身が言った言葉で切り返されて、ミカヅキも失笑するしかない様だった。

「いや聞いてないならいいんだ」

「ええ、はい、急ぎましょう。せっかくのお茶が冷めてしまうやも」

き易く、そんな軽口を叩けるのも若気の至り様様だな、とジュードは選んだ二人の助力を痛感する。

周囲を難なく圧倒するほどの才覚を、常に維持していることは、やはりミカヅキであっても負担であるのだろう。

ここで軽口を叩ける相手がいることに、重要な意味があるのかもしれない。

「あいつは本当に茶を淹れられるのか」

「酔いを醒ますほど苦いですよ」

と、ジュードもこの戯れに乗れば、「…それは良いな」と、先を行くミカヅキが本音をこぼしたように思えた。

(ああ、そうか)

若様は化けるぞ、と言っていた同僚の言葉がようやく解った気がした。

かつて、正統後継者として屋敷中の人間に慕われている若君がいた。

まだ少年兵だったジュードも、彼が候主となる日の事を疑いもしなかった。

人柄も良く、誰からも慕われていた。諸侯らの覚えも良く、領地もこぞって彼の継承を待ち望んだほどの若君だった。

彼の人のためになら命を代えてでもお守りするのだと、人生のすべてを彼に捧げるつもりで鍛錬した。

そんな自分の若い時代を思い返し、新前たちにもミカヅキという主を唯一無二の主だと、お前たちだけの主なのだと、

命を賭して余りある方であると身をもって解らせるつもりで今夜の夜会に指名したのだ。

自分は主を喪ってしまったから。

もう二度と、あのような忠義はないのだと思っていたから。

せめて若い世代に託そうと、考えていた己の浅はかさを思う。 

ミカヅキという次なる正統後継者に、全てを捧げる人員を育てることが、自分の新たな忠誠の誓いだと思っていたけれど。

ミカヅキは、化ける。

まだ少年の域も出ない主は、成長し、後継者としての階を着実に上っていく。

(我らは今、それに立ち会っている)

初めから後継者として立つ若君に頭を垂れる自分は、過去にしかいない。

完成された後継者は、過去にしかいないのだ。

(対応を間違ってはならない)

一度主を喪った自分にできることは、今ある新しい主の正しい姿を見ることだ。

そして、確実に上り詰めていく姿を見上げる事になるだろう。

地へ向けていた視線が、天を向く未来は、輝かしい。

新しい主は、それをひとつひとつ見せてくれるのだ。

宴の度に、忠誠を誓う光が集まる僥倖を。
 
 
 

観月夜会は、集う貴族たちに次期後継者という月を捧げたのではない。

自分たち従者にも、正真正銘の主を下されたのだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 観月の隅っこであった話

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2016年11月05日 | ツアーズ SS

レネーゼ侯爵家の月見会。

「今度の夜会は若君が何か仕掛けるという噂ですけれど、アステ様はそれをご存じ?」

そう尋ねてきたのは、学友の誰だったか。

そんな事を聞かされたアステは一瞬で頭に血が上ってしまったので、その場に誰がいたかも覚えていない。

「当然ですわ、兄上様の事ですもの!」

でもそれを口にしてはいけませんの、お解りになるでしょう?と後に続く会話をぶったぎり、立ち上がる。

「私もお手を貸さなくてはならないので、屋敷に戻る手筈ですわ」

あくまでも寝耳に水であることは秘しておかなくてはならない。

さも当然のように、屋敷に戻るそぶりを見せれば、そんなアステの粗を突くように背後からかかる声。

「え?でも、今から戻られても間に合わないのでは…」

なんと愚劣な!学友たちの前でこの自分に恥をかかそうとする輩はどこのどいつだ!成敗してくれる!!

と振り向いた先では、一様に全員がきょとんとした顔でアステを見ていた。

全く稚拙な学友ばかりで対処に困るわ、とアステは満面の笑みを浮かべる。

「兄上様は優秀な方ですのよ、夜会に私の手助けなど必要とするはずもないでしょう?」

その後ですわ!と、両腕を広げて力説する。

「夜会で皆様をもてなした後の心配りに私を必要としておられるのです!」

「はあ」

「まあ、お解りにならなくても仕方ありませんわね、レネーゼ家が如何に皆様に尽くしているかなど公にするものでもございませんもの」

そんな事、アステだって解りはしないがもう引き下がれない。

では御機嫌よう来週には戻りますわ、と言い置いて学舎を飛び出してきた。

大体なんだというのだ。

何でそんな重要な事を、それも兄に関する重要な事を学友の誰それが知っていて、自分は知らないのか。

不愉快極まりない。

ないがしろにされている、とアステは思う。祖父にも、兄にも、…これは家を継承する男性陣営の壁の高さではあるが、

それにしても同じ女性陣営の母でさえも、この自分をないがしろにしている。

唯一の味方からのこの仕打ちはどうだ!

こんな大事な時に、学び舎などというぼんやりした場所で、ずんぐりした顔の教師とのっぺりした顔の学友に囲まれて

だらだらとした授業など受けていられるとお思いなのか、わが神よ!!

 …という一大決心で休学届を出し、その足で馬車に乗り込み着の身着のまま駆けつけた。

「帰りますわ!」という一言に何の異も唱えず素直に着いてきた傍仕えのマリスも一緒だ。

一緒に、兄に説教されている。

「一週間も休学届を出す奴があるか!三日で帰れ!」

「帰れませんわ!来週戻ると言ってしまったんですもの!三日で帰ったらまるで私が役立たずのようではありませんの!」

「それはお前が発言した事だ、最後まで自分で責任をとるのが筋だ、帰れ」

「責任をとって一週間休学しますわ!」

「責任の取り方がおかしいだろ!お前が休学して困るのは学舎側だ、どれだけ迷惑がかかるか考えてみろ」

「迷惑などかけませんわ、一週間程度の授業の遅れなどこの私には取るに足らない内容です!」

「お前は良いかもしれんがマリスはどうする、マリスだってお前のお遊びで授業を放棄させられているんだぞ」

「ヒドイ兄上様!私の侯爵家に掛ける意気込みをお遊びというなら授業なんて幼児のお遊戯ですわ!!」

「きゃーお名前をお呼び頂けるなんて身に余る光栄でございます!それだけで私の授業なんてお遊びで結構です!!」

「お前らなあ…」

屋敷に戻った以上、母に会わねばならない。

父の元に匿ってもらっても良いのだが、あの父は自分の身を挺してまでアステを庇ってはくれない。

とても優しい父だから「婿養子で母上様に頭が上がらないのですわね」と憎まれ口をたたくアステに、ただ笑うだけだ。

大門から母の住まう館まで、馬車はゆっくりと走らせたけれど。

久しぶりに会った兄と交わした会話は、アステの休学届の事についてだけであっという間に終わってしまった。

「先に母上に話があるから待っていろ」

と兄に言われて、隣の小部屋で待っていたアステと傍仕えのマリスだが。

それぞれ別室に呼ばれ、アステは母の厳しいお説教を半時間ほど聞かされた。

その時間でさえも、考えるのは兄の事だった。

馬車の中で、兄は良くアステに構ってくれた。そのほとんどが説教でしかなかったが、それでも、今までの兄とは別人のように、

アステの話を聞き、それに対する自分の考えを述べてくれ、傍仕えのマリスの事も気に掛けてくれたのだ。

アステの知っている、優雅で優美で、学友の誰と比べても圧倒的な品行方正、完璧で非の打ち所がない紳士像だった兄ではなかったが

その美しい紳士像を殴り捨てたとしても、ちゃんと向き合って話をしてくれたことが嬉しかった。

だから。

母の説教も、なるべく口答えせずに耐えた。つまらない小言の時間など早く終わらせて、兄の元に戻りたかったからだ。

なのに。

なのになのに!!

「若君様はもうお出になられましたが…」

と、部屋仕えの女中に告げられて、なんでなのよー!!!と喉も張り裂けんばかりに絶叫しているアステである。

昔と同じだ。

これでは、昔と同じだ。兄に構ってほしくて癇癪を起してばかりだったあの頃と。

大声で泣き叫んで手にしたあらゆるものを振り回して投げ飛ばして、床に大の字になって暴れたことだって数えきれないほどだ。

その度、兄は困ったようにただじっと傍に立ち尽くしていた。アステが周囲になだめられ落ち着くまで、そこにいてくれたのに。

今は、別れの一つもなく去ってしまうのか。

これでは昔の方がまだましだ。昔の方、が。

「兄上様は昔からそうですわっ、正しくてお美しくいらっしゃるけど冷たくて私に対する情けなどないのですわ!」

「まあまあ、アステ様、そう仰らないで」

騒ぎをきいて駆けつけたのは、母の侍女だ。

レアは怒りのやりどころのないアステの背を優しく撫で、落ち着かせてくれる。

「兄上様は、昔からアステ様に格別優しくていらっしゃいますよ」

「どこがよー!」

「アステ様をここまで送ってくださったのでしょう?」

「だって、兄上様は母上様に用事があったからだわ私なんてついでなのだわ」

自分で言って悲しくなる。こぼれた涙を、レアがハンカチで優しく押さえながら、あらあら、と言った。

「ミカヅキ様はミソカ様に、妹を叱ってやってくれるな、とお願いに来られたのですよ?」

先に母上に話があるから、とアステを部屋に残して出ていった兄。

その兄の話。

「え?」

顔を上げると、レアがにこり、と笑った。

「アステ様がこのように取り乱して戻ってきたのは、自分が突発的な行動を取ってしまった事が原因だから、と」

妹を驚かせてしまったのは少なからず自分にも非がある、まだ幼い彼女の心情を汲んでやってほしい、と言い。

「休学した事に関しては自分が馬車の中で叱ってしまったので母上様にはほどほどに、って仰られていましてよ」

「そんな事…、兄上様が?」

「ええ、私ちゃんとこの耳でお聞きしてましたもの」

「そんな事、そんな事言って、…母上様はしっかりお説教されたじゃないのー!」

「まあ、アステ様、半時間ほどで済んだじゃありませんか」

ミカヅキ様のとりなしがなかったら半日かかっていましたわよ、と大真面目にいうレアには笑えない。

母は本当に半日説教をするだろうことが解るだけに笑えない。

「だってだって、終わったら兄上様ともっとお話ししようと思っていたのよ」

「…まあ、そうでしたの」

「一緒にお庭に出て、習ったばかりだけどお茶を淹れて差し上げたかったわ」

「きっと褒めて下さったでしょうねえ」

「その後バイオリンを聴かせて下さってピアノも手ほどきを頂いて、ご本も読んでいただこうと思っていたのよー!」

「そ、そんな時間はありますかしら…」

ミカヅキ様はとてもお忙しくていらっしゃるから、とレアがいうことは解る。

ずっと兄を見てきたのだ。いつも大人たちに囲まれて、後継者としての教育ばかりで一日が終わっていた。

その忙しい合間を縫って兄妹として過ごしてもいても、兄は遊び相手ではなく、後継者だった。

「レア様、ちょっと」

と、女中に耳打ちされたレアが、「アステ様、急いでおいでになって」と、アステの手を引く。

レアに連れられて部屋を出、廊下を少し行った先で窓の外を見るように言われる。

窓の向こう、階下では今にも馬車に乗り込もうとしている兄の姿が見えた。

こっちを見上げている。まるでアステがここに立つまでそうしていたように。

「少し待っていて下さったんですわね」

と言ったレアが、下のミカヅキに手を振ると、それを見て兄は会釈を返した。

綺麗な礼だわ、と思う。教科書に載るような、規範の姿。アステのよく知る、兄の立ち居振る舞い。

ほらアステ様も、とレアに促されて、アステもぎこちなく手を振って見せた。兄の反応を知りたいような、知りたくないような。

そんな葛藤を知るはずもない兄は、軽やかに手をあげた。

その別れ一つが潔く。

兄はわずかな名残も見せず、馬車に乗り込む。従者が扉を閉め、その場から離れれば、兄を乗せた馬車は走り出した。

「姫様っ」

馬車が見えなくなるまで窓の外を見ていたアステに、マリスが駆け寄ってくる。

「マリス、駆けてはいけません」

傍にいたレアに注意され、マリスが慌てて背を正す。

「ゴメンナサイ、…あっ、いえ、申し訳ありません!」

「学校でのお転婆は私もよくやってしまいましたけど」

と言ったレアが、アステとマリス二人を交互に見て、

「こちらではちょっと背伸びして、優雅な貴婦人でいる自身を楽しんでいらしてね」

茶目っ気たっぷりにそんなことを言われて二人、その言葉を考えていると。

もう大丈夫ですわね、とレアがいう事にアステはうなずいた。

母のもとに戻るレアの姿を見送って、アステも自室へ戻る事にする。

「どこへ行っていたの」

「姫様と同じです、お説教されていました」

と、明るくふるまうマリスに、今更ながら申し訳ない気持ちになった。

兄に言われた事が、現実味を帯びる。

「ごめんね、マリス、すごく怒られた?」

「すごく怒られました、けど、姫様もすごく怒られたでしょう?同じですねっ」

同じかしら、とアステが困惑すると、マリスが、これ、と二つに折りたたんだ用紙を手渡してくる。

「姫様の兄上様からです」

「え?」

兄が自分に言葉を残してくれたのか。

慌ててそれを広げ、何が書いてあるかを確かめる。

そこには、城下町の住所と宿の名前が書いてあった。

「なにこれ」

「あの、これからは休学届を出す前にまず、ここに連絡しろ、って言われました」

「これ、兄上様の字かしら?」

「そうだと思いますけど」

「ふうん」

もう一度、住所と宿の名前を見る。

「知らない宿だわ、ここに泊まれって事なの?」

「いいえ、姫様が兄上様に会いたいって連絡したら、兄上様の方から会いに来て下さるって事です」

「えっ、兄上様が来て下さるの?!」

「あ、手が空いてたら行くから、っていうことでした」

「学舎まで来て下さるの?」

「そうでしょうねえ」

と言ったマリスが、にっこりと笑う。良かったですね姫様、と嬉しそうに。

怒られちゃったけど怒られた甲斐はありましたね、なんて不届きなことを言う。

不届きだけど。

そうか。もう、すごく怒られるような真似をしなくても、兄が会いに来てくれるのだ、という実感がわく。

あの学び舎に。

教師たちがこぞって絶賛する兄が、学友たちが先輩たちのうわさを拾って夢中になる兄が、実際に来る。

誰もが憧憬する幻想だった兄が、実在するアステの兄として、あの場所に来るのだ。

「あ、兄上様は、いつもはもっと物静かでお美しい方なのよ?」

と、マリスを見れば、マリスはにこにこと頷いた。

「はい、そうでしょうねえ」

「あのね、今日はちょっと怒っていらしたから、あれなんだけど」

「はい、怒られちゃいましたもんね」

「解ってる?いつもの兄上様はすごく素敵なのよ!」

「はい、今日もものすごく素敵でいらっしゃいましたよね」

「え?素敵、だった?」

「すごーく素敵でしたよ、私ずっとどきどきしちゃいまして…姫様は違うんですか?」 

 違うのか、と言われて言葉につまる。

それをマリスは、ああ、と解ったように頷く。

「姫様は小さい頃から兄上様をよくご存じですもんね、私なんて姉様たちがきゃーきゃー言ってる話でしか知らなくって」

「ええ、そう、そうね」

「実際お会いして、あんなに厳しく怒られちゃうと、姉様たちは怒られたこともないんだわ、って優越感で胸が満たされます」

「あ、ああ、そう、なの」

愛らしい顔をして、結構腹黒いことを口にする傍仕えの少女には、時々気後れすることがあるものの。

そう言われて、ずっと穏やかでなかった心中は、自然に和いだ。

学友に夜会の話を聞かされた時からずっと、心をざわつかせていたもの。

いや、それよりもずっと以前から、アステを翻弄し、惑わせ、苛立たせていたものは。

幻想の兄。

屋敷にいた間は兄ではなく後継者という幻想であり、そこから抜け出した先、学び舎では周囲が創り上げた理想という幻想だった。

誰よりも自分が知っているはずの兄は、その幻想の中にあってどうにも捕まえられず、虚勢を張ることでしか立てなかった自分。

その幻想を、今日の兄は、乱暴に蹴散らしていった。

粗野な振る舞いで、優雅さや気品などというものなど歯牙にもかけず、あっという間にアステの虚勢もろともをぶち壊した。

それは高く、潔く、アステのこれまでを無にしておきながら、最後には優しい。

兄上様は昔からアステ様に格別優しくていらっしゃいますよ、そういっていたレアの声が心に響く。

そうだ、兄は優しい。

「姫様」

「手紙を書くわ」

零れ落ちる涙を手の甲で拭いながら、アステは兄を思う。

「兄上様はお忙しいから、きっとすぐにはいらしてくれないでしょうけど」

「はい」

「できれば次の学園遊会にお招きしたいと思うわ」

「いいですねっ、絶対来ていただきましょう!だって普段でもあんなに素敵なんですもの」

園遊会での兄上様は壮絶に素敵なんでしょうね、というマリスが、その時は私も横にいさせてくださいね、と

ちゃっかり笑わせてくれることに、もちろんよ、とアステはその手を握りしめる。

存分にマリスの姉様たちを羨ましがらせるといいわ、と笑顔で約束をする。

何もいわずただついてきてくれた少女に、いつもそばに寄り添ってくれる少女に、粗野な兄を素敵だと言ってくれた少女に。

素直な感謝を込めて。

「この上ない優越感を味わわせてあげるわ!」

「はいっ、楽しみですっ」

幻想を抜け、広い世界に向けて吹きすさぶ感情は、もう誰からもないがしろにされることもない。

優しい嵐を呼ぶ。


月にうさぎが

2016年10月11日 | ツアーズ SS

スワルツ・サリス・オットリー。

オットリー侯爵の祖父を持ち、次期後継者である父と、その長子である兄に、「お前は侯爵家の一員としての覇気が足りない」と

常日頃から責めたてられながらも、一切口答えせず、道も踏み外さず、心優しく育った21歳の好青年である。

…と、自分では思っている。

観月の夜会に招待され、祖父、父、兄と共にこのレネーゼ侯爵家の敷地内に滞在していたのは二日。

朝食後、先に帰るという祖父たちを見送ったサリスは、同じように今夜の夜会までの滞在を課された他家の子息たちと合流するか否か、

考えあぐねながら美しい庭をうろうろしていたのだが。

なんと不運なことに、レネーゼ侯爵の次期後継者、ミカヅキに遭遇してしまった。

(朝からついてねえ!!)

はるか格上の君と対峙するのには欠かせない拠り所である、数の優勢、がない孤立無援状態。

しかし気づかなかった振りも出来ない至近距離では歩み寄るしかない。

相手の許しを窺う絶妙の位置まで歩を進め、なるべく穏やかに、年長者の余裕を持って、にこやかに挨拶をする。

「これはこれは、おはようございますね、ミカヅキ殿」

「ああ、…貴公も」

ミカヅキは昨夜の豪奢な夜会とは違い、気取りのない楽な服装で、何をするでもなくベンチに座って庭を見ていた、という感じだ。

そういえば、こんな無防備な彼は初めて見るな、と思った瞬間、ここはレネーゼ侯爵家の方々の住居区域なのか、と青ざめる。

「あ!ま、まさか、ご住居に迷い込んでしまったのでしょうか、あの、お庭を散策させていただいていただけなのですが!」

と、思わず自分の来た道を振り返り、自分が滞在している屋敷はあれだよな、と確認するサリスに。

いや、とミカヅキの冷静な声が重なる。

「貴公の誤りではない、ここは居住区ではないので、ご案じめされるな」

居住区ではない、と言われ、やっぱりそうだよな、という安堵感と、じゃあなんでこの人ここにいるんだ、という疑問が浮かぶ。

客人が居住区に立ち入らないのと同じように、屋敷の人間も客人がいる時はそこに無闇に立ち入らないのが礼儀だ。

これはサリスたちが仲間内で内密にミカヅキを揶揄するような「自由奔放」という域を超えているのではないか。

ならばここは年長者として、皮肉の一つでもって、それを窘めるべきかとサリスは頭を悩ませる。

次期後継者である彼の軌道を修正するのも周囲の子息の務めである、とは、日ごろ父や兄に口うるさく言われていることの一つだ。

「ああ、そうでしたか、いやあ、こちらのお庭は広くて勝手がつかめないのはミカヅキ殿も同じですか」

言いながら、これ皮肉になってるか?と内心で苦悩する。

言葉の裏でミカヅキの行動を窘め、彼自身が間違っている事に気づいて改めて貰わなければ、自分の皮肉はただの挑発だ。

(それはヤバイ!!)

いつもは他の仲間に任せっぱなしで良いので、こういった事は苦手分野だな、とサリスが勝手に窮地に陥る羽目になっている。

「いや、えっと、今のはですね、このお庭でミカヅキ殿と邂逅した事に始まって、えーと」

自分の放った嫌味を自分で相手に解説し始めるこの道化ぶりはどうだ!

そんな絶望的な状況を救ったのは、意外にも目の前にいるミカヅキだった。

「いや、貴公の言う事は解る。尤もだ」

余計な気を負わせたようだから言うのだが、という前置きで、ミカヅキが自分の背後へと目をやる。

「あちらの館、あれに、昨晩紹介した冒険者の三名を滞在させている」

と言って、今は自分もそこに身を置いているので、ついその延長のような形でここまで出てきてしまったのだ、と説明する。

「なので無作法はこちらだ、以後気を付ける」

「えっ、ええ、はいっ、いやハイとか言っちゃっ…、ああいやその、え?そこに身を置いてる?!」

なんか調子狂うな。

自分の知っているミカヅキはこんな人間だったかな、と思い、じゃあどんな人間だったのかと考えても、そうそう言葉は出てこない。

学生時代も近衛時代でも、サリスと在籍がかぶっていたのはほんの半年ほどの時期だけだ。

ただ自分は、次期後継者、という彼を遠くの囲いから眺め、周囲から漏れて伝わる問題行動らしきものを聞いて、勝手に人物像を描いていただけだ。

だからその人物像と、実際に対面してのミカヅキとの実態が、うまく重なり合わないのは当然の事じゃないのか。

それはミカヅキにとって、ひどく迷惑な話だろうな、と感じた時。

どうでもいいが、というミカヅキの声に、サリスは自然俯いていた顔を上げる。

「そういう態度はやめるんじゃなかったか」

その言葉がどういう意味か、少し考えているところへ続けられる声には、わずかに感情のようなものが乗っていた。

「お前らがそう言ったんだぞ」

目の前の貴公子が、ありえないほど乱雑な言葉遣いをする。

その耳と目から与えられる衝撃は並大抵の破壊力ではない。

「あっ、ああ、そう、そうでした、…いや、そうだった…、うん!そうだったよねえ!!」

半ばやけくそのように、後継者に対する礼節をかなぐり捨て、年下の友人を相手にするような気安さに態度を変更させたが。

不自然すぎて逆効果じゃないか、と笑顔がこわばるのが自分でもわかった。

それを一瞥したミカヅキは、邪魔をした、と言いベンチから立ち上がる様子を見せた。

(彼を行かせてはいけない)

咄嗟に、そんな思いがよぎったのは、ミカヅキが見せたわずかな感情の変化。

そういう態度はやめるんじゃなかったか、という声音には、確かに、わずかながら不愉快そうな響きがあったのだ。

それが、サリスの返した態度によって、跡形もなく消え去った。感情を全て切り捨て、何事もなかったかのように、立ち去ろうとする。

(それは、失望じゃないか)

ミカヅキは何かを期待し、自分はそれを裏切ってしまった。

今までとは違う。違う何かが彼を動かそうとしている。この失望を何事もなかったかのように終わらせてしまっては、もう二度と。

二度とは彼のあんな不愉快そうな声は聞くことができないだろうと、思ったのだ。

「待って!聞きたいことがあったんだ!」

精一杯、今の自分にできることで彼を引き留める。

何か策があるわけでもないのに無謀な事をしている、と思っても、これだけは失敗するわけにはいかない。

オットリー侯爵家の一員としての、責務だ。

「何か?」

と言い、ミカヅキはベンチの装飾に手をかけたまま、振り向いてくれた。

引き留めることができた安堵と、これから踏み込んでいくことの苛烈さに、サリスは膝が震えるのを感じていながら、

目をさまよわせる。

ミカヅキの背後、その少し上に、館の美しい屋根飾りが見える。それを見ながら、無意識に昨夜の夜会を思い出していた。

「あの、旅のお仲間、いや、冒険者の、彼らは」

どんな人間なのか。ミカヅキにとって、どんな意味を持つのか。考えようとして果たせず、引き留めるための口実とはいえ

聞きたいことは、そんな事じゃないと思った。

「君の、旅の供に、どうして…俺たちは選ばれなかったのか、どうしてあの3人は選ばれたのか、知りたくて」

従者としても、側近としても、取り巻きにさえもなれなかった自分たちと、彼らとの違いは何だ。

そんなことが頭をよぎり、見栄も対面も投げ捨て、そんなことを口走っていた。

やってしまったものは仕方がない。

口にしてしまえば、後はただミカヅキの返答を待つばかりだが、その時間は実に居心地が悪い間でしかなく。

しかしそんなサリスに気を配るでもなく、実に長い間、一人考えこむように腕を組んでいたミカヅキが、やっと口を開いた。

「あいつらが酒場にいて、お前らは酒場にいなかったから、…かな」

という答えが返ってきた時には、あんだけ考えといてそれかい!!と、二の句が継げない。

思わず大口をあけて呆気に取られているそれそのものの反応を返しているサリスだが、それを見たミカヅキは珍しく、

きまり悪そうに視線をさまよわせた。

「…いや、そもそも旅に出ている経緯が尋常じゃないくらい入り組んでいるので…他に…答えようが…」

「はあ…」

もっと簡単に答えられる質問にしてくれ、と言われ、今日の朝食は何でしたか、とか聞けばいいのかな、と思うサリスである。

が。

ああそうか、と独り言ちたミカヅキが、サリスを見る。

「おそらく数日後には、また旅に出ることになるが」

「えっ、それは、どこに」

「どこだろうな、当て所もなく出ていくんだ」

その言いざまには、またもや返す言葉がない。

何を思ってミカヅキがそれを口にし、自分に何を教えようとしているのかがまるで読めないからだ。

それだけ、自分と彼との距離は遠い。

「その旅に、どうしてお前らではなくあいつらを連れていくのか、という事なら答えられるな」

遠い場所にいるミカヅキが、遠い場所の話をする。

目的も、行程も、不確かな旅で、どれだけの物資が必要で、どのくらいの武力が試されるのかもわからない旅だ、と言い。

それに対する準備が想像つくか?と問うてくる。

準備など従者に任せればいい。物資も、武力も、不足ならばその都度補えばいい。支援など実に容易い。

それは当たり前の事だが、と前おいて、あいつらな、と背後の館を見る。

「何も持って行かねーんだよ」

「え?」

「自分の手で持てるもの以外、何も持たないんだ」

その身軽さに慣れてしまった、とミカヅキはサリスに視線を戻す。

「え、っと」

「…いや、これは俺の個人的な感覚だな、そこを理解してもらおうとは思ってない」

ただ、それと同じ事で、と続けられた話は、まさに自分たちの問題を突いていた。

「お前らと旅に出て、何かあった場合、お前らは俺を守ろうとするだろ。何を置いてもまず、俺の無事を優先するよな」

「それは、勿論…」

自分たちはそう訓練されている。何よりもまず、主となる人物を守ることが第一だ。

だがこれは訓練ではない。実戦で、少人数で魔物に対峙した時、その場の状況に合わせて臨機応変に動けなければ意味がない。

ミカヅキは、「供は全員を無事生還させたい。その為には、必ず俺の作戦の通りに動いてもらわなくてはならない」と言った。

「俺の命令は絶対だ、そういわれて従えるか?」

「とっ、当然ッ、ミカヅキ殿の命令であるなら、誰もがそれを乱すことなく完遂しますよ!」

忠誠心の話かと思った。確かに自分たちとミカヅキとの間には不穏なものはある。だがそれを実戦へ持ち込むほど、愚かではない。

その最低限の信頼関係さえ築けていないと、ミカヅキは思っているのか、と耳を疑ったのだが。

そうだな、それが平常時の言葉なら信じられるんだけどな、とミカヅキはわずかに眉をひそめたように見えた。

「極限状態で、お前たちはきっと俺の言葉より、家の言葉を優先させる。それは、俺の格がそうさせるんだ」

お前たちはそう教育されているんだろう、と言われて、息をのんだ。

「究極、死地の話だ。強敵を前にわずかでも生き残る可能性に欠けて各自に逃走を命じても、お前たちがどう動くのかが読めない」

逃走中に主が負傷でもしようものなら、なぜ身を投げ出してでも守らないのかと責める「家」があるからだ。

作戦とは言え、主を残して敗走すれば「家」に泥を塗ったと責め立てる「社会」があるからだ。

「極限状態で、その責から逃れることができるのか、極限だからこそ逃れられないのか、俺には読めないんだ」

そんなどちらに転ぶか解らない賭けを、命をやり取りする現場でうまく手懐けられるほど力があるわけじゃない。

「俺がもっと自分の武力に自信があれば、お前らがどんな行動をとろうと守れるんだろうけどな」

と言って、かすかに自嘲のようなものをにじませ。

「だから、俺がお前たちを守るには、初めから連れて行かない、という選択になる」

その告白。

だからなのか、という思いがサリスの胸を貫く。

旅の話じゃない。

(ああ、だから!だからこの人は従者も側近も、取り巻きさえもつけず、たった一人という状況を貫くのか!)

それは余りにも危うすぎる。

侯爵家の跡取りとしての身でありながら、従者を持つ事を恐れるほど心が弱いというのであれば、許されない危うさだ。

従者を持ち、自身と従者を秤にかけ、従者を切り捨てられず、己を投げ出すこともできない弱さか。

だからと言って、ミカヅキ当人に、そうなのか?と問う事は出来ない。

ミカヅキという薄氷に踏み込むような真似は、恐ろしくて、とても自分一人で抱え込める事ではないと思った。

レネーゼ侯爵が愚かなほど孫に甘い、という周囲の見解も、ミカヅキの抱えるこの弱さが根底にあるのであれば。

祖父である侯爵でさえも手を出しあぐねる問題だ。

それを、どうして。

「…どうして、自分に話してくれるんですか」

サリスは余りの衝撃に、ついそんな事を口走っていた。

今まで儀礼的に顔を合わせ、必要最低限の飾り言葉だけで、互いに存在しているという認識だけを持つ関係。

それは、諸侯の子息たちすべてがそうである現状。それをどうして。

「どうして、って、…お前が聞いたからだろ」

呆れたようなミカヅキの声音、それはサリスが受けた衝撃を、欠片も感じていないように軽い。

その軽さに救われたように、殊更、サリスは大袈裟に手を振った。

「あっ、ああ、そうか、そーいや俺が聞いたんでしたね!あ、いや、聞いたんだったな!」

なぜ自分たちを連れて行かないのか、なぜ彼らは連れて行けるのか、確かにサリスの問いに正確に答えてくれたわけだ。

それはそれで意外だが。

「ああ、その、君の命令を、彼らなら、どんな理不尽な命令でも絶対に従うって、信頼か」

「なんで俺が理不尽な命令を出すんだよ」

理不尽なら理不尽だとちゃんと反発されるわ、と再び、呆れられ。

そうか俺たちはちゃんと反発することもしないんだな、とふと思った。

「戦法でそれが必要なら、俺を盾にもする。俺を囮にして逃げることも迷わない。あいつらには、何のしがらみもない」

その場の状況を理解し何を優先させるか、という段階で、ミカヅキという存在が枷になることがない。

「優先するものが一致するから、俺もそれを踏まえて動くことができる」

そういう事だ、と言って。

「まあ、結局は俺の力のなさが一番の原因になるな」

と、サリスたち子息側に供を任せない問題があるわけじゃない、と言ったミカヅキは。

率直に尋ねれば、率直に答えてくれるんだな、と思った。

だから、尋ねる。

「じゃあ、俺たちは、ずっと必要とされないのかな」

それを口にした途端、寂寥感に襲われる。

ミカヅキに必要とされない自分たちにか、供を必要とすることができないミカヅキに対してなのかは分からない。

解らないけれど、それはひどく寂しいことのように思えたサリスだったが。

「どうして、そう思うのかが解らないんだが」

 「え、だって…、俺たちの関係は、そう変わらないって、話じゃ」

もう何度、彼の言葉に振り回されたことだろう。

そうだ、彼との会話はいつもこうだった。

互いにまるで思惑の違う言葉だけが行き交って、会話の趣旨さえも何だったか解らなくなる始末。

それこそが互いの距離だったのに、今、こんなにも近い場所にミカヅキがいるという実感は、その会話にある。

ミカヅキが、その真意を、率直に問えばどこまでも話してくれる。

「俺は今、対外交で学ばせてもらっているのだと思う」

昨夜には上の方々にもそう説明したがあまり信じて貰えていないようだったな、と言って、小さく笑う。

「それは、上の方々は」

「いや、いい。好都合だ。何か事を起こすと思われているなら、起こしてみるのもいいかと思ったところだ」

そんな、穏やかでない笑みで、サリスの防衛範囲まで、あっさりと侵入してきて。

「より多くの家と交流しろって、言ったよな?」

その侵入を、自分は、あっさりと許したりしている。

「そりゃ、言うよ、俺たちだけ親密に交流してるなんて、他所の家から思われるのは必須なんだし…」

そんな簡単な事も解らないはずもないだろう、という言外の含みまでちゃんと読み取ってミカヅキはサリスと向き合う。

「ああ、だから。交流するための夜会を解放してやるよ」

向き合う笑みは凄みを増す。

「これからは、旅が一つ終わる毎に、夜会を開く。お前たち、これに集まってくれるんだよな?」

よもや俺に恥をかかせはしないよな?という、脅迫に近い。

近いが、おいそれと承諾できる話ではない。

旅の間で見聞きした事、各地の情勢、国外でしか得られない経験すべてを公開するというのだ。

「えっ、だって、旅、旅は、アルコーネ公のご意思なんじゃ…そんな事勝手に俺たちに話して大丈夫なのか?!」

「さあどうだろうな」

と、ミカヅキが嘯く。

昨夜から今朝まで、一体どれだけの彼の一挙一動に翻弄されている事だろう。

もう何度心中で発した「こんな人だったのか」という詠嘆は、恐れと期待。確かに、期待があった。

「公には自由にしていいと言われているが、それをお前たちにも保証するものではないな」

「だったら!」

まず先に公に確認を、というサリスの警告は押しとどめられる。

「俺の自由でお前たちを守れるか否か、という話だ。賭けじゃない。俺の、格だ」

ここでサリスたちを守れない様では、自分の持つ格とはただの冠だという事になる。

そんな飾りに何の疑問もなく頭を下げていて良いのか、というそれは、サリスを陥落させようとするミカヅキの。

(いや、はったりじゃない、自信だ)

これが格の違いか、と膝を折ってしまいそうになる。

ミカヅキの持つ、正統後継者という冠は、飾りではない。それをサリスたちに見せつける。

サリスたちの忠誠心をこそ飾りだと刺し、そんな飾りの態度ではなく、心から従えと言っているのだと解った。

「どうして、…そこまでして、俺たちに情報を公開する必要が?」

「お前が、自分たちに価値がないように思っているらしいからな」

「価値…」

「俺が国を空けるという事は、国外の情報を得る代わりに国内の情報は手に入らないという事だ」

今は現候主の威光がある。だが自分が後継となるには、足りない。祖父の意向をそのまま継ぐだけでは、足りないのだ。

「だからお前たちのように若い地盤の情報が欲しい。俺の外の情報と、お前たちの中の情報、どちらも重要だと思っている」

それを成すための夜会だ、と言われ、ようやくミカヅキの覚悟を知れた。

夜会を開き、そこに人を招いて、国外の情報と引き換えに国内の情報を寄越せと言う。

彼が命を賭して世界から得た情報と、サリスたちがのうのうとただ日々を送るだけの情報に、同等の価値があると言うのだ。

「それが俺たちの、価値」

「そうだ」

今までほとんど同世代との交流を断ってきた彼の変革。

そこに至るまでの経緯は解らないが、学ばせてもらっているという言葉は、周囲を欺くためのものではない。

ミカヅキは自分で立とうとしている。

それは、後継者としての試練だ。

サリスと同年代の彼は、自分の父親ほどの年代の後継者と並ばなければならない。

家を継ぐこともないサリスとは、圧倒的に覚悟が違う。

その彼に求められるという事。

必要とされるという事が、主従関係であると、やっと解った。

「どうして、俺なんですか」

自分もいつか誰かの下に従事すると思ってはいたが、くいっぱぐれないなら誰でもいいや、などと考えていた程度なのに。

「またどうして、か」

何度発したかわからな問いに、ミカヅキが辛抱強く付き合てくれるのも不思議だが。

「お前が、円滑に、率直に、親交を深めたい、って言った初めての人間だからだな」

その言葉には、心が震えた。

昨夜の夜会で、サリスなりに勇気を振り絞って言った言葉だ。

皮肉で場を盛り上げようとするいつも通りの仲間の言葉だったが、それを否定するのには勇気がいった。

彼らとの親交も、ミカヅキとの親交も、どちらにもヒビを入れるわけにはいかない、と双方からの圧力に屈しながらも、張り上げた言葉。

(それを認められた)

その事実は、サリスの心に沁みる。

(この人にだけは、認められた)

昨夜の事を思えば、朝から仲間の元に合流するのにも足が重く、ただ庭をふらつくだけで時間を稼いでいた心に、沁みた。

一人に認めてもらえるだけで、こんなにも感じ入るのか、と思っている矢先に。

ミカヅキの第二波は容赦がなかった。

「だからだな、今の話をお前からアイツラに事前に周知徹底しておいてくれると助かる」

「ええ?!俺?!なんで俺?!」

「だってお前、円滑に親交深めたいんだろ?俺の言う事、あいつらあんまり率直に聞いてくれそうもないしな」

お前のいう事なら聞くんだろ?と、悪びれもなく言われて、いやいやいやいや無理無理無理無理!と絶叫する。心の中で。

頼んだからな、と大真面目に言われるそれが、なんと罪深いことか。

「いや、ちょっとそれは」

と、サリスが一歩踏み出したのと、「ちょいやー!!」という絶叫がその場に響いたのが、同時だった。

敵襲か?!とサリスが身構える間もなく、ミカヅキの影は飛び退り、その場に少女が降ってきた。

「朝ゴハーンの使者参るー!!」

「はあ?!」

今までミカヅキがいた場所に華麗に着地し、なにやら奇妙なポーズを決めた少女の口から出た言葉もだが、何がなにやら、

状況が全く把握できない、と固まっているサリスをみて。

得意満面だった少女が、「あ」と言った。

そして、隣に立つミカヅキの渋面を見て、もう一度、「あ」と言った彼女は、素早く居住まいを正し。

「これはこれは、オットリー侯爵家のスワルツ様、美しい朝でございますわね御機嫌いかが?」

と、ドレスを着ているときのように優雅なしぐさで挨拶をして見せた。

名前は確か。

「遅いわ、ボケ」

「あーやっちゃったー!ミカちゃん一人だってヒロが言ってたからー」

「それにしたって普通に来いよ普通に!」

「ミカちゃんを盛り上げようと思ったんだよ!」

「いらんわ!」

軽く小突くミカヅキにその場で逃げ回る少女。

そんなやり取りに再び固まる。

「ミカ…ちゃん…」

ミカちゃん?ミカちゃんって言ったぞ、この子。愛玩動物を呼ぶときみたいに。ミカちゃん、って!!

という衝撃を、目の前のミカヅキも察知したのだろう。気まずそうに、サリスを見る。

「あ、あー、いや、うん、今のは、あれだ、えー、と、内密に、内密に頼む」

「な、内密、に」

「うん、それな」

「あ、はい、それですね、ふ、二人の秘密、ということで」

「ウイもいるよ?」

「あ、ああ、はい、じゃあ三人の秘密ということで」

「うん」

「し…、しかと承りました」

そんな場の空気を全く意に介していないように、ミカヅキの腕にまとわりついた少女が彼を見上げ。

「朝ごはんの用意できたから、ミカちゃん呼びに来たの。今日はねーなんとお庭に用意してもらっちゃったよ」

そう言いながら、サリスにも笑顔を見せる。

「スワルツ様も一緒にいかがでしょう」

「えっ、俺?!」

「うんうん」

ミカヅキを見れば、宜しければお招きするが、と言うので、思わず辞退していた。

「いえ!私はもう済ませてしまいましたので!ご遠慮申し上げます!」

「…そうか」

そう言ったミカヅキの真意は読めなかったが、なんとなく辞退してしまったのは、二人の仲睦まじい様子を目にしたからだ。

昨夜のような儀礼的な関係でないことは一目でわかる。

多分、他の二人も同様に。

それを、内密に、とミカヅキは言っているのではないか、と思うのは気の回し過ぎか。

「あ、では、私はこれにて失礼させていただきます」

「ああ」

そう言ったミカヅキが、じゃあ今夜7時、と念を押すのに、笑顔がひきつるサリスであったが。

その場を立ち去る二人を何気なく見送って、ミカヅキの背中につい、声をかけていた。

「ミカヅキ殿!」

何事か、と二人に振り向かれて、今言うようなことでもないような、と後悔したものの仕方がない。

「あの、室内では解らないと思いますが、外の明るい陽射しだと、その衣装は少々薄いかと」

外に出られるなら何か羽織られた方が、と言えば、ミカヅキと少女が驚いたように顔を見合わせている。

少女は解っていない様だったが、ミカヅキには理解してもらえたようだ。

「うん、そうしよう。気付かなかった、有難う」

「ああ、いえ」

今度こそ、去っていく二人を見る。

そうだ、こんなささやかな注意に皮肉も嫌味も、込める必要はないのだ。

率直に言えば、彼なら、ちゃんと礼まで述べてくれるじゃないか。その方がよほど、心がある。

(だけど、あいつらどうかなあ…)

と、サリスも館の方へ踵を返しながら、7時までに皆を説得する任務に頭を悩ませていると。

「ええー!!たったそれだけの事なのー?!」

と、少女の叫び声が聞こえ、ミカヅキの声が重なった。

「声がでけえよ!!」

あなたもでかいですよ…、と思わず背後を振り向けば、遠くなった二人がじゃれているように見える。

「ミカちゃんの背中なんかどうでもいいよ!」

「俺だってどうでもいいわ!」

なんてやりあっている声が遠くなって。

はしたない、と思うよりも、仲が良いんだな、と、思えば、率直な親交の深い深いところまで行きつけば、自分もああなるのだろうか、と考える。

いつか、近い将来。

(いやないない、ないな。あれはない)

そう軽く頭を振って、サリスは皆の説得を企てることに神経を集中させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サリーちゃんとか呼ばれちゃうのよ

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月を観ていた

2016年10月01日 | ツアーズ SS

レネーゼ侯爵家の、「観月宴灯」と題された定例夜会。

一応、現侯爵の後継者、ミカヅキの実父との血縁者という関係から、ルガナ伯爵家にも招待状は届く。

届くがほぼ儀式的なものであるのは解っているし、現伯爵も毎回、ご遠慮申し上げますという返事を出しているのだが。

「今回は面白そうだから、お前、行っておいで」

と、今はモエギの養父であるルガナ伯爵が、わざわざモエギの勤める城まで出向いて来てそう命じる。

勿論、伯爵の命令には逆らえないのだが。

「伯爵様は出席されないのに?」

休憩時間中、城の中庭のとある一角で二人立ち話、という気安さからモエギは率直に尋ねる。

「私が行くと迷惑千万な態度を隠そうと高飛車に構えて周囲を恐怖のどん底に突き落とすご婦人がいるのでね」

確かに侯爵家の定例会、という大きな夜会なので、現侯爵の娘である彼女もいるだろうが。

そんなに毛嫌いするほどかなあ、とモエギは思っている。

「それに、私が行くとなると、面白いものが見られなくなるかもしれないしね」

「なんです、それ」

「いやいや、先に言ってしまっては面白さ半減だよ」

そもそも読みが当たっているとも限らないから、外れた場合、面目が立たないというのも避けたいところ、なんて茶目っ気を見せる。

まあいいか、この人は楽しそうなのが一番だ。

「いいですけど、俺が行って仕事になります?」

そんな上の方々ばかりが集まる夜会に一人乗り込むには、少々、身構えるな、というモエギに、

「そんなしみったれた謙遜は愚の骨頂だね。お前の振る舞いが夜会をぶっ壊すのかと思えば祝杯ものだ、わが息子よ」

と、養父は満面の笑みを浮かべた。

「はあ、そうですか」

じゃあまあ行ってきますよ、とその場は軽く請け負ったのだが。

 

 

 

いざ侯爵家の夜会の場に立つと、「半端なく浮いてるな俺!」と、モエギは人々の間をかいくぐりながら戦利品を探して歩く。

モエギのような十代なかばの年頃では、主や親族の年長者に付き従っていることがほとんどだ。

モエギだとて、いつもなら一人で夜会に参加することは稀で、あったとしても伯爵の名代で顔を出し、開催主に挨拶をしてすぐに帰る、

という程度なのだ。

さてどうしようかな、と辺りを見回す。

自分が輪の中に入っていってもそこそこ相手にされそうなのはどの辺りだ?と、あまり上の方々の不快を被らない場を探しているうち。

今夜の夜会には候主の愛孫が顔を出している、という情報を掴んだ。

これか。

これが伯爵様の言っていた、面白いこと、…か?

確かに彼が夜会に顔を出すというのは、彼のおかれている立場からもごく当たり前の事なのだから、さしたる驚きもないはずなのだが。

その話を持ち出す人々が、異様に高揚している。

よく耳をすませば、場はその話でもちきりであるのが解った。

これはどういうことだろう、とモエギはさらに高揚の核心を掴むため、伯爵経由で顔なじみであるご婦人方を探して歩く。

そうして得たのは、彼が王城をしばらく不在にしていた事、今は対外交で学んでいる事、その手助けに供を連れている事、だった。

爵位1等であるアルコーネ公爵様の意向で外の国へ出る、そのため従者を連れているだけで特別に事を起こすものではない。

という話を聞いて。

まあそうだろうな、と思う。

今まで彼は一人で行動しすぎた。従者も取り巻きも付けず、どこへでも一人で出向き、なんでも一人で成した。

それを周囲は変わり者だと思っていながら受け入れさせられていたのだから、今になって供を連れている、となれば何事かと思うだろう。

それを窘めない現侯爵も甘いな、と思っていたが、ようやくその気になったか、と思った。

彼が、ミカヅキが、貴族界に出てくる。

それで周囲は浮足立っているのだ。

本当、どうしたって人騒がせな奴だな、というのがモエギのその時の感想だったが。

それまで自由にさざめいていた人々が、一瞬にして息をひそめたのが解った。

遠くで優雅な音楽は流れ続けている。物の動く気配、何かしらの無機質な音、人いきれは確かに感じられる。

決してその場が静まり返ったわけではないのに、張りつめた緊張感があった。

人々の意識を奪っていくもの。

貴族界では異質だと弾かれているモエギでさえも例外なく、それに意識を奪われ立ち尽くすしかなかった。

美しきもの。

生まれながらにして、それを備えている者はいると認めざるを得ない。

モエギがいくら礼儀を仕込まれ、見劣りしない服飾で箔を付けられたとしても、あの圧倒的な振る舞いの前では、

到底、太刀打ちできないものなのだと、ひれ伏してしまいそうになる。

候の爵位を受け継ぐことだけに生きている存在を前にして、自分たちと同じだと思う事こそが畏怖でしかない。

あれは、生き物ですらない。

候の爵位そのものだ。

目の前で他の貴族を圧倒しながら、優雅に腰を折り、手を差し伸べ、あなたの引き立て役になりましょう、と

親族の年長者に恭しく従い、その場を離れていくミカヅキの姿を見ながら、モエギは知らず息を吐き出していた。

その後姿が人々の開けた道を優美な舞のように進み、庭へと出るバルコニーの向こうに消えるまで、その場の誰もが動かなかった。

「あぁ驚きましたわ、彼の君も女性を虜にするお年頃ですのね」

と、傍にいた馴染みの夫人の言葉に、そうなのでしょうね、と適当に相槌を返しながら、それまでの緊張がそこここで緩むのが解る。

おそらく誰もが同じように当たり障りのない感想を言いながら、今の衝撃をやり過ごしているのだろう。

だが、その仮面の裏で何を思うのか。

この夜会に集う人々がどうあれ、モエギには、いよいよミカヅキが盤上に駒を並べ始めた、という昂奮が沸き起こっていた。

今まで現侯爵の陣の中でお飾りでしかなったミカヅキが、自分で、戦いのための陣地を築き上げようとしている。

それは脅威。

尤もなる脅威であるはずなのに、なぜか闘争心のようなものが湧き上がってくる。

確かに、これは面白い。

伯爵の言葉がモエギを奮い立たせる。面白いことには全力で乗らなくては意味がない。

 

 

 

そうしてミカヅキが自分の陣地を広げている様を方々から聞き集め、モエギのとった手段は。

伯爵の言葉通り、「夜会をぶっ壊して」しまったらしい。

いや、夜会をというのは少々語弊がある。

貴族の子息たち、年少者に取り囲まれているミカヅキの輪に無理矢理割り込んで談笑しただけだ。

それを、「ぶっ壊して」しまった、と思うのは伯爵にではない。(彼なら手を叩いて喝采し、本当に祝杯をあげるだろう)

その場にいた幼馴染であるヒロに、険しい顔で腕を掴まれてその場から連れ出されたからだった。

「痛いな、もう、何だよ」

「何だよじゃねーよ、煽るな」

「はあ?」

「ミカを、無駄に、煽るな、って言ってんの」

ミカヅキとその供(これは幼馴染のヒロを含む、顔なじみの冒険者の面々だったが)を取り囲んでいた子息たちの輪から離され、

そのままバルコニーへ出、階段を下りるように促される。

体格的にも腕力的にもかなわないので仕方なくヒロに従って、階段の下へ降り、人の目から逃れるように二人で立つ。

「別に煽ってないよ、本当の事でしょ」

ミカヅキが、冒険者であるヒロたちを子息らに紹介するのは解った。

先ほど年長者相手に見せた圧倒的格の振る舞い、あれを間近で見ることができるのかという期待もあった。

だから黙っていたけれど、ミカヅキの戦法は同年代に対してあまりにもお粗末だと思ったのだ。

貴族たちは、自分より格下のモノには決して膝を折らない。それはモエギが身をもって知らされ続けている事だ。

ヒロたち冒険者をコケにする様も予想通りだったわけだし、自分は蚊帳の外だし、で放っておけば良かったのだが。

つい、不愉快だな、という感情が勝った。

こんな夜会の場で、ヒロに不似合いな格好をさせてまで、彼らにコケにされるために披露をするにミカヅキも

コケにされている幼馴染を見ることも、不愉快でしかなかった。

だから、助けてやったのではないか。

彼らの大好きな権威と格とを思い知らせる事で、ミカヅキのもつ爵位の前でどっちつかずに抵抗しているその膝を

折らせてやったのだ。

「どこに不満を唱えられる要素があるのか、わからないな」

強気にそう返せば、モエギの主張をじっと黙って聞いていたヒロが、あー、と低い声を吐きながら頭を抱える。

大体、ヒロもヒロだ。あんな冒険譚を自分に話して聞かせておいて、普段から八方美人を自認する話力をなぜ彼らに使わないのか。

ミカヅキだってそうだ。仲間を守りたいというのなら、手段にこだわらず、綺麗事など言わず、使える威光は全て使うべきなのだ。

それを恥だの、誇りを汚すだの、言ってるようでは甘い。

そもそもミカヅキ自らがこの夜会において、方々の諸侯の元へ出向き、誰彼にも好い顔を見せて篭絡させる手段を講じているではないか。

そんなものを見せられては、やっと貴族社会になじむ気になったのかと思われても仕方がないだろう。そうさせるだけの衝撃はあったのだ。

それがあったから、ミカヅキの子息たちに相対する不甲斐ない様に、自分は手を貸してやったにすぎない。

「感謝こそあれ、非難されるいわれはないね!」

一気にここまでまくしたてると、自然、息が上がった。

なんだろう、なんで自分はこんなにムキになっているんだろう、と思えば、ヒロもそう思ったのか、両手で肩を叩いてくる。

「な、なんだよ」

「うん、わかった」

「わ、わかっ…?」

「わかった」

とヒロが、モエギの肩から手を離す。

「俺にはお貴族様のそういうのよくわからんけど、モエがミカと仲良くしたがってる、ってのは解った」

「え?別に、そこ解って貰わなくていいけど」

お手てつないで仲良くごっこ遊びをしたいわけがない。

ヒロの言う、お貴族様のそういうの、の話だ。

何で勝手に自分の都合のいいように解釈するのだ。

「いや、俺がミカとモエの仲を取り持ってやるから」

「やめろ、迷惑だ」

「何もすぐ仲良くなれとか言ってねえよ、ただそういうのほっといてこじらせるなよな、…な?」

「な?じゃねえよ、子供扱いすんな」

「しゃーねーじゃん、俺の中でモエはまだ6つとか7つとか、あの辺なんだもんよ」

「キモイこというな」

「あんなちびっこいのがなんかいっぱしの口きいてるぜー、って何かすげーこう、泣けるっつーか」

「キモイこというな!」

「まあ、キモイとかじゃなくて、…親心?」

「ヒロに育てられたわけじゃねーだろ!」

そんな他愛ない悪口雑言のやりあいで、自然に気持ちが落ち着いてきた。

落ち着いて、ほっとしているのは、ヒロが全く変わらず、いつもと同じように自分に構ってくれるからだ、と、解った。

ミカヅキを怒らせたように、自分の行動でヒロも怒っているのだと思ったのだが。

「どっちが正しいやり方なのか、俺には解んねーよ?ただ、ミカは俺たちを自由にさせたい、って言うんだ」

「…自由?」

「ミカにな、守ってくれなくていいから、って言っておいたんだ。俺たちのことは守らなくていいから」

ミカの一番やりたいことをやればいい。

自分たちがそう言った事でミカが出した答えだ、とヒロが言う。

「俺たちを自由にさせておきたいんだって。俺らが自分で自分を守れるようには、最低限、自由だけは確保する必要があるんだってさ」

その為の初手だった。

そう言われても、自分はそんな事など知らない、聞かされていない。後出しでの説教には耳を傾ける気にはならない。

「いや説教とかじゃなくてさ、単純な話、ミカはそういうつもりだ、って事だから。そこは解れよ」 

とヒロに言い聞かされて、それ以上反発するのもバカらしいと思った。

どうせ自分は、ミカヅキとヒロのような、お手てつないで冒険ごっこ、のような関係を築くわけではないのだし。

「…あ、そう、いいよ解ったよ、ハイどうも」

ヒロに当たる事ではないと解っていながらも、そう簡単に気分を切り替えることもできず、投げやりに返事をすると。

「うん、それで、モエは俺たちが粗末に扱われてるのを見て、怒ってくれたわけじゃん?」

「なっ、何、いや、別に、そういうわけじゃ…」

そんな言われ方に、さっきまでの面白くない気分は吹き飛ぶ。

違う、そうじゃない。あくまでもミカヅキの不甲斐なさに抗議をするために起こした行動であって、別に正義の味方を気取ったわけではない。

「違うから、本当に」

モエギの葛藤など解るはずもなく、ヒロは、いーからいーから、と笑う。

「俺が嬉しかっただけだから」

気にすんな、と言われ、勝手に嬉しがられるのも気分が悪い、とヒロを見れば。

「それをミカに言っといてやるから」と真顔で告げられ、「言わんでいいわ!馬鹿か!!」と反射的に叫んでいた。

敵同士だ、と何度言えば解るのか。なぜ、仲良くさせようとするのか。実はこいつが一番質が悪いんじゃないのか。

「だってミカの動機をモエに話した以上、モエの動機もミカに話しとかないと、公平じゃねーだろ」

「公平?知らないよ、公平とか!そんな世界で敵味方やってるわけじゃないんだよ、こっちは」

そうだ、質が悪い。モエギの抵抗もヒロには一切効く気がしない。

「敵だっていうならまあ敵同士でいいけど、俺はどっちの肩も持たないといけないんだから、そこは俺の好きにさせろよな」

「いけなくないだろ別に、ミカヅキ様の肩だけ持ってればいいだろ、恩着せがましいってんだよ」

「解ってねーな、俺が何年長男やってると思ってんだよ」

と言ったヒロが、兄ちゃんあたしとこの子とどっちの味方なの!、ってどんだけ言われてきたか解るのかよ、と胸を張る。

「兄ちゃんは二人の味方だぞ~、って朝昼晩朝昼晩マジで死ぬほど言わされてきた俺を舐めんなよ」

「それは」

「そんで、兄ちゃんなんか嫌い!つって“あたし”と“この子”が結託して、なんでか俺一人はぶられる展開を何年味わってきたと思ってんだよ」

「何でかもくそもねーよ、どう考えてもどっちにもいい顔するヒロが悪いんだろ」

まあ皆そういうよねー、と言ったヒロが、そういう事だから諦めろ、と言うのに二の句が継げない。

「俺のそういうの、筋金入りだから。今更やめろとか言われても無理無理」

確かに無理そうだ。ヒロはやると言ったらやるだろう。

それに、そもそも普段は貴族界にいないヒロの動向を貴族界から出ない自分が見張り止めさせる事などできやしないのだ。

「あ、そう。いいよ、好きにすれば?俺も好きにするし」

好きに動いて勝手にミカヅキとモエギの間で身動き取れずに自滅すればいいのだ。

「うん、じゃあそういう事で。よし、戻ろう」

「は?」

「あんまり俺らだけ離れてると、ご子息様たちにバレちゃうだろ」

ヒロが階段の陰に隠れて見えないバルコニーの向こうを指さす。

そこで取り残されている一団に、「幼馴染」という関係がばれると困るだろう、と示唆しているのが、解った。

自分はヒロたちとの関係を利用したのに。ミカヅキは意趣返しという醜態は演じないだろうと驕ってのことなのに。

それを責めないヒロはずるいと思う。

お人よしも、過ぎれば鼻につくよ。そういうとことが、兄ちゃん嫌いって、チビたちに言われるんだよ。

そんなことを考えただけで何故か泣きそうになった。

先に立つヒロの背中が憎らしい。

「おせっかい」

「はいはい」

「でしゃばり」

「うん」

「ありがた迷惑、もうちょー迷惑、ひたすら迷惑」

もっとヒロを凹ませる悪口が出てくればいいのだが。

モエギはもうチビじゃない。嫌い、なんて言葉にすることはできない。

 チビたちの「嫌い」は、「大好き」の裏返しだ。ヒロは何年も何年も大好きを積み上げてきたのだ。

「ぜんぜんその服とか似合ってねーし」

「似合う方がこえーだろ」

「変な頭だし」

「あーもう、うっせえな」

と、ヒロの手がモエギの頭を掴んだかと思うと、そのままぐしゃぐしゃとかき回される。

「ちょっと!やめてよ!!」

「モエだって変な頭」

「ヒロのせいだろ!」

あはは、とヒロが明るく笑う。

そのままモエギを、灯りの下へと連れていく。そんなヒロはずるい。勝てる気がしない。

兄ちゃんに手を引かれていじめっ子たちの前に出る。兄ちゃんがいる、それがチビたちにはどれだけ心強いことか。

モエギはもうずっとその感覚を忘れていて、今、唐突に思い出した。

そして。

ミカヅキもそうなのだろうか、と、何気に思った。

…宴はまだ、終わりではない。

 

 

 

場に戻り、前触れもなく中座したことをそろって詫びる。

彼らは、何が起こったのかと、いまいち理解していない様だったので、自分の発言でミカヅキが気分を害したかもしれない、と言っておく。

それを二人がとりなしてくれたようです、とヒロとウイの行動にも感謝を述べて。

まだ戻ってこないミカヅキの姿を探す。

自分たちがいた方とは逆のバルコニーで、二人がこちらに背を向けているのが見える。

灯りのない庭。その自然の闇を背景にして立つミカヅキの姿は、邸内の灯りを受けて、闇夜にある月の様だ、と思った。

闇の中にあってこそ輝けるもの。

美しく人々を魅了しながら、日ごと形を変えては、儚くも万全にもなるもの。

はるか高みにあり、日の光と共に消えゆく。

あれは、月だ。

今宵は観月、きっと自分は月を観ていたのだろう。

そう思う事で今夜のすべてのミカヅキの言動も、何気に紛れるような気がした。

自分らしくもなく、気取った詩的な思考に、我ながら毒されているなと思わずにはいられなかったが。

モエギを毒したお貴族様たちには、それほどの余裕もないと見える。

なかなか戻る気配のないミカヅキたちの様子に焦れ、誰かが代表で詫びに行った方が良いのではないか、という空気だ。

当然、ミカヅキの機嫌を損ねた当事者であるモエギにそれをしろ、という圧があるのも解っていたが。

「勿論許されるならば私が進んで参る所ですが、皆さまのお立場を失わせてしまうのでは」

と嘯いて焚きつけただけで、あっさりと彼らの軌道は「それもそうだ」という一致の元、当事者であるモエギを捨て置き、

「この中で格の高いものを向かわせるべきだ」という方向に転換される。

ばっかじゃないの、と思ってはいるが顔には出さない。

モエギの通常の感覚なら、ここは自分が頭を下げるのが筋だ。そんな事は絶対嫌だけれど、筋だというのは明らかだ。

なのに、彼らは、格というものに縛られて、その筋さえもゆがめてしまうのだ。

そんなものが、きらびやかな世界。

美しく豪奢で一点の汚れも許されない、作り物の世界。

作り物ばかりに縛られて自由に動くことのできない彼らの中にあって、モエギ一人がどこに身を寄せることもなく浮いている。

囲いの中でしか動けない彼らを滑稽であるようにも、惨めであるようにも思える。

それは一振りの武器である、と、常々養父に言い聞かされていることではあるが。

 

今夜だけは。

 

ヒロたちに自由を求めているというミカヅキの真意を知りたいと思った。

権力者の威光を纏うことなく、この世界に仲間を解き放った真意がどこにあるのか。それを聞いて、自分は何を得るのか。

何を得たいと思って、ミカヅキの真意を知りたいのか。

ミカヅキの元へご機嫌伺いに行った一人が、浮足立って戻ってくる。

「若者だけで、場所を変えて月見をしようと仰られている!!」

一瞬で場を沸かせたその言葉は、モエギにも少なからず衝撃的だった。

そっと窺うようにヒロを見れば、モエギの視線に気づいてヒロも首を振った。

今夜のミカヅキの動向を打ち合わせていたヒロでさえも予想外という事か。

仕方なくモエギはヒロから視線を外し、バルコニーに立つミカヅキを見やった。

闇夜にある月の裏側は読めない。

 

月の誘惑。その宴。

 

そこで、自分は、救いを求めている。

救われることを、ずっと求めているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もー色々こじらせまくりです

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月が観ていた

2016年09月29日 | ツアーズ SS

月夜に開かれる邸の一角から、バルコニーへと連れ出される。

邸内の灯りから庭の漆黒へ目をやれば、それだけで激昂は冷めた。

「あ、しまった、ミオちゃん置いてきちゃった」

些細な揉め事をかわすように自分をここまで連れ出したウイが、邸内を見てそんなことをつぶやいている。

その言葉に、ミカはその光景を見るまでもなく脳裏に描いて、苦い吐息を一つ。

あの集団の中でミオが一人取り残されている事態を引き起こしたのは、己の未熟でしかない。

「俺はいいから、行ってやれよ」

バルコニーの手すりに身を預けて、まずは自分を立て直す必要がある、とウイの手を離したのだが。

「あ、大丈夫、ヒロが戻ってきたよ」

と、ウイがミカの左腕に体重をかけ、寄り添うように立つ。

その心地良い重み。

存在の確かさに、視線は庭の闇へやったまま、ミカの思考は先ほどまで身を置いていた場所に戻る。

祖父である候主の立場、自分の立ち位置、ウイたちの自由、それらを踏まえ保身に全力をかけたこの二日。

それを、こうも単純にぶっ壊されるとはな、という苛立ちの感情が大きい。

爵位でいうと下等の、格でいうならはるか低みの、そして同じ人であるといえば周囲から認められず孤立しているはずの、

モエギという、弱い存在であるはずの一人に。

相手にもならない雑魚に倒された、という考え、それを自覚して苦い思いにとらわれる。

人は同じだ、と理想を掲げていながら、結局自分は自分以外を下に見ているのだ。それが本質。

…ウイたちのことも?

その思考には、知らず背筋が冷えるような気がして、つい隣の存在へ目をやれば、それに気づいたウイが振り返る。

「モエちゃんに怒ってるの?」

それとも自分に?

ウイの問いは単刀直入、あまりにも単純であるから逃げられない。

ひやりとしたものを誤魔化すように、溜息を一つ。

自分だ、と返す。

「あの程度の手段で万全だと慢心した自分の甘さに腹が立つな」

先の思考を読まれたわけではないだろうから、そんな言葉を返しておく。ミカにとって、本心を見せられるぎりぎりのプライドがここだ。

それを聞いたウイが、少し考え、首を傾げる。

「あんなに頑張ったことを、あの程度、って言える?」

そういわれて、言葉に詰まる。

誰も知らなくてもウイたちは知ってるんだよ、と、ここ数日を慣れない屋敷で過ごし、行動を共にしてきた仲間が言う。

そうだ、もうミカにだって解る。ウイたちがミカに気を遣わせないように、連日巻き起こる風習の違いに「楽しい」を連発する事。

自身の弱みを引き合いにだして「だから落ち込むなよ」と笑わせる事。どう扱えばいいか迷えば「来てよかった」と笑う事。

今なら、その真意が解る。出会った頃は衝突ばかりだったそれらの本質が、ミカには解るのだ。

そして、ウイたちの事が解ると同時に、屋敷の中の事も解るようになるのだろう、という予兆を感じてきたこの数日。

ウイたちを伴い、広い屋敷をそれなりに回っただけで、屋敷に立つ人間すべてにも当然、本質があるのだ、との思いに至った。

それを思えば、今までの自分は、使用人である彼らを役割でしか捉えていなかっただろう。

美しく整えられた屋敷の中に、美しく整頓された人間の役割。

彼らが何を考え、何を思いもって役割を果たしているのかを考えた事もなければ、それらを包み隠して正しく振る舞うという事がどういう事か、

自分は教えを受けたばかりで素直にそれを飲み込み、疑問を抱いた事もなかった。

ウイたちといる事で、見慣れたはずの屋敷の中は、…窮屈だと逃げ飛び出したはずの囲いの中は、実は外と変わりないのだという視界が手に入った。

それが自分にとって、どれほど重要な意味をもつか。もう、知らずにいたミカヅキはいないのだ。

その一心で、挑んだはずの夜会だったから。

なおさら、モエギの行動には憤りを覚えたのかもしれない。

実際、彼の攻めは迷いがなかった。

幼友達から得た情報を悪びれもなく披露し、各国の権力者たちの威光を恐れもなく使い、その場を制圧してみせた。

この自分の目の前で。

それは、優越。

後継者であるミカヅキには決してとれない手段だという事を理解したうえでの、挑発だと思った。

ウイたちを前に、お初にお目にかかります、との挨拶には厚顔無恥にも程がある。

それを厭忌するミカの潔癖さをあざ笑うかのように平然と、「お手並み拝見」などと返す余裕。

ミカが、ヒロとモエギの友人関係を暴露して窮地に追い込む手段を決して行使しないと高を括っている。

大上段に構えたそれは、奴の養父そのものだな、と考え、唾棄すべき相手が二倍になったことに、歯ぎしりする。

「くっそ、ムカつく」

押さえつけていたはずの憤懣が再び頭をもたげる様に、臆することなく寄り添っていたウイが口を開く。

「…モエちゃんに?」

「ああ、うん」

そうだな。これはモエギにムカついていていいんだよな。未熟な自分に腹が立つとか綺麗ごと言ってる場合じゃないくらいには

甘く見られている事に、それを許してしまう事に、自分自身はとりあえず捨て置いてでも。

「あいつはムカつくよな!!」

と、見栄も意地も張る必要のない相手に向かって吐き出すと、ウイが笑った。

「しょーがないなー」

ミカから身を離して、両手だして、と自分の両手を広げる。

なんだ?とそれを見ていると、いいから、とウイが言うので、仕方なくバルコニーから身を起こして、ウイに向かいあう。

「ミカちゃんはまだまだ頭かたいからお芝居で助けてあげるんだよ」

と言ったウイがミカの両手をとり、その掌を上にむかせる。

「今ミカちゃんは、磁器でできたピッカピカのトレイを持ってます」

と、ミカの両手の上に、これくらいのトレイです、と自分の手で円を描いて見せて。

それで、今度はグラスを持つようなしぐさをする。

「そのトレイの上には、クリスタルガラスのゴブレットを乗せましょう」

ここ数日で覚えた単語を、得意そうに使う無邪気さについ笑ってしまう。

そんなミカに笑みを返して、そーねー三つ乗せちゃおう、といってグラスを置く仕草をして。

「そのグラスに、ちょーおたかいワインを注ぎます」

いきなりヒロ語が出てきて、途端に胡散臭くなったな、と思っていると、もーちゃんと想像して!と怒られる。

ウイは一体何をさせたいんだ。この空想で、ワインを配って歩けとでも言うのか、と考えた時。

「ワインはグラスの縁、ぎりぎりまで入ってるの、いい?」

とウイが、両手を広げたミカの前で、架空の三つのグラスの存在感をもう一度強調して。

「どう?これ、ミカちゃんは手を離したら、割れちゃうでしょ?」

「まあ、そうだろうな」

「ミカちゃんが動いたらこぼれちゃうでしょ?」

「…まあ、そうだろうな」

他にどういえばいいか解らないでいると、それでね、と言ったウイが片手を上げて、ミカの胸の前で空振りをしてみせた。

「がっしゃーん」

という擬音とともに、そこにあるものを薙ぎ払うような動作で、ウイはミカの手の上にある架空のトレイとグラスを叩き落としたのだと解った。

それに呆気に取られているミカに、ウイは真面目な表情を見せた。

「さっきモエちゃんがやったことは、こういう事だよ」

「はあ?」

「手を離せない、絶対動けないミカちゃんが持ってるものを、ひっくり返すのなんて簡単だよ」

そう言われて、今ウイがやってみせた一連の小芝居を、もう一度反芻する。

トレイの上に、グラスを乗せて。縁まで注がれたワインが。

三つ。

「…ああ」

確かにそれを防御する絵は、描けない。

「いい悪いは別にして、すごく簡単な事なんだよ」

「…そうだな」

これじゃ何でも壊すのは簡単だよね、とウイが言う。

「その破片で怪我をするとか、ワインで汚れるとかあるんだけど、モエちゃんの側の事情だから、今は置いておくとして」

考えない、と言ったウイの言葉に、両手を下ろす。

「ミカちゃんは、今自分がそういう状況だ、って解ればそれで良いんだよ」

それが、さっきの衝突の大事なところだ、と言われて。

簡単にできることなんだから怒る事じゃないでしょ、と言われれば、それもそうかと言う気になる。

他愛ないことだ、と、流せばいいとウイは言っているのか、と思ったが。

「それってね、前にミカちゃんが言ってた事なんじゃないかなあ、って思って」

と、ウイが再びミカの隣に寄り添う。

視界からウイの存在が消え、ミカは見るともなしに、邸内にいる若い貴族たちの群衆を見た。

煌びやかを纏い、豪勢を疑うことなく、自分たちの世界を維持していくもの。

それらとは関係を持たないはずの声が、ミカとそれらの世界をつなげようとする。

「ミオちゃんのお家に行く前、お城の人に言われた事で困ってたでしょ、自由ってなんだ?…って」

自由。

もっと自由にできるはずだと言われ、公爵様に期待されているのは貴方自身なのだ、と言われた。

貴方は頭が固いようなので、と、対外交の書記官にため息交じりに言われた事。

その話を不意に持ち出されて、ミカは隣に立つウイを見る。

「ウイねー、ずっとそれ考えてたんだよね」

どうすればいいのかなと思って、と言われれば、とても意外な気がする反面、そうしてミカに寄り添う事が当然なのだと言う気もする。

ウイは守護天使であることを常に己に課している。

それに気づかされる事はごくまれではあるが。

ずっと?と問えば、ウイはまだお師匠様級じゃないからその場ですぐに良い答えとか出せないんだよねー、ときまり悪そうに笑って。

「だけど、ミカちゃんのお家にきてお爺ちゃんとかお母さんに会って、解った気がするんだけど」

「だから家に連れていけってうるさかったのか、お前」

ならそう言えばいいじゃないか、と続けようとするミカを遮るように、それは違う、とウイが手を振る。

「言ったでしょ、普通に遊びに来たかったんだよ。フツーに。庶民のたしなみだよ、た、し、な、み」

能天気に笑う様を見せられれば、それはそれでどうなんだよ、と返すしかない。

「ミカちゃんだけじゃなくて、皆が皆、もう、ものすっごく頭固いよね!」

ミカちゃんなんて可愛い方だったよ、と続けるウイに悪気がないのは解るが。

「お前なあ…」

屋敷中、頭が固い、と、俗っぽい表現で言われるのは心外だ。

全てをしきたりに縛られた囲いの中、整然と示された使命を果たすための美徳なのだ。

…そうは思っていても、ミカ自身、ウイに抗議する明確な意思は湧いてこなかった。きっとそれは。

「皆、綺麗なトレイをもって壊れやすいグラスをのせてこぼれるまでワインを入れてるんだよね」

ウイたちを祖父に紹介するために屋敷に戻り、煩雑な儀礼などを一切無視するように、と従者に申し付けた事の多くが、

全く聞き入れられなかった。

ミカの意向がこうまで無視されることなどなかったので困惑もしたが、今のウイの指摘にやっと解った。

ウイたちが気を使わなくて良いようにというそれは、逆に言えば屋敷の人間たちが気を使わなくて良いように、との配慮だ。

気を使ったとしてウイたちには価値のない事なのだから、気の毒だ、と思っての事だったのだが。

屋敷の人間は己の立場に矜持がある。自分たちは主に仕えているという自負がある。

それらが、ウイのいうトレイとグラスとワインなのだろう。

ワインを適度に減らし、グラスやトレイを頑丈な木製品にしろと言って、彼らが従う道理はない。そういう事だ。

「そういう事、だったんだろうな」

ミカの両腕に乗せられたトレイ、その上にグラス。それは、ミカだけが特別に持ってるものではない。

貴族社会において、誰もがそれを抱え、誰もが他者に攻められる緊張を強いられ、相手を警戒し、張りつめている。

ウイの例えは、そういう状況をミカに思い知らせるためのものだった。

そして。

だからこそ解る、貴族社会の暗黙の了解の中で、ただ一人、モエギだけが異質だ。

モエギだけが何も持たない。見せかけの美しさを必要としていない。むしろ醜さを暴いていく、凶悪な破壊者だ。

「確かに、ムカついてる場合じゃなかったな」

ミカが立ち向かうべき相手は、確実に立ち位置を自分のモノにしてきている。

「俺が飛び出した場所を、あいつは苦もなく制することができるわけだ」

半ば自虐的なセリフが口をついて出る。

だがそれは自分の弱みにはならないことも解っている。

「だってモエちゃんは外から来たからね」

と、ウイが言うまでもなく、解っていた。

「ミカちゃんも、飛び出しっぱなしじゃないよ、今のミカちゃんは外からきたんだよ」

貴族社会の道筋に横やりを入れる不届き者。

その意味ではミカもモエギも同じだ。

実際、ミカが先ほどまで相手をしていたあの集団の輪は、他愛ない変則性を持ち出しただけであっさりと総崩れになったものだ。

お決まりの応酬も、規則正しい手順も、よどみない流れも、今の自分には不要なものであったからこそ、放棄した。

特にそれを期待したわけでもないのに、次々と醜態を見せる彼らの動揺には、こいつら大丈夫か、と思ったほどだ。

だがそれでも。

ミカは、貴族社会を守るべきものだと思っている。

栄枯盛衰、いずれ消えゆくものであっても自分はそれを守るべきだと思っている。それは自分が持つ者だからだ。

両手に捧げ持つのは、王より任された領地と領民。弱き彼らが自力で持てるものは、いまだわずかでしかない。

あらゆる可能性を秘めながら、戦う力のない弱いものの方が圧倒的に多いのだ。

それがどういう事か、解らないほど慢心しているつもりはない。

貴族たちはなぜか自分たちの栄華を永久のものとしているが、圧倒的数を前にどうしてそれを信じられるというのか。

彼らは弱き者であり、持たない者だ。

彼らを庇護し導き国を築いていくことは、いずれ融合していくことに他ならないと思える。

その弱さと身軽さゆえに、彼らは満たされさえすれば貴族社会をはるかに凌ぐ大市民となるだろう。

だから、それを成すために自分はその礎となる貴族社会を守らなくてはならないと思っている。

その思想は、貴族社会をぶっ潰す、と息巻いているモエギとそう違わない様にも思えるのだ。

それを初めから得ていたモエギと、外に出て得ることができたミカとを、比べるものじゃない、とウイが言う。

「まったく同じだったらミカちゃんが二人いるって事でしょ。同じ人が二人いたって何にもならないよ」

同じ思想でも取る行動は違う、同じ感情であっても発露が違う、同じ策略でも結果が違う。

それこそが、人が一人で生きられない証だ。良くも悪くも人は人によって生かされる。

自分があるから自己があるのではなく、他人があるから自己があるのだ。

「って、ウイは思いまっす」

そう言いきったウイの言葉とミカの思考は重なり合う。

「だから、お城の人がミカちゃんに期待する、っていうのはミカちゃんが創り上げていくそのものなんじゃないかな」

これで解る?まだちょっと難しい?とウイは聞くが。

曖昧であることに、確たる形を求めていた自分が愚かだったな、とやっと解った。

対外交という組織に所属し、そこの長であるアルコーネ公爵に「君の持ち味は自由ってことでしょ」と

曖昧に躱されたこと。

曖昧にされたことこそ、最重要の意味があった。

今の貴族界が晒されている脅威。まだ未熟であると自認するミカの考えさえも及ばない脅威は数多あるだろう。

それをはるか高みにいる公爵である彼には、貴族界の現状がグラスとワインであると十二分に解っていて、

解っているがゆえに動けないのであれば。

こちらから相手のグラスを叩き落とすことも、油断すれば相手に投げつけられることも、口に出してそうと言えるはずもない。

爵位1等、王の直下である公爵であるがために。

貴族界を意のままに支配する立場であるがために、それをミカに明らかに告げるはずもないのだ。

「なるほどな、自由に、って、…言うしかないんだよな、それは」

侯爵家の後継者、いずれ味方とも敵ともなろうあやふやな存在に、何を求めているのか、何を期待しているのか、などと

容易く言葉にできるくらいなら今の社会はないだろう。

それを理解していなかった自分の無知。だが今なら。

美しく整えられた貴族界は、誰もが人形のように役割を演じ、成長することも滅ぶこともない箱庭。

それを公も苦く感じているというなら、大いなる変革を投じるための一石としての期待。

それでも美しい箱庭を守るのなら、箱庭の住人には防げない奇策を読み、挫くための一石としての期待。

今なら、自分はどちらにでもなれる、という確信がある。

それをこそ、期待されているのではないか、とウイが言い、ミカはそれに頷いた。

 

やっと、頷くことができた。

 

あの日の問いは、長い間封印され、それとはまったく関係のないこの夜会で解かれた。

全ての流れが一つになり、大いなる奔流となって押し寄せてきたのは、すべて天使の導きの旅路での終結。

そしてここから始まる次なる旅。

「どう?ミカちゃんが困ってたの、解決した?」

「うん、正解かどうかは解らないが」

きっと、確かめようもない。

「自由がどういうことか、っていうのは解ったからな」

お前たちのおかげだな、と言えば、いやーお役目を果たすって一人だと大変だからね、とウイが笑う。

ウイの役目、それは天使界が消失した今、ウイに委ねられている自由だ。

ウイの自由、それを思った時、ミカは初めて心から、師匠を探し会わせてやりたいと思った。

自分たちの力が及ばず失われたもの、それを取り戻すことはできないと思っていた。

ウイが探すというのならいつまでも手を貸すことはできるけれど、それは奇跡を信じる心ではない。失わせてしまったという贖罪だ。

ヒロやミオがどう思っているかはわからないが、少なくとも自分は、ウイの師匠を取り戻せるはずもないと、どこかで思っていたのだ。

だが、今、この気持ちは真実。ウイを師匠に会わせたい。

「そうだな、次の旅は、本格的に師匠を探しに行くか」

突然のミカの提言に驚くウイに、自然に笑う事ができた。

「俺もちゃんと会ってみたい」

「そっかー」

ウイも会わせてあげたいよ、と笑顔を返すのは天の使い。

今までの迷いを見抜かれたかどうかは、解らない。けれど今の言葉には偽りも償いもない。それはウイの力になるだろう。

何処かで、そんな期待が閃いたとき。

「ミカヅキ殿、お話を宜しいですか」

と、バルコニーの向こうから控えめに声をかけて来る者がいて、ミカとウイはそちらに目をやった。

オットリー家の、孫息子だ。

ミカの許しがなければ決して縮まらない距離で足を止めて。彼のずっと背後、邸内では子息たちがこちらを窺っている様子も見て取れる。

どうぞ、と促すように自分の隣を示してやれば、緊張した足取りで傍に寄る。

「あの、何かご気分を害されるような失礼があったのでは、と思いまして、ええっと」

見れば、作り笑いも硬直している。なるほど、あの集団に一人生贄にされたか、と考え、ご機嫌伺いに来た彼の境遇を思い、

ウイたちを守るあまり侯爵家の威光を使いすぎたか、と気の毒になった自分自身も意外だったが。

「宜しければ、我らに期待をいただければ、光栄なのですが」

意味不明な謝罪を聞きつつ、意味不明だ、と思ったことに、ミカは彼が慄いているものの正体を意外なほど明確にとらえた。

彼は、いや、彼らは、侯爵家に畏怖を抱いているのではない。侯爵家に相対する自分の当主に、あるいはその直属者に、

首を掴まれ、頭を垂れているのだ。

レネーゼ家の候主はもとより、ミカの事など見てもいないだろう。

だから、ミカとモエギとの間にある摩擦も、ミカがウイに連れられて輪から外れたことも、まったく意に介していないのだと解る。

意に介していないからこそ、ミカには無意味な言葉ばかりが吐き出されている。

ただただ当主や親に抑圧され、その圧をわずかでも軽くしようと逃れる方法をとっているだけのように感じられて。

こいつらも大変だな、という気になったのは、憐憫か、同情か。

「いや、貴公に気を遣わせたのなら、申し訳なかった」

と、素直に詫びを入れれば、飛び上がらんばかりに驚いて見せる。

「えっ、いや、ミカヅキ殿に申し入れをしたいのではなく…っ」

「輪を離れた事は貴公らには関わりのない事、これを煩うことなく夜会を楽しんでいただければ十分だ」

儀礼的に頭を下げさせられている相手に、儀礼的に返しながら、

あーめんどくせえ!お前らなんかどうでも良いわ!いちいち俺のやる事に反応されたら鬱陶しいだろうが!

と言えたらどんなに楽だろうなあ、と心底思っているミカなのだが。

ふと背中にウイからの合図を受け、わずかに身をかがめると、素早く耳打ちされる。

「……はあぁ」

仕方がない、ここは折れてやるか、と思ったのは、今までなら知りえなかった彼らの行動原理を解明した余裕だ。

学院から近衛に所属していたついこの間まで、共に儀礼でやり過ごし、儀礼ですれ違ってきたことが解るだけに。

 

これ以上、無意味なすれ違いも虚しいだけだしな。

 

「それより、我らは西の中庭へ移る途中だったのだが」

と、彼の背後、邸内にいるヒロとミオの姿を視界に入れるしぐさをすれば、彼もそちらを振り向く。

「あ、それは申し訳…」

「観月は少々、我々には虚勢も過ぎる。上の方々にはお目こぼし頂いて、気易い月見の席を設けようと思うが、如何かと」

彼の意味のない謝罪を封じ込め、一気に言い切ったミカの言葉。

それを吟味でもするかのような間があり、呆けたように彼が口を開いた。

「あ、あの、それは、我ら一同もお招き下さるということでしょうか」

「羽目を外されたいというのならばぜひ」

何気なく言ったことだが、それを聞いた彼は、乏しい灯りの下でも解るほど顔を紅潮させた。

「有難うございます!皆も喜びます!」

すぐに呼んでまいりますので、と意気込むように声を出し、邸内へ駈け込んでいく。

余りに激しい反応に、その後姿へ声をかけそびれ、ミカが固まっていると、ウイが笑った。

「すっごく嬉しそうだね」

「…いや、俺は…」

場にぜひ参加してくれ、という意味で言ったのではなく、羽目をはずして迷惑をかけるくらいならそうしてくれ、という…

その程度の意味だったのだが。

邸内が少々ざわついている。

だからそこで騒ぐな、って言ってんだろうがよ、とその様子を見ていると、こちらを見たヒロが軽く手を上げる。

それにつられて手をふれば、ミオも笑顔を見せたのが解った。

「すっごく嬉しそうだね」

ウイがさっきと同じことを言う。

まあ、あいつらが嬉しそうなら良いか、と思い。

ヒロの隣でそれを見るモエギの姿も目に入る。こちらは、めずらしく仏頂面だ。…なんなんだ、あいつは。

普段から気味が悪いくらい愛想笑いの仮面をはずそうとしないくせに。

とモエギの動向を見守っていれば、ヒロに促されてこちらへ来る気になったようだ。

来るのか。いいけど、来るのか。…いいけど。とわずかに葛藤があるのは、モエギとはどうしてもやりあうだろう、という確信。

まあ、いいか。上の方々の邪魔にならないように、奥の庭へ行くわけだし。

 

“この人もたっぷりワインが入ったグラスを持ってるんだよ”

 

先ほど、ウイに耳打ちされた言葉。

それはモエギには当てはまらないと思っていたが。 

そうだな。たっぷり入ったワインで誰もが身動き取れないなら、モエギにもくれてやればいいかもしれない。

毒を食らわばさらまで、という言葉もある。

あいつならグラスも嚙み砕くだろう。

 

そう思い、見上げた空には、高く月光が冴えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

落として割ると後片付け面倒なだけだしな

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歪、ひとかけ

2016年08月03日 | ツアーズ SS

侯爵家のお屋敷にお泊り、という一大イベント。

ミカが徹底的に人払いをしてくれているおかげで、自分たちは勝手気ままにしていられるのだが。

(この寝床だけは許容できーん!!)

と、心の中で唸ってヒロは寝返りを打つ。

寝返りを打つたび体は沈むし、じっとしていてもぐにゃぐにゃの柔らかい感触が気になって落ち着かないし、

そうでなくても、ふわふわの軽いものが全身に張り付くように覆いかぶさっていて、

身動きする体の形に合わせて吸い付いてくるような滑らかさが、…いっそ何かの呪いの様で恐ろしい。

ウイなんかはそれをとても気に入ったらしく、起きている時でもふわふわのクッションを見定めてはもふもふして楽しんでいるが

自分には無理だ、と思う。寝床は適度に固さがなくては落ち着かない。

幸い、ミオには同意を得られたのでひとしきり辛さを分かち合って多少は満足したものの。

それで眠れるかと言うのは、別の話。

(うーん、つれええ…)

と、何度目かの溜息をついたとき、そうかコレじゃつらいよな、と思い至る。

この寝心地に生まれた時から慣れているのなら、そりゃあ旅の間の宿のベッドはつらいだろう。

言わずと知れたミカのコトではあるが。

ミカは朝が弱いのだと思っていたが、実は寝床に問題があって、よく眠れていないのではないだろうか。

そんな考えがふと浮かんで、ヒロは目を開けた。

闇に慣れた目には、月明かりに部屋の様相ははっきりととらえられる。

それらを何とはなしに目に入れながら、ここで生まれ育ったミカの事を思う。

(ミカは、そういうことを言わないから)

いや、そうじゃない。思い返せば、出会って旅を始めた頃には意見の相違はあった。

些細な衝突、他愛ない不満や疑問、見知らぬ者同士が寝食を共にすれば必ず起こる諍い。

ミカがそれらを言わなくなったのはいつからだろう。

(思えば、あれが…)

あれが、きっかけだったのか?

…もうずいぶん前の事、野営の食事にミカが口を出してきたことがあった。

いくら節制とはいえ、食事にくずを使うな、と。

それはヒロにとっては心外も心外、いわれなき非難だと思ったから、よく覚えている。

自分一人ならともかく、仲間のための食事で、それも旅の間の要となる食材に「くず」を使っている意識はない。

ちゃんとした仕入れ先で、値段の交渉も適正価格、十分に満足するだけの物を使っている事を主張するヒロに、

ミカは納得していない様だった。

だから、ミカがいうところの「くず」な食材とは何なのか、それを問いただした結果。

それがまた衝撃的で。

形が揃っていない、色や艶など見た目が悪い、判別できないほど小さい、口当たりが悪い等々…

育ちが良いのだろうな、とは薄々思っていた。城内で兵士として配属されているくらいだから、そこそこ生活は良いだろう。

時折、世間知らずな発言もみられたし。

人に命令することに慣れているような口調も、まあそういう事なんだろうし。

と、ミカの主張にやや呆気にとられたヒロは、「ちょっと見てな」と麻袋の中から大きめの芋を取り出し、ナイフを構える。

そういう時のミカは、やたらヒロに素直に従った。

(今思えば、庶民の生活を学ぼうとする意欲だった、って事なんだろうけど)

芋ってのは普通、こういうもんだ、と目の前で見せれば、知ってる、と返す。

知ってはいても調理はしたこともないだろうミカの前で、芽とひげ根、皮の固い所を取り除き、傷んでいる箇所を削る。

「下準備はこれで、終わり。あとは料理に合わせて、大きく切ったり、小さく切ったりするけどな」

それがどうした、とでも言いたげなミカに一通り芋の全体を見せてから、「ミカが言ってるのは」と芋を手に構え、

今度は丁寧に皮をむいていく。

ざらついた表面の皮を残さず、綺麗にむいてしまえば、鮮やかな黄色の全体が露わになる。

「こうやって、皮の部分を全部捨てて口当たりを良くしてんだよ」

土に触れ常に成長していく外側の部分は固く頑丈で、それに守られている中身は瑞々しく柔らかく、新鮮だ。

皮をむいた芋と、むいていない芋をそれぞれ手に乗せてやって、比べさせる。

そうしておいて、「それで」と、むいた方の芋をミカの手から取り上げ、ナイフをいれる。

綺麗な長方体にするために、大雑把に、周りの実を削り落とす。

「形が揃ってる、ってのは、こうやって揃えてんだと思うよ」

他のどんな野菜でもな、と、仕上がったそれをミカに見せる。

自然に採れる野菜や果物がみんな均一に同じなんてことはありえない。人間がみんな違うのを同じだ。なんて言って

「勿論、形を揃えるにはそれなりに大きな物ばかり買わないといけないけど、これくらいの市場ではそんな大きい野菜は見ないな」

だいたいこんなものだ、と麻の袋の中を見せてやる。

芋と人参、豆、みんな片手で包み込めるくらい。

「だから、少しでも多く食べるところを確保するために皮は極力むかないし、形なんか不揃いでもどうでも良いんだよ」

そういうのが、料理屋や大きな宿の食事とは違う、ごく普通の庶民の食事だ。

それを黙って聞いていたミカは、じゃあ、とヒロが落として捨てた皮と実の部分を指さす。

「それはどうしてるんだ」

「どうって」

ヒロとしてはミカに解らせるための実演だったので、この後、まあ薄く薄くうすーーーーーく向いた皮は捨てるにしても、

長方体に切り落とした方の実は、ゆでてスープに入れるなり、つぶして塩を混ぜて食べるなりするけれど。

どうしてるんだ、という尋ね方は、ヒロの主張が正しいなら自分が今まで口にしてきた料理ではどうなっているのか、という事だろう。

「いや、それは知らねえけど」

まさか捨てたりはしないと思うから、まかないとかに使うんじゃねえ?と、あの日の自分は言ったものの。

(この分だと捨ててても全然おかしくないような…)

と、侯爵家の規模を知ってしまった今のヒロは、思ってしまう。

美しく整えられた食材、味だけでなく、見た目にも一切手を抜かず、完璧に作り上げられた、それは芸術のような料理。

それらが当たり前の日常が、この屋敷にはあって。

そこで生まれ育ってきたミカの常識を、この数日でしか体験してないヒロには、あの日のミカが何を思ったのか、

想像することもできないけれど。

まかないとは何だ、と尋ねられて、以前、小料理屋で下働きをした経験を話してやった。

「お客さんにはお金をもらうから良いもの出すだろ、その切り落としを従業員や家族の食事にするんだよ」

ミカは自分の手の中にある立方体の「良いもの」と、ヒロの足元に落ちている「切り落とし」を見比べている。

見比べて、ただじっと考え込んでいる様子は。

(きっと、ミカにとっては初めての衝撃だったはずなんだ)

ヒロがこの屋敷で次々と衝撃に打たれたように、ミカもきっと。

だがあの日のヒロにそれは解らなかった。だから、言ってやったのだ。

「俺たちはそれで慣れてるから良いけど、ミカがどうしても無理、ってんなら、ミカの分はちゃんとむいてつくってやるよ?」

食材がくずではない、と解って葛藤しているのか、と思っていたからの提案。

育ちがいいなら、まあおいおい慣れていけばいいんじゃないかな、と軽く考えたからなのだが。

いや、とミカは、手の中の芋をヒロに返しながら言った。

「いや、いい」

「え?そうか?皮むくくらいなら、別に手間じゃないけどな」

「でも、その切り落としはお前の分になるんだろ」

「まーな、俺は気にならないからな」

「…俺はお前たちの主人じゃないし、お前たちは下働きでもないんだから」

そうさせるのは違うと思う、と言い、お前が正しいのは良く解った、と言った。

それが、郷に入れば郷に従え、というそれを実践しているミカのそれまでの様子と何ら変わりはなかったから、

ヒロもそれ以上は追及しなかった。

…しなかったけれど、ミカの食が進まないようなのは見ていて良く解るし、仲間である以上同列であるべき、と言った

ミカの心根は好ましかった(それまでのヒロの人間関係で知った育ちのいいらしい人間とは違っていて驚いた)ので

こっそりとミカの料理にはひと手間と、「良いもの」を加えてやるようになった。

ミカはそれを、ミオに習ってヒロの調理の腕が上がった、というように思っているらしいが、違うのだ。

(いや、それもないとは言わないけど)

ミオの料理でも同じだ、食材は大事だから。生きているものを刈り取って、見た目が悪いから食べないという道理はない。

(俺はそれを究極の究極の究極の極致まで食える、ってのが当たり前だから)

だから、良い。ミカには知られなくて良いことだ。

(どうやったって、歪なものは歪でしかなくて)

それを美しく整えたとしても、削ぎ落された欠片は残る。残ったそれを。

(あの日のミカは、受け止めた)

受け止めたからこそ、何も言わなくなった。

それを、傍についていた自分は無意識に「良し」としていて、何も言わなくなったミカを気に掛けることもなくなっていた。

この屋敷にこなければ、たぶん、ずっと思いを寄せることもなかっただろう小さな出来事。

(正しいって、何だろう)

どうすれば良いか、どうするのが良かったのか。

自分は、ずっと「良い」ことを望んでそればかりを追ってきたような気がしているけど。

実際そうでもないのかもしれない、と考えた時。

ふいに、部屋のドアがノックされた。

こんな時間になんだ?!と飛び起きれば、寝室のはるか向こうのドアから光が差し込んで、ミカが顔を出した。

「もう寝てるのか」

といういつも通りの声音にそれまでの思考を中断され、脱力しつつ、寝室から出る。

「ちゃんとベッドで寝てますよ」

と言えば、何の話だ、と返される。

あれ?床で寝てないか見張りにきたわけじゃないのか、とミカを見れば、片手にワインを持っている。

ますます訳が分からないで首をかしげると、飲むか、とワインを見せる。

このお坊ちゃま、なりふりが下町の不良少年なんだよなあ、なんて思いながら黙っていると、ミカは勝手に用意を始めた。

「…ワイン飲みにきたのか」

「そうだ」

「何で」

「何でって、…飲まないのか」

「いや、飲む飲む、いただきます」

正直、寝るには随分と早い時間だし、ちょうど喉も乾いていたし。

「じゃ、座れ」

訳が分からないまま、とりあえずミカが用意をしているテーブルの、これまた無駄にでかいソファーに胡坐をかいて座ると、

その隣にミカも腰を下ろした。

「ウイが、こっちに来ればいいだろ、って言うから」

と言いながら、グラスを並べ、ワインの封に手をかける。

ヒロがこの部屋に一人にされるのが不安でウイの部屋に混ざっていいか聞いたら、案の定ミカにこっぴどく説教された初日。

ヒロのためにわざわざ、間取りが分かれている館を用意してやったのに、というそれには納得できたものの。

じゃあミカの部屋に混ぜて、っていうと自室に客人は泊めない、前例がない、そういう事をすれば屋敷全体が混乱する、と言われ

渋々、ヒロは一人でここ滞在しているわけだが。

ウイに言われて来た、というミカが、「ん」とワインの注ぎ口を向けるので慌ててグラスを出す。

なるほど、ミカなりに気にはしていてくれたようだ。

「あとは」

と、自分のグラスにも注ぎながら、ミカが言う。

「学生時代、舎監の目を盗んで飲酒をするのが流行っていて」

「え?ミカが?」

「俺じゃない、周りが、だ。俺はものすごくくだらないと思っていたから、参加したことはない」

それ以前に、友人がいなかったわけだが、と言うのは互いに暗黙の了解。それを視線で交わすように、ミカはヒロを見る。

「お前となら良いかと思って」

と、ひどく生真面目に言われては、返答に困る。

それは、学生という規律の厳しい時代に羽目を外すから楽しいのであって、今自分と酒を酌み交わすのは違うんじゃないかな、

と思うのだが、その辺り、ミカの思考はどうなっているのだ。

「う、うん、そうか」

「…ほかにいう事はないのか」

不機嫌そうに睨まれて、愛想笑いを一つ。

「光栄でっす」

「嘘くせえ」

「嘘じゃねーよ、来てくれてすんげー嬉しいよ!嬉しいけどさあ」

飲んだら帰るんだろ自分の部屋に、と、ミカのこの無意味な行為に困惑してる風を見せれば

いやこっちに泊まる、と言われて、え?!マジで?と、身を乗り出す。

「なんだーそれを先に言えよなー、いやあ実にいい酒ですなあー」

「嘘くせえ」

途端に調子に乗っておだてあげようとするヒロの態度に、先ほどと同じセリフを重ねて、文句の一つも続けようとしたのだろうミカが

仕方ないなというように笑って見せた。

そんなミカを見て、ヒロもようやくいつもの自分を取り戻せたような気がする。

だから深く考えずに、グラスに注がれたワインを口にして。

「ぐぇっはっ」

と盛大にむせ返る。

いい酒ですなあ、なんて調子に乗って言ったが、日ごろから進んで酒を飲んだりはしない。それは旅の間のミカも同じだ。

ただ、飲み方は覚えておいた方が良いと言うミカが用意する酒類を時折口にするくらい。

「まっずぅぅぅっ!!なんだこれ、まずっ」

「え?そんなにか?」

と驚いたミカが、少量を口に付けるようにして確かめる。

「…うん、まずいな」

「まずいな、って何?!どゆこと!?毒見?俺に毒見させたのか恐ろしい子っ」

「いや、説明する前にお前が勝手に飲んだだけだろ」

呆れたようなミカが別のグラスを差し出し、水、と言うのを受け取る。

いつも大体ミカが持ってくる酒は軽く飲めるので、完全に油断していた。一気に水を流し込む。

「俺たちが飲んでいい強さの酒じゃないと思います先生」

「そうだな、結構きついなコレ」

ヒロに同意した先生、ミカが手にしている瓶には、なんのラベルも張られていない。

「お高いのか」

「いや、おれの荘園で試しに作らせた物なんだが」

俺の!荘園で!とヒロが絶句しているのを別の意味にとったのか、ミカがきまり悪そうに、いやその、と言いよどむ。

「基本は葡萄でワインを作らせているんだが、作物一種だけだと農作被害に会った時、その年は全滅するだろ」

だからほかの作物でも作れないか、ちょっと試行錯誤をしていて、という説明に、ヒロはただ頷く。

そこそこ飲める物ができた、と届けられていたのを思い出して、これでいいかと持ってきたらしい。

「だから別にお前で人体実験をしたというわけじゃないからな」

「わかったわかった、うん、わかりました」

おれがビックリしたのはそこじゃないんだけど、とは言わず、ヒロはグラスに残った酒の匂いを確かめる。

「材料何?」

「これは、芋だったかな」

「へー芋かー、全然わかんねーな」

「解るほど酒を知らねえだろ」

「そりゃそーだけど、葡萄とか桃とか解るじゃん。甘い匂いするし」

そんな事を言いながら、あ、と思いつく。

「ソーダ水に混ぜてみたらどうかなコレ、甘くて飲みやすくなるんじゃねえ?」

「甘くする意味が解らねえ」

「じゃあミカは水で薄めてみろよ、絶対これそのままだとキツイんだって」

「なるほど」

ヒロの提案を受けて、ミカが酒の残ったグラスに水を足していく。

それを味見しながら、お互いにこれなら飲める、という所まで水で割った結果。

「…こんなに薄めるんなら別にこの酒飲まなくてもいいよな」

「そうだな…」

そんな不毛な結論に達しては、興味も失せるというものだろう。二人してソファーに身を投げた。

背もたれに反り返り天井を見ながら、「そうだ、料理!料理に使うってのもありじゃねえ?」とヒロが声を上げれば、

クッションに身を預けているミカが、くつくつと笑う。

「お前って、本当に」

「なんだよなー」

互いの姿を目に入れず、声だけで反応を窺う。軽く酒が入って、楽しい気分になっているらしい。

「どんなものでも余すことなく利用しようとするな」

「そりゃーまー、利用できるならとことん利用しないと、失礼でしょーよ」

余り、捨て去られるのは、しのびない。どんなものでも。

「なるほど、礼か」

「礼だ」

そう言い切ったヒロは、別の事を考えていた。

あの日。

美しく整えられた形を手にし、美しく整えるために切り落とされたものを目にしたミカだからこそ、

今のヒロの言葉を受け入れることができるのかもしれない。

いや、それは自分の成した驕りだろうか。

「じゃあ、料理と…、ソーダ水だったな。あとは、何か手があれば、考えるか」

他愛ない発言も一蹴せず、しっかりと受け止めている様子は普段のミカと何ら変わりない。

変わったのは、ミカの境遇を知ってしまったヒロの方だ。

住む世界が何もかも違う。それをいやというほど思い知らされたこの数日、友達の家に遊びに来たなんて次元じゃない。

ミカがとてつもなく遠い存在なのだと、やっと理解することができた。

それなのに。

自分は、ミカが何も変わっていない事を、ちゃんと信じていられるのだ。

個人で荘園を管理して、多くの人間を使い、それらの将来の事も見据えて支持を出したりする実態を見せつけられていても。

あの日のミカが、ヒロの中に生きている。

生きているミカと今まで積み重ねてきた時間が、互いの距離を結び付け、どんな障害に引き離されようともミカの本質を見誤る事はないと思える。

これは驕りじゃない、自信だ。

「俺、ミカんちに遊びに来てよかったと思うな」

「なんだ、突然」

「ウイが来たがってたのは、これなんだなーって思って」

よ、と軽く勢いをつけて身を起こせば、ミカがこっちを見る。

「これって、どれだよ」

「自己満足」

「自己満足だあ?」

「いいぞ、自己満足。現状に満足できて、さらにその上を目指せるって事だろ」

少なくとも自分は、ミカの境遇を知れてよかったと思う。

「別にそれを知ったからって、これからのミカに対する態度が変わるとか、ないんだけどさ」

ミカだって俺たちの家に来たからって今までと何も変わらないだろう?というヒロに、ミカが頷く。

「そうだな、態度は変わらなくても見る目は変わったな」

お前のいう家族というものがどういう事か良く解った、と言われ、俺もだ、とヒロも頷く。

「解りあえないのはしょうがねえ、って思ってたけど、実際目にするとそういうもんでもないな、って思ったな」

「形が違うだけで、本質は同じだ」

「同じか」

「整えられているか、いないか、だ」

そのミカの言い分を、ヒロはゆっくりと、胸のうちに収める。

美しく形を揃え、美しくあるために葬り去られるものを、ミカは必要としている。

いつか、俺にはお前たちが必要だ、と言っていたミカの心は多分、ここにある。

これから先も、自分たちは違う視点から世界を見るだろう。同じものを、違う形のものとしてとらえ、立場を変えるだろう。

その根底にあるものを、今、知った。

知るという、強み。

それさえあれば、互いの立場の違いなど、何の隔たりにもならない。

「夜会、成功させような」

ヒロが言えば、ミカがちらりと笑う。

「安心しろ、とことん利用してやる」

ミカにしか立ちえない立場の物言いで、礼を尽くす、と言っている。

「それは、願ったり叶ったり」

 三度目の、お調子者の本懐ここにありと言ったヨイショには、「嘘くせえ」という抗議はこなかった。

 

 

 

はるか高みにある美しきものが、いびつなものに送る礼と賛。

それはきっと、類をみないお披露目になるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全然絞められなくて、中途半端にぶったぎりですがスミマセン(;´・ω・)モウムリ

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廃園に満ちる

2016年03月18日 | ツアーズ SS

先から降り続いていた長雨が、やっと上がった。

天上から洗われたように空気は澄み切っていて美しい。

午前中の退屈な講義をようやくの思いで終え、レグルスは、学び舎を出て足早にその場所へと向かった。

 

 

 

王立の全寮制であるこの学校は、王侯貴族や富裕層の子弟が多くを占める。

伝統や家の格付けの為に通わせるのが習いではあるが、無論、学の高さでも国内随一の学校である。

このレグルスも例外ではなく、政治学、経済学、兵学、軍師学、など、王侯貴族の子弟として必須である学科を専攻させられ

まったく味気ない学生生活を送ってきたものだが、唯一、植物学という癒しの学問に出会い、

以来、留年に留年を重ね、この学校にとどまっている。

有難いことに、二親のみならず親類縁者すべてに見放され、そのまま学校から出てくるなとまで言われているので、

心置きなくここに骨をうずめるつもりだ。

 

 

 

校舎のそこかしこにある午後の喧騒をかき分け、目指すその場所は、広大な敷地の片隅にあった。

誰しも、特に用もなければ訪れないという場所は多い。

人が来なければ施設はおのずと閑散とするものだが、そこは、学舎の職員たちにさえ忘れられているかのような有様だった。

まさに、最奥の廃園、とでもいうかのような荒みよう。

それがまた自分にはひどく落ち着ける場所であり、学問の面からもあらゆる興味を提供してくれる庭である。

人の手が行き届いていた頃には美しい庭園であったのが容易に想像できるほどには姿を留めつつ、

人が手を入れるには躊躇うほどに、所有権は、完全に植物たちへと取って代わられていた。

座って休める石造りのベンチさえも苔におおわれている緑の廃園。

そこで植物の生態観察に没頭する事が、レグルスの唯一一人になれる時間ではあったが。

この日、その廃園には一人の邪魔があった。

 

 

 

その生徒は、突然現れた人の気配に敏感に振り向き、驚いたように動きを止める。

レグルスにとっては「邪魔」以外の何物でもない存在ではあったが、当然それを口にできるはずもない。

ここは学び舎、レグルスの所有地ではない。

ので。

「ごきげんよう」

と、当たり障りのない笑顔で挨拶をする。

よほどの奇人変人でもなければ、留年をしてまでとどまっている自分より下の者だ。ここは年長者としての余裕を見せる。

そうして見せることで、大概の者は警戒心を解く(あるいはそのフリをして)歩み寄ってくるものだ。

彼も例外ではない。

ごきげんよう、と、はにかむように帰ってきた声はか細い。

この距離では会話もおぼつかない、と思い、レグルスも彼に歩み寄る。

「ここで人に会うとは珍しい」

こんな場所を好む奇特な人物は己くらいだと思っていました、と笑みを向ければ、私もです、と笑顔を見せる。

なるほど、人知れず忘れ去られた場所と言うものは、それなりに需要があるらしい。

午後の講義は放棄するのか、と尋ねかけ、そういえば彼には不要な講義だったな、と思い至る。

彼のことは、見知っていた。

ルガナ伯爵の次男、名をクルシス、といったか。

病弱であるため、貴族には必須な戦術や剣術、馬術、といった体を使う学科ではほぼ見学をしているので、いやでも目立つ。

本人がそれを気にしているとはいけないと気を使い、別の話題を、と考えた矢先に。

「レグルス様も、午後の講義はさぼりですか」

と、わざと俗っぽい言葉を使ってこの状況を笑い話に持っていこうとする。

そういう所は悪くないな、と、レグルスも方頬をゆがませて見せた。

「お互い、戦場の案山子ではたまに抜け出したくもなりますな」

思った通り、このつまらない揶揄に、彼はさわやかに笑って見せた。

 

 

 

レグルスが彼を見知っている以上に、自分のことは知られているらしい、とレグルスはクルシスに警戒を解いた。

思えば、知られている方が当然、自分は変わり者で有名だ。

クルシスの見学を云々言うまでもなく、やる気のない自分の運動系での悲惨さは、授業において「端に除けておけ」と

放置されているくらいだ。

やる気もない習うこともない仮の戦場で突っ立っている棒では、見学より質が悪い。

お互い、午後の講義に出席することをすっかり放棄しているというのが解って、レグルスは彼と話してみようという気分になった。

「クルシス様は、いつもこちらで何をなさっておいでか?」

率直にそう尋ねたのは、先の経験から、クルシスならば場を気まずくさせるような発言は華麗に包み隠すと思ったからだが。

「ああ、私は人との待ち合わせに」

という、なんとも不穏な話題を持ち出してきた。

それがどういう意味合いであれ(政治的にしろ、色恋沙汰にしろ)個人的にはあまり立ち入りたくない話題だ。

「おお、それは気づかずご無礼」

と、大仰におどけて見せ、では私は初めからここには立ち入っていないことにしよう、と道化者よろしく、舞台から退散するそぶりを見せれば

意外にもクルシスが、慌ててそれを止める。

「いえ、いいのです!今日は、どうも都合が合わないようなので」

と言い、自身の後方、斜め下の方向を指さす。

クルシスが指したそこ、茂みの低木の枝先に、明るい緑色のレースが結んであるのが見て取れた。

レグルスはその光景に、あんぐり、と口を開けたまま、ああ…、と生返事をするのが精いっぱい。

それを、応、と受け取ったのか、そういうことですので、とクルシスはレグルスに気にしないよう促しておいて、

その低木の方へ足を向ける。

その後姿を見ながら、なんとまあ…、とレグルスは嘆息する。

なんとまあ古風で幼稚な色恋沙汰か、という思いやら、それを隠さないクルシスの不可解さやら、

この廃園の常連でありながら今までそんな仕掛けに気づいたこともない己の愚鈍さやらに、呆れたような、感心したような。

何とも言いきれない思いを抱えながら見守っていると、レースをはずしそれを軽く折りたたんで上着のポケットにしまいこんだクルシスが

何事もなかったかのように平然と、草を踏みながら戻ってきた。

「あー…、クルシス様、いつも連絡手段はそのように?」

と、口を出た言葉にレグルス自身が動揺する。踏み込んでどうする!!という焦りはあったが、クルシスは気にならないようだ。

「はい、構内ではなかなか接点がないので致し方なく」

もう変に引き返すことができなくなって、ただ相手に合わせるしかない。

軽く咳ばらいをし、年長の余裕を装う。

「それは…、忍ぶ恋ですなあ」

何を言っているのか。

とレグルスが己の失態に天を仰ぎたくなれば、それを見たクルシスが、唐突に笑いだした。

「違う、違いますよレグルス様。そのような関係ではありません」

あの方は高貴な姫なので、と前置き、外聞をはばかって受講できないような科目を自分が受け渡しているのだ、と説明する。

外聞、とつぶやけば、理数系が、特に物理に興味がおありの様です、とクルシスは続けた。

「成程、それは確かに、姫君には稀な興味ですね」

「ええ、とても聡明な方です」

その言葉は静かにレグルスの胸に落ちる。

成程、忍ぶ恋なのか。…相手に。

それはまた自分には無縁のものだな、と近くなったかのように感じていた彼の存在が、またわずかに遠ざかったのを知る瞬間だった。

 

 

 

「レグルス様は、こちらで何を?」

そう、無邪気に問いかけてくるクルシスの声に、我に返り。

「ああ、私は植物学を専攻しているので」

と自然に口を出た言葉で、ようやく自分を取り戻すことに成功した。

「植物学…」

クルシスにとっては聞きなれない学科か、それもまあ仕方がないことだ。

そんなことよりも、レグルスには自分の領域に話題が移ったことで一息つけるというものだ。

「数日前からの長雨があがって、しばらくぶりに植物たちの様子を見に来たのですよ」

「では、ここは、植物学が所有している場所なのですか?」

という問いには笑って見せる。

確かに人目を避けて待ち合わせる彼らには、植物学の人間が頻繁に立ち入りをするかどうかを知る方が重要だ。

「いいえ、私の気まぐれです。人の手が入らず自生する植物を知る場所の一つですよ」

学科で所有する植物園は他にいくつかありますが、あれらは研究の手が入っているので、と説明すれば、ただ頷いた。

「そうですか、研究の邪魔をしてしまっているのかと申し訳なくなりました」

邪魔、という響きに、レグルスは緑の方からクルシスへと視線を戻す。

そういえば、自分も初めここで彼の姿を見つけた時、邪魔、という言葉に囚われたのではなかったか。

だが何故かクルシス自身の口から放たれたその響きには、胸を突かれるような感じがあった。

「いやいや、クルシス様。邪魔などという事はない。人も自然の一部です。この廃園に邪魔をする道理はないでしょう」

レグルスの言葉に聞き入り、自然の一部ですか、とほほ笑む。

病弱という情報と影の薄い印象とが相まって、ひどく寂しげに聞こえる。

彼は生まれた時からそれを背負って、あるいは囲われて、そうして生きてきたのかと思われる。

「もちろんです。人が邪魔だというなら、我々はとっくに植物たちに追い払われているでしょうからね」

彼の陰ある部分には目をやらないようにしながら、レグルスは静けさに急かされるように、植物たちの生態を語って聞かせた。

温帯で、湿地帯で、熱帯で、乾燥地で、植物たちはそこにあるがまま、ただあるべき姿であるだけだ。

その地に適応し、環境に順応し、姿かたちを変えながら繁殖を続けていく生命力。

それに惹かれて自分は植物学にのめり込んでいるのだ、と話してやれば、興味深そうにそれに耳を傾け、感じ入ったように頷く。

「この葉などは実に面白いですよ。とにかく隙間がないほどに茂る。己の葉で下の方などは光が届かないほどです」

と、足元の低木を指し、葉をかき分けて見せる。

「そのため足元が弱り腐ってしまう、そうすればやがて自分も倒れてしまう、そういったことを長い年月かけて克服したんでしょう」

この葉は自分で適度に穴を作るようになった、と穴あきの葉を示せば、クルシスが驚く。

「虫に食べられてしまったわけではなく?自分で?」

「そう、このような形が望ましいと、植物自身が判断したんでしょうね。面白い選択ですよ」

この大きな穴から光を通す。そうして下草たちとも共存している。弱く愚かでは生き抜けない自分を作り変えて今の姿がある。

「太古より進化を続けて生き残ってきたものたちが、今のこの廃園での姿なんですね」

素直なクルシスの言葉に、レグルスは自然、心が躍るような感動を覚えた。

自分が植物に魅せられる理由、この廃園を愛する事実、それらを柔軟に受け止め、理解してくれる人間がどれほどいただろうか。

それはきっと、この学び舎において我々二人は王侯貴族たちとの距離を抱えているため。

彼は体の弱さから、そして自分は心の弱さから。

心と体が、勇ましさと言う成分を失っているから強くあることができない、そういう意味でなら我らは同士だ。

同士だ、と一方的にレグルスが感じているだけの事かもしれない。それでも、クルシスの理解はただ喜ばしかった。

だからこそ、彼から目をそらせなかったのかも知れない。

「人も、植物も、弱いものは生き残れないというのは同じですね」

その小さな本音から、目をそらすことができなかったのだ。

廃園に訪れた沈黙、それは時の流れを感じさせないほど永遠にも似た静寂。

ほんのわずかな間であったのだろうけれど、それほどに冷えた沈黙は一瞬にしてこの廃園に満ちた。

それを払拭するように、口を開いたのは、やはりクルシスが先だった。

「どうして神は弱いものをお創りになったんでしょうね」

先ほど、レグルスが自分たちの立ち位置を揶揄するのと同じ様に、軽い口調でさらりと放ったそれはしかし、

今度はうまくいかなかった。

再び、沈黙が訪れる。その矢先、レグルスは口を開いた。

「きっと、神が弱き者を必要とされたからではないでしょうかね」

それはレグルス自身が抱えていたものだったのだ。

問いという形にならないものに日々煩わされ、そうある自己から目をそらし、逃げるように生きてきたレグルスの抱えていたもの。

「必要?生き残ることができないのに、必要、とされるのですか?」

「ああ、生き残る、とは何でしょうね、クルシス様」

命あるものは、全て時とともに無になる。どんな強い存在もそれを覆すことはできない、そう言うレグルスにクルシスが頷く。

それを見て、レグルスは廃園へと目をやった。

「あなたも、私も、いつか土に還る。私たち自身のまま、この世界に残ることはできない」

それが理。

それでも。

それでも生きた証が残る。人の記憶に、あるいは記録に。生まれてから死にゆくまでの行動、感情、影響、そういったものが残る。

「それこそを、生き残る、というのだと思います」

残ったものを継いでいく。次の世代が、その次の世代へ、脈々と受け継がれていくのは個人という単位では測れない、人としての生き様。

「だから命あるものは子を産むのでしょう。生き残りをかけて、はるか先の未来までつないでいくために、子を成すようにできている」

「子を成せない弱き者は?」

「それは仕方がない。だが人は文明という社会に生きている。子を成せない者にも自己を残す手段はいくらでもある」

自己を発信し、他人に伝える。他人を育てる。知識で、技術で、感情で、他人を動かし、他人の記憶に残る。文字があり、芸術があり、創造がある。

我々が文明を手に入れたのは、神の許しであり、試されているのだと思いませんか、と振り返れば、クルシスは複雑そうに首を傾げた。

「神は世界を創り、人を創られた。それはより善きものを願っての祝福でしょう。神の望む良い世界であるように、人は生かされている」

何が善きことで、何が悪しきことなのか、世界の終焉の時まで神は采配を振るわない。

全て命あるものたちに委ねられている。

「だからこそ、強き者ばかりでなく、弱き者が必要だと思われたのではないでしょうか」

強く勇ましく全てを勝ち抜き勝利のみで埋め尽くされた世界では、争い事の果てに滅びの道しか見えない。

弱き者のみが持ちえる視点、弱き者だからこそ成しえる功績、そういったものがより良い世界を創っていくためには必要だ。

「強い者が善いばかりではないように、弱いものが悪いばかりでもないのでしょう」

「弱いものにも、役割がある?」

「私は、そう思います」

強くしたたかに繁殖していく命。

地表を覆いつくし繁栄を誇っていても、他の侵略にあう。命は生きるために戦いを続けている。

ただ生きるために。そこに理由などない。

「私たちは時として感情的に忘れてしまいがちだけれど、生きるために命はある。ただそれだけの事を守り抜けばいい」

そうして生きた証を伝え、遺し、次なる命の糧になる。次の世代たちが戦うための大いなる武器として、使命を果たす。

それが弱いか強いか、長いか短いかなどの不平等さはない。

等しく、大いなる記憶の一部になる。

「神が植物や動物、人や環境などを公平に創られていないのは、きっとそうすることが命にとって必要だからだと判断されたのです」

それに是非は唱えない。

自分はもう存在している。存在している以上、成すべきことを成すしかない。

「だからクルシス様、あなたも私も、勇ましくないことにこそ重大な意義がある」

そうして語り終えたレグルスに、クルシスは柔らかい笑みを見せた。

「兵術の講義では案山子でしかないレグルス様が、この廃園では私に希望を授けてくださることに意義があるんですね」

「そうですとも」

希望、と言ってくれた。

そうだ、あなたは必要とされている。あなたのその思考が、感情が、経験が、命にとって必要であるから、この世界に存在しているのだ。

「レグルス様にそのような光を教え授けてくださったのは、どなたなのですか」

と、訪ねてくる声に、あの寂しげな響きはない。

この場が、わずかでもクルシスに安らぎを与えられたというのなら、自分もまた必要とされそれを成しえたことを誇りに思える。

レグルスは、廃園に向き合った。

「植物学であり、植物の生き様そのものに、です」

 

 

 

 

それが、クルシスとの出会いだった。

あの日から、クルシスがどこぞの姫君と気兼ねなく過ごせるように気を使って、なるべく、あの廃園には足を運ばないようにしていた。

別にクルシスを避けていたわけではない。

確かに、らしくもなく熱弁をふるった己自身に対してのいたたまれなさに向かいあうのが嫌だった、というのは、ない、とは言わないが

クルシスと顔を合わせるのが嫌だったということはない。

それまでもクルシスとの付き合いはなかったのだから、日常で彼と行動が被さるということもないのが当然で、そう、避けているわけではないのだ。

などと、自分に言い訳をするかのように日々を過ごしていたレグルスは。

「植物学の教授は、こちらにいらっしゃいますか」

と、植物学科の教授室のドアを開けて姿を見せたクルシスに、心底、驚いた。

「おや、レグルス様。こちらでしたか」

「あ、ああ、クルシス様、…ごきげんよう」

「ごきげんよう」

「教授なら今日は、薬学部へ研究報告に出向かれていますよ」

内心の動揺を隠しながら、そう伝えると、そうでしたか、とクルシスが頷く。

廃園での振る舞い、自分に酔っていたかのような熱弁を思い出すと未だに顔から火が出そうなほどだが、クルシスのそのなんでもなさそうな顔をみれば、

ただの自意識過剰だったようだ、と冷静になれた。

いつも植物とばかり対話しているから、他人に理解を示してもらえただけで舞い上がっていたようだが、よく考えれば人は人と対話して理解しあうものだしな、と

自分が滑稽になり。

「クルシス様は、教授にどのような御用です?」

と、朗らかに対応すれば、クルシスもそれに笑顔を見せた。

「はい、明日から植物学を受講させていただく許可がおりましたので、ご挨拶に参りました」

「ほお、それはそれは…、え?それは?…ええ?!」

「明日から同じ授業ですね、よろしくお願いしますレグルス様」

自分を弱き者、と自嘲していた彼は、どうしてなかなか大胆な行動をする人物だったようだ。

 

 

 

大胆な、とは、まあ思い返せば、高貴な姫に物理の授業内容を受け渡したりしている時点で解り切っていたようなものじゃないか。

と、レグルスは己の鈍さに、苦笑する。

レグルス様にお話を頂き、自分もぜひその植物学を通して生き方を学びたいと考えた、と言って植物学科を専攻したクルシスは次に、

噂の姫君を紹介します、などと言って、廃園でこともなげにレグルスと引き合わせるという行為に出た。

ああ、なるほど、確かに高貴な姫君だ。と、レネーゼ侯爵家の一人娘である姫を見た時には、もうクルシスの性格は大体把握していた。

病弱であるがゆえに大事に大事に育てられ箱入り息子状態の彼は、それゆえの怖いもの知らずだ。

高嶺の花、という意味合いの揶揄で高貴な姫君、と言っているのかと思いきや、本当に高貴な相手だったと対面で知らされたレグルスの立場も

ちょっとは慮って欲しいものだが。

忍ぶ恋、などという言葉が馬鹿馬鹿しいほどに、二人は仲睦まじく見えた。

姫君も、クルシスが信頼を置いているのであればと言って、自分にも分け隔てなく接してくるのには、恐れ入るしかない。

人当たりの良いクルシスとは反対に、その表情や行動からは人形のようにつかみどころのない姫君ではあったが、自分たちは3人で廃園に集った。

何気ない日常、限りある学校生活は、クルシスが卒業するまでそんな形で続いた。

彼の卒業後、3人で顔を合わせたのは、クルシスと姫の結婚式の日。

これからは侯爵家の敷地にある小さな館で家族として暮らすのだ、と嬉しそうに語ってくれた笑顔は今も忘れることができない。

貴方のおかげです、としきりに言っては、私たちに子供が生まれたらぜひ植物学の教師として訪れてくださいね、と念を押していた。

それから、彼には会っていない。

自分もクルシスも、社交界などという場へ出向くような質ではなし、子供が生まれたことを風のうわさで聞いていたくらい。

そのうち盛大な祝いをもって駆けつけねば、と思っているうちに、時は風のように過ぎ去ってしまった。

彼は、風のようにこの世をさってしまった。

 

 

 

 

それからレグルスの周囲は一変した。

植物学の権威として学園に骨をうずめる、などと思っていた過去さえも抹殺されるかのような勢いで、伯爵の称号を継いだ。

そこにレグルスの意志は必要なかった。

ただただ王の勅命によって、レネーゼ侯爵家次期後継者の父となった。

ただ広く寒々しいほどに豪奢な部屋で、人形のように座している母親と息子を見ても、彼の面影が重なることはなかったが。

「クルシスが信頼を置いている人物なので」

という、一片の感情もなく発せられた言葉に魂をつかみ取られ、自分はここに骨を埋めるのだと悟っていた。

 

 

 

あれから、自分には何ができただろうか。

クルシスの月命日には必ず墓所を訪れ、ただただ沈黙の時間に身を置く。

沈黙に、あの廃園での自分の振る舞いを思う。

まだ十代の後半ほどしか生きていない彼に、命の意義を語った。

神に必要とされているのだ、と彼の弱さを肯定し、それこそが使命なのだと、在り方を説いた。

説いたつもりだった。

植物に習い、植物のありように感銘を受け、自分もそうあるべきだと命に心酔していた若かりし日のレグルスの、

生涯で最初で最後の生徒だった。

神の御許へ近くなった彼は、あの日のレグルスの言葉に、あれはお前の思い上がりだと言い返してくれないものか、と、

それだけを期待してここで沈黙にたたずむ。

それはただのレグルスの感傷だという事も解っている。あの時にはあれがレグルスの善だった。今もそれは変わらない。

自分だけが時を重ね、若い日の未熟さを思い返すことを分かち合えないことが、ただ堪える。

それでも、あの日に言ったことなら一つだけ訂正しよう。

命の終わりは、無ではない。

無ではないと思い知らされる。

果ててなお、続いていく使命。今を生きるものたちに、ただ命の限り生きよと訴えかけてくるこの事が、無であるはずがない。

死に向かい合い、レグルスの中に沸き上がり生まれてくるものがある限り、それは今なお生きて満たされる命。

「命とは、生き残ることだ」

そう呟いてみる。

応えはない。

この美しすぎる墓地には、沈黙は無意味だ。

あの日廃園を満たした沈黙は、覆いつくす苔と低木の茂みとツタの絡まる巨木たちが包み込んでくれいたからこそ、満ち足りた。

ここを沈黙で満たすには、あまりにも開けすぎている。そう思い、目線を巡らせば。

こちらへと向かってきている貴婦人の影があった。

 

 

 

遠い日の廃園に佇んでいた姿のまま、今は自分の奥方として立っているその人を見る。

「ええ、と、…ごきげんよう」

「ええ、ごきげんよう」

互いの姿を認めた以上、その場から立ち去ることもはばかられて、レグルスは彼女を見守るように身を引く。

それを受けて、彼女は何もいわずその場で立っている。

レグルスと彼女との距離は、初めて対面したときから一切、変化がない。

こうなってみれば良く良く解る、互いにクルシスを介しての付き合いだった。

その一角を失って、自分たちは互いにどう向き合っていいのか解らないまま、今日までやり過ごしてきただけだ。

「…あー、その、本日は、良いお日柄で」

「ええ」

「クルシス様も、お喜びのことでございましょう」

「……」

「…ではワタクシはこれにてお先に失礼つかまつります」

「お待ちになって」

「はい、では仰せのままに」

先の沈黙とはまた別の沈黙が伸し掛かる。

そそくさと立ち去ろうとしたレグルスは、思いもよらないこの場の展開に、救いを求めるようにクルシスの墓石に目をやる。

それと同時に、彼女が口を開いた。

「ルーシーがいないと会話もままなりませんわね」

それは、しばらくぶりに彼女が彼の名を呼んだ瞬間だった。

あまりの懐かしさに、こみ上げてきたものを飲み込む。

彼女はそんなレグルスに目を向けることもなく、静かにつづける。

「子が出来ました」

「はあ、そうですか」

と何気なく相槌をうち、その言葉の意味を考えて、驚愕する。

「え?今なんて?!」

「貴方に申し上げているのではありません。わたくしは、ルーシーに報告しているのです」

「…あ、はあ、そうですか」

こちらを一顧だにしない、それ以上取りつく島もない様子に、レグルスが再び沈黙を守っていると。

しばらくしてまた彼女が口を開く。

「…貴方はそれに対して何か申すことはありませんの?」

などと墓石に語り掛けている様子は、かなりシュールだ。

いやー無理でしょう墓石は喋らないでしょう、と、先ほどまでの自分の事は棚上げして、彼女の動向を一歩引いた目で見ていると。

「貴方に申し上げているのですわ」

と、レグルスを振り返り、強い口調でたしなめる。

「あっ、ああ、わたくしにでしたか、そうですか」

なんだこれは。

と、彼女の言動に振り回されている一連の流れをレグルスなりに考えてみる。

そうか、彼女はクルシスがいた時と同じように、クルシスを介してレグルスと会話しようとしているのか。

なんと、難儀な…。

とは思ったが、彼女がそれを望んでいる以上、気のすむまで付き合わねば解放されそうにない。

ここは仕方ない、と彼女の言葉を反芻し。

「…子ができたそうですよ、クルシス様」

とつぶやけば。

「それはわたくしが先に申し上げました」

と再びたしなめられる。しかし、それに怖気づきながらも、レグルスが自分で口にした言葉には重みがあった。

ああ、そうか、私の子ができたのか。

それはなんとも複雑な気分だ。

妻も娶らず、称号も継がず、ただ飯食いとして実家の資金を頼りに、植物学の廃園で果てようと思っていた自分に、まさか子ができるとは。

いや、それを求められて侯爵家に婿入りしたのだから、自分は立派に務めを果たしたという事か。

そうか、これで役目から解放されるのか。そう考えたことに、一抹の寂しさを感じる。

寂しさを感じた自分に、驚いた。

「子が、できましたか…」

もう一度、口にする。

今度はもう、彼女も何も言わなかった。

レグルスはまっすぐクルシスに向かい合うように、姿勢を正す。

「私が名を付けることを、お許しくださいますか」

なぜ、そんなことが口を突いて出たのかはわからない。

ただ漠然と、クルシスを思い、彼の残した幼い一人息子を思い、隣に立つ彼女の気持ちを思った。

思っただけで、どれ一つ正解の得られない不確かさではあったが。

「私からお願いしようと思っておりました」

そう言った彼女の横顔は、静かに何の感情も表しはしなかった。

だから、そっと目を離し、もう一度、クルシスの墓石を見る。

「新たな命は、希望です」

クルシスに、彼が愛した彼女に、言い聞かせるように、ゆっくりと言葉をつなぐ。

生きた証をつないでいくものが、命。その思いはずっとレグルスの中で変わらない。未熟であろうともあの日のまま、守り続けている事。

「喜びも悲しみも、生きて経験したことの全てが、次の命の糧になる」

命を導く、多くの印となるように。

彼との友情も、信頼も、培ってきたすべてを注ぎ込んで、希望の光を掲げていく。自分は陰で良い。

子供たちが光の道を行くために、自分は迷いなき陰であり続ける。

「クルシス様の生きた証を受け継いだこの身を、次なる命に捧げましょう」

そのレグルスの決意。

初めて親になることを自覚した決意を、隣で聞いていた彼女は、少し考え込むようなそぶりをみせ、軽くあしらった。

「ルーシーが生きた証を受け継いだのは、わたくしではなくて?」

と、墓石に語り掛けている姿に、人生初の責任を負う覚悟を決めたレグルスは、あっけにとられる。

「え?はい?」

「ルーシーなら、出過ぎた真似をしないようにと言っているのではないかしら?」

「……」

それはつまり出過ぎた真似をするな、と彼女が自分に言っているのだ。

「ええ、出過ぎた真似を改めたいと思います、クルシス様」

私は何か勘違いをしていたようで、と続けるレグルスを遮って、彼女が口を開く。

「レグルス様はルーシーが信頼を置いた方ですわ」

その言葉に、思わず彼女を振り向く。

何度、この言葉を聞いただろう。彼女の、自分に向ける言葉は、これまでの時間の中でもたった一つ。

ずっと変わらないでいる言葉。

レグルスの視線を横顔で受けながら、彼女はわずかに目を伏せた。

「希望を授けてくださることに意義があるのでしょう」

それは忘れもしないあの日、クルシスが喜びを溢れさせながら、レグルスに言った言葉。

それが、満ちていく。

彼を失った心は廃れ、自分でさえも手付かずになって誰も踏み入れない空っぽの園に、その言葉が、静かに満ちていくようにレグルスには感じられる。

ただ、ただ息をのむ。

「それが植物学だと、ルーシー、あなたは言っていたわね」

彼をいつくしむ声音、それが示しているのは、レグルスには植物学という役目があるのだという事。

そうだ、レグルスが言ったのだ。

弱き者には弱き者として必要とされる役目がある。

王侯貴族がひしめくこの勇ましの世界で生きることから逃避した自分を肯定する為だけにいった、若い言葉。

それを貫けと、彼女は言っているのだ。

それをしてこそ、己の生き様を示せと、クルシスが言っているのだ。

レグルスは、勇ましの場に身を置いた彼女の二人分の覚悟を受け止め、今一度、姿勢を正すほかない。

圧倒的な格の違いを彼女に突きつけられ、それでも卑屈にならず胸を張っていられるだけの言葉を、今二人から贈られた。

「子らが迷った時には、いつでも廃園にお招きしましょう」

そう返せば、今度こそは、正しく彼女の納得を得られたのだろう。何度目かの沈黙があり、二人でそれに身を委ねることができた。

言葉は多くを語らない。

沈黙だけが、ありとあらゆる感情を含み、静かに、静かに満ちていく。

満ちて、満ち足りる。

一人ではこの場を満たすことのできない思いも、隣に誰かがあるだけで、沈黙は雄弁になる。

今初めて知ったそのことも大切に胸に抱えながら、レグルスは彼女を振り返った。

「子がある身では長く立ちっぱなしもいけない、良ければ私が送っていきましょう」

むしろ送らせてほしい、と、レグルスにはらしくもなく彼女をいたわる気持ちがわいてきたというのに。

相変わらず、レグルスを見もせず、彼女はクルシスの墓石に語り掛ける。

「ルーシー、この方の無骨なところはいかがなものでしょう。同じ館に住まうのに、送る、などというのですわ」

まったく、心底、難儀な女性だ。

仕方なくレグルスも、墓石に向かって言葉を放つ。

「それではルーシー、私たちは今日の所はこれで帰るとするよ」

私たちは、の所をことさら強調して伝え。

「また来月」

と、一か月後の訪問を約束する。

「次は二人一緒にね」

そう付け加えたことに、驚いたような彼女は、レグルスの視線があうと何も言わず、そっと目をそらした。

否定されなかったので、片腕を差し出してみれば、それに掴まって彼女は歩き出した。それに、黙って従う。

自分たちは、ゆっくりと一歩ずつ、前に向かって歩き出す。

 

 

 

彼の生きた証を受け継いだこの身を、それぞれの世界に捧げるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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宝と石と

2016年02月04日 | ツアーズ SS

大いなる友情と信頼の証には、惜しみなく褒賞を。

 

…関わりあうすべての人間にそうして資金を回していくことで、発展と成熟が望める世界で生きてきた老侯爵は

孫の友人らにもそれをして当然だと考えている。

だが、簡素な服をして精一杯着飾ってきたという認識の彼らに、あまりにも贅沢な品は目の毒になりはしないだろうか。

可愛い孫だ。

彼が初めて「友人」という絆を結んだ存在は、何よりも尊い。

だからこそ、慣例という名のもとに贈る金品でもって彼らの絆を壊してしまうことは、何よりも愚かだと思える。

さりげない装飾品なら良いだろうか。

それとも、物ではなく知識や技術の援助、あるいは地位の確立という方が良いか。

茶会に招いた彼らと談笑をすることで、その人となりを知り、これならば率直に話をしても良いだろうと判断し

老侯爵はさりげなくその旨を告げてみた。

それに対する返答は、実に興味深いものだった。

 

 

■ ■ ■

 

 

一応、彼らにも受け入れやすいように、「帰りには土産を用意しようと思うが、何がいいかね?」と、軽く尋ねたが

これは老侯爵にとって、孫の反応を窺うための第一声だ。

彼が嫌悪や不快感をにじませるようならば、即座に別の手を打たねばなるまい。

そう考えての事だが、相変わらず彼は、一切の感情を持たない人形のようにその場で静止している。

幼い頃から、そうだった。

彼の内面を知る事は、おそらく、世界の創生を知る事よりも不可能なのに違いない。と、昔から手を焼いていたが。

老侯爵の申し出に驚いていた友人らが、救いを求めるように孫に話しかけだすと、状況は一変した。

「大いなる友情と信頼の証には、惜しみなく褒賞を、…という言葉がある」

と、友人らに老侯爵の意図を説明する姿は、普段の彼と何も変わらないのに。

それをただ黙って見守る事しかできず、胸が締め付けらるような思いにとらわれる。

良くできた孫だ。

この己の跡継ぎとして何の申し分もないほどに、公爵家の教育を素直に受け入れ、運命に従うように成長した。

間違いは一つとしてあってはならない生き方を強いられ、成長していく彼を傍で見ていて、…日ごとに募る不安は

老いていく身のなすすべもない弱みだ、と一蹴していた矢先。彼は暴走した。

あの子はもう自分の意志でここへ戻ってくることはないのかも知れない、と一時は最悪の場合をも考えたが、

律儀に、己の所在と、関わった事態の収拾を報告してくる様子には、逆に憐れみさえも覚えたものだ。

この子は、逃げ出した先でも逃れられない生き方を選択しているのか、と。

早々に連れ戻してやるのがいいか、それとも解放してやればいいのか、答えがでないまま悩み続けていれば、

ある日突然、手元に戻ってきた。

まるで何事もなかったかのように、以前と変わらぬまま接してくる様子には、あれを「なかったこと」にしたいのか、

と勘ぐってもみたのだが、こうして今日のように「友人」を連れてくる、という行為を見てみれば、そうでもないようだ。

とにかく、つかみどころがない。感情をもたない人形の様だ、と思えるところはまるで変わっていない。

友人たちに、貴族社会の慣例を説いているところも、教師に教わったそれをそのまま畳みかけているだけに過ぎない。

それが、この胸の痛むところだ。

だが、一通りの話を聞き終えた友人たちは、一切の迷いもなく晴れ晴れと笑った。

「なるほどなるほど、それがミカちゃんの日常なんだね」

「お茶菓子出す感覚で宝石とか出してくるんだな」

友人に、わけわかんねーなー、と笑い飛ばされても、そうだな、と平然と返している。

「そんなのだったら、そりゃ馬五頭くらい、ぽぽーいって贈っちゃうのへっちゃらだね」

「あー、そういうことなー」

「大いなる友情の証だもん」

「なー」

「なぜ、にやにやする…」

「まーまー、ウイたちは解ってるって」

「馬とか牛とかじゃ全然足りないくらいだってのも解ってるって」

「馬は受け取れなかったけどミカさんの友情は、ちゃんと!ちゃんと受け取ってますから!」

「うるせーなー、もう二度と贈らねえよ」

「解ってる解ってる」

「大丈夫、大丈夫」

「だから、なぜにやにやする」

いや、平然としているようで、何やら様子がおかしいような気がしないでもない。

友人たちとやりあっているときのミカヅキは、とても複雑な感情を持て余しているかのようにぎこちない。

それは、侯爵家の次期当主という体に、17,8の少年の心が上手くかみ合っていないかのような違和感。

それを見ていて、老侯爵は、友人たちが言っていたあることを思い返す。

ミカは冒険者仕様の方が口数が多い、とか、家ではおすましさんだ、とか…。

「でも俺たちさー、何をどのくらい貰ったら失礼じゃないのかとか解んねーし」

「そーなんだよね、ミカちゃんはいっつもどーしてるの?」

「別に?出てきたものをそっくりそのままいただいて帰るだけだ」

「うひょー!!ふとっぱらー!!」

「…そういうのも太っ腹っていうか?」

「じゃあアレだよ、大きいつづらと小さいつづらが出てきたらどーすんだよ」

「どっちも頂く」

「その選択はなかった!!」

「いや待て!まだだ!銀の斧ですか?金の斧ですか?って聞かれたら?」

「はあ?銀だろうが金だろうが、頂くが?」

「ぶっぶー!ここは、どっちもいりません!って答えて、金の斧と銀の斧と銅の斧、3本取りを狙うとこなんだぜ!」

「ああ?!なんでだよ!どっから出てきたんだよ、銅の斧!」

「なるほどー、庶民の知恵かー」

「違うだろ、今そんな話はしてねえ!」

「なんでも貰えばいいってもんじゃねえよ?な?」

「な?じゃねえよ、なんで説教始まってんだよ!」

手土産には何がいいかを尋ねただけで、これほど賑やかに楽しめるのだから、確かに口数も多く(言葉遣いも悪く)なるだろう…。

長く屋敷を空けていた孫が戻ってきた、その変貌は、この仲間たちがいなければ知ることはできなかった。

だからこそ、この4人のやり取りをただ黙ってやり過ごす。

ひとしきり騒いでおいて、急に、「しまった!」」という空気になるのも、もう何度目のことか。

それを見ているだけで、いつも彼らといる時はこのようにして賑やかであること、それが「普通」になってしまっていると解る。

ミカヅキが得た、「普通」を、垣間見る。それこそが、この老いた侯爵には、何にも代えがたい「褒賞」であること。

彼らには、知られない方が良いことだ。

「うるさくして、ごめんなさい」

「いやいや、楽しそうで何よりじゃよ」

そう、ミカヅキがとても楽しそうだ。

「はい、ミカちゃんのおかげで楽しいです」

と、素直に笑顔になった少女が、だから、と続ける。

「ウイはお屋敷にこれてとても楽しかったので、宝石はいらないかなー」

「あー、そだなー、宝石とかもらっても困るなー」

「は、はい、私もです」

そう三人の意見が一致していることに、興味を持つ。

その主張が、清貧、という精神に基づくものであるのかどうか、という所が気になったからだが。

「それは、面白い。なぜ宝石は困るかね?」

と尋ねれば、困る、と口にした少年が、あっけらかんと返してくる。

「だって、高価な宝石って維持するのにも、費用かかるじゃないですか」

その費用を捻出する労力が勿体ない、という主張には、思わず絶句する。

「そっちに金かけるくらいだったら、ほかにもっと有効な方に使いたいから、かな」

「ほほう?」

「わ、私も同じです、置くところもないし、身につけてるのはもっと怖いし…」

「宝石は見て、わーすげー、って驚くくらいがいいかな」

「そうですね」

そういわれれば、確かに、その目線で宝飾品などを扱うことを考えたことはなかったな、と考える。

庶民の生活に必要なものではないことは解っていたが、それを本人たちの口からあえて聞くことがなければ

本当に「解る」ということができていただろうか。

そんな事が頭をよぎったのは、何気なく

「なるほど、欲しい、と言うものではないということかのう」

そんな質問を投げかけたからだろう。

「いや、欲しいのは欲しいっす」

と、即答され。

侯爵として所有地を回り、そこにいる人々の暮らしぶりをこの目で見て、彼らの話をこの耳で聞くことが重要である、と

長年それを行ってきた身ではあるが、こうまで率直に庶民の声を拾えていただろうか、と自問に口を閉ざす。

「なんていうか、そのー、清らかな心で、宝石は要らないとか言ってるわけじゃないんですけど…」

と、申し訳なさそうに切り出されて、それを不快ではないという証に、一つ頷いて先を促した。

「正直、お金持ちの人は羨ましいし、裕福な街とかに住んだり、不自由ない生活したりとか、思わないでもないです」

実際、田舎から出てきて大都市の豊かさには、自分の村の境遇を思わない日はなかったという。

自分の力で手に入れられないものは、持っているべきものではないのだ、と親に言い聞かされて育った。

村を出るまではその教えを疑ったこともなかったが、外の世界には理不尽なことばかりがあふれているように思えた。

旅をしながら雇われた先では札束をばらまくような無駄に豪華な生活ぶりを自慢してくる輩にも、妬み嫉みに苦しむこともあったが。

「けど、ミカに会って、色んなことを教えてもらったんで」

金を大量に持つことの、重み。

金貨一枚にのしかかっている責任は、人ひとりが背負いきるものではないという事。

その価値に見合うだけの働きができない者は、自滅するしかない。

自滅しないまでも、持たざる者からの怨嗟は幾重にもその者を取り囲み、呪詛を集め続けることは想像に容易い。かつて自分がそうだったように。

だから。

そんな輩の事は放っておけ、と、ミカヅキが言うことで、考えが変わった、と彼は言う。

「宝石の事もそうだけど、それをキチンと管理できて錆びたり盗まれたりしないように維持することもできる人が持つべきだって思える」

資産も技術も伝統も、その潤沢な資金で保護し、後々の世界にまで遺すことができる者たちの役目。

そうして、世界は守られているのだ。

清く正しいばかりではなくとも、上に立つ者にはそれだけ背負うものも大きい。

そのことを、計り知れない重責を負っているミカヅキという人物と旅をすることで気づくことができた。

「じゃあ、俺の役目は何かな、って考えたら、やっぱりミカを支えていくことだな、って解ったんで」

下にいる自分には、自分にしかできないことがある。世界は、人と言う組織によって成長する一つの生き物だと、感じた。

自分には、自分の役目がある。そう思えるだけで、どれほど自分の価値が高まっていくことか。

「妬み嫉みに煩わされてる場合じゃないってだけです」

自分は清貧ではない、と告白して、人のもつ醜い部分を認めながら、それを払拭してくれたのはミカヅキだ、と言う。

確かにそこに至るまでの話は、侯爵家の帝王学に通じるものがある。

それをミカヅキの言動によって、この少年が開眼したということなら、ミカヅキの中に侯爵家は生きている。

逃れられない運命に縛られながら、決してそれを捨てることができない孫を憐れに思ったこともあった。だが。

今、その迷いを希望に変えられることが、この目の前にいる子らによってもたらされた奇跡だと思う。

「私は、昔から弱虫で村でいつもいじめられてました」

そう話してくれるのは、おとなしく、なるほど気弱そうな少女だったが。

「そのことで、いつも父に言われていたことがありまして」

人からもらった悪いものは、その場で捨ててしまいなさい。

人からもらった良いものは、何十年先までもお返ししなさい。

他人からもたらされる悪い感情を自分の内にため込まないように、という父の教えだったことが、今、別の意味を帯びている、という。

「ミカさんに、世界中のどこにでも連れていく、って言ってもらったことがあります」

その言葉で、初めて、世界を意識し、世界を意識することで自分が強くならなければ世界へ出ていくことができないと思った。

誰かに任せるのではなく、自分が行うことの意義を知った。

「そして強くなるために、私に足りないことも、できることも、ミカさんが教えてくれたんです」

それは、私にとってどんな宝石よりも、欲しくてたまらないものだったんです。

そういった彼女の気持ちは、痛いほど解る。

大きすぎる資産に囲まれ、人も領地も宝石も栄誉もあまりある地位にいながら、この老侯爵の欲しかったものは、たった一つ。

ただ一人の孫の、未来だ。

「だから、あの、それのお返しに精一杯尽くしたいので、宝石をもらってしまうのは、困るん、です…」

ごめんなさい、と小さく頭を下げる様子に、勿論怒ってなどいないから謝らなくとも良いよ、と答えてやれば安心したように

他のみんなと顔を合わせる。

それが合図であったかのように、もう一人の少女が、そうだね、と口を開いた。

「じゃあ皆がお土産に欲しいものは、一つだよね」

仲間との絆、それが間違いなくつながっている証に、一つ、という言葉に三人が頷く。

それを代表するように、少女は続けた。

「ミカちゃんと一生友達でいることを、いいよ、って言ってもらえることです」

それが欲しい、と言われ、老侯爵は晴れやかに笑った。

「否応もない」

そんなことか、などとは言わない。

それが、彼らにとってどれほどの価値ある宝であるのかは、もう明白だ。

「では儂からも頼もう。一生、ミカヅキを傍で支えてやってくだされ」

孫の行く末を見ることのできないこの身の代わりに。

輝かしい未来をもたらしてくれた、希望を見る。

ただ黙ってこの成り行きに身を任せている己の後継者に、向き合う。

「ミカヅキ。良い友を得たな」

多くは語るまい。ただその一言に、これまでの彼の奔走を称えた。

「はい」

変わらず、感情のない平坦な声が返ってきたが。

屋敷を飛び出したあの日から、初めて、孫は笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石は堅物、ミカのコト

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天使御一行様

 

愁(ウレイ)
…愛称はウイ

天界から落っこちた、元ウォルロ村の守護天使。
旅の目的は、天界の救出でも女神の果実集めでもなく
ただひたすら!お師匠様探し!

魔法使い
得意技は
バックダンサー呼び

 

緋色(ヒイロ)
…愛称はヒロ

身一つで放浪する、善人の皮を2枚かぶった金の亡者。
究極に節約し、どんな小銭も見逃さない筋金入りの貧乏。
旅の目的は、腕試しでも名声上げでもなく、金稼ぎ。

武闘家
得意技は
ゴッドスマッシュ

 

三日月
(ミカヅキ)
…愛称はミカ

金持ちの道楽で、優雅に各地を放浪するおぼっちゃま。
各方面で人間関係を破綻させる俺様ぶりに半勘当状態。
旅の目的は、冒険でも宝の地図でもなく、人格修行。

戦士
得意技は
ギガスラッシュ

 

美桜(ミオウ)
…愛称はミオ

冒険者とは最も遠い生態でありながら、無謀に放浪。
臆病・内向・繊細、の3拍子揃った取扱注意物件。
旅の目的は、観光でも自分探しでもなく、まず世間慣れ。

僧侶
得意技は
オオカミアタック