ヒロの生まれ育った村に滞在した数日間は、目まぐるしく過ぎて行った。
初めは右も左もわからず多くの人たちに翻弄されまくっていたミオだったが、
お互いに慣れてくると、人の人の付き合い方も大らかで過ごしやすい村だと思った。
そろそろセントシュタインに帰ろうかと言われて、名残惜しく思ったくらいだ。
人の輪に入ることが苦手だと自覚があるだけに、それはミオにとって驚きの体験だった。
「ミオちゃんは平気そうだから、ほっとくよ」
と、ヒロに言われて気づいたことだ。
滞在して数日、ヒロとミカが頻繁に村を見て回ったり、周囲を散策しているのは解っていた。
だから、きっとヒロの「村を発展させる」という計画が始まっているのだと思って、
ミオはヒロに自分にもできることがあれば手伝う旨を申し出たのだが。
違う違う、とヒロに笑われた。
「まあ、そういう話もしてるんだけど、まだ実行の段階にないって、いうところで」
と、ミオの申し出を拒絶しないような前置きをして、単にミカの気分転換、と説明する。
「ミカはさ、人が大勢いるのが苦手って言うかさ」
「あ、はい」
大勢の人の中は勿論、普段自分たちだけの時でも、一人になりたがる。
そうして適度に一人の時間を作ることで精神の均衡をとっているらしい、と気づいてからは、
ウイもヒロもミカの好きにさせよう、と放任しているようだったから。
それを、この村でもやってるだけ、とヒロが言った。
「ミカはまあ自分から弱音はいたりしないじゃん?だから俺が理由つけて連れだしてる」
「そうだったんですか」
そうそう、と頷いて、ヒロがにこやかに続ける。
「その点、ミオちゃんは自分から言ってくれると助かる」
「え?私?」
「うんそう、ミオちゃんの方は平気そうに見えたから、ほっといてるんだけど」
そう言われて、びっくりした。
それは、家族や村の人たちとの間を忙しそうに動き回っているヒロがミオにも気を配ってくれていた事と、
人の輪の中にいるミオが平気そうに見えていた、という事、二重の驚き。
そして、実際そうして放っておかれる事にミオ自身、負の要素を感じなかった事も。
「まあウイもいるから大丈夫かな、っていうのもあるけど」
女の子同士で色々楽しそうに見えるし、と言われて素直に頷いた。
村にいたころは、年上の女性はもちろん、同年代の女の子も、年下の女の子も苦手だった。
村の女性たちは常に競争競争の関係で、腕力でも話術でも、負かされる事しかないミオは、
同じく輪に入れない(入らない?)レンリと二人きりだったから。
この先もずっと、そうなのだと思っていたのに。
「あの、皆さんが仲良くしてくださってるので」
「うん」
「すごく優しくて、良い方ばかりです、嬉しいです」
「なら、良かった」
けど。
優しいばかりだと、不安になる。
それは、自分に自信がもてないところ。
「あの、…お母さんやアサギさんには、迷惑じゃないでしょうか」
ずっとミオの側にいて、あれこれ構ってくれるけれど、彼女たちの生活を乱してはいないだろうか。
お客さんとして、うまく振る舞えているだろうか、という不安をヒロに打ち明ける。
「うん、そういうの、ミオちゃんは自分で言ってくれるじゃん?」
「え?」
「ミカはそういう、不安な事とか弱音とかいちいち言わないから、なんか目が離せなくてさ」
だからついそっちにかかりきりになるけど、と言い、ミオちゃんの方がしっかりしてる、と言う。
「俺としては、ミオちゃんがいてくれて助かる」
「…はあ…」
「あ、ごめん、今の俺の話。ミオちゃんが迷惑かどうかっていうのね、全然ないから」
「全然、ない、ですか?」
「大体が何にもない村だから、ミオちゃんがいようといまいと、何っにも!ないから」
と、力説したヒロが笑う。
「日がな一日だらだらして、ぼけーっと終わるだけだから、ほら、お客さんがくると祭り状態」
と言って、村全体を示すように腕を広げる。
「あ、はい」
「だからむしろミオちゃんが、母ちゃんとか妹とかの面倒を見てくれてるようなものだから」
「え?そう、…そう、ですか?」
「そうだよ、助かるって言ったっしょ。普段俺がやってることを、ミオちゃんがやってくれてる感じ」
だから皆喜んでるし、ミオちゃんに構ってほしくて寄ってくるんだよ、と。
そんな風に見られているとは、にわかには信じがたい。
思いがけず賞賛されて、なんと返していいか固まっていると、だから、とヒロがミオを見る。
「そういうお祭り騒ぎが、ちょっと疲れた、って思ったら、俺かウイに言ってくれていいから」
母ちゃんやアサギに言ってもいいけど、あの人たち舞いあがってるから。
「なんか、見当違いのことしそうだし」
といって笑う。
そうして、弱音を出してくれた方がヒロは安心するのだ、という話なのだとわかった。
「あ、はい、私、大丈夫、ものすごく弱音とか言えますから!ちゃんと言いますから!」
「う、うん、そうしてくれると助かる、です」
「はい、お任せください!」
そんな決意をヒロに表明しての、滞在。
どんな弱音も、不安も、ヒロに話してみようと覚悟していたことが嘘のように、過ぎた。
「私、髪結い屋さんになる!」
と、ヒロの従妹の一人が嬉しそうに宣言し、誰よりもミオに懐いて、ずっと一緒にいた。
他の小さい女の子や男の子たちはというと、ミオに構い慣れてしまうと安心したのか、
数日もすれば(おそらく普段のように)自分の好き勝手に行動するようになった。
「活発な子たちは、ウイとかひい兄と遊ぶのが面白いんだろね」
と、アサギが子供たちが銘々ばらけていくその様子をミオに話してくれる。
「ムーはおとなしい子だから。いつもはあの子たちに合わせて走り回ってるけどね」
ミオちゃんが来てくれて凄く嬉しいんだと思う、と安心させてくれる話し方は、ヒロそのものだ。
「そういうのって、普段、気づかないじゃん?皆と集まったら、皆同じ遊びしなきゃ、って思うし」
でもミオちゃんが来たことで、ムーは自分の好きな事や、やりたい事が見つけられたね。
来てもらって良かったね、とアサギが年下の従妹の頭をなでている。
そんな風に自分の事を歓迎してくれて、認めてもらえると、嬉しくて泣いちゃいそうだ。
皆が優しい。
ヒロがミオを放っておく、と言ったけれど、それを不安に思うことなく過ごしてきたのは、
誰もかれもがヒロのようであり、ミオを慮ってくれているおかげだったと思う。
「私たちのことはヒイロと思って何でも言ってね」
と、ヒロの母やアサギが言っていたけれど、本当にヒロといる時のように居心地が良い。
ここは、ヒロの故郷なのだ。
彼が育ち、彼らを育てた土地なのだと思った。
だから、なぜヒロがこの地を離れ、一人遠くまで旅をしようと思ったのかが解らない。
勿論、出稼ぎだという物理的な問題は解る。
けれども、今、滞在しているこの時でも、ヒロは村を出ることを常に考えている。
こんなにも居心地が良い場所で、確かな家族があって、それを恋しいと思う情。
ミオでさえ、帰る時の事を考えると、とても去りがたいものがあるのに。
「ヒイロは兄弟の中で一番、甘えん坊だものね」
と、ヒロの母は困ったように言った。
夜、眠るときには「女子寮」とヒロが命名した母屋の方で、女性陣は固まって眠る。
こんな風に布団を全部くっつけて寝るのも初めてで、なんだか自分もこの村の子になったような感覚。
「あら、ミオちゃんもウイも、もう完全にウチの子よ」
「そーよ、いつでも帰ってきていいのよ」
そんな風に言われて感激のあまり泣いちゃった夜もある。
ヒロくんの家族って良いな、と素直に言えば、ミオちゃんの家族は?と聞かれた。
「父が村に残って服飾の仕事をしてます。母はずっと昔から旅に出ていていません」
一番上の姉が母代り、二番目の姉たちもすぐに旅に出たので、ろくに会っていない。
そんな家族形態が、村を出てからこっち、わりと珍しい部類だと気づいた話もした。
ミオが語ることを、とても興味深そうに聞いていたヒロの母が、なるほどね、と相槌をうつ。
眠くなるまで他愛ない話をするのも、もうすっかり慣れた。
聞き上手のヒロといる時のように、落ち着いて話す事が出来る。
「それでいうと、うちは子供が働きに出て、親が村に残ってる家族よね」
これも珍しいかな?とアサギも話に加わる。
「そんなだから、家は末子が継ぐのよ」
「へー、ミカちゃんたちは長子が継ぐんだって。女子に相続権はないだよ」
「それ男子が生まれなかったら困るんじゃないの?」
「あ、私の村では一番強い人が継ぎます」
「ええー、それも凄いな、兄弟で争うってことでしょ」
色々だね、と皆で布団の中で興奮して盛りあがって、結局、とヒロの母が口を開く。
「その色々が、多いか少ないかの違いだけよね」
その中で自分にとって一番いいと思える方を選んでいくだけだ。
「ヒイロは、自分が働きに出た方が要領よく稼げる、って言って出稼ぎに出たの」
それが、「兄弟一、甘えん坊な所以ね」とヒロの母は言うけれど。
ミオには、小さい頃からそうして独り立ちしているヒロは随分しっかりしてたのだろうと思える。
自分たちと旅をしている時でも、この村に帰ってきている今も、誰からも頼られる存在なのに?
「違うのよ、ちやほやされたいの。もうとにかく必要とされたいのよ」
わかるかしら?と、ヒロの母は隣にいるアサギを示す。たとえば。
「この子はね、家事をしても子守をしてもそれが普通だと思ってるの」
自分の仕事としてやるべきことを淡々とこなす、それがアサギ。と言い置いて。
「ヒイロはね、いちいち言いにくるの。お皿洗ったよ、とか、おむつ換えたよ、とか」
自分の行動に関して、周りの反応を欲しがる。
仕事をして、報告して、周りの誰かに褒められたり、感心されたりして、やっと仕事完了。
「もう、超!めんどくさい子でしょ?」
でもそれが親の目からしたら可愛くて可愛くて、と母親独特の視点で語る。
「初めての子だったし、いちいち可愛いし、もう面白可笑しかったから好きにさせてたら」
あんなめんどくさい性格の子に育っちゃったわ、と、おどけて困って見せる。
だから、嫁は出来ても友達はできないと思っていた。特に同性の友達なんかは。
そういう母の言葉に、アサギも大いに同意するように、頷いている。
「テキトーにおだてられて良いように使われちゃう典型だよね、ひい兄って」
「そうそう、でもヒヨコちゃんが全然そういう人じゃなかったのが驚きよね」
「ひい兄にしては、良い人つかまえたね」
「はあ…」
ヒヨコちゃん、とはミカの事である。
子供たちには『大王さま』、で定着したあだ名だが、大人たちは別だ。
(だいたいヒロかウイのあとにくっついていて頭が黄色いので影でそう呼ばれている)
あのミカがそんな風に軽ーく扱われたりするのも、ミオにとっては一大事だったが。
ヒロとミカが損得勘定抜きで友情が成り立っているというのが、女性陣には一大事らしい。
不思議だ、とミオとウイは顔を見合わせる。
自分たちはごく自然にヒロに馴染んだし、なんだかんだ摩擦があるミカとヒロの関係も対等だ。
ごく当たり前のヒロの像は、家族からすれば、手のかかる甘えん坊になるらしい。
「だから、出稼ぎに出てるのもその延長だと思ってるわ」
勿論外の世界の楽しみ方を知って村から出たのもあるのだろうけれど、それにしては。
「いつ戻ってきても何の成長もなく甘ったれな部分は健在だからねえ」
とため息をひとつ。
それでも子供たちの中で一番、可愛いと思ってしまうのが親心かしら、と言う母に。
「結局そう思わせてしまうんだから、出稼ぎしてるひい兄の作戦勝ちだよね」
と、からかう妹。
寂しい?と尋ねるウイに、ヒロの母が笑う。
「いいのよ、好きにしてくれて」
ただ、帰りたいと思った時に、帰る何かの理由を探すのではなく。
「ただ、ただいま、って言うだけでいいわ」
それが出来るなら、どこへ行こうとも、どれだけ帰ってこなくとも、好きにすればいい。
そう言うのが、親の気持ちね、と言う母の言葉に。
ミオは、何故か父親ではなく、姉の顔を思い浮かべていた。
帰る理由を探すのではなく。
(ただ、ただいまって)
帰りたいと思う、その気持ち一つ。家に戻る事に対して、他に理由なんていらないのだ、という。
ミオは一人それを考え、そうか、と気づく。
自分の家は父親が待つ下の村だけど、母親がわりなのは、あの厳しい姉だから。
(だから、帰りたいって思ったら)
姉を、思い出すのだ。
アサギとは全然タイプが違う姉だ。厳しく、勇ましく、思い出すのは小言か叱責。
それでも、ミオにとって帰る場所は、姉の元だった。
そんな姉への思いに捕らわれて一瞬、周りの話から取り残されていたミオだったが、
「ヒイロを村から出した事を後悔したのは、一度だけね」
という、ヒロの母の言葉に、物思いの淵から意識を戻す。
子を手放した事を後悔するという、親の気持ちが、なぜか気になったからだが。
「モエギをうちの子にできなかったことよ」
と聞かされ、セントシュタインの城下町で知り合った貴公子を思い出した。
子の村の出身で、ヒロの幼馴染、奇遇にも貴族の養子入りをしたというモエギの話だ。
「あの子の母親が急逝した時、モエギをうちで引き取るつもりだったの」
生まれた時から一緒に育てたようなものだ、我が子同様に面倒をみるつもりでいたけれど、
モエギは、その幼さでありながら、しっかりと自立しようとした。
「ヒイロがもう外に働きに出ていたからね。自分にもできないはずがない、って言って」
長男が出稼ぎでいない家に、ただ厄介になることはできない、そう言って村を出た。
遠い親せきを頼って、一人、見知らぬ土地へと行ってしまった。
「あの時だけはもう本当に、ヒイロのあかんたれのせいで!!って歯噛みする思いだわ」
ヒイロは好きで外に出て行ってるだけなのに、モエギが気を使う羽目になったじゃないの。
ままならないものよね、と当時を思い出して苦々しい素振りを見せる母に、アサギが苦笑する。
「まあ、そのおかげでモエは大金持ちになっちゃったじゃん」
「そうよ、なっちゃったのよ。いいんだか悪いんだか…、ねえ」
遠い親せきの伝手で宿働きをしていたはずのモエギから、ある日突然使いが来た。
なんだか屈強そうな兵隊っぽい感じの男性が二名、モエギの事情を話に来、村が大騒ぎになった日。
今まで世話になった事の礼として、宿働き時に溜めたという小額の貯蓄と手紙を渡された。
もう自分にはいらないものだから、という彼なりの決意に手放しでは喜べなかった。
「だから突っ返して、金もらっても使うところがないから物送れ!って言ってやったわ」
「ああー、あたし、あの時、子供心に母ちゃん殺されるって思ったよ…」
「…私もちょっと思ったわ」
それくらい厳めしい使いが来て、それでモエギの何を知れというのだろう。
そんな思いが伝わったのかどうか、それから年に一度か二度、手紙が届くようになった。
中に、見知らぬ植物の種と、モエギの直筆。
「村にいた頃はまだろくに字も書けなかったから、それが本当にモエギの字かどうかは解らなかったけれど」
種という贈り物を選択した動機と、頑張ってます、という内容は間違いなくモエギを思い描けた。
「幸せだよ、とか、心配ないよ、とかじゃなくてね、こんな事頑張ったよ、っていう手紙なの」
だからもう、モエギも大丈夫だと思う事にした。
「ヒイロと同じ、外で頑張ってるだけじゃない、ってね」
だから自分たちはこの送られてくる種を育てる事を頑張っている。
穀物だったり、花だったり、こんな土地でも何とか育てられるように、毎日試行錯誤。
蕎麦は結構行けたわよね、とか、麻もまあなんとかぎりぎり…、なんて話を聞いていて。
「大丈夫だよ」
と、ウイが言った。
「モエちゃん、すっごく活き活きしてたもん」
そりゃーもーキラッキラだったよ、というウイの言葉に、顔を見合わせた母と娘が噴き出す。
「そっか、活き活きか、それは村にいたころにはないモエギだわ」
「だよね、モエといえばメソメソかもじもじ、だったもんね」
見てみたいね、という二人にウイが笑う。
「ただいま、って言えばいいんだよ、って伝えておくよ」
そう、帰る理由を探すことなく、ただ帰りたいと思った時には。
ただいまと言って、うちに帰る。
「そうね、モエギもうちの子だからね」
そうして、家は出迎える。
どうして帰ってこないの?とか、急に何かあったの?とか、…理由を尋ねる必要もなく。
ただ、お帰りと、いって迎え入れる。
それだけの事。
それが、家族。
(そうなんだ)
村を離れたモエをうちの子と言うように、余所の村のミオやウイの事もそう言うように。
(この場所は、そういうことなんだ)
そう言って迎えてくれる人がいる。そうして、自分もいつか迎える人になる。
そんな遠い未来がある一方で、ミオは自分の家族を思う。
家族の顔を思い描き、遠く離れた距離に思いをはせ、目を閉じる。
ずっと、未熟なあまりまだ帰れない、と思っていたけれど。
(ただいまって言えばいいんだよ、って)
ウイの言葉が、自分にも降る。
ただいま、って言いたい。
(言えるかな?)
ヒロの育った村で、一つ屋根の下に身を寄せ合って眠る夜。
ミオは、故郷の村を夢にみた。