昨夜から降り出した雨が、まだ降り続いている。
今日はお休みだね、とウイが言ったように、船で各自が気ままに過ごす日になった。
昼食の準備も終えて、さて午前は何をして過ごそうか、と自分の部屋に戻った所。
ヒロが戻ってきたのを察知して、ミカが顔を出した。
「ヒロ、すまん。壊れた」
と、そういって差し出してくるものを片手に受け取る。
見れば、昔ヒロがミカの為に自作した剣柄飾りだった。
銅板細工に宝石の加工で崩れ落ちた屑石をちりばめた物が、半分に割れている。
「ああ」
「直るか?」
と聞いてくるミカは真剣そのものだが。
製作者にしてみれば、こんな、旅の合間の暇つぶし程度に作ったちゃっちい物が、今まで欠けたり歪んだりしなかったことの方が不思議だ。
「いや、これは」
と言いかけ、そういえばこれを渡したとき、ミカは、「剣は振り回す。柄に付けると壊れるから、どーしても着けさせたいならこっちにしろ」と、鞄の内袋を絞める金具に付けさせてくれたのだったか。
「直そうと思えば貼り付けることもできるけど、元通りにはならないな」
頑丈にすれば接着面が不細工になるし、それを整えれば耐久性が落ちる。落ちて、結局また同じように割れるだろう。
そう説明すれば、そうなのか、と心なしか消沈したように呟く。
ミカは申し訳なさそうではあるけれど、よくまあ大事にしてくれたものだ、と思う。
「しょうがねえよ、これ作った時は材料もあり合わせだったし、金もかけてねーもん」
今ならもっと材料も良いものを揃えられる。
「ミカが欲しいなら、新しいの作ってやるけど?」
と言えば、いや別に欲しいわけじゃない、と一切の迷いもない答えが返ってくる。
「…そこはさあ、新しいの欲しいなあ、とか言って俺を嬉しがらせるところでしょーよ」
「いや、必要ない物なんだから仕方ないだろ」
まったく、こういう奴だよ、とヒロは手の中にあるそれを、工具箱の中へとしまう。
「どうするんだ、それ」
「まあ何か使えることがあるだろ」
その時までとっておく、と言えばミカは、必要ないなら返せ、と片手を出してくる。
「はあ?何?壊れてんだぞ?どーすんだよ」
「ないと落ち着かないじゃないか」
「ええー、意味わかんねえ」
本当に意味が解らないが、ミカは言い出したら聞かない。仕方なくそれを取り出し、まあ気休め程度だぞ、と言いながら割れたそれを貼り付ける作業に入る。
割れた断面を接着して、まあ補強に周囲をぐるりと固めておくか、と考えながら小机に向かうヒロを見て、ミカも傍にあった椅子を引き寄せる。どうも作業を見る構えだ。
「新しいの作った方が確実なのに」
「新しいのじゃ意味ねーだろ。今まであったものがなくなる、ってのが落ち着かなくて嫌なんだ」
「なんか、それはミカらしくないな」
「どういうことだ?」
軽い言い合い、作業をすすめながらヒロは旅の間に見るミカの行動を思った。
「ミカは物が壊れたらすぐ買い替えるじゃん。服とか、道具とか」
「道具なんか壊れた時点で元の役目をなさないじゃないか。服は着心地が不快そのものだ。それを耐えてまで使う意味がわからない」
「耐えて、っていうか」
そもそもヒロの村では物資そのものが少ないのだ。壊れたからと言って新しいものがすぐ調達できるわけではない。
だから村にいる人間は誰でも、一つの物を長く使う。そればかりか多くの家で共有する。そして手入れを欠かさず、修理して修理して、長く使い続けられる道具はもう代わりが聞かないくらい自分たちの一部になるのだ。
「ああそうやってきたから、お前は器用なんだな、っていうのは解るけどな」
「そうだな、それが出来ないと話にならないからな」
ミカは、こんな風に認めてくれるからいい。壊れたものを修理して使う、そのことを呆れはするけれど、ヒロの意志を尊重してくれるのが解る。
そこが、今までに会った金銭的に裕福な人間との決定的な違いだった。
「商隊とか、冒険者のパーティとかでさ、色んな人間と組んできたけど、大体皆大金が入るとそれを大っぴらに使いたがるのな。消耗品もケチケチせず余らすほど使うし、物も雑に扱って壊して買い足すし、武具だって手入れする手間が面倒だから、って新しいものに買い替えるしな」
俺は下っ端の組みだったから、そういった上の人間を黙ってみてるだけだったけどさ、金銭感覚麻痺すんのかな、というヒロの話をミカはただ黙って聞いている。
ヒロの言いたいことを最後まで聞く構えなのは、もう慣れたことだ。
「俺も有り余るほどの大金が手に入ったらそういう感覚になんのかなって思ってたんだけど、ミカを見て衝撃受けたっていうか」
旅の間、裕福な人間たちの荒い金遣いをこれでもかと見せられたヒロにしてみれば、すごく意外だった事だ。
ミカも例外なく金遣いは荒い。値段も見ずに物を買うし、買ってから求めていた物と違えばさっさと手放す。
だが金と物にたいして執着がないのかと思えば、そうではなかった。
ミカは、物を大事にする。
出会った当初は「下町では荒々しい行動をとらねば」という間違った認識で身の回りの物も敢えて粗雑に扱っていたようだが、「普段通りにした方が良いよ」と言ってやってからは、物音を立てないくらい丁寧に、あるいは慎重に、物を取り扱うようになった。
それまでの行動との相違が興味深く、よくよく見ていれば、人の手の入っていない森や山でもむやみに草地を踏み荒らしたり木々を破壊したりすることも控えているようだった。
そこまでしなくても、と言えば、普段通りだが?と不思議そうにしていたので、本当にミカにとってはそれが当然の行動なのだろう。
武器の手入れもマメにする。粗末な消耗品でも、むやみに寿命を縮めるような使い方はしない。
ヒロの作ったこんな他愛ない物でさえも、今の今まで壊れないように丁寧に扱ってくれていた事からも分かることだ。
「金遣い荒いのに、物に対してはすげえ俺と価値観似てねえ?そこが、なんか不思議でさ」
「そう教育されたからな」
と、ヒロの作業を見守りながらミカが言う。
「教育」
学校かあ、と感心したようにつぶやくと、いや、とミカが続ける。
「家だな。まず、家の教育がある。諸侯階級の子息なら、誰も同じように教育されるだろう。領地の資源には限りがある。今ある物は有限だ。資源も資産も領民も、失えば失うほど限りが見えてくる」
その行く末は、破滅だ。
だから領地を支配する階級の人間は徹底的に教育される。今ある資源は枯渇するものなのだという認識がある。
ミカはその認識がどんな些細な物に対しても働くのだろう。
小瓶一つでも割れないように工夫して持ち歩く。普段から丁寧に取り扱い、それでも割れた場合は、機能が失われたものとして新しい物に買い替える。
「再利用する、という選択はなかったな」
「習わないからか」
「そうだな」
「下町では結構当たり前にやってるぞ。割れたガラス回収とか壊れた金物回収して作り直すんだ」
「古着屋なんてものもあるしな」
実際出てこないとわからないものだ、と言ったミカが、俺がそうした教育をされなかったように、と続ける。
「お前が見てきた裕福な人間とやらは、上の階級が当たり前に受ける教育の機会はなかったんだろう」
教育もなしに、ただ大金を手に入れるということが危ういと解るな、とミカに言われて、ヒロは手を止めた。
仮にそいつらが自分の領地を持つほどになり、あるだけの資源を湯水のように使ってみろ、と言う。
何が起こるか。
「単純な話、自分の領地の資源が枯れればそれを補うために、他の領地を侵略する羽目になる」
「それで戦争するんか」
「戦争など、結局のところ資源と人命の枯渇である。うわべだけを金が巡る品のない行為だ」
「ひ、品…」
「俺の高祖父の言葉だ」
「高祖父?」
「俺の祖父の、祖父に当たる方だな」
「えーと」
ひいひいじいちゃんか、と指折り数えるヒロに、なんだその名称は、とミカは興味津々だ。
立てかけていた石板に簡単な図を描いて、これがひいひいじいちゃん、と示せば、ウン合ってる、と返される。
「俺の家の教育方針は、その方の思想が骨組みになっていると聞いたからな」
当時の残された書付をいくつか読んだ、という。
人と魔物の、あるいは人と人の戦いを『品がない』と評する人物像は、ヒロの今までの経験からは想像できなかった。
「争い嫌いな優雅な人だったんかな?」
「いや、一度戦が始まると先陣切って乗り込んでいくような方らしいな」
「ええー…」
なるほどミカの血の気の多いのは血筋か、と、これは言わぬが花か。
「大将が乗り込んでいった方がさっさとケリが付く、という意図じゃないか」
「ああ、なるほど…」
「周囲にははた迷惑な話だろうけどな」
解るなー俺にはその周囲のはた迷惑さがなー、という感想は黙しておいて、その人物にミカの姿を重ねてしまうのは血の成せる業というよりは、家の教育ということなのだろうな、と理解する。
「教育っていうのが受け継がれていくって感じなー、いいよな、俺の村とは違うよなやっぱ」
高度な教育が当たり前に行われる社会、例えば学術、例えば道徳、そういった指標を基に歴とした人間が出来上がる。
国が定めた「我が国の国民はこうあるべき」という理念があり、知的水準、文化水準などがおのずと浸透していくのだろう。
そんな感想をもらせば、お前の村だって教育は受け継がれているじゃないか、とミカがヒロの手元を指し示す。
壊れたものを、修繕して使う当たり前の感覚。
「これ、教育か?」
「立派な教育だろ。俺には施されなかった分野だ」
「必要に迫られてるだけなんだけどな」
「必要に迫られて、他の領地を侵略する選択よりよほど品位がある」
彼の方ならそういうだろう、と先の高祖父の言葉を借りてミカがヒロの村を称える。
「お前が大金を手に入れた多くの輩のようにならなかったのは、品位という教育の賜物だ」
それは教え育んでくれた村に感謝していい、と言ったミカは。
「俺はミカに影響されたと思ってたけどな」
「それならそれでも良い」
「良いんかい」
「俺はお前がそうやって細々手直ししているのを目にする事ができた、って話だ」
ヒロとの会話の中で何かに気づいたように、ああ、と一人納得している。
「なんだ?」
「それが壊れた時に」
と、ヒロの手元を指す。
「直さないといけない、と思ったのも、それを作ったのがお前だからで」
他愛ない、おもちゃのような剣の柄飾り。
「直らないとしても手放せないと思ったのは、それが作られていく作業を見ていたからだな」
物は壊れる。
壊れるけれど、壊れない物もあり。
乞われる物もあるのだ。
「なるほど、確かにそれは、あんまりミカらしくないな」
先ほどと同じセリフを、今度は誇らしい気持ちで口にするヒロに。
今度はミカも、どういうことだ、とは言わずにただ頷いた。
「そうだな」
接着面を整え、銅板の四辺を細い銅板の切れ端で挟み込むようにして補強する。
見た目がひどく違うようにはなったが、頑丈そうで良い、とミカが納得した時。
「ヒロー、鎖のとこ壊れちゃったー、直してー!」
と、ウイがペンダントを片手に部屋に駆け込んでくる。
ヒロとミカ、同時に振り返れば、それはやはりヒロが制作してウイに贈ったものだった。
「しょーがねーなー」
というヒロと。
「なんだ、寿命かよ」
というミカの声が重なった。