晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

嫌われ者のコケ・・・ゼニゴケ

2015-04-18 16:08:59 | 暮らし
 先だってゼニゴケの退治法をパソコンで調べてみた。性質的につちに張り付くタイプなので耕してしまうとかアルカリに弱いので消石灰を撒くとかいろいろなアドバイスがあった。私もこのご意見を信じて、庭をすべて耕し消石灰をかなりの量撒いてみた。

 何のことはない、石灰の上にゼニゴケが生えているではないか。なんだこりゃー、人の話には乗ってみろ、添ってみろとか言うが何か釈然としないものがあった。

 やっぱり物理的な方法が一番、今は毎朝土ごと薄くはいで処分している。この夏までには全滅させてやるつもりで精を出している始末。

 この嫌われ者のコケがなぜゼニゴケなんて呼ばれているのだろうか。知っている方は教えて欲しいものだ。

凄惨を極める事件はなぜおきるのか?

2015-03-23 09:23:14 | 暮らし
 このところ、親が子を祖母祖父が孫を子を殺害する事件があとを絶たない。決して精神的に追い込まれていないにもかかわらず、簡単に人をあやめてしまう。何時からこんな世の中になってしまったのだろうか。すべて日本で起きている事件なのである。

 国会では情操教育が必要として、道徳教育を導入する動きさえある。確かにこれは、教育の問題が大きいのではないかと思われる。人は生まれ変わることはできない。一回限りの命である。

 最近気になる言葉として、尊属殺人という言葉は死語になっているようだ。今年喜寿を迎える我々世代では、尊属殺人は特に罪が重いのだと小学生時代から知っていた。

 今、未青年の間では、人を殺しても7~8年の刑を受けるだけだとたかをくくっているような気さえする。川崎の事件だってそうだ。遊び仲間を殺しても親も子も平然としている。罪の意識が感じられない。

 刑法の改正だって一向に進まない。死刑廃止とか騒いでいる一部弁護士グループもあるが、刑の軽さが犯罪を犯す要因の一つであることは間違いないだろう。ただ、刑を重くすればすべて解決するとは思わないが、再犯を抑え犯罪に手を染める抑止力になることはあるはずである。

 少子高齢化社会が問題とされているが、まずはせっかく生を受けた子供たちの命を守り、年間3万人を超えるという自殺者をなくしていく努力も必要だろう。むしろそちらのほうが先かもしれない。

昨日はいやな現場を見てしまった。

2014-12-01 13:46:19 | 暮らし
 東京近郊の大手スーパーでの出来事、万引きの現場を見てしまった。あまりにも手際がいいのであれあれと言う間に姿を消してしまっていた。こちらは不思議だと思いながら声も出せない、誰かに知らせることもできなかった。

 スーパーでよくある催し会場バーゲン売り場でのこと、買い物かごではなく会計済みの袋の中に盛んに物を詰めていた。物は男物の靴下だったが、わずか4~500円の物を万引きするとは一体どのような生活をしている人なのか興味を持ってしまった。かわいそうだとも思ってしまった。年齢は30歳代か?

 手口はバーゲン売り場のレジ前でレジに背中を向けた状態なので店員からは見られることはない。レジを待つ人が1~2人いたのでまさに絶好なチャンスだったようだ。私はその2~3メートル離れた斜め前で見ていた。あれっと思ったが、まだ未確定なので黙って見続けていた。彼女は満杯に詰め込んだあとさっとどこかに消えていた。見事としか言いようがない。

 あとで店員に話したのだが、後の祭り。一二度成功したからといってこれを続けていればいずれはつかまることだろう。止めたほうがいいよといいたい。

今日から生き方を変えてみようと思う。

2014-10-11 06:03:36 | 暮らし
 いま、中野孝次著「清貧の思想」を読んでいる。なかなか面白い内容なのだが遅々として読み進めないでいる。というのも私の習性で同時に5~6冊の本を同時進行させている関係からどうしても読む時間に偏りが出てしまうからだ。

 ところで、その清貧の思想の中に良寛さんの生き方について書いてあるのだが、こんな生き方ができるのであればそうしたいと思うけれども、なかなかまねのできるものではない。ただ、その根底にある思想というか宗教的考え方というものは取り入れることはできるはずだ。

 これまで、世の不浄、善悪、矛盾、いさかい等など気になって仕方がなく新聞、雑誌等への投稿或はモニターアンケートなどへの回答などで意見を書いてきたが、その根底にある正義感とやらを改めてみようと思った。

 意見をするということは自分が正しいと思うからだろう。自分は間違いを起こさないと思うからだろう。しかし、人間誰だって間違いは起こす。懲りない面々は何度でもやるだろう。それはそれでいいではないか。単なる無関心ではなく、人それぞれ生き方がある。それを認めてやればいいではないか。ただし、法治国家である以上法律はきちんと守ってのことなのだが。

 どこまで完遂できるかどうかわからないけれども、ゆったり大河の流れのように生きていければ最高だろう。些細なことに目くじらを立てるのは止めることにした。

急ぎすぎの感!

2014-10-09 06:24:16 | 暮らし
 このところ、何かにつけて急ぎすぎの感がある。早寝早起きは勿論だが、身辺の片づけやら書類の整理にいたるまでちょこまかと動き回っている。

 今日も4時に眼が覚め、がん保険の内容確認やらWEBサイト登録やらを済ませたばかりである。時に死が近づいているような気がしてならない。先日も緊急時に備えて革靴の修理をしてきた。修理屋のお父さんに、これで死ぬまで大丈夫と軽い話をしたのだが、先方はいやいやあと20年は大丈夫ですよと。ちょっと待って、そんなに生きていないよと返事したのだが、それでは東京オリンピックまでは頑張れるでしょうとの返事。気持としてはあと10~15年は頑張るつもりで居る。

 先だって、兄が突然死んだことも影響しているのかもしれない。後の家は誰が守るのだろうかとか、我々兄弟の故郷は維持できるのだろうか、維持したとしても気持ちよく仏壇に手を合わせることができるのだろうか、いとこ同士の付き合いはどのようになっていくのだろうかとか気はもめるばかりである。

 11月には49日法要があるのだが、私ども夫婦は欠席することにした。女房はベンゾジアゼピン系の副作用が取れずに減薬療法中、私は放射線治療を控えての静養とした。

 一周忌にはなんとしても出席し、次男坊として言うべきことはいってくるつもりにしている。

今日の心配・・・台風18号の動き。

2014-10-05 10:39:21 | 暮らし
 未だ十数名が救助を待っている御嶽山被災事故、そこに台風がやってきそうである。もしも大雨をもたらすようなことがあれば土石流となって更なる被害をもたらしてしまう。何とかして避けて通って欲しいものだが、自然の力にはあがなえない。困ったことだ。

 その上、火山灰の中に眠る人たちが居るのだ。どうにか流されることを防ぐ方法はないのか。気がかりで仕方がない。万が一流されるような事態になれば捜索は困難を極めることになるだろう。

 更に台風19号が続いている。同じ進路をたどりそうな気配である。自然災害続きの日本列島だが、もうこれ以上はごめん蒙りたい。

 片や、本日めでたくご結婚にこぎつけた出雲のお国の守り神、神前にお二人の幸せとともにお国の安泰を祈願してもらいたいものだ。こちらはめでたい、めでたいお話である。

兄の死・・・まだあなたを赦すことができない。

2014-09-27 03:38:28 | 暮らし
 兄弟は他人の始まり、こんなことを聞いたことがある。確かに、そのとおりだと思う。もしかして他人より関係が薄いかもしれない。夫婦だって元は他人、子供ができ親子兄弟の絆ができて、はじめて家族が成り立つのだと思う。その繰り返しが・・・

 母の霊はあなたを赦してくれたのだろうか。側に来ることを認めたのだろうか。それだけのことをあなたはしてきたのだから、仕方がないだろう。母のいうことを聞いていれば、もっと素晴らしい後半生が送れたのではないか。金に眼がくらみ、欲得で生きたがために失うものがあまりにも多すぎたのではないか。

 兄の長男の嫁が犠牲になっている。突然に襲われた脳内出血、以後命は取り留めたが言葉を失ってしまった。兄嫁のいじめもひどかった。自分の子供には見せないひどい仕打ちをしていた。丁度父がなくなったとき、長男の嫁は妊娠していた。しかも冬の寒いときだった。それなのにもかかわらずあなたは(兄嫁)嫁をこき使っていた。わが女房が、中に入って休ませるよう注意した。そんな積み重ねで長男嫁はわずらったのだろう。心の傷もいえていないのだろう。

 夫婦して冷たいやつだと思う。気遣いもできない、思いやりもない、自己中心的で身勝手で、おまけに金に汚い。

 葬儀告別式が終わって一週間、まだ悔しさを引きずって生きている。このごろ朝の目覚めが早くなっていて困る。体内時計がどこか狂い出しているが、しばらく様子を見よう。だけど早く寝れば早く起きるのは当然だ。これが年というものか?

 今日は相撲観戦に行く。逸ノ城対白鵬どうも横綱が負けるような気がする。逸ノ城初入幕、初優勝記録をいくつ作るのだろうか。あまりにも強すぎる、相撲もうまい、しばらくは敵無か?
この顔どこかで見た顔と思いませんか。ジンギスハーンそのもの,その再来か。モンゴロイドの顔付、体つき、何をとってもジンギスハーンそのもと思う。

兄の死・・・最終章。

2014-09-26 01:30:04 | 暮らし
 4回にわたって兄の死について書いてきた。そろそろ書き記しておきたいことも少なくなってきた。これを最終章として今後は自分自身のために、今後どうやって生きていくか?どこでどのような生活を目指していけばいいのか、じっくりと考え、実行していかなければと思っている。

 親子兄弟7人のうち既に4人が鬼籍に入っていった。あの世とやらで仲良く話し合っているかもしれないし、喧嘩の続きをやっているかもしれない。あの世のことは全く見えてこないが、仏になってしまえばこの世のことはすべて水に流しているのだろうと想像する。

 思い起こせば兄との関係において、思い出すようなことはあまりない。年が10歳も離れていると共に遊んだこともなく、また酒を酌み交わしたことも記憶にない。要は人間関係において接点があまりなく希薄な関係だった。兄貴らしいことをしてもらったことはない。困ったときに相談したこともない。それで76年が経過している。気が合わないということか。

 一周忌に何を話そうか。思い出話なぞしたいと思うのだが、何もない。親父、お袋、すぐ上の姉のことだったらいくらでもあるが、長兄のことについては全くない。すべては完了したと思えばいい。

 これで田舎とのかかわりはなくなるだろう。兄が入ってしまった墓参りなんかしたくない。困ったことだ。せいぜい法事のときに参ろうか。

 田舎には弟一人しか居ない。彼は身内の中で一番年上になるので何かと大変だろう。田舎の付き合いなんて考えただけでいやになる。どこの誰が死んだ。香典はいくらにするか。花輪はどうするか。これからこんなことばかりが続いていく。すべて弟に任せておこう。その代わり文句は言えない。黙って従うか?

 兄嫁はどうするのだろう。既に腰も曲がり、すっかり弱っているようだ。子供の誰かが一緒に住めばいいが、そうは行かないだろう。こんなことになることは、先刻承知のはずだが、人間なんてそのときそのときの絵しか描けないのだ。さびしく生きればいい。そして一人で死んでいけばいい。これまで親子兄弟の関係において、よいことをしたことがあるのか。自分の子供に対しては充分しただろう。しかし、世の中自分たちばかりではない。何らかのつながりを持っているはずだ。あなたを尊敬する人はいるのか?おそらく一人も居ないだろう。なぜか?それはあなた自身の生き方にある。世間知らずが知っているような顔をする。知ったような意見をする。お前さんが言うようなことは誰でもわかっている。止めたほうがいい。まして、みんなそれぞれそれなりの経験者だ。もしかしてあなたよりずっと多くのことを経験しているかもしれない。馬鹿丸出しのことは止めたほうがいい。

 まずは、家を守ってもらいたい。われわれの故郷を大事にしてもらいたい。たまには行く機会があるかもしれないし、ないかもしれない。この数十年全く行っていない。こいともいわなかった。そんなところにいけるか。そんな人の気持も分からないくせに人並みのことを言うではない。

 やっぱり兄嫁のことがけりがつくまで死ねないぞ。最後までお袋に代わって見届けてやろう。そこまでは俺の仕事であり、親の供養と思っている。

兄の死・・・母の無念を晴らす。

2014-09-25 05:20:18 | 暮らし
 親父より5年も短い命だった。しかも突然死、周りのものは大変だっただろう。70代で大動脈瘤の手術をしたが、今回命を落すことになった動脈瘤は新たにできたものだと思う。年齢が75歳を過ぎると体力的なものとあわせて危険を伴う手術は医者自身が嫌うのではないだろうか。10月1日が予約日だったらしいのだが、間に合わなかった。これが寿命というものかもしれない。

 3年前に父の23回忌と母の17回忌をあわせて執り行った。この辺は長男らしく時期が来ればきちっと法事をやってきたのだが、私は気に入らなかった。なぜか?それは案内客の選別にあった。近くに住む弟は感じるのか感じないのか聞いたこともないが、自分の所の孫は案内するが外孫には知らん顔なのである。自分たちの家族を中心に要は法事にかまけた家族全員の顔合わせみたいにしか見えないのだ。他の兄弟はいつも夫婦だけ、その子供たちは留守番役にしか過ぎない。これをずっと続けてきたのだ。おそらくはこの風習は変わることがないだろう。案内を出すのは主催者だ。事前にこういうメンバーでとか言う相談でもあれば、意見できるのだがそんな相談はあったためしがない。日取りも自分たちの都合と坊さんの都合で決められる。そんな兄弟ってあるのか!昭和一桁生まれでこんな自己中心的なやつは見たことがない。兄弟だがそう思う。

 前回の父母の法事が最後としたいといっていたが、実際そうなってしまった。今度は自分が主役となってしまった。私は母から預かった日記帳の処理に悩んでいた。どうしたらいいのか。当初は兄が死んだら棺おけに入れてそれで全巻の終わりとしようと思っていた。それが一番だと思っていたが、それまで待てなかった。両親の法事のときに母の願いだといって兄に直接手渡し仏壇に飾るよう依頼したのだ。母の恨みつらみ、悩み苦しみ、自殺まで考えざるを得ない生き地獄などなど、これを読んだ当人は相当ショックを受けるはずだ。受けなければ人間ではない。死にたい、食事を取るのを控えた、或は嫁から幼稚園生に教えるようなイタダキマス、ご馳走様を言えといわれたとか。それを見過ごした兄がにくいのだ。母は地域ではちょとした存在だった。地方の第一高女を出て、婦人会の会長を長年勤め、町内における個人相談役を果たしていた。尊敬されることはあってもけっした悪口を言われたり、馬鹿にされるような人ではなかった。その人に対してなんて傲慢な態度か。母の悔しさが頭を離れることはない。それも体が不自由になってから特にひどくなったというから赦せない。片方は死んだ。次はお前の番か?

 私の感覚は異常かもしれない。遠く離れていたために母の苦しみを知りえなかった。どうやって償えばいいのか、常に頭の中にあった。母に大事にされて育った子供の恩返しがしたいが、間に合わなかった。ただ、母が65歳のときに長命を祈って亀の皮でできたぞうりとハンドバッグをプレゼントした。お陰で?91歳まで生き永らえたが、決して幸せな人生ではなかった。

 もう少し続けよう。次回に。

兄の死・・・明治の残影はない。

2014-09-24 04:33:16 | 暮らし
 明治生まれの両親は、戦後も家父長制の名残か長男を大事に育ててきた。他の兄弟とは一味違う育て方をしていたようだ。甘やかしもしただろう。頼りにもしただろう。それがお家安泰と考えたのは当然のことだ。

 同じ屋根の下に住み、同じものを食べ、常に顔を引き合わせていればお互いの感情の行き違いも出て当然であろう。片や90歳代そしてもう一方は60代夫婦この4人の生活ぶりを思うと老老介護なんていう生易しいものではなかっただろう。こういう形で過去数十年を過ごしてきたのだ。

 それでも子供たちや孫たちが時々顔を見せれば賑やかになり気分も和んだ時もあるだろう。子供が多いということは、育てるときは大変でも将来は賑やかで楽しいものだ。我が家は三男二女、兄貴は一男二女だが、わが次女と母とは馬が合ってなんでも相談できる間のようだった。次女の嫁いだ相手もよかった。法務局に勤務していたが、先輩司法書士が亡くなった機会にその事務所を居抜きで引き取り独立した。客はある、立地はいい、時代背景もよかった。別荘ブームで仕事は処理できないほどあった。個人も企業も若くて仕事の速い義兄を頼っていた。

 金は湯水のように入ってきた。使い切れない、その当時流行ったキーセンパーティやら台湾ゴルフツアーやら仕事仲間とやっていたようだった。競輪競馬も好きで上着の袖が擦り切れるほど馬券、車券を買っていた。車も当時は相当斬新だったヒルマンミンクスに乗っていた。飲酒運転で事故も繰り返していた。それでも死亡することなく生き延びていた。だが、体は悲鳴を上げていたに違いない。連日の午前様である。ゴルフも相当のラウンドをしたはずだ。肝臓を壊して48歳の若さで死んでいった。最後は何か感じる予感のようなものがあったのだろう。母から頼まれて事務所を訪ねたのだが、一言も会話しなかった。要は酒をのんでいることがばれないように気遣っていたようだった。つまり既にアル中状態であり、一升瓶を机の脇に置いて仕事をしていたのだ。それからまもなくして召されていった。

 そんな義兄夫婦だったので、母に相当の貢もしただろうし預けていたお金も半端ではなかった。その姉もだんなのあとを追うようにして49歳で亡くなった。姉が生きてる間は意見もし、影響力もあったので静かにしていた兄嫁が俄然強い態度を見せるようになってきた。兄も義兄の相続問題に首を突っ込みなにやら怪しげなこともあった。トラブルもあった。金には汚い兄である。

 そういった経過の中、親子の間で大きな揉め事が起きてしまった。やはりお金にまつわる問題だった。今の家は兄貴が建てた家だが、そもそもその土地を手に入れたときに本家から購入したのだが、親父への贈与分として1/3ほどを無償でもらったというのである。ここにポイントがあった。

 道路拡張が行われた。通りに面して長方形の土地であるため相当の面積が買い上げられた。母から聞いたところによれば総額2、000万円に上るという。そのとき親父は考えた。その二千万円の1/3は俺のものだと。そして兄とのいさかいが始まったのだと聞いている。親父はこれまで子供たちに何もしてやれなかったので、この際自分の取り分をもらい、子供たちに平等に分け与えたかったのだろうと推測する。いわば相続のトラブルみたいなものであろう。

 親に守銭奴といわれるほどお金に拘りがあり、汚い兄貴である。渡すはずもない。親父は家に居ずらくなってしまった。60代後半のことだっただろうか。我が家に母からしばらく親父を預かって欲しいといってきた。勿論快く引き受けたのだが、その当時は理由がっはっきりしなく、自分も忙しくしていたので女房殿に任せきりで過ごしてしまった。そのときもう少し関心を示して事情を聞いていればよかったのだが、自分も企業の中で生きるのに精一杯だったのだろうか。それとも遊びに忙しかったのだろうか。双方ともありそうだ。  次回へ。

兄の死。

2014-09-23 05:03:26 | 暮らし
 この18日に兄が突然この世を去っていった。大動脈瘤破裂による即死状態だった。あと一ヶ月で86歳となる一ヶ月前の出来事だった。畳の上ではなく、コンクリートのたたきの上だった。少しも悲しくない、最後の予科連出身だが、本当のどんぱちはやってないと思う。どこで任務についていたか聞いたことがないが、家族が合流できたのは家族6人が北朝鮮から引き上げてきた時より6ヶ月遅かったように記憶している。

 虫の知らせかどうか分からないが、私のブログ写真を兄の出征時の写真に今年切り替えたばかりだった。既に両親と同じ墓に眠っているが、果たして仲良く、むつまじく過ごしているだろうか。快く迎えてくれているだろうか。手足もなく、口もないもの同士がどうやって喧嘩するのだろうか。まさか仏になってからまで喧嘩するはずはないだろう。安らかに眠ってくれればそれでよい。

 本当に仲のよい家族愛に満ちた家族だった。父は朝鮮府庁に勤務していたが、引き上げ後は仕事についていない。引き上げ時55歳だったのでおそらくは平均寿命に近く、既にわが人生は終わったと思っていた節があるが、府庁にいたものが片田舎の村役場などで働きたくなかったのだろう。役場からの勤務要請を簡単に断ってしまっている。以後40年近くを素浪人で生きていた。

 勿論、家族は収入のない大黒柱に頼ることはできない。母は得意の針仕事でせっせと稼いでいた。当時は嫁入り前にお茶はともかくとして、お花と和裁は必須の素養だった。その二つを家で教えて家族を養ってきた。兄は帰国後町の製造メーカーに就職少しは家に貢献していたのだろうが、お金にこだわる人間で、すべてを母に任せていたようには思えない。以来ずっと月々いくらと決めて手渡していたように思う。貧乏だったが、楽しかった。一日一日が夢のように過ぎていった。

 しかし、夫婦喧嘩もしばしばやっていた。そのときだけは子供心にもいやだった。聞きたくなかった。父は元々その地区の大地主の次男坊で若かりし頃は、若殿様のような時代をすごしている。勿論高等学校を卒業している。(ここははっきりしないが、地方大学の前身のような存在らしい)だから、雰囲気には出さないが自意識は高く、品性を重んじ、風流をよしとしていたようだ。金さえあれば晩酌をし風呂で詩吟なり、謡などを一ひねりしたいところだっただろう。そんな時代ではなかった。気の毒な世代であろう。

 兄が結婚してしばらくは平穏無事のようだった。ようだったというのは私自身が大学へ行き始め家を出ているので当時のことは分からなくなっている。家族みんなで頑張ったのだろう。嫁は教員をしていて少しは家の負担もしていたのだろうが、どの程度やってくれていたか分からない。ただ二所帯別々の金銭処理をしていたはずだ。

 自分たちの子供三人は、じいちゃん、ばあちゃんによって育てられた。それこそおしめの洗濯から、昼ね、散歩、送り迎え、時には勉強の手伝いもしたのだろう。年老いてから、これらはの仕事は決して楽ではなかったはずだ。みんなようがんばったと思う。三人とも大学を出て、結婚していった。しかし、孫たちの感謝の気持は伝わってこない。ましてや、兄夫婦も感謝などしていない。当然のこと養ってやっているのだから当然ということか。

 兄夫婦も定年を迎えるときがきた。自分の子供たちも独立していった。それからが、母と兄夫婦の戦いの始まりだったようだ。母と書いたのは父は物事に関与しない、鳥たちと会話できる仙人のような人だった。この辺のことは今回書ききれない。父の看病に際して眼にしてびっくりしたことは、ベットに手を縛りつけていたことだった。導尿の管をはずしてしまうからということだが、おしめだってあるだろう。母が軽い脳梗塞を起こして動けなくなってからの嫁の仕打ち、絶対に赦せない。もっと早く気がついていたらこんな惨めな思いをさせなくてすんだのだが、母が死を意識し始めて渡された日記帳によって知ることになった。

 いま、兄の葬儀で見た兄嫁の姿は母の姿と重なるものがあった。杖をつき腰は曲がり余命はいかばかりかと思う姿だった。そのようなときに母はお前からいじめられたのだぞと一言二言いいたかったが、言葉を飲み込んだ。

 人は兄のことをやさしかったという。確かにそのような性格は持ち合わせていたようだが、優しいということは、その反面無責任であり、人を騙しているからだろう。自分にやましいことがなければ、時には親族に対してくらい強いことを言ってもいいはずだ。私などはきついことばかりを言ってきらられているが、かまわない。言葉を飲み込むことは健康によくない。

 続きは次回にしよう。妻が闘病中なので通夜にはいけなかったが、姉の心配は納棺のときに兄の足でもへし折るのではないかと気遣ったようだが、そんな馬鹿ではない。死人に鞭打つようなことはしたくないが、遺骨からは喉仏は出てこなかった。父も母も立派な喉仏を残して逝った。
 
 今日はお彼岸の中日、だが父母と一緒に入っている墓には行きたくない。この墓だって母が立てたものだった。その資金の大元は、兄にはない引揚者への残してきた資産保障も含めた一時金が使われているのだ。お前はそれを知っているのか、やがて兄嫁も入るだろう。いやなことだ。私に故郷がなくなったような気がしてきた。南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏












ネット詐欺のいろいろ。

2014-09-20 05:25:34 | 暮らし
 ネット詐欺にご注意を!
今朝の新聞によれば、ブロバイダー勧誘のトラブルが続出しているという。電話による勧誘から遠隔操作に導き、やり放題だとか。

 しかも、大手電話会社を名乗ったりして安心させ、通話料が安くなるといいながらそうならないというトラブル続きだという。

 ブロバイダー契約にはクーリングオフは適用にならないというから厄介だ。

 最近やたらにベストアンサーとかジャストアンサーとか言うサイトが多くなったと思いませんか。医療に始まり最近では弁護士業務まで広げている気配。

 何事もただより怖いものはない。ただなんてありえない。

 それにしても最近の弁護士も信用ならない。すべてではないが、借金が0になる。払いすぎたお金を取り戻せるとかいうテレビ宣伝が目に付く。それも真実の部分はあるのだろうが、あそこまで宣伝されるとどこか疑って掛かりたくなる。弁護士事務所も相当の利益が上がるシステムに違いない・・・と思うのが通常の感覚だろう。

 何事も高度化、巧妙化してきた。うっかりミスでは済まされない。クリックする前にワンポイント冷静さを身につけたい。

日本はまだまだ大丈夫。

2014-09-03 04:33:38 | 暮らし
 日本の安心、安全はまだ脈々と生きている。
昨日は、女房殿を某大学病院へ連れて行った。診療も終え、食事を取ろうとしたが近くに年寄り向きの食事処がなかった。日差しも真夏日に戻り、かんかん照り。体調の優れない女房は盛んに帰りたがる。やむなく電車へ。

 そして最寄り駅に着き、近くのすし屋へ。この医療分野でNO,1といわれる先生に見てもらえた満足感から、昼間から日本酒2号徳利二本を頂いた。すっかりご機嫌になった。帰りのタクシーでは日本犬協会の帽子をかぶったドライバーさん、あの盲導犬を刺した人間は死刑にすべきだ、などと意見が一致、快く下車したが、そのあとがいけなかった。

 すっかりご機嫌のだんな、車内に携帯電話、次の診療予約表,手帳などの入ったかばんを置き忘れた。飲んでしまった関係で又タクシーを呼ぶ始末。すっかり酔いはさめてしまった。すし店を確認するもない、その後客も入っていないという。駅前交番へ。そして帰宅。

 すっかりあきらめて、携帯電話の無効届けをする。運悪く病院へいく関係で電源は切ったままだった。最低限の処置だけはしておいた。

 あきらめかけた1時間後に電話が。カバンに入っていた手帳のお陰で連絡がついたという。先の日本犬協会の帽子をかぶったドライバーさんが届けてくれたという、タクシー会社からの連絡だった。

 ありがたかった。年はとりたくない。荷物は一つに、二つ以上は禁物と心得た。

女房殿は首から提げるタイプにしろと盛んに注意を。だけど紐付きは気に入らない。以後注意するつもりだ。
 

眠れない・くらいで薬に頼るな!

2014-09-01 01:36:09 | 暮らし
 医者を信じてはいけない。特に、注意が必要なのはメンタル系の病院に罹るときか?いやいやめまいの病で治療を受けたが、そこでも使われているベンゾジアゼピン系の薬である。耳鼻咽喉科も危ない。薬のチェックが必要だ。

 抗不安薬或は睡眠導入剤として一般的に処方される薬であるが、ある一定期間飲み続けると常用量依存症となるという。その期間は6ヶ月とも8ヶ月いわれ、おそらくは個人差もあるのかもしれない。

 一旦飲み始めると勝手に止められない。量は増えてくる。医者は病状把握しているのか?もう少し飲みましょうとか同種の薬の名前を変えて処方する。この種の薬は医者のドル箱となっている気配さえ感じる。

 「読んで止める精神の薬」浜六郎著に危ない薬は書いてあるが、止め方までは書いてない。飲むな!危険!は理解できるので一読を!

 通院始めは元気に歩けた。時々起きるめまいくらい我慢すればよかった。「めまいは薬では治らない」とめまい体操を指導している先生も居られるが、確かにめまいの薬はメリスロンとかトラベルミンくらいしかないという。それ以外の薬を処方されたときは飲む前に調べる必要がある。大学病院では薬の処方はあまりしてくれなかった。

 薬剤師に聞いても駄目な場合もある。病院と隣り合わせにある同系の薬局が問題だ。そこで聞いても本当の事は教えてくれない。要はグルなのだ。患者は列を成してやってくる。薬はぼんぼん出す。みんなお得意さんになる。こんな病院聞いたことありますか。

 BZ系薬と書く。止めようと思っても止められない。まさにあり地獄である。ネット上でも「あれほど信じていたいたのに」とか信じていたからこそ裏切られた恨みつらみはひどい。

 日本はこの種の薬の使用量では世界一だそうだ。先進国では、使用を限定していたり、期間を限定していたり、禁止していたりするという。駄々簿手に出すのは日本だけらしい。


 使い方次第では素晴らしい効果を出すという。本当に必要な患者もいるはずである。ただ、たいした病気でもない人が重症化していく様は納得できない。又続きを書きたい。

終活ブームだって?

2014-08-19 04:39:58 | 暮らし
 今、終活ブームなんだそうだ。確かに、自分の人生の最後をどのように締めくくるか・・・形式は?費用は?場所は?などなど夫婦で或は家族で話し合い、決めておくことも大事だろう。めったに経験することのないことだけにいざとなると結構大変なことのようである。

 これまでは、町に何軒かしかなかった葬儀社だが、今は結婚も葬儀もあわせて取り扱うところ、宗派により専門制を強めたところ、スーパーイオンまで全国ネットでやりだす始末。確かに超高齢化社会に向けた、終活ブームの到来なのだろう。

 中でも、注目されているのが、散骨と樹木葬のようである。確かに、埋葬所を作るとなると近隣住民への説明と了承、許認可問題等々なかなか進めにくい諸問題を抱えてきた。そんな事情もあって、樹木葬がブームになっているのだろう。あんな狭いところに夫婦ではいるのはいやだ、仲のよい友達と入りたい、或は最後に出会った彼、彼女と一緒にとまあ勝手なことをやりたがる。

 という自分もそろそろ生前戒名をもらい、埋葬所も決めておきたいと考えている。ただ、今のところ終の棲家を決めかねている状態だ。一軒家に住み続けるのか、管理が楽なマンションにするか,それとも介護付の施設を選ぶのか、いずれかを選択しなければならない。このほうが先に解決しなければならない。

 今、どちらも夫婦二人きりの生活になってきている。子供たちはそれぞれ独立し、親のことまで考える余裕はない。一時はやりだした二世帯住宅、ここに来て又目に付くようになってきたが、果たしてどこまで続くのか疑問だ。

 いずれにしても死は必ずやって来る。そして世の多くの人たちは子供には面倒を掛けたくない、自分たちのことは自分たちで決めておきたい、そんなことでブームとなっているのだろう。

 人生急ぐことはない。何から何まで自分で決めて、生前に葬儀をし、会葬お礼までした作家がいたようだが、それも現実味がない。冗談で生きる続けるほど、今の世は甘くないのだ。