寒さが体に影響しているのはわかっているが、これほどにひどいとは思っていなかった。今は亡き親たちの苦労もわからずにしまったことを申し訳なく思う今日この頃である。
寒中は外出を避けてきた。インフルエンザ、風邪それに高血圧による事故が怖いからだった。
ようやく春近しだ。暖かくなったら少しづつ散歩をしよう。これしかない。健康を維持する方法は!
エストニアも親日的で明るい国民だった。ただソ連占領下の傷跡も残っており、今盛んに復興工事に余念が無い。タリンの歴史地区は一部を残して再生済みであるが、何か親しみのある町並みだった。
原住民たちの生活様式を今に伝える建物、井戸も日本の田舎を思わせるものだった。珍しがるヨーロッパの人々、今でも使用可能なのだそうだが、水質は保証の限りで無い。海の近いこともあるが、バルト海の水は塩分濃度が低く、腐りやすいのだそうだ。海岸出でると腐ったような匂いが漂ってくる。これだけは致し方ないのかもしれない。
歯槽膿漏の治療は、一般の歯医者ではやってくれない。やってもらったためしがない。大学病院にでもいかない限り無理なお話である。ところがアメリカでは、歯茎を切り裂いて本格的な治療を受けることができる。完璧に治療してくれるそうだ。歯並びも審美術もお手の物、お望みしだいでやってくれるという。
という私も歯槽膿漏には長年苦しめられてきた。ありとあらゆる歯磨きを試してみた。塩入或いは塩粒入りまた漢方薬処方等薬局で売られているものはほとんど試してみた。全くといっていいほど効果はなかった。中でも一番効果があるかなと思えたのは「アセス」だけだった。(特に歯肉炎には効果あり)
ある時、九州だったか過疎の離れ島で暮らしている長老の話を聞いた。生まれてこの方歯磨きなどしたことが無いという。ただ何もつけずに指でマッサージをするだけで80を越えても歯は全部そろっているというテレビ放送を見た。早速その日から塩でマッサージすることにした。おかげでそれから5年になるがどうにか上3本の歯を維持できている。もっと早く聞いていればと悔やまれるが、すべては後の祭りである。
最近、また一つ新事実を発見した。最近の歯ブラシはちっとも磨けていない。ナイロン製はいただけない。昔、豚毛の歯ブラシを求めて引き出しに入れっぱなしになっていたものを引っ張り出して使ってみた。これがまたいいのである。少し固めのもので軽く磨いてやるとこれがよく磨けること歯間ブラシなど不要なのである。
なかなか手に入らなくなった代物ではあるが、これは優れものである。デパートなどで開催される江戸小物展だったか?そんなところで求めることができる。
やはり古きもの、伝統のあるものはよいものが多い。
まだ、最終的な所見はでていないのだが、エコーによる臓器関係所信はすべてよし、胃カメラによる直接視は20才代とはいえないまでも大変きれいな胃壁だと太鼓判を押してもらった。ありがたい話、丈夫な遺伝子と体を与えてくれた両親に感謝したい。
昨日まで元気でいた人が、胃ガンの手術を受けた、或いは血尿が出て調べてみたら膀胱ガンだった、或いは前立腺の手術をしたとか、放射線治療をしている等々、ある一定の年齢を過ぎるととたんに病魔に襲われるケースが多い。これも仕方がないことで、長年の悪習慣、悪行、農薬に汚染された食品類、個人で気をつけていても自然に体の中に入ってくる危険物質があまりにも多すぎる。
また平均寿命は延びているという。それでももう少しでその年齢に近づいてきた。できれば大病に見舞われることなく、自然死を望みたいところであるが、ひとまずは、古希の健康チェックをパスできそうである。
ありがたい、両親はじめ、女房、子供に感謝したい、礼を言いたい。
がんの怖さを知ったのはずいぶん前になる。昭和20年代に伯父が、胃がんのために命を落としている。当時の医療としては千葉大がよいということで、そこで入院手術をしたが、健康を回復することなくこの世を去ってしまった。
今では、人間のいたるところにがんは芽を出してくる。そしていったん発症してしまうと転移の問題に悩まされることになる。なぜ、どうしてこんなにも増えてしまったのだろうか。食べ物なのか、食品添加物なのか、農薬の影響なのかまだまだ解明は難しいようである。
私の周りを見てみよう。膀胱がん、肺がん、前立腺がん、胃がん、骨髄性白血病、肝臓がん結構罹患した人たちがいる。それぞれ早期発見のために術後生存しているが、悩みは本人にしかわからない。
先の対談に記されていたことであるが、抗がん剤は毒であるという。医者によっては使わない方向で治療を薦めているとのことであるが、確かに毒をもって毒を制する治療法であることは間違いないようである。
確かに、がんは怖い。だからといって逃げ仰せ切るものでもないらしい。だったら、仲良くとは言わないまでも、「共に生きる」これが生き方のひとつなのかもしれない・・・とつくずく考えさせられた次第である。
ついでに、神は存在するのだろうか?私の感ずるところ、会社でも一般社会でも人のため社会のために真剣に生きてきた人は、訳のわからない病魔に襲われることが少ないように思える。人を貶め、蹴落とし自己中心的に生きてきた人に多く病魔が襲うような気がしてならない。聖人君子のごとく、人に施し、人を崇め奉り、世間に役立っている人たちには、神の加護があるのかもしれない。