昨日のブログは「夕陽に向かって走れ」やったんやけど、
曽爾高原に行った帰り、すぐに「夕陽」はオカシイ???
ん・・・
あの日も彷徨癖が出てたはず???
すべての記憶(記録)はデジカメの中に。
あの日は曽爾の帰りに室生の谷を通って帰った。
思い出したのは、この前この道を通ったとき室生龍穴神社にお参りしたけど、龍穴を見ずに帰ってしまったこと。
だから、龍穴への林道(参道)入り口に車を停めて、夕闇迫る林道をおよそ片道800m急ぎ足で歩いたんやった。
谷下にある龍穴にお参りしてたら上の方で物音がした。
もしかして・・・
熊???(死んだふりせんとアカン!)
龍神様???(私は生け贄か!)
目をこらして見てみると、しばらくして坂道を降りてきたのは1人の女性やった。
こんな夕暮れに、こんな山奥までどうやって来たんやろう?
私は関わるのが怖かったので、「お先に。」とだけ告げてその場を去った。
谷底からの坂道を上りきり林道に辿り着くと、そこには女性が乗ってきただあろうタクシーが1台停まっていた。
タクシーの運転手が車外にいたので声をかけると、
「今年は辰年の中でも壬辰と言われている年でお参りが多いんですよ。」と答えが返ってきた。
私はこのタクシーよりも早く車に辿り着きたいと思い、大急ぎで約800mの林道を下った。
@室生龍穴神社
延喜式(697)内の古社で、雨神タカオカミノカミを祭り、雨ごいの神として知られています。
神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって、いまでも雨ごいの行事が行なわれています。
この神社は室生寺よりも古く、室生寺は龍穴神社の神宮寺ともいわれ龍王寺と呼ばれていた時期もありました。
主神 高靇神は、伊邪那岐大神其御子 迦具土神を斬り給へる時生れませる神にして、水火を司るの威徳を具へ給ひ、晴雨を調節して国土民生を安じ給ふ。
蓋し、農を以て国の本とする我国古来の伝統的民族信仰として旱天に慈雨を祈るの風朝野を挙げて後を絶たざりし所以にして木津川、淀川の上流の当地に此大神の鎮まります事深く故なしとせず。随って古来歴朝朝野の信仰篤く祈雨止雨の奉幣に預り給ふ事度々にして神階は度々昇敍されて應和元年正四位下に敍せられ給ふ。延喜の制貴船丹生等の社と列びその神威赫々たる官幣の小社に列せられ所謂式内社として近畿一円に衆庶の信仰篤く以て今日に及べり。
配祀の祭神は古来聚落の叢祀に奉斎せしを明治末年に合祀せり。
-境内案内-
龍穴神社前の道を数百メートルほど曽爾方面に進むと奥宮吉祥龍穴に至る道がる。(看板有り)道は舗装されており車でも登れるが、狭い道だ。途中天の岩戸がある。さらに登ると鳥居と「吉祥龍穴」と書かれた看板がある。鳥居をくぐり谷へ下ると龍穴と招雨瀑がある。
曽爾高原に行った帰り、すぐに「夕陽」はオカシイ???
ん・・・
あの日も彷徨癖が出てたはず???
すべての記憶(記録)はデジカメの中に。
あの日は曽爾の帰りに室生の谷を通って帰った。
思い出したのは、この前この道を通ったとき室生龍穴神社にお参りしたけど、龍穴を見ずに帰ってしまったこと。
だから、龍穴への林道(参道)入り口に車を停めて、夕闇迫る林道をおよそ片道800m急ぎ足で歩いたんやった。
谷下にある龍穴にお参りしてたら上の方で物音がした。
もしかして・・・
熊???(死んだふりせんとアカン!)
龍神様???(私は生け贄か!)
目をこらして見てみると、しばらくして坂道を降りてきたのは1人の女性やった。
こんな夕暮れに、こんな山奥までどうやって来たんやろう?
私は関わるのが怖かったので、「お先に。」とだけ告げてその場を去った。
谷底からの坂道を上りきり林道に辿り着くと、そこには女性が乗ってきただあろうタクシーが1台停まっていた。
タクシーの運転手が車外にいたので声をかけると、
「今年は辰年の中でも壬辰と言われている年でお参りが多いんですよ。」と答えが返ってきた。
私はこのタクシーよりも早く車に辿り着きたいと思い、大急ぎで約800mの林道を下った。
@室生龍穴神社
延喜式(697)内の古社で、雨神タカオカミノカミを祭り、雨ごいの神として知られています。
神域には龍穴と呼ばれる洞穴があって、いまでも雨ごいの行事が行なわれています。
この神社は室生寺よりも古く、室生寺は龍穴神社の神宮寺ともいわれ龍王寺と呼ばれていた時期もありました。
主神 高靇神は、伊邪那岐大神其御子 迦具土神を斬り給へる時生れませる神にして、水火を司るの威徳を具へ給ひ、晴雨を調節して国土民生を安じ給ふ。
蓋し、農を以て国の本とする我国古来の伝統的民族信仰として旱天に慈雨を祈るの風朝野を挙げて後を絶たざりし所以にして木津川、淀川の上流の当地に此大神の鎮まります事深く故なしとせず。随って古来歴朝朝野の信仰篤く祈雨止雨の奉幣に預り給ふ事度々にして神階は度々昇敍されて應和元年正四位下に敍せられ給ふ。延喜の制貴船丹生等の社と列びその神威赫々たる官幣の小社に列せられ所謂式内社として近畿一円に衆庶の信仰篤く以て今日に及べり。
配祀の祭神は古来聚落の叢祀に奉斎せしを明治末年に合祀せり。
-境内案内-
龍穴神社前の道を数百メートルほど曽爾方面に進むと奥宮吉祥龍穴に至る道がる。(看板有り)道は舗装されており車でも登れるが、狭い道だ。途中天の岩戸がある。さらに登ると鳥居と「吉祥龍穴」と書かれた看板がある。鳥居をくぐり谷へ下ると龍穴と招雨瀑がある。
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