大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

青洲の里へ

2012年01月23日 | 和歌山県
先日,紀ノ川(奈良県内は吉野川)沿いを下って“青洲の里”へ。
最近,この川沿いを下るのが好きになった。
一昨年の九度山・真田庵。
昨年の根来寺 etc・・・
それがまだ,時間の都合で“青洲の里”には行けてなかった。
世界で初めて全身麻酔を使った乳ガン摘出手術に成功した華岡青洲。
その青洲の偉業を顕彰し、楽しく学べる施設として作られたのが“青洲の里”。
青洲が作った住居兼診療所「春林軒」、
建築家、黒川紀章氏の設計による蔓陀羅華の花をモチーフにデザインされたフラワーヒルミュージアムがある。

@春林軒
文化元年(1804年)世界初の全身麻酔手術を成功したことで華岡青洲の名声は広まり、全国から多くの患者と入門希望者が次々と集まった。彼らを迎え入れて育成するため青洲は建坪20坪余りの自邸兼診療所の近くに、建坪220坪の住居兼病院・医学校を建設した。これが「春林軒」である。 輩出された門下生は1,033名、大坂・中之島に作られた分校「合水堂」門下生を含めると2,000名を超え、彼らにより日本全国に華岡流外科医術が広められた。

@華岡青洲(はなおかせいしゅう)
麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」を発明し、世界で初めての全身麻酔による乳ガン摘出手術に成功した外科医。
青洲は宝暦10年(1760年)旧暦10月23日、華岡直道・於継の間に生まれた。
青洲の父「直道」も医師で、青洲は幼い頃から病や怪我に苦しむ人々を見て育ち、自分も医者になって人の命を救いたいとの思いを抱きながら成長した。
青洲は天明2年(1782年)23歳のとき、医学を学ぶため京都へ遊学。吉益南涯のもとで古医方を、大和見立のもとで外科を学んた。このころ青洲は昔、中国の華佗(かだ)という医者が麻酔薬を使って手術を行い、多くの人々の命を救ったという話を耳にした。青洲は自分も麻酔薬を作り、これまで誰にも治すことのできなかった病気を治し、病に苦しむ人々を救おうとの気持ちを強く持つようになっていった。「自分は日本の華佗になるのだ」 大いなる目標を掲げた青洲は、3年間の猛勉強の末、故郷平山に帰ってきた。帰郷した青洲は、父の跡を継ぎ、患者の治療に取り組むかたわら、新しい治療法の研究や薬草採集、そして麻酔薬の研究に打ち込む日々を送った。

麻酔薬の研究をどのように進めたのかを示す詳しい記録は残っていない。青洲はまず動物実験によって薬の効果と安全性を確認し、そのあと人間の体で効果を試したと考えられている。人体実験では母「於継(おつぎ)」と妻「加恵」が自分の体を使って麻酔薬を試してほしいと自ら申し出たので、青洲は母と妻に麻酔薬を飲ませ人体実験を行ったと伝えられている。文化元年(1804年)旧暦10月13日、青洲はついに麻酔薬「通仙散」を完成し、世界初の全身麻酔下の乳ガン摘出手術に成功した。華岡青洲の名声は日本全国に轟き、多くの難病患者や、青洲の医術を学びたい医学生が平山を訪れるようになった。

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2 コメント

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春林軒ですか・・・ (山口ももり)
2012-01-24 18:50:36
車が運転できたらなあ・・・と最近思います。この前高野山へ行くツアーに独り参加した時、このポイントの看板を何度か見ました。ちょっと路線バスでは行き難そうですねえ。朝我尊寺だったか??大きな寅のある信貴山のお寺・・あそこもなんだか行き難そうなお寺ですねえ。今年こそは・・とは思っているんですけど。
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Unknown (瓜亀仙人)
2012-01-25 17:40:37
ももりさんへ
>車が運転できたらなあ・・・と最近思います。
今年、チャレンジすることが見つかりましたね!
信貴山へは路線バスがあったと思うのですが・・・
返信する

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