以前のこと、野見宿禰の塚の解説板を眺めていたら“ダンノダイラ”という地名に目が行った。
“ダンノダイラ”???
妙な地名・・・
そんなとき、『大和出雲の新発現』という本と出会い。
野見宿禰はどこにいた?
彼がいた“出雲”は島根県の出雲なんやろか?
そんな大和から遙か遠く山陰の出雲から相撲をとりに大和まで呼ばれたの?
来るのに時間がかかるし、疲れてしまう。
やっと大和に到着しても、相撲どころと違うと思う。
初瀬の近くにある“出雲”からだと、相撲神社まで約5kmやからすぐに行ける。
三輪山と三諸山は同一のもの?
いやぁ~ 国譲りの謎は深まるばかりや!
@ダンノダイラ
・奈良盆地が湖であったときに、古代出雲族が三輪山山頂から巻向山山頂にかけての尾根のところに住んでいた地といい、巨大な磐座を祀る聖地である。
・明治時代までは出雲邑の人人は年の一度、山麓よりこの地に村人全員で登り、飲み食い、相撲などをして一日を過ごしたと傳えられる。
・口傳によると、奈良盆地の眞ん中ぐらい、今の田原本町から東側が出雲族の土地であったというが、攻めてこられ、土地を奪われ、城のような建物は焼かれ、生き残った一族が山に逃げ込み、それがダンノダイラであったという。その後、鎌倉時代にダンノダイラから下りてきたという。攻めてこられたのは七世紀ごろと推測されている。
@ダンノダイラ
ダンノダイラは三輪山山頂から東へ約1700mの尾根の上にあり、面積は6.3万m2、古代人の聖域・生活圏で、多くの人々が生活していたとされる古代の出雲ムラであった。
峯の上からは水が湧き出す湧水沼があり小川も流れていた。現在の小川跡からは、6世紀から12世紀にわたる土器が発見された。
また、杉林の中に天壇の跡?とされる石組みが残っている。
天壇は、天帝を祀る祭壇で、中国の北京・瀋陽に遺跡がある。
直径20mの土盛りが5段、上段に小石が敷かれているとのことである。
ダンノダイラは、三輪王朝以前の日本建国の母胎の地?とされている。
“ダンノダイラ”???
妙な地名・・・
そんなとき、『大和出雲の新発現』という本と出会い。
野見宿禰はどこにいた?
彼がいた“出雲”は島根県の出雲なんやろか?
そんな大和から遙か遠く山陰の出雲から相撲をとりに大和まで呼ばれたの?
来るのに時間がかかるし、疲れてしまう。
やっと大和に到着しても、相撲どころと違うと思う。
初瀬の近くにある“出雲”からだと、相撲神社まで約5kmやからすぐに行ける。
三輪山と三諸山は同一のもの?
いやぁ~ 国譲りの謎は深まるばかりや!
@ダンノダイラ
・奈良盆地が湖であったときに、古代出雲族が三輪山山頂から巻向山山頂にかけての尾根のところに住んでいた地といい、巨大な磐座を祀る聖地である。
・明治時代までは出雲邑の人人は年の一度、山麓よりこの地に村人全員で登り、飲み食い、相撲などをして一日を過ごしたと傳えられる。
・口傳によると、奈良盆地の眞ん中ぐらい、今の田原本町から東側が出雲族の土地であったというが、攻めてこられ、土地を奪われ、城のような建物は焼かれ、生き残った一族が山に逃げ込み、それがダンノダイラであったという。その後、鎌倉時代にダンノダイラから下りてきたという。攻めてこられたのは七世紀ごろと推測されている。
@ダンノダイラ
ダンノダイラは三輪山山頂から東へ約1700mの尾根の上にあり、面積は6.3万m2、古代人の聖域・生活圏で、多くの人々が生活していたとされる古代の出雲ムラであった。
峯の上からは水が湧き出す湧水沼があり小川も流れていた。現在の小川跡からは、6世紀から12世紀にわたる土器が発見された。
また、杉林の中に天壇の跡?とされる石組みが残っている。
天壇は、天帝を祀る祭壇で、中国の北京・瀋陽に遺跡がある。
直径20mの土盛りが5段、上段に小石が敷かれているとのことである。
ダンノダイラは、三輪王朝以前の日本建国の母胎の地?とされている。
今日は万葉集が好きな昭和一ケタの女性のお世話をしていました。