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“饅頭”の発祥の地はお隣の中国。
三国志で知られる諸葛孔明が軍を率いて蜀に帰る時、川の氾濫を鎮めるために、人間の首の代わりに、小麦粉を捏ねた中に牛や羊の肉を入れて人間の頭の形にしたものを川の神に奉ったのが、“饅頭”の原型だとされているそうです。
日本に“饅頭”を伝えたのは、中国から帰化した“林浄因”。1349年、浄因は都である京都の喧噪を避け、仏都であり商工業の座も栄える文化都市、奈良の漢六國神社社頭に居を構えました。そこで、故国の“マントウ”をヒントに、肉の代わりに小豆を煮詰め、甘みを加えた餡を小麦の粉で包んで蒸し、これを“饅頭”と名付けて売り出したそうです。
それが「奈良饅頭」として全国に伝わり、後村上天皇へ献上された際には官女を賜り、さらに足利善政公より直筆の「日本第一番本饅頭所」の看板を許され、代々饅頭屋として栄えたそうです。
よく祝事の時に配られる紅白の上用饅頭も、林浄因と官女の結婚の時、紅白の饅頭を配ったのが始まりで、その時の饅頭のうち一組は子孫繁栄を願って土中に埋めたとされ、“饅頭塚”として漢國(かんごう)神社に残っています。またその一角には、日本唯一の“饅頭の社”として、浄因を祀った林(りん)神社があり、江戸時代に「旨し」の意を表そうと馬の形で作られたシャレ看板も目にすることが出来ます。
4月19日には全国の菓子業者によって“饅頭まつり”が、奈良市漢國町の林神社で開催されます。
「写真;奈良の和菓子店の店先にあった“岡本太郎”」
三国志で知られる諸葛孔明が軍を率いて蜀に帰る時、川の氾濫を鎮めるために、人間の首の代わりに、小麦粉を捏ねた中に牛や羊の肉を入れて人間の頭の形にしたものを川の神に奉ったのが、“饅頭”の原型だとされているそうです。
日本に“饅頭”を伝えたのは、中国から帰化した“林浄因”。1349年、浄因は都である京都の喧噪を避け、仏都であり商工業の座も栄える文化都市、奈良の漢六國神社社頭に居を構えました。そこで、故国の“マントウ”をヒントに、肉の代わりに小豆を煮詰め、甘みを加えた餡を小麦の粉で包んで蒸し、これを“饅頭”と名付けて売り出したそうです。
それが「奈良饅頭」として全国に伝わり、後村上天皇へ献上された際には官女を賜り、さらに足利善政公より直筆の「日本第一番本饅頭所」の看板を許され、代々饅頭屋として栄えたそうです。
よく祝事の時に配られる紅白の上用饅頭も、林浄因と官女の結婚の時、紅白の饅頭を配ったのが始まりで、その時の饅頭のうち一組は子孫繁栄を願って土中に埋めたとされ、“饅頭塚”として漢國(かんごう)神社に残っています。またその一角には、日本唯一の“饅頭の社”として、浄因を祀った林(りん)神社があり、江戸時代に「旨し」の意を表そうと馬の形で作られたシャレ看板も目にすることが出来ます。
4月19日には全国の菓子業者によって“饅頭まつり”が、奈良市漢國町の林神社で開催されます。
「写真;奈良の和菓子店の店先にあった“岡本太郎”」
4/19 林神社ですね。メモしなきゃ。。。
「饅頭怖い!」という話を連想してしまいます。
世の中には怖いものがたくさんあります!