
車を停めて気になっていた竹内峠近くの石仏へ。
石仏のまわりを巡ってみたが,これと云って石仏に関する説明書きはなかった。
道標や説明板によると,この石仏を右に行くと“竹内街道”の続き。
まっすぐ行くと“岩屋峠”。
私の記憶では“岩屋峠”に“岩屋”があって,“岩屋”だからそこが岩窟寺院?やったはず。
石仏を左の細い山道を登って行くと“鹿谷寺(ろくたんじ)跡”へ。
“鹿谷寺”も岩窟寺院かも???
とりあえず左折,“鹿谷寺跡”へ先に行くことにした。
“鹿谷寺跡”への山道の横には,過去に二上山が噴火していた名残の岩石が見られた。

火山灰をはじめ火山の噴出物が堆積してできた凝灰岩?
「日本の敦煌」を目指して登りながら口から出た歌はなぜか「ガンダーラ」?
途中,なにやら人工的に削られた痕のある細長い岩を発見!
いったいこれは何?

いよいよ凝灰岩を削って造った岩窟寺院が近いのかも・・・
二上山は、雄岳(517m)と雌岳(474m)の二つの山からなる死火山で、サヌカイトや凝灰岩を産出する。
古代の人たちはこの地質環境に目を付けたんやろう。
サヌカイトは石器に、凝灰岩は石棺や石塔に用いられた。
岩窟寺院も凝灰岩を削って作ったものと思われる。
不思議な岩からさらに少し行くと,急に平らなところに出た。
「史蹟 鹿谷寺跡」の道標とともに目に入ったのは、巨大な高さ5mを越える多層塔!

風化は著しいが、古色蒼然としたこの塔こそ、わが国最古の十三重石塔(8世紀)。
東側には、岸壁を削ってつくったと思われる石窟があって、

如来座像(3体)の線彫りが見える。

解説によると、この場所は寺院建設のため尾根を切り出して造った造成地らしい。

十三重石塔は、凝灰岩性の地山を堀り残して造ったもので、塔自体が地面から芽を出した筍のように地続きになっているという。

「日本の敦煌」を目指してやってきたのに,ここでも口から出た歌はやっぱり「ガンダーラ」やった。
石仏のまわりを巡ってみたが,これと云って石仏に関する説明書きはなかった。
道標や説明板によると,この石仏を右に行くと“竹内街道”の続き。
まっすぐ行くと“岩屋峠”。
私の記憶では“岩屋峠”に“岩屋”があって,“岩屋”だからそこが岩窟寺院?やったはず。
石仏を左の細い山道を登って行くと“鹿谷寺(ろくたんじ)跡”へ。
“鹿谷寺”も岩窟寺院かも???
とりあえず左折,“鹿谷寺跡”へ先に行くことにした。
“鹿谷寺跡”への山道の横には,過去に二上山が噴火していた名残の岩石が見られた。

火山灰をはじめ火山の噴出物が堆積してできた凝灰岩?
「日本の敦煌」を目指して登りながら口から出た歌はなぜか「ガンダーラ」?
途中,なにやら人工的に削られた痕のある細長い岩を発見!
いったいこれは何?

いよいよ凝灰岩を削って造った岩窟寺院が近いのかも・・・
二上山は、雄岳(517m)と雌岳(474m)の二つの山からなる死火山で、サヌカイトや凝灰岩を産出する。
古代の人たちはこの地質環境に目を付けたんやろう。
サヌカイトは石器に、凝灰岩は石棺や石塔に用いられた。
岩窟寺院も凝灰岩を削って作ったものと思われる。
不思議な岩からさらに少し行くと,急に平らなところに出た。
「史蹟 鹿谷寺跡」の道標とともに目に入ったのは、巨大な高さ5mを越える多層塔!

風化は著しいが、古色蒼然としたこの塔こそ、わが国最古の十三重石塔(8世紀)。
東側には、岸壁を削ってつくったと思われる石窟があって、

如来座像(3体)の線彫りが見える。

解説によると、この場所は寺院建設のため尾根を切り出して造った造成地らしい。

十三重石塔は、凝灰岩性の地山を堀り残して造ったもので、塔自体が地面から芽を出した筍のように地続きになっているという。

「日本の敦煌」を目指してやってきたのに,ここでも口から出た歌はやっぱり「ガンダーラ」やった。
私のお師匠様が、行方不明でございます。
19日からブログの更新も無く、20日の此処へのコメが最後で・・
お師匠は東南アジアは、すかんでいうてはったし。。
私も週末から息子たちのいる愛知に行きますので、すれ違いかな??
瓜亀さまにぼやいてしまった。ごめんなさい。。
悟空~~より ♪(体形は猪八戒)
大きな岩山を削って高さ5m以上の塔を残したんでしょう。
削った岩は・・・というか,ここは石切場。
古墳の石棺や大きなお寺の礎石に運ばれて行ったということです。
>私のお師匠様が、行方不明でございます。
これは,またまた海外旅行?
お身体は丈夫そうですしねぇ~
絵の展覧会は?
>いよいよ奈良が好きになりました。
葛城山に行っておられたんですか!
行方不明だっていうんで心配してたんですよ。
葛城山は冬場の鴨料理がいいですよ!
もちろん,この季節のツツジが有名です。