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葛城に伝わる民話に“久米の岩橋”がある。
昔々葛城の茅原村(ちはらむら)に、役小角(えんのおずぬ)という男の子が住んでいました。
小角はとても賢く、一度聞いた事は決して忘れませんでした。夢は修行を積んでいつか仙人に成る事でそのために雨の日も風の日も休むことなく修行を続けました。
そうする内に、険しい葛城の山々を自由に駆けめぐり、遠くの物音やわずかな匂いさえも感じ取る事が出来るようになりました。
大人になった小角は、世間から離れて葛城山の洞窟にこもりました。
葛で編んだ粗末な衣を着て瞑想し、凍り付くような滝に打たれ、さらに修行を続けました。
やがて小角は孔雀明王の不思議な術を使うことができるようになり、金剛、葛城に住む鬼神達も小角に付き従いました。
小角は、人々の苦しい暮らしを助けるため、鬼神達に水を汲ませたり、薪を拾わせたりしました。又、病気を治したり葛城山に生えている病によく効く薬草を教えたりして大変敬われていました。
しかし、ひとびとの暮らしはいっこうによくなりません。
小角は、これを救うには地上に仏を呼び寄せるほかないと考え、吉野の金峯山(きんぷせん)の厳しい自然の中で再び修行を始めました。
そして、人々が平和な暮らしが出来るようにと、ひたすら仏に祈り続けました。
ある日の事、すさまじい稲光と雷の音と共に地面が割れ、山がなりひびいたかと思うと、恐ろしい顔をした仏が小角の前に現れました。
この方こそ、人々を救ってくださる仏に違いない。
これからは、人々と共に日夜詣でよう。 と心に決めました。
しかし葛城の山から金峯山まではあまりにも遠く、険しい山続きです。
修行を積んだ小角でさえも大変厳しいいものでした。
そこで小角は、あちこちの鬼神を集めて命令しました。
「これより、葛城の山から吉野の金峯寺まで岩で橋を架け、詣でるための道をつける。
みなの者、力を合わせ岩を集めてまいれ。」
けれども葛城から吉野までとどく橋を作るにはどれほどの岩がいるものかと、鬼神達は不安になりました。
しかし、孔雀明王の術を身に付けた小角を信じ、岩を集め始めました。
小角が呪文を唱えると、集められた岩は次々と繋がって、橋の姿に変わって行きました。
所が、日が暮れても橋は出来上がりません。小角は鬼神達を追い立て、急がせました。
次の日も、その次の日も、鬼神達は働きましたが橋はなかなかでき上がりません。鬼神達はだんだん疲れてしまい、思うように岩を集められなく成りました。
焦った小角は葛城山に住む一言主の神も呼び出しました。
一言主の神は
「私は顔や姿がとても醜く、人に見られるのがとても恥ずかしい。暗い夜のうちしか働く事が出来ぬ」と言いました。小角は「顔や姿が醜い事は恥ずかしい事ではない。それよりも人々のために働くように」と厳しく命じました。
しかし、小角の言う事を聞くどころか、一言主の神は鬼神達をそそのかして岩を集めるのを止めさせてしまいました。
これを知った小角はたいそう怒り、一言主の神を葛のツルで捲いて洞穴に閉じこめてしまいました。
言い付けに従わず金峯山の仏を軽んじた一言主の神を許せなかったのです。
しかし、そのうちに小角もすっかり疲れてしまい、岩橋を架ける術は次第に弱まって行きました。そしてある日の朝、小角の力はとうとう尽き果ててしまいました。と、その時です。途中まで出来上がっていた岩橋は、がらがらと大きな音を立てて崩れ落ちていったのです。後には、バラバラに飛び散った大きな岩の一部が葛城山の峰に残りました。
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その峰を岩橋山と呼び、のちに麓の小さな村を岩橋村と呼びました。
岩の橋は完成する事はありませんでしたが、小角の願いは崩れ落ちることなく人々の心の中に生き続けています。なぜなら、小角はその後、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれるようになり、修験道の開祖としてあがめられ、今も多くの人々を金峯山に導いているからです。
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私は,岩橋山に残るという“久米の岩橋”を今年中に見たいと思った。
「写真;①②高貴寺,③岩橋山への道」
昔々葛城の茅原村(ちはらむら)に、役小角(えんのおずぬ)という男の子が住んでいました。
小角はとても賢く、一度聞いた事は決して忘れませんでした。夢は修行を積んでいつか仙人に成る事でそのために雨の日も風の日も休むことなく修行を続けました。
そうする内に、険しい葛城の山々を自由に駆けめぐり、遠くの物音やわずかな匂いさえも感じ取る事が出来るようになりました。
大人になった小角は、世間から離れて葛城山の洞窟にこもりました。
葛で編んだ粗末な衣を着て瞑想し、凍り付くような滝に打たれ、さらに修行を続けました。
やがて小角は孔雀明王の不思議な術を使うことができるようになり、金剛、葛城に住む鬼神達も小角に付き従いました。
小角は、人々の苦しい暮らしを助けるため、鬼神達に水を汲ませたり、薪を拾わせたりしました。又、病気を治したり葛城山に生えている病によく効く薬草を教えたりして大変敬われていました。
しかし、ひとびとの暮らしはいっこうによくなりません。
小角は、これを救うには地上に仏を呼び寄せるほかないと考え、吉野の金峯山(きんぷせん)の厳しい自然の中で再び修行を始めました。
そして、人々が平和な暮らしが出来るようにと、ひたすら仏に祈り続けました。
ある日の事、すさまじい稲光と雷の音と共に地面が割れ、山がなりひびいたかと思うと、恐ろしい顔をした仏が小角の前に現れました。
この方こそ、人々を救ってくださる仏に違いない。
これからは、人々と共に日夜詣でよう。 と心に決めました。
しかし葛城の山から金峯山まではあまりにも遠く、険しい山続きです。
修行を積んだ小角でさえも大変厳しいいものでした。
そこで小角は、あちこちの鬼神を集めて命令しました。
「これより、葛城の山から吉野の金峯寺まで岩で橋を架け、詣でるための道をつける。
みなの者、力を合わせ岩を集めてまいれ。」
けれども葛城から吉野までとどく橋を作るにはどれほどの岩がいるものかと、鬼神達は不安になりました。
しかし、孔雀明王の術を身に付けた小角を信じ、岩を集め始めました。
小角が呪文を唱えると、集められた岩は次々と繋がって、橋の姿に変わって行きました。
所が、日が暮れても橋は出来上がりません。小角は鬼神達を追い立て、急がせました。
次の日も、その次の日も、鬼神達は働きましたが橋はなかなかでき上がりません。鬼神達はだんだん疲れてしまい、思うように岩を集められなく成りました。
焦った小角は葛城山に住む一言主の神も呼び出しました。
一言主の神は
「私は顔や姿がとても醜く、人に見られるのがとても恥ずかしい。暗い夜のうちしか働く事が出来ぬ」と言いました。小角は「顔や姿が醜い事は恥ずかしい事ではない。それよりも人々のために働くように」と厳しく命じました。
しかし、小角の言う事を聞くどころか、一言主の神は鬼神達をそそのかして岩を集めるのを止めさせてしまいました。
これを知った小角はたいそう怒り、一言主の神を葛のツルで捲いて洞穴に閉じこめてしまいました。
言い付けに従わず金峯山の仏を軽んじた一言主の神を許せなかったのです。
しかし、そのうちに小角もすっかり疲れてしまい、岩橋を架ける術は次第に弱まって行きました。そしてある日の朝、小角の力はとうとう尽き果ててしまいました。と、その時です。途中まで出来上がっていた岩橋は、がらがらと大きな音を立てて崩れ落ちていったのです。後には、バラバラに飛び散った大きな岩の一部が葛城山の峰に残りました。
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その峰を岩橋山と呼び、のちに麓の小さな村を岩橋村と呼びました。
岩の橋は完成する事はありませんでしたが、小角の願いは崩れ落ちることなく人々の心の中に生き続けています。なぜなら、小角はその後、役行者(えんのぎょうじゃ)と呼ばれるようになり、修験道の開祖としてあがめられ、今も多くの人々を金峯山に導いているからです。
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私は,岩橋山に残るという“久米の岩橋”を今年中に見たいと思った。
「写真;①②高貴寺,③岩橋山への道」
おもしろいお話でしょう!
なぜ,このような伝説?が生まれたのでしょうか?
興味津々です。
役行者は,吉野を旅すると必ずと云っていいほど登場する有名人です。
私の母は,葛城の茅原村の近くで生まれました。
一重のサザンカ、とても可愛いです。