大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

高貴寺へ

2010年12月24日 | 大阪府
今秋,大好きな天平観音がおられる聖林寺のご住職が亡くなられた折,供花の列に「高貴寺」の名を見た。
今年の夏前,千早赤坂村から西行の墓を巡った帰りに,高貴寺の門前まで行き,時間不足で引き返したことがある。

高貴寺は、今から約1200年前、役行者によって開基された葛城連峰行場28ヶ所の中の1つで、「香花寺」と称したと伝わる。
後に、弘法大師空海が来山、密法修業中に高貴徳王菩薩を感得し、高貴寺と呼ぶようになった。
空海は嵯峨天皐の勅を奉じて金堂・講堂・東西両院・経蔵・鐘楼・食堂・二王門等を創建して堂塔大いに整い、のち、大徳智泉や鳥羽僧正範俊らの高僧が来住し、11~12世紀までは法灯は四方に輝いたと伝えられる。
1331年(元弘元年)当寺の支援者である平岩氏が平石城に拠って関東軍と戦った折、当寺は兵火にかかり、堂宇はことごとく焼失し、以来寺運振わぬまま近世に至った。
江戸後期の安永年中に慈雲尊者が来住し、僧坊を整備、正法律宣布の根本道場に一新した。
1786年(天明6年)幕府の許可を得、高貴寺は正法律一派総本山となったという。
司馬遼太郎の「河内みち」によれば、高貴寺は真言宗の律院である。
ここで真言宗の僧侶(の一部)は年に一度くらい律の行を受ける。
したがって「寺の建築にも余計な装飾がなく、建物の規模も小さい。ただ境内が嵐気を帯び、ちりひとつとどめず、全体が凛然としていて、むろん観光料はとらない・・・」のだそうだ。

さらにこの「河内みち」では,「・・・本堂の前に青い天蓋のようにしてしだれ桜が植わっている。よほどの老木でしかも姿がよく、これを見て京都に住む編集部のHさんがめずらしく声をあげた。」と書かれていた。
役行者と久米の岩橋と高貴寺が,どう繋がっていくんやろか???
そんなことを思いながら境内を散策していたら,
私には,役行者と久米仙人が重なってきて,だんだん区別が付かない状態になってしまってた。
「写真;高貴寺」
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (幽黙)
2010-12-24 21:04:12
播磨には
法道仙人という
スーパースターな
お方がおられます
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Unknown (瓜亀仙人)
2010-12-24 22:01:24
幽黙さんへ
播磨のスーパースターについて,もっと知りたくなりました!
返信する

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