大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

丹生の水銀抗跡

2007年08月12日 | 三重県
“神宮寺”の納経所で水銀抗跡への行き方を教えて戴いた。
お寺から少し離れた杉木立の中で出会ったのは、“水銀精錬装置”。
解説板によると「3本の鉄管に粉末にした辰砂と石灰を1 0対1の割合で混ぜて入れ、左の炉に詰めたおがくずに点火し加熱する。そこで辰砂に含まれる水銀は300℃具らいでガス化しはじめ、垂直の3本の鉄管にむかい。その途中で冷却されて液体の水銀となりこれを捕集する。残ったガスは左斜め下に伸びている鉄管を通り、円筒部で冷却させ捕集する。昭和30年代に月産340kgの水銀を生産していた。」
水銀抗跡の解説板には
「『続日本紀』水銀や辰砂が伊勢の国から朝廷に献上さ れたという記録があり、8世紀には丹生の水銀が広く知れていたことがわかる。奈良時代に建立された東大寺の大仏のメッキに約2tの水銀が使われ、その大部分が伊勢の国丹生産であったと伝えられる。平安時代に書かれた『延喜式』・・・鎌倉時代には水銀座・・・公害問題等から昭和48年閉山」とあった。
写真の2つの抗跡は右側が昭和に掘られたもの、左側が古代からのものだそうで、共に入り口は鉄柵で閉ざされていた。古い抗跡は殆どが下方へ30度前後の勾配をもっていて、せいぜい50m程の深さで浅く“たぬき掘り”と云われ、このような抗跡は百数十確認されているそうだ。
夏の暑い日に、この抗跡から出てくる空気がとても冷たく、暫くの間、どうかしてこの中に入れないのか?赤い石(辰砂)は残っていないのか?など探しながら、汗がひくのを待っていた。

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