丹生神社の一の鳥居をくぐり、“丹生都比売・弘法大師の対面石”を見ながら
参道を進むと正面に“丹生中神社”が見えてきた。
しかし、私の目は神社の建物を見ているのではなく、神社の裏山が気になってしょうがないのだ。山斜面に坑道や水銀を含む岩石の露頭が現れてはいないのかとキョロキョロ。
参道終点を左に曲がると“丹生神社”が見えた。523年に鎮座したのだという。
建物の横に“伊勢椿の原木”があり、その説明板もあるのだが、私には椿の歴史がよく分からない。
丹生神社を出て石の鳥居をくぐると、自然に神宮寺(丹生大師)の境内につながり、立派な仁王門が正面向こうに見えた。
このお寺は774年、光仁天皇の勅願により空海の師である“勤操大徳”が開祖。
石段を登ると大師堂、その奥に山道があり“丹生都比売神社(昨日のブログに写真掲載)”があった。さらに山道が奥へと続いていたので、私は、この山道を登れば丹生水銀の坑道跡があるものと信じ山中をウロウロ・・・
しかし、何も発見できず・・・
境内で水銀について尋ねる人が誰も見当たらなかったので、
結局、お寺の方に伺おうと納経所を訪ねることにした。
参道を進むと正面に“丹生中神社”が見えてきた。
しかし、私の目は神社の建物を見ているのではなく、神社の裏山が気になってしょうがないのだ。山斜面に坑道や水銀を含む岩石の露頭が現れてはいないのかとキョロキョロ。
参道終点を左に曲がると“丹生神社”が見えた。523年に鎮座したのだという。
建物の横に“伊勢椿の原木”があり、その説明板もあるのだが、私には椿の歴史がよく分からない。
丹生神社を出て石の鳥居をくぐると、自然に神宮寺(丹生大師)の境内につながり、立派な仁王門が正面向こうに見えた。
このお寺は774年、光仁天皇の勅願により空海の師である“勤操大徳”が開祖。
石段を登ると大師堂、その奥に山道があり“丹生都比売神社(昨日のブログに写真掲載)”があった。さらに山道が奥へと続いていたので、私は、この山道を登れば丹生水銀の坑道跡があるものと信じ山中をウロウロ・・・
しかし、何も発見できず・・・
境内で水銀について尋ねる人が誰も見当たらなかったので、
結局、お寺の方に伺おうと納経所を訪ねることにした。
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