あの日、4月の初め、
私は急ぎ足で興福寺五重塔に向かって「五十二段」の石段を上った。
そして道路を渡り、興福寺の境内へ。
五重塔が見えるかと、右前方を見上げようとしたら、目に飛び込んできたのは“阿修羅”やった。
無性に“阿修羅”に会いたくなった。
@国宝 阿修羅立像(あしゅらりゅうぞう)(八部衆のうち)1軀
脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)、彩色 奈良時代 天平6年(734) 奈良・興福寺蔵
阿修羅像はもと興福寺西金堂(さいこんどう)に釈迦三尊、梵天・帝釈天、四天王、十大弟子像などとともに安置されていた八部衆のうちの1体です。この堂は光明皇后が前年の1月に亡くなった母橘三千代の一周忌に間に合うように創建したものです。
3つの顔と6本の腕をもつ少年のような可憐な像ですが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されています。阿修羅はインド神話では軍の神で、激しい怒りを表すのが一般的ですが、興福寺の阿修羅像に激しさはどこにも見られません。
阿修羅像は、当時、唐からもたらされた『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』をもとに作られたと考えられますが、そこには、これまでの罪を懺悔して、釈迦に帰依することが説かれています。阿修羅の表情は静かに自分の心を見つめ懺悔する姿を表したものと考えられます。
私は急ぎ足で興福寺五重塔に向かって「五十二段」の石段を上った。
そして道路を渡り、興福寺の境内へ。
五重塔が見えるかと、右前方を見上げようとしたら、目に飛び込んできたのは“阿修羅”やった。
無性に“阿修羅”に会いたくなった。
@国宝 阿修羅立像(あしゅらりゅうぞう)(八部衆のうち)1軀
脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)、彩色 奈良時代 天平6年(734) 奈良・興福寺蔵
阿修羅像はもと興福寺西金堂(さいこんどう)に釈迦三尊、梵天・帝釈天、四天王、十大弟子像などとともに安置されていた八部衆のうちの1体です。この堂は光明皇后が前年の1月に亡くなった母橘三千代の一周忌に間に合うように創建したものです。
3つの顔と6本の腕をもつ少年のような可憐な像ですが、胴体も腕もとても細く、憂いのある敬虔な表情が脱活乾漆造(だっかつかんしつづくり)の技法でとてもリアルに表現されています。阿修羅はインド神話では軍の神で、激しい怒りを表すのが一般的ですが、興福寺の阿修羅像に激しさはどこにも見られません。
阿修羅像は、当時、唐からもたらされた『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』をもとに作られたと考えられますが、そこには、これまでの罪を懺悔して、釈迦に帰依することが説かれています。阿修羅の表情は静かに自分の心を見つめ懺悔する姿を表したものと考えられます。
阿修羅像を見ると、タカアシガニを思い浮かべてしまうのです。
この日は時間が早かったので空いていました。
それでゆっくり拝観できました。
チョット得をした気分!