あの日、天満橋を渡った北側の公園で“淀川三十石船舟唄の碑”の次に見かけたのは、“天満の子守歌の碑”やった。
ねんねころいち 天満の市で
大根そろえて 舟に積む
舟に積んだら どこまでゆきゃる
木津や難波の 橋の下
橋の下には 鴎がいやる
鴎とりたや 竹ほしや
竹がほしけりゃ 竹やへござれ
竹はゆらゆら 由良之助
@天満市場
木津村と難波村は、一世紀近くにわたって、天満市場に対抗する地元の市を開こうと活動を続けていた。
その中で、自分たちの主張を示すために作られた唄であったとされている。
当時、木津と難波の両村からは、大阪へ子守娘が多く出ていたので、彼女たちの歌う守り子歌として近畿一円から四国、中国地方へと広まったのではないかと推測される。
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