大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

益田池堤跡

2009年05月28日 | 橿原市
「益田岩船」を見たあとの興奮が醒めない状態で、その日の用事を済ませるために車を運転した。
思えばずいぶん道草・寄り道をしたもんや。
車を橿原の団地から西へ走らせると、小さな橋を渡る。
その川の名は、「高取川」。
この川を堰き止めて造られたのが「益田池」やった。
「益田岩船」の前にあった説明書きによると、あの岩船は益田池に建っていた碑銘の台座であるとする説があるそうや。
小さな橋を渡ってすぐ右手の所、道路沿いに小さな児童公園がある。
その公園には、「益田池堤跡」が一部残っていると聞いたことがある。
私はそのとき,その池の堤跡のもつ意味が理解できていなかった。
平安時代初期?空海によって北西に流れる高取川(檜隈川)をせき止められた益田池堤は、南北に約200メートルの長さになる規模であったらしいのだが、現在では約55メートルが遺構となって残っている。現地の益田池堤跡に建てられている案内板によると、堤の幅は約30メートル、高さ8メートルであるということ。
現在推定されている益田池の規模としては、四国にある満濃池より少し小さいが,流域1200ヘクタール、満水面積400ヘクタール、貯水量は140~180万トンとされている。
昭和36年に出土した巨大な木樋や昭和43年に樋門の遺構が確認されるなど、益田池には水量を調整するための設備が調っていたことも分かってきている。
溜池の多いN盆地やけど、溜池の歴史って凄いよねぇ~
昔から「水」は大切やってんなぁ~って思いながら用事の場所に向かった。
「写真;益田池堤跡」



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