大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

保田與重郎

2009年05月27日 | 桜井市
今日の趣味の園芸は「代掻き」。
田んぼに水を入れ,トラクターでかき混ぜる。
「田植え」をこの土曜日か日曜日にしようと予定しているからだ。
「代掻き」という作業は,いったい何年前からあるのだろうか?
日本に稲作が伝わって来たときに,もうあったのだろうか?
先日,夕食を食べながら見ていたTVのニュースで,天皇さんが田植えをする姿が映っていた。
私は「天皇さんの一番大事な仕事何か知ってるか?」と,一緒に夕食を食べていた家族に聞いてみた。
親父,家人,息子からは,すぐに答えは 返ってこなかった。
私は「田植えやねんて!」
「保田與重郎って知ってるやろうけど,その人が自宅を訪ねてきた新聞記者に、「天皇の仕事でいちばん大切なのは何かね。」って質問し、考えあぐねる記者に「田植えだよ」と語り、記者を驚かせた、っていう逸話があるっていうことやねん。」と,ネットで仕入れた知識を皆に教えた。
皆は「そうなんや~」と言い。
「いろんな神社に田んぼあって,田植えするもんな~ 
ウチもいよいよ田植えやなぁ~
天皇さん手伝うてくれたらエエのになぁ~」って言っていた。
この前、私は桜井市立図書館で“與重郎”という名の入った歌碑を見た。
このN盆地の南東部で、“與重郎”と言えば“保田與重郎”のこと。
しかし、私はまだ彼の書物を読んだことがない。
そしてどれだけ偉大なのかも詳しくは知らないのだ。
桜井市内には、およそ60もの著名人の筆による記紀万葉歌碑が点在している。
その万葉歌碑建立に際し、彼の存在は欠かせないものだったと聞いたことがある。
※保田與重郎について
保田與重郎1910~1981 文芸評論家。奈良県生まれ。東京帝大美学科卒。在学中「コギト」の創刊に加わり、ドイツ・ロマン派への傾倒を顕著にした。1935年「日本浪漫派」を創刊するにおよび、左翼退潮期の論壇・文壇に多大な影響を及ぼした。戦後、進歩的文化人の最大の目標となる。主著に「日本の橋」、「近代の終焉」、「日本に祈る」など。
「写真;桜井市立図書館にある歌碑」


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