
昨日のブログ記事は「龍田の初えびす」やった。
そう言えば,私はまだ年末に訪ねた龍田大社のことを書いていなかった。

奈良盆地の西端にある龍田大社の祭神は風神で,「志那津比古神」、「志那津比売神」とも呼ばれ、イザナギ、イザナミの子神と言われている。
風神祭が天武期に広瀬の大忌祭とともに祭られているが、まさに半島・大陸との関係悪化の中、大和の砦としてこの地域の部族を引き入れる方策であったと指摘する見解があるという。
確かに、奈良盆地の喉、信貴山の南端三室山を背後にし、大和川が狭い亀の瀬に向かう要所に位置する。
広瀬大社の位置が大和盆地の水運を睨んでいるのとあわせて、この龍田大社は瀬戸内から大和への侵入の最後の拠点であるとも言える。
この神社の西に雁多尾畑(かりんどおばた:大阪府柏原市)があり、ここの神社には金山彦、金山姫の命が祀られている。
この地域一帯は製鉄(野タタラ)が行われていたのである。
雁多尾畑の北に御座峰があり、龍田神の降臨する聖地とされており、神官が祭の日には登るそうである。
風神は元々タタラ製鉄の為にはなくてはならない強風の吹くことを祈る神であった。
それが新しい製鉄法と稲作とが渡来し、農業の守護神として風を鎮める神とされていったという説がある。

境内にあった大砲の筒と砲弾が,廣瀬神社にあった日露戦争の遺物と重なって,戦争と神社の関係を考えさせられたんやった。
そう言えば,私はまだ年末に訪ねた龍田大社のことを書いていなかった。

奈良盆地の西端にある龍田大社の祭神は風神で,「志那津比古神」、「志那津比売神」とも呼ばれ、イザナギ、イザナミの子神と言われている。
風神祭が天武期に広瀬の大忌祭とともに祭られているが、まさに半島・大陸との関係悪化の中、大和の砦としてこの地域の部族を引き入れる方策であったと指摘する見解があるという。
確かに、奈良盆地の喉、信貴山の南端三室山を背後にし、大和川が狭い亀の瀬に向かう要所に位置する。
広瀬大社の位置が大和盆地の水運を睨んでいるのとあわせて、この龍田大社は瀬戸内から大和への侵入の最後の拠点であるとも言える。
この神社の西に雁多尾畑(かりんどおばた:大阪府柏原市)があり、ここの神社には金山彦、金山姫の命が祀られている。
この地域一帯は製鉄(野タタラ)が行われていたのである。
雁多尾畑の北に御座峰があり、龍田神の降臨する聖地とされており、神官が祭の日には登るそうである。
風神は元々タタラ製鉄の為にはなくてはならない強風の吹くことを祈る神であった。
それが新しい製鉄法と稲作とが渡来し、農業の守護神として風を鎮める神とされていったという説がある。

境内にあった大砲の筒と砲弾が,廣瀬神社にあった日露戦争の遺物と重なって,戦争と神社の関係を考えさせられたんやった。
命がこの葉のように--、どの地域でも戦争状態が起こりませんように、今の紛争地帯も無くなってほしいです。
今,司馬遼太郎の『翔ぶが如く』5巻を読んでいます。
明治時代のはじめが舞台です。
戦争,嫌ですよねぇ・・・