伯母峰峠は、奈良県吉野郡上北山村と川上村との境にある峠で,吉野川と北山川の分水嶺となっている。
現在は,池原ダムから北山川沿いの国道169号線を北へ走ると,新伯母峰トンネル(1,963m)を通ることになる。
新伯母峰トンネル・川上村側の手前から入る大台ヶ原山への登山道が旧道の名残となっている。
かつて、この伯母峰峠は、吉野と熊野を結ぶ東熊野街道が通り、最大の難所と恐れられていた。
急坂と冬の深雪、しかも、「一本足のたたら」と呼ばれる妖怪が出没したという。
その昔、峠の南、天ヶ瀬に住む射場兵庫という鉄砲の名人が犬を連れ狩りに出た。
と、山の中で何かが動いた。
背中一面に熊笹を茂らせた大猪だった。
鉄砲を撃つ。
確かに獲物を射止めた手応えはあったが、なぜか動物の姿はなく、血の跡だけが残っていた。
数日後、熊野の湯の峰に、足を傷めた一人の野武士が湯治に来た。
彼は宿の主人に「部屋をのぞくな」と固く言ったが、不審に思った主人がそっと中を窺うと、寝ていたのは、背に熊笹を生やした大猪だった。
主人の驚きの声に目を覚ました大猪の亡霊は、姿を消した。
その後、伯母峰峠あたりで一本足の妖怪が村人や旅人を喰うという噂が広まった。
目が一つで、大きな赤い口。丸太のような足が一本。
やがて街道はさびれ、旅人は難儀した。
そこで、丹誠という徳の高い僧が法力で妖怪を封じ込めた。
ただ、12月20日だけは妖怪の自由に任せるという約束で、今も「果ての20日は峠を通るな」と言い伝えられているという。
「写真;新伯母峰トンネル入り口(上北山村側)付近」
現在は,池原ダムから北山川沿いの国道169号線を北へ走ると,新伯母峰トンネル(1,963m)を通ることになる。
新伯母峰トンネル・川上村側の手前から入る大台ヶ原山への登山道が旧道の名残となっている。
かつて、この伯母峰峠は、吉野と熊野を結ぶ東熊野街道が通り、最大の難所と恐れられていた。
急坂と冬の深雪、しかも、「一本足のたたら」と呼ばれる妖怪が出没したという。
その昔、峠の南、天ヶ瀬に住む射場兵庫という鉄砲の名人が犬を連れ狩りに出た。
と、山の中で何かが動いた。
背中一面に熊笹を茂らせた大猪だった。
鉄砲を撃つ。
確かに獲物を射止めた手応えはあったが、なぜか動物の姿はなく、血の跡だけが残っていた。
数日後、熊野の湯の峰に、足を傷めた一人の野武士が湯治に来た。
彼は宿の主人に「部屋をのぞくな」と固く言ったが、不審に思った主人がそっと中を窺うと、寝ていたのは、背に熊笹を生やした大猪だった。
主人の驚きの声に目を覚ました大猪の亡霊は、姿を消した。
その後、伯母峰峠あたりで一本足の妖怪が村人や旅人を喰うという噂が広まった。
目が一つで、大きな赤い口。丸太のような足が一本。
やがて街道はさびれ、旅人は難儀した。
そこで、丹誠という徳の高い僧が法力で妖怪を封じ込めた。
ただ、12月20日だけは妖怪の自由に任せるという約束で、今も「果ての20日は峠を通るな」と言い伝えられているという。
「写真;新伯母峰トンネル入り口(上北山村側)付近」
沢山走られましたね。
車を乗り換えて1年経たないので,走ることが楽しいのです!
先日,司馬遼太郎の「街道をゆく・十津川街道」を読みました。
その本には,坂本龍馬暗殺の時,刺客は「十津川郷士」を名のって龍馬の宿に入ってきたと書かれていました。
十津川は,いろんな折りに歴史に登場するんやなぁ~って思いました。