大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

土佐街道

2009年10月19日 | 明日香村・高取町
私はあの日、高取町で小嶋寺から少し西へ歩いて「土佐街道」を歩いた。
「奈良・高取」やのに、なぜ「土佐」なんやろか?
それは昔、大和朝廷が都(平城京?)や寺院(東大寺?)を建設する為に全国から労働力を集めたが、労役が終わっても帰郷できない土佐出身の人達が、せめてもと住む地に土佐の名を付したのが発祥であるという。
(高取町には薩摩、我が家の近くには吉備や出雲という地名があるけど、これらの関係は?)
まさに古代が生きて引き継がれた大和の地名なのだ。
司馬遼太郎が「街道を行く」の大和・壷坂道の中で、
「高取城は、石垣しか残っていないのが、かえって蒼古(そうこ)としていていい」と書いているという。
高取城は、日本三大山城のひとつで、その規模においては日本最大、中世に築かれてから廃藩置県で取り壊されるまで600年余の歴史を持つ要塞堅固の壮大な城。
その高取城や壷阪寺へと続く道・・・
街並みは徳川時代の武家屋敷跡などが残り、整然としていて石畳が続いている。
現在の石畳は、阪神大震災の復旧工事で出てきた阪神 国道の路面電車の石畳を利用しているのだという。
古代の「土佐」という地名、江戸時代の武家屋敷や商家、そして現在、阪神大震災で出た路面電車の石畳。
まさに、日本の歴史の上を歩いているような気分やった。
「写真;筆頭家老屋敷;重要文化財に指定されている長屋門 」

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