大和浪漫

私、瓜亀仙人が奈良・大和路の社寺や自然、生活の様子などをお伝えしたいと思います。

大和高田“神楽”という地名

2012年07月12日 | 奈良・大和路
先日、大和高田を通過した。
信号待ちをした交差点には“神楽”という表示。
以前から私はこの交差点の名前に興味を持っていた。
何かある?
何かあるはず?
あたりをキョロキョロ。
今回発見したのは杜と池と解説版!
やがて信号が変わり、私は車を走らせた。
後ろ髪引かれたなぁ~
また今度ゆっくりと・・・

@神楽の解説版
「経覚私要鈔(けいかくしようしょう)」に文安四年(1444年)、布施氏が押し寄せ、「深楽(しんらく)」の堂塔を焼いたという記録が見え、「寛永郷帳(かんえいごうちょう)」にも「秦楽村(しんらくむら)」と記され、古来から秦氏とのかかわりが深いところとされている「日本書記」には、”韓人、池を造る”とあり、渡来人が、百済の「甘羅(かむら)」の地名を移して「神楽(かむら)」の文字をあて、これを音読して神楽(じんらく)とした説がある。
氏神、勝手神社(吉野、勝手神社の分紳)の祭神は、正哉吾勝々速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやびあめのおしほみのみこと)で、即ち、雷神のことで、天空の音楽の神といわれる。むかし、このあたりに雷が落ち、村人が金たらいをさげて、遠巻きにして取り押さえると雷は、ふたたび、ここえは落ちない、と約束したという伝説などとともに、ここは、歴史、民俗とともに興味多いところである。
大和高田市教育委員会
     -境内の案内板ー

@大和高田の民話「つかまえられた雷」
神楽町に八頭神社があった。これは後に勝手神社に合併してしまった。合併するまでの、むかしのことだが、この付近に雷がおちた。村の人たちが、金だらいをさげて遠まきにしてかこんだ。そして金だらいで雷を押さえた。雷は「ふたたび、ここにはおちない」と誓ったので、村人は相談の上で、その雷をゆるしてやった。それから神楽には雷がおちないという。これと同じ伝説は横大路の西福寺にもある。
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